靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

針で何をするつもりか

針灸医学は中国独自のものであるかどうか。それは,針灸医学を如何なるものと考えるかにかかっている。ある部位をつついたり焼いたりという治療のことであるならば,人間がいて尖ったものと火が有れば,どこにだってそういう工夫は生まれたはずである。経絡に類似したシステムを利用して,ここに施した術でかしこの状態を改善するという医療も,血液などの循環を知っていれば当然生まれうる。それどころか身体が物理的につながっている以上はこことかしこの関係は思いつくのが当たり前だろう。
針灸医学が独自性をもったのは,微針でもって経脈を調整して病を癒すと宣言したときからだろう。これをスイッチを押してその信号がコードを伝わったら電灯が点るように,と表現する。そして,これは蛇口をひねったら水が出るのとは違うのかどうか。微妙に違うと考えるのなら,そこに針灸医学の独自性が存在する。
針灸医学の独自性とは,実のところ,他の地域ではおおむね亡んでしまったシステムを,現代まで継続してきたことにある。ただしその間に,スイッチの押し方にオマジナイめいたことも工夫と称して紛れ込んでいる。それは確かに,スイッチは押しかた次第で様々な点りかたになる。いくつかのスイッチを組み合わせればなおさらである。何が工夫で何が思い違いかは難しいところだろう。ただ,ガス栓を開いて火をつけて,「どうだ明るいだろう」というのと違うと思う。
診断兼治療点と患部をつなぐ線条が存在し,その間を行き来するのはモノではなくて信号である。針灸医学の独自性を,取りあえずこのくらいに考えておく。おそらくはそれほど古くはなく,今の『霊枢』が編纂された時からだと思う。

Comments

Comment Form