靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

句読に苦闘2

臂陽明有入鼽徧齒者,名曰人迎,下齒齲,取之臂,惡寒補之,不惡寒寫之。
足之大陽有入頰偏齒者,名曰角孫,上齒齲,取之在鼻與鼽前,方病之時,其脉盛則寫之,虛則補之。一曰取之出眉外,方病之時,盛寫虛補。
足陽明有俠鼻入於面者,名曰懸顱,屬口對入繫目本,視有過者取之,損有餘,益不足,反者益甚。
足太陽有通項入於腦者,正屬目本,名曰眼系,頭目固痛,取之在項中兩筋間,入腦乃別。
『太素』巻26寒熱雑説の一節の,新校正における句読である。重校も校注も同じ。しかし,この句読には疑問が有る。臂陽明の「名曰人迎」は,『霊枢』に拠って「名曰大迎」に改めるべきであろうが,それにしても「これを臂に取る」はおかしい。この部分は「下齒齲取之,臂惡寒補之」云々とすべきではないかと思う。つまり足陽明の「視有過者取之」と同文例である。また句読とは別に,角孫は「足之大陽」ではないだろう。それでは下の足太陽云々と重なるし,『甲乙』には「手足少陽、手陽明之會」とあり,『素問』氣府論王註には「手太陽、手足少陽三脉之會」と言い,『甲乙』もここに相当する文章では手太陽とする。また,位置も「在鼻與鼽前」ではなくて「出眉外」のはずである。
臂陽明有入鼽徧齒者,名曰大迎,下齒齲取之,臂惡寒補之,不惡寒寫之。
臂太陽有入頰偏齒者,名曰角孫,上齒齲取之,出眉外,方病之時,盛寫虛補。
足陽明有俠鼻入於面者,名曰懸顱,屬口對入繫目本,視有過者取之,損有餘,益不足,反者益甚。
足太陽有通項入於腦者,正屬目本,名曰眼系,頭目固痛取之,在項中兩筋間,入腦乃別。
いくらなんでも突拍子もない意見かと,少し不安になって郭靄春の『黄帝内経霊枢校注語訳』を確かめてみたら,ちゃんと「下齒齲取之,臂惡寒補之」云々となっていました。安心するとともに,ちょっとがっかりです。私が言い出しっぺではなかった。それどころか,私の調べたいくつかの『霊枢』の参考書はたいていそのように句読していました。『太素』の研究者と『霊枢』の研究者の違いがこれほど際だつのも珍しいのではなかろうか。
もっとも,経文に「一曰取之出眉外」云々とあって,「一曰出眉外」云々ではない,つまり「取之」の二字は古くから後に属していると考えられていたらしいのがなんとしても不安で......。

溼而下歸

『太素』巻10経脉根結に「發於秋冬,陽氣少而陰氣多,陰氣盛而陽氣衰,則莖葉枯槁,溼而下歸,陰陽相移,何補何寫?」とある。

銭超塵・李雲の新校正p.182の脚注は:
溼而下歸:原鈔『溼』字殘甚,辨其剩筆,當作『溼』。《靈樞》作『濕雨下歸』;《甲乙經》作『溼而下歸』。按,『濕』與『溼』同。蕭注《太素》作『溼而下㴆』,蕭延平云:『考「㴆」與「浸」同,漬也。』日本摹寫本作『□而下㴆』。按,原鈔「歸」字左旁筆形連草,細辨之,實即「歸」字。蕭本、日本摹寫本作『㴆』者,疑誤。
王洪図・李雲の重校p.281の脚注は:
溼而下歸:仁和寺原鈔"溼"字殘甚,辨其剩筆,當作"溼"(濕)字。蕭本作"溼而下㴆";小曾戸摹寫本作"□而下㴆",闕"溼"字。按,仁和寺原鈔"歸"字左旁筆形連草,細辨之,實即"歸"字。蕭本、小曾戸摹寫本作"㴆"者,皆誤,今從原鈔作"歸"。《靈樞》、《甲乙經》均作"濕雨下歸"。
私の抱いている疑惑がどんなものかはわかるでしょう。それにそもそも,この脚注は誤解なんです。原鈔に書かれているのは,『玉篇』に「歸」の籀文として載る「㱕」です。

校正ミス

『太素』新校正p.180経脉標本の「手陽明之本,在肘骨中,上至別陽,標在頬下合扵鉗上。」に対する楊上善注「......上至臂𦠌,臂𦠌手陽明胳,名曰別陽,......」について,脚注で次のように言う。
上至臂𦠌,臂𦠌:「𦠌」爲「臑」俗字。原鈔二「臑」字,蕭本皆誤作「臑」。
何のことだか分かりますか。私には分かりません。

実は春に北京へ行ったときに,現地でなら安いからということで,王洪図・李雲重校の『黄帝内経太素』を買ってきました。その脚注は次のようになっています。
臂臑,臂臑:蕭本誤作「背臑背臑」。今據仁和寺原鈔改正。
これで,新校正の誤りは分かったけれど,新校正も重校本も同じ人が共編者なんですよ。新校正のほうが校正ミスが多いということですか。ちなみに例の校注だって,ここでは流石にミスしてない。
背臑 仁和寺本作「臂臑」,當從。下「背臑」同。

須作依經法

巻21九鍼要道p.409
令各有形,先立『鍼經』,願聞其情。
楊上善注:爲前五法,必須各立形狀,立前五形之本,須作倣經法,故請先立鍼經,欲聞微鍼之情也。
新校正云:倣,日本摹寫本作「假」,與原鈔不合。
神麴齋云:原鈔はやはり「依」です。右側は巻14四時脈診「脉弱以滑,是有胃氣,命曰易治,趣之以時。」楊上善注「四時之脉皆柔弱滑者,謂之胃氣,依此療病,稱曰合時也。」の「依此療病」です。ここは新校正も「依」としています。また『北史』齊本紀・幼主に,濫挙の甚だしいのを嘆いて,「庶姓封王者百數,不復可紀。開府千餘,儀同無數。領軍一時三十,連判文書,各作依字,不具姓名,莫知誰也。」とあるらしい。これによって考えるに,「須作依經法」という句も可能ではないかと思う。

読めてしまう

杏雨書屋所蔵の『太素』がカラー印刷で出版されて,ときどき「美術鑑賞」の気分で眺めているんですが,今まで気付かずに,何の疑問も無く読んでいたところに,俗字が見つかります。例えば,散には少なくとも三通り有ります。勿論,普通の「散」も有ります。
多いのは「𣪚」で,これは『干禄字書』に散の俗として載っています。その他に攵が支に変わった「𢻎」も有ります。攵はもともとは攴ですから,支にごくごく近いけれど,原鈔では右肩に一点が有るのだから,うっかり支と書いたのではなくて,しっかりと支と書いたわけです。原鈔では「支」にも「岐」にも右肩に一点が有ります。攵の右肩に一点という例は,今のところ見つけてません。
つまり,『太素』の原鈔の(変な言い方ですが)原本が書かれた時代には,俗字がどんどん生まれていたわけですね。「𢻎」は,『漢語大字典』を繙いたところ,『正字通』に「散字之譌」と載っている,とだけありました。俗字としてもあまり認識されてなかったみたいです。それでも,何の疑問も無く読んでいた。漢字っておもしろいです。知らない文字も読めてしまうと言う融通性が有る。でも,どこかでとんでもない読み間違いをしているという恐れも有る。

去如絶絃

杏雨書屋蔵『太素』巻21の45行目,すなわち九鍼要道「去如絶絃」の楊上善注を翻字注では,次のようにしておいた。
得氣已去卽☐補☐☐補足☐
卽疾出鍼如絕絃者言其速也
缺巻覆刻は「即此補隂☐補得之」、新校正は「即与補洩行補洩已」に作る。今仔細に視るに、ほぼ確実な文字は翻字に示したものまでで、すなわち下から二番目が「𠯁」であるのはほぼ確実である。「𠯁」は「足」の異体字。
今,改めて検討するに,問題の部分は「即行補法行補足已」ではあるまいか。下の「已」の左下はおそらくはヲコト点である。問題はこの句が漢語としてまともかどうかに自信がない。

手陽明と少陽の大絡

『太素』巻九の經胳別異(新校正p149)に:
六經胳手陽明、少陽之大胳也,起於五指間,上合肘中。
楊上善注:
六陽胳中,手陽明胳,肺府之胳也;手少陽胳,三膲之胳也。手陽明大腸之經,起大指、次指之間,即大指、次指及中指内間,手陽明胳起也。手少陽經,起小指、次間,即小指、次指及中指外間,手少陽脉起也。故二脉胳起五指間也。
楊上善注の「手少陽經,起小指次間」の「次」の下に,恐らくは「指」字を脱している。蕭延平は補っている。新校正もそれに従うべきだと言う。
その他で気になるのは,次の「即小指、次指及中指外間,手少陽脉起也。」の「脉」字である。これは「胳」字の誤りではあるまいか。前の手陽明については,「即大指、次指及中指内間,手陽明胳起也。」としている。
つまり,手陽明と手少陽の経はそこから起こり,そして手陽明と手少陽の絡(胳)はここから起こる,と言っているのではあるまいか。
あるいはさらに,手陽明の経は大指と次指との間,手少陽の経は小指と次指との間から起こり,手陽明の絡(胳)は大指の次の指および中指との内間,手少陽の絡(胳)は小指の次の指および中指との外間から起こる,と言っているのではあるまいか。
してみれば,「手陽明大腸之經,起大指、次指之間;即大指次指及中指内間,手陽明胳起也。手少陽經,起小指、次指之間;即小指次指及中指外間,手少陽胳起也。」(陽明の経は親指と人差し指の間に起こり,絡は人差し指と中指の間に起こる。少陽の経は小指と薬指の間に起こり,絡は薬指と中指の間に起こる。)と解すべきではあるまいか。
問題は「即」字の用法に,「そして」あるいは「だからつまり」といったことが可能なのかどうか。
経文には,手陽明と少陽の大胳が五指間に起きると言う。楊上善の注文には,手陽明と少陽の二つの脉と胳,合わせて四条は五指間に起こると言っているらしい。経と注に齟齬は無いのか。

刀削

『霊枢』五変篇の一節を,渋江全善『霊枢講義』は「匠人磨斧斤,礪刀,削斲材木。」と句読しているようだが,誤りである。正しくは「匠人磨斧斤,礪刀削,斲材木。」(匠人は斧斤を磨き,刀削を礪ぎ,材木を斲る。)とすべきである。「削」はここでは竹簡や木簡の訂正すべき部分を削り取るための小刀,つまり「刀削」はカタナやコガタナ。この部分は『太素』に缺くので,銭超塵教授の意見が分からないのは残念だが,郭靄春教授の『霊枢校注語訳』はそのように断句している。流石だと思う。
ただし,自筆本の『霊枢講義』でも「削」の下に句読らしきものが見える。単なる汚れかも知れないし,抹消した句読の痕跡かも知れないけれど,訂正して打ちなおした朱点かも知れない。こうなってくると,影印を見たからといって安心はできない。朱墨が不明で困るのは,なにも王冰注ばかりではないということ。

筆の勢いで......

これは批判ではなくて,大変だよね,というお話です。『太素新校正』p.145に次のような経文が有ります。たまたまここはユニコードに有る漢字しか使ってないので,厳密にこの通りです。
故本輸者,皆因其氣之實虛疾徐以取之,是謂囙衝而寫,囙衰而補,如是者耶氣得去,真氣堅固,是謂因天之序。
で,話題にしたいのは四つ出てくる因(囙)のことです。こんなのを書き分ける意義が有りますか。それはまあ確かに,『干禄字書』に「囙因 上俗下正」とは載っています。でもこれは大の ̄/\が筆の勢いでZのようになって,ついにコになっただけのことでしょう。画像には原鈔の四つの因だけを抜き出しました。二番目なんてまさにZじゃないですか。三番目は大の上部に剥落が有るだけで,そもそも因なのかも知れない。四番目は大がナ一になっているとも言えそうで,囗の中に士あるいはいっそ匕なんて俗字を生み出しかねない。一番目だけはまあ因だろう。だから,いろんな異体字のうちのどれがここには書かれているのか?なんて決めようがない,大変だよね,と言うこと。でもね,「本」は明らかに「夲」と書かれています。全巻を通してそうだと思う。どうでもいい,とは思うけどね。

句読に苦闘

『太素』巻8経脈病解
所謂邑邑不能久立坐,起則目𥇀𥇀无所見者,萬物陰陽不定,未有主也,秋氣始至,微霜始下,而方煞萬物,陰陽内奪,故曰目𥇀𥇀无所見也。
王洪図、李雲重校も銭超塵、李雲新校正も,上のように句読するが,これにはいささか疑問が有る。楊上善注に「故從坐起目𥇀无所見也」と言う以上は,「久立」の下で断句,「坐起」云々と続けるべきだろう。重校も新校正も楊注原鈔の「從坐起」の「從」は「久」の訛ではないかなどと言うが,言語道断である。ましてやこの経脈病解が解釈の対象としている経脈連環には「坐而欲起,起目𥇀𥇀,如无所見,」(下の「起」は原鈔では代替符号であり,また『霊枢』および『甲乙経』には無い。)とある。その楊注にも「今少陰病,從坐而起,上引於目,目精氣散,故目𥇀𥇀无所見也。」と説明するが,これについては重校も新校正も何ら疑問を呈していない。
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