今日,『中医薬文化』の2007年第5期がとどいて,頁を開いたら,表紙裏に凌耀星先生の写真がありました。「医中婺女 海上三星」のひとりということです。89歳だそうです。おひさしぶりです。お元気そうです。長生きも芸のうちという言葉があるそうですが,特に医療の世界ではそうあるべきなんでしょうね。なかなかそうもいかないようですが。特に日本の針灸界には,自分の病弱から志したという人が多かったらしいですから。
『説文解字』:婺,不繇也。段玉裁注云:繇者,隨從也。不繇者,不隨從也。
阮歩兵が母を喪い,裴令公が往ってそれを弔った。阮は酔っぱらっていて,ざんばら髪で寝台に坐り,足を投げ出して哭してもいなかった。裴はやってくると,敷物から地に下りて,哭し弔い畢わると,そのまま帰った。あるひとが裴に問うた。「およそ弔いというものは,主人が哭し,それから客人が礼をなすことになっています。いま阮が哭しもしないのに,貴君が哭したのは何故なのですか」 裴は言った。「阮は方外の人である。だから礼制にこだわることはない。私などは俗中の人である。それで儀軌をもって自任しているのです」 時の人は二人ともにその道に中っていると感嘆した。(世說新語・任誕)
また:
阮籍當葬母,蒸一肥豚,飲酒二斗,然後臨訣,直言「窮矣!」 都得一號,因吐血,廢頓良久.
12月9日(日)午後1時~5時
場所は
いつものところの会議室(いつもと違います)。
『霊枢』はたぶん論勇篇あたりから……
その他に,今までに読んだ(つもりになっている)篇についても,再検討したい。
『黄帝内經太素新校正』卷十三 膓度(p.264)
下膲下溉諸膓。
楊上善注:下膲別迴膓,注於膀胱,譬之溝瀆☐☐,下溉諸膓,膀胱爲黑膓,及廣膓等也。
新校正云:此二句(膀胱爲黑腸,及廣腸等也)費解,疑「黑」爲「洩」訛,「及」爲「与」誤,則此二句當作「膀胱爲洩腸,與廣腸等也」,待考。
神麹斎案:『難経』三十五難に「膀胱者謂黑腸」とある。してみると「諸腸」とは,膀胱から広腸などに及ぶものであると謂いたいのだが,膀胱を腸と謂うことに不審をいだかれるのを恐れて「爲黑腸」などと付け加えてかえって難解にしてしまったのではないか。あるいは後人の注が紛れ込んだのかも知れない。
針灸医学は中国独自のものであるかどうか。それは,針灸医学を如何なるものと考えるかにかかっている。ある部位をつついたり焼いたりという治療のことであるならば,人間がいて尖ったものと火が有れば,どこにだってそういう工夫は生まれたはずである。経絡に類似したシステムを利用して,ここに施した術でかしこの状態を改善するという医療も,血液などの循環を知っていれば当然生まれうる。それどころか身体が物理的につながっている以上はこことかしこの関係は思いつくのが当たり前だろう。
針灸医学が独自性をもったのは,微針でもって経脈を調整して病を癒すと宣言したときからだろう。これをスイッチを押してその信号がコードを伝わったら電灯が点るように,と表現する。そして,これは蛇口をひねったら水が出るのとは違うのかどうか。微妙に違うと考えるのなら,そこに針灸医学の独自性が存在する。
針灸医学の独自性とは,実のところ,他の地域ではおおむね亡んでしまったシステムを,現代まで継続してきたことにある。ただしその間に,スイッチの押し方にオマジナイめいたことも工夫と称して紛れ込んでいる。それは確かに,スイッチは押しかた次第で様々な点りかたになる。いくつかのスイッチを組み合わせればなおさらである。何が工夫で何が思い違いかは難しいところだろう。ただ,ガス栓を開いて火をつけて,「どうだ明るいだろう」というのと違うと思う。
診断兼治療点と患部をつなぐ線条が存在し,その間を行き来するのはモノではなくて信号である。針灸医学の独自性を,取りあえずこのくらいに考えておく。おそらくはそれほど古くはなく,今の『霊枢』が編纂された時からだと思う。
『孝經』諫諍章第十五
曾子曰:「若夫慈愛、恭敬、安親、揚名,則聞命矣!敢問:子從父之令,可謂孝乎?」
子曰:「是何言與!是何言與!昔者天子有爭臣七人,雖無道,不失天下;諸侯有爭臣五人,雖無道,不失其國;大夫有爭臣三人,雖無道,不失其家;士有爭友,則身不離於令名;父有爭子,則身不陷於不義。故當不義,則子不可以不爭於父,臣不可以不爭於君。故當不義則爭之,從父之令,又焉得爲孝乎?」
足少陰の是動病を考える前に,そもそも是動病とは何かを説明しておく必要が有る。是とは四肢の末端付近の診断点であり,動とはその搏動であり,それが動じているときに想定され,その搏動の異常を治めることとによって癒えると期待される病症が是動病である。この説明は,おおむね黄龍祥氏の説に拠っている。
その観点から言えば,足少陰の是動病は二類で,前半の顔が黒ずんでいるとか,飢えているのに食べたがらないとか,唾に血がまじるとか,目がかすむとかは,『甲乙経』ではむしろ照海、然谷、水泉、復留などに見える。後半の気不足の場合の病症,心がドキドキして,人が捕まえに来るのではないかと恐れるのは,『甲乙経』の然谷の主治症中に多く見られる。このように足少陰の是動病に二類が有るのは,馬王堆の陰陽十一脈ですでにそうである。
なお,足臂十一脈の足少陰に相当する脈は肝に関わっている。足臂十一脈で五蔵との関わりをいうものはごく珍しく,他には手太陰に相当する脈が心と関わるくらいのものである。そして,『素問』蔵気法時論には,肝気が虚した時の状態として,目がぼ~っとしてよく見えず,耳はよく聞こえず,よく恐れることは,人が捕まえに来るのではないかとおもっているみたいだ,とある。つまり,足少陰の是動病の一類は肝の異常でもあり,然谷あたりが主治のポイントであり,もう一類は照海、然谷、水泉、復留あたりが主治のポイントであって,あるいはこれを腎の病症と言うべきかも知れない。大谿をどちらの主治穴であると言うべきかは,よく分からない。
11月11日(日)午後1時~5時
場所は
いつものところの教養娯楽室。
『霊枢』は「五色」篇の途中から。
その他に,今までに読んだ(つもりになっている)篇についても,再検討したい。
虚舟先生を偲ぶ会になってしまうかも知れないけれど……。
……
我庵の あみた仏 ともし火も ものせす
花も まいらせす すこすこと 彳める 今宵は
ことにたうとき
蕪村「北壽老仙をいたむ」より