足少陰の是動病
- 医論異論
- by shenquzhai
- 2007/11/04
足少陰の是動病を考える前に,そもそも是動病とは何かを説明しておく必要が有る。是とは四肢の末端付近の診断点であり,動とはその搏動であり,それが動じているときに想定され,その搏動の異常を治めることとによって癒えると期待される病症が是動病である。この説明は,おおむね黄龍祥氏の説に拠っている。
その観点から言えば,足少陰の是動病は二類で,前半の顔が黒ずんでいるとか,飢えているのに食べたがらないとか,唾に血がまじるとか,目がかすむとかは,『甲乙経』ではむしろ照海、然谷、水泉、復留などに見える。後半の気不足の場合の病症,心がドキドキして,人が捕まえに来るのではないかと恐れるのは,『甲乙経』の然谷の主治症中に多く見られる。このように足少陰の是動病に二類が有るのは,馬王堆の陰陽十一脈ですでにそうである。
なお,足臂十一脈の足少陰に相当する脈は肝に関わっている。足臂十一脈で五蔵との関わりをいうものはごく珍しく,他には手太陰に相当する脈が心と関わるくらいのものである。そして,『素問』蔵気法時論には,肝気が虚した時の状態として,目がぼ~っとしてよく見えず,耳はよく聞こえず,よく恐れることは,人が捕まえに来るのではないかとおもっているみたいだ,とある。つまり,足少陰の是動病の一類は肝の異常でもあり,然谷あたりが主治のポイントであり,もう一類は照海、然谷、水泉、復留あたりが主治のポイントであって,あるいはこれを腎の病症と言うべきかも知れない。大谿をどちらの主治穴であると言うべきかは,よく分からない。
その観点から言えば,足少陰の是動病は二類で,前半の顔が黒ずんでいるとか,飢えているのに食べたがらないとか,唾に血がまじるとか,目がかすむとかは,『甲乙経』ではむしろ照海、然谷、水泉、復留などに見える。後半の気不足の場合の病症,心がドキドキして,人が捕まえに来るのではないかと恐れるのは,『甲乙経』の然谷の主治症中に多く見られる。このように足少陰の是動病に二類が有るのは,馬王堆の陰陽十一脈ですでにそうである。
なお,足臂十一脈の足少陰に相当する脈は肝に関わっている。足臂十一脈で五蔵との関わりをいうものはごく珍しく,他には手太陰に相当する脈が心と関わるくらいのものである。そして,『素問』蔵気法時論には,肝気が虚した時の状態として,目がぼ~っとしてよく見えず,耳はよく聞こえず,よく恐れることは,人が捕まえに来るのではないかとおもっているみたいだ,とある。つまり,足少陰の是動病の一類は肝の異常でもあり,然谷あたりが主治のポイントであり,もう一類は照海、然谷、水泉、復留あたりが主治のポイントであって,あるいはこれを腎の病症と言うべきかも知れない。大谿をどちらの主治穴であると言うべきかは,よく分からない。
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