靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

何ぞ学びて得べけんや

人は死ぬとどうなるのか。中国の素朴な考えでは鬼になる。中国で鬼というと,日本の幽霊のことだといわれるが,これはあまり正確ではない。化けて出るのが幽霊だけど,鬼は化けて出なくても鬼である。で,鬼となるとどうなるか。別にどうということはない。鬼にも,人と同じように社会が有る。だから,あちらで城隍神にでもなれれば,こちらで地方長官となるのと大差無い。こちらで悪事を重ねて,あちらへ行ったら始めから獄の中ということは有る。あちらで鬼が死ぬとどうなるか。聻というものになる。鬼が聻を恐れるのは,あたかも人が鬼を恐れるようである。で,聻となるとどうなるか。聻にも,人と同じように社会が有るらしい。そこで聻が死ぬとどうなるか。さあ,そこまでは分からない。
それでは,人→鬼→聻→ という運命は免れ得ぬものなのか。いや,これ以外に神仙になるというのが有る。でも,神仙というのは,仙骨をもって生まれてくるものではないのか。つまり,学んだり修行して得る,なんてことはあるのか。少なくとも『抱朴子』では修行して到達可能だとしている。それはそうだろう。そうでなければ仙道の宣伝なんて成り立たない。
それでは,人の病を癒すという能力は,学んだり修行したりして得られるものなのか。そういう能力は天賦のものだとしたら,世の中の医療関係の教育機関は,ほとんどみんな詐欺のようなものである。しかし,『霊枢』官能篇に引く針論に「得其人乃傳,非其人勿言」とある。何以てその伝える可きものを知るかは,よく分からないが,少なくとも『史記』倉公伝では,公乗陽慶からみて淳于意は其の人であるけれど,淳于意のもとの師匠である公孫光は其の人ではない。
西洋中世には魔女と魔術師がいる。魔女は生まれながらに魔法使いである。魔術師は学んで,「うまくいけば」魔術の原理を知り,「うまくいけば」高度な魔法を使えるようになる。魔男なんてものは無いらしい。女の魔術師も極めて珍しいと聞く。

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