靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

痙,擎井反

『中醫古籍校讀法』p58
  其病足下轉筋,及所過而結者皆痛及轉筋,病在此者主癎痸及痓,在外者不能俛,在内者不能仰。故陽病者腰反折不能俛,陰病者不能仰。
楊上善注:「痸,充曳反。痓,擎井反,身强急也。」原巻の正文の字形は「痓」であるが,「擎井反」に拠れば,原文は「痙」のはずである。後の抄者が誤って「痓」と書いたのであるが,注中の反切が,正しくは「痙」であることを明確に示している。
これもダメです。仁和寺本『太素』に書かれている文字は,もともと「痙」の俗字です。巠を𡉊と書いている。同様の例は,そもそも「黄帝内經太素」の「經」字にも見られます。『黄帝内経九巻経纂録』だって『霊枢講義』だって,楊上善注は「痙」です。ところが袁昶本も蕭延平本も「痓」に作っています。どうもそのあたりから誤ってるようです。「後の校者が誤った」のだろうというべきで,別に仁和寺本『太素』の抄者の問題ではありません。

この話も前に書いたと思うけれど,編委のうちの何人かにはそれを見る機会が有ったと思うけれど,またこの記述だから,また書きます。

煩勞則陰精絶

『中醫古籍校讀法』p50
  陽氣者,煩勞則張,精絶,辟積於夏,使人煎厥。(《素問・生氣通天論》)
  王冰注:“此又誡起居暴卒,煩擾陽和也。然煩擾陽和,勞疲筋骨,動傷神氣,耗竭天真,則筋脉䐜脹,精氣竭絶,既傷腎氣,又損膀胱,故當於夏時,使人煎厥。以煎迫而氣逆,因以煎厥爲名。厥,謂氣逆也。”
清代の兪樾の校:「張字の上に筋字を奪する。筋張と精絶の両文で相対する。今,筋字を奪したのでは文義が不明となる。王注に筋脉䐜脹,精氣竭絶というからには,その拠った本ではまだ奪してなかったのである。」 兪樾は対文の例からして当然有るべき文字が無いのを発見し,また王注を糸口としてその奪したものが筋字であることを知った。この論には従うことができる。
そんなこと言ったって,
陽氣者煩勞則張精絶 辟積於夏使人煎厥 と後文の
陽氣者大怒則形氣絶而血菀於上使人薄厥 の対はどうしてくれる。
先ず而の有無はどちらかにするとして,夏と上も対にしてもらいたい。夏と下が同音であることくらい誰でも知っている。そして,張精と形氣だって対のはずだろう。もっとも張精なんて言葉も意義不明だから,どこかに文字の間違いが有る。ひょっとすると,張は隂(陰)の誤りではなかろうか。

これは前にもどこかに書いたような気がするけれど,だれも応えてくれないので,また咆えてみる。

炅 ふたたび

菉竹子から,『康煕字典』巳集中・火字部(筆画8·部外筆画4)に次のようにあると指摘をもらいました。
《唐韻》古迥切《集韻》畎迥切,𠀤音熲。《說文》見也。《廣韻》光也。《集韻》或作昋。 又《集韻》《類篇》𠀤俱永切,音憬。《集韻》光也,或作耿。 又《五音集韻》於警切,音影。煙出貌。 又《廣韻》古惠切。《集韻》涓惠切,𠀤音桂。《玉篇》本作炔。義同。 又姓。《廣韻》後漢太尉陳球𥓓,城陽炅橫,漢末被誅有四子。一守墳墓,姓炅。一避難徐州,姓昋。一居幽州,姓桂,一居華陽,姓炔。此四字皆古惠切。
『唐韻』古ko迥kei切『集韻』畎ken迥kei切,ならびに音熲kei。『説文』見也。『廣韻』光也。『集韻』はあるいは昋に作る。 また『集韻』『類篇』俱ku永ei切,ならびに音憬kei。『集韻』光也,あるいは耿に作る。 また『五音集韻』於wo警kei切,音影ei,煙が出るさま。 また『廣韻』古ko惠kei切,『集韻』涓ken惠kei切,ならびに音桂kei。『玉篇』はもと炔に作る。義は同じ。 また姓。『廣韻』後漢太尉陳球碑,城陽の炅橫は,漢末に誅せられ四子有り。一は墳墓を守り,炅を姓とす。一は徐州に避難し,昋を姓とす。一は幽州に居り,桂を姓とし,一は華陽に居り,炔を姓とす。この四字はみな古ko惠kei切。
神麹斎按ずるに,『康煕字典』には音「ネツ」も,義「熱也」も載ってないと思う。ただ,徐鍇の『説文』繫伝には「火に从い,日の声」とあるらしい。してみると,ジツ乃至ネツという音の「炅」字も,一応は学者の頭の隅には有ったのだろう。
帛書『老子』は,馬王堆漢墓から出た。古の楚である。戦国末の楚には,熱の意味の「炅」字が有ったらしい。それが「熱」の異体字であったのか,つまり音「ネツ」であったのか,それとも楚の方言に音「ケイ」で熱の意味の言葉があって,それを書きあらわすために「炅」を用いたのか。

『太素』に「炅」字が登場するのは8度ほどであるが,楊上善は5度にわたって音義を注記している。彼にとっても,あまりなじみのない文字だったということだろう。
 02九氣「炅則腠理開氣洩」楊注:炅,音桂,熱也。
 16脈論「炅至以病皆死」楊注:炅,音桂,見也,此經熱也。
 23雜刺「盡炅病已也」楊注:炅,音桂也。
 24虚實所生「乃爲炅中」楊注:炅,熱也。
 27耶客「得炅則痛立已矣」楊注:炅,熱也。
いずれも音はケイで,『太素』においては熱の意味だという。脈論の注に「見也」(新校正は「兒也」に作るが,「兒也」などという字書は無さそうである。「兒」は,実際の原抄では目を横倒しにした「見」にも見える。)とするのは,字書などに拠った常識ではそうだというに過ぎない。こうした一般的な訓詁と,その場での意味を併記する例は,巻2調食にも「涘,音俟,水厓,義當凝也。」というのが有る。
『説文』には「見也」とあるが,段玉裁は「考えてみると,この篆義はよくわからない,『広韻』に光也に作るのがこれに近いようだ」という。おそらくは「光」が正しい。異体字の「灮」は,確かに「見」に誤りやすかろう。
それにしても熱の意味の「炅」でも,音桂なんだろうか。
今まで『太素』における「炅」は,実は「熱」の六朝ころの異体字で,だから音はネツだと思っていたけれど,そうでもないのかも知れない。岩波文庫『老子』第45章「躁勝寒靜勝熱」の蜂屋邦夫氏注に,
「熱」は、楚簡は「然(ぜん)」、帛書甲本は「炅(けい)」とする。意味は同じであるが、次句の「正(せい)」と押韻する点からいえば「炅(けい)」がよい。
とあった。

左の脈は然らず

『太素』巻14診候之三 雑診
黄帝曰:有病瘚者,診右脉沉,左脉不然,病主安在?
歧伯曰:冬診之,右脉固當沉緊,此應四時,左浮而遲,此逆四時。在左當主病診在腎,頗在肺,當腰痛。
曰:何以言之?
曰:少陰脉貫腎上胃肓,胳肺,今得肺脉,腎爲之病,故腎爲腰痛。
黄帝曰:善。

冬に診たのであれば,右の脈であろうが,左の脈であろうが,沈んでいるべきである。今,右の脈は確かに沈んで緊張しているが,左の脈は浮いて遅い。これを病は腎に在ると判断し,肺にかたよっていると言い,腰痛を起こしているだろう,と言う。
どうしてそんなことが言えるのか。まず,「在左當主病診在腎」の「在左」の意味がわからない。左だから腎を連想するのか。確かに『難経』では左に,心肝腎を配する。でも,だったら肺云々はどうしてくれる。四季のめぐりに合致しない,あるいはさらに,大きなサイクルに合致しない,新たな変化は概ねまず左の脈に表現されると読むわけにはいくまいか。
左の脈だって,冬なのだから沈であるべきだ。ところがいま,浮であるとしたら,何か病的な状態に,短いサイクルで陥っている。浮は肺の脈である。そして,肺と腎は少陰の脈によって連結されている。肺と腎のつながりは他の篇でもしばしば述べられる普遍的なものである。また,ここの「上胃肓」の三字は『素問』病能論には無く,腎と肺のつながりがより鮮明に表現されている。つまり,いま気は肺に実して,腎には虚しくなっている。だから,腎が病んでいて,腰が痛むだろうと判断する。
右の脈の変化は大きなサイクルに従い,左の脈の変化はより短いサイクルに敏感に反応するとすれば,右に脈口(寸口・気口)を,左に人迎を持ってきた人迎脈口診にも,『内経』には全く拠り所が無い,というわけのものでも無い,とは言えないだろうか。

斲輪之巧

『太素』巻二・摂生之二・順養
黄帝曰:余聞先師有所心藏,弗著於方。余願聞而藏之,則而行之,
楊注:先師心藏,比斲輪之巧,不可□□,遂不著於方也。又上古未有文著□□□暮代也,非文不傳,故請方傳之,藏而則之。
「斲輪之巧」の出典は『荘子』外篇「天道」に在り,「斲輪,徐則甘而不固,疾則苦而不入。不徐不疾,得之於手而應於心,口不能言,有存焉於其間」と言う。そこで,『太素新校正』は不可の下の空格を「言傳」ではないかと言う。意味としては妥当だが,残念ながら,上の空格の残筆は明らかに「言」ではない。むしろ「專」が左に傾いている可能性が有る。そこで私の『新新校正』では「傳也」の二字ではないかと言っておいた。しかし,よく考えてみれば,「不可傳也,遂不著於方也」という言い方はいかにも拙だ。いっそのこと「不可傳數」ではどうだろう。つまり,輸を斲る技術には,数(手段,方法,コツ)というものが有るのだが,その数は人に伝えたりできないはずのものなのだから,ついに文字に書きあらわしたりはしなかった。

格闘家とウサギ

先日の読書会で、『霊枢』の本蔵篇を読んで、その中の「廣胸反骹者、肝高、合脇兔骹者、肝下」について、桂山先生が「攷字書、骹無胸骨之義」といっているのが話題になりました。そして今朝、読書会に来ている乗黄氏からメールがとどいていました。
 「獣面紋長骹矛」と「獣面紋長骹矛」と呼ばれる"矛"があります。「ソケット状の首(骹)に耳のようなループが付くのは、巴蜀青銅器の矛の特徴である。首は刃と同じぐらいの長さで、断面は円形である。柄はソケットに棒を入れて取り付ける。」云々と説明されています。

 ソケット状の部分が「骹」と表現されています。また、この全体像は、人体の「胸骨」の形状に似ています。

 つまるところ、反骹の"骹"は「胸骨」それ自体ではないでしょうか。胸骨は、少し反り返っているのが自然であります。肋骨形状が拡ければ、当然、それにともなって胸骨体も大きくなり、その反り返りも大きいはずであります。「廣胸反骹」とは、今で言う、格闘家の体格の様な胸板の厚い胸腔を意味すると思います。つまり、肝の蔵の納まりも当然よい訳で、肝高となるのではないでしょうか。

 一方、「合脇兎骹」でありますが......、これを思いっきり飛躍させて、「兎」はやはり「ウサギ」のことだとすれば、「兎骹」は「ウサギの胸骨」であります。ウサギの胸腔は、肋骨と胸骨体で構成されていますが、それが極端に小さい事はウサギを知るものには当然のお話であります。

 当然、その"胸腔体積"が小さいわけですので、肝の蔵は納まりは悪く「肝下」になるのもうなずけます。事実、ウサギは"腹部"に臓器が集中しています。

 少しばかり、極端な説でありますが「胸腔」の体積の大小を「廣胸反骹」の胸板の厚い者とウサギに特徴的な小さな胸部である、「合脇兔骹」を対比させただけではないでしょうか。

いや、面白い。

骹が胸のあたりの骨を指すこともあることさえ認めれば、なかなかの説得力じゃないですか。

ただ残念なのは、やっぱり大型の字典や詞典にも、骹の意味としては脛骨しかほとんど載ってない。胸のあたりの骨というのは、『霊枢』本蔵篇と、多分それにもとづいた清の沈彤『釈骨』くらいじゃないか。

矛の部分を指すというのは、大型の字典や詞典には載ってました。前漢の揚雄『方言』に「骹謂之銎」とあって、西晋の郭璞が「即矛刃下口」と注しているそうです。何かの下方でやや細くなった部分を、おしなべて交ということは、あったのかも知れません。で、骨のはなしだから骹。

俗字

『顔氏家訓』書証篇に,本来は誤字でありながら,そのまま通用する文字になっている例として,「巫と經の旁を混同する」というのが挙がっています。
でも,ちょっとまってください。右に挙げた文字のうち,上が仁和寺本『黄帝内経太素』の經の字です。これの右旁が巫に似てますかね。
実は仁和寺本『黄帝内経太素』では,巫が右の下のように書かれているんです。これならまあ「旁を混同する」と非難され,「これらは正されるべきである」と訴えられるのはわかる。
だから,俗字の作字にはげむことに全く意味が無いとは言わない。でも本来は,画像を切り貼りした方がうんと確かだし,そういうことは解説中でふれておけばすむことだと思う。

是主○

かなりむかしから,『霊枢』経脈篇の是動病と所生病の間の「是主○」は,是動病の総括と考えたいと思ってきました。中国の比較的新しい注釈書でも,この字句を是動病に属させる人がいるのを知ってうれしく思ったものです。
で,黄龍祥氏の経脈穴の説に示唆を受けて,是動病は腕や踵付近の代表的な診断ポイントが動じているときに予想される病症群であると考えるようになってから,ますます「是主○」は,是動病の総括であると確信しています。
ところがその黄龍祥氏が点校した『甲乙経』でも,例えば「是主肺所生病者:咳,上氣,喘喝,煩心,胷滿,臑臂内前廉痛厥,掌中熱。」になってますね。どうしたことなんでしょう。是動病の総括であるというのはやっぱり誤解なんでしょうか。是動病の総括であるとした中国人って,誰だったんでしょう。
因みに,馬王堆の陰陽十一脈灸経では,是動病と所産病の間に「是○脈主治」の字句が有って,誰しも前に属させているみたいです。これって傍証になりませんかね。

太素新新校正

 古文献そのものを,一般以上の水準で研究しようとするのなら,最善の資料に拠るべきことは当然である。『太素』について言うならば,せめて影印本を手に入れる。絶版とはいえ,古書店を熱心に探せば手に入らないでもない。高価であると言っても,天文学的な値段というわけではない。そのうえで,なろうことなら真物を視たいし,せめて鮮明なカラー写真が手にはいらないかと努力する。
 しかし,その他に,『素問』、『霊枢』の医学を学ぶについて,『太素』の文章に拠りたい,大過ない『太素』のテキストが欲しいという人たちがいるのも,また無理のないところだろう。
 人にはそれぞれ登攀したい峰が有る。途中までに巴士や索道を利用したからといって,馬鹿にされるべきいわれはない。泰山に歩いて登る人も,麓まで歩いていくわけじゃない。

 正直なところ,この種の作業が絶対に大丈夫という境地にたどりつくことなぞはありえない。単純な入力ミスもさぞかし多かろう。長期にわたる翻字作業において,『素問参楊』や『黄帝内経太素九巻経纂録』によった旨の注記が脱落した箇所も,あるいは有るかもしれない。ご寛容を願いたい。幸い日本内経医学会が百部の作成費用を計上してくれたので,百人の賢明なる視線にさらすことができる。少しは大丈夫に近づくことができるだろう。

 言わずもがなではあるけれど,この新新校正には新校正を主編した銭超塵教授へのhommageという意味がふくまれている。
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