靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

通行の繁体字

 仁和寺本『太素』の飜字を試みていますが、もし可能な限り原本通りに入力すれば、九鍼要道の冒頭は次のようになります。
黄帝問歧伯曰余子萬民養百姓而収其租
稅余哀其不終属有疾病余欲勿令
被毒藥無用砭石欲以微鍼通其𦀇
調其血氣營其𨒫順出入之會令可傳
於後世
と言うのは嘘です。パソコンで可能な最大限度というに過ぎません。いくつかの文字が表示されてない閲覧者がいると思いますが、おそらくはユニコードCJK統合漢字拡張領域Bの漢字です。2箇所に使用しています。もしその字形に拘るのなら、言い換えればこの水準で拘るのなら、「傳」には人偏に専の字を造りたいところです。「逆」も本当は辶に羊ではなくて、廴に羊とみるべきかも知れません。そういうものはさすがに拡張領域Bにも有りません。「𨒫」なら有ります。
 だからいっそのこと通行の繁体字に統一しようかとも思います。影印が有るんだからそれで良いじゃないか、という意見に耳を傾けるということです。そうすると今度は、通行の繁体字って何なんだ、ということになる。面倒だから『康煕字典』体と答える。すると虚じゃなくて虛、絶じゃなくて絕を使うことになる。何だかこれも馬鹿馬鹿しい。じゃあ、ということで当時の学者が正しい字と考えていた形に統一しようかと、試みてはいるけれど、これは資料が足りないのだからはじめから不可能は知れている。やってみているだけです。
 で、結局のところ凡例づくりが一番難しい。

禁服つけたし

 我ながら、いくらなんでもと思うから、ちょっとだけつけたし。
 寸口が中を主り、人迎が外を主るというのは、陰経脈で蔵府つまり内部循行を診、陽経脈で皮肉筋骨つまり外部循行を診ることから発展した考えではなかったかと思う。陰経脈にせよ陽経脈にせよ、元来はもっといくつもの診処が有ったはずなのに、それぞれ一処に統合された。現実的な事情として、診処として充分な搏動は、そういくつも無かったということもあるだろう。その盛虚緊代を診てどんな状態で、どんな治療が必要かをいうわけだけど、内部と外部の違いがあるから、判断も異なる。例えば人迎の緊は肌肉の痛として分肉を刺せば良いだろうけれど、寸口の緊は内部の痺として方策をたてる必要がある。この時点では先ず刺して後に灸しようと言っている。大数の言い分では、灸刺も良いけど薬を飲ませたい。
 で、極端な話、原形は:
寸口主中,人迎主外,兩者相應,俱往俱來,若引繩小大齊等,春夏人迎微大,秋冬寸口微大,如此者名曰平人。盛則為熱,虚則為寒,緊則為痛痺,代則乍甚乍間。盛則徒寫,虚則徒補,不盛不虚,以經取之;緊則灸刺且飲藥。
に近かったのではあるまいか。
 陥下はもとは無かったけれども他所から持ってきて、陽経脈の陥下はつまり肌肉の陥下として、単純に灸をすえれば良いとして、陰経脈の陥下にはもう少し説明が必要と考えて、脈血が中に結ぼれて、つまり中に著血が有って、するとこれは血寒なんだから、やっぱり灸をすえれば良いんだ、と。
 代はもとから有ったけれど、人迎と寸口では血絡を取るのが主なのに、大数では安静にしていろとの指示のみで、しかも『霊枢』では脈代以弱が脈大以弱になっている。治療の指針には後からのつけたしの気配がある。それから代は、楊上善注には「止也」というけれど、ここの乍甚乍間(止)からすれば、たちまち盛たちまち虚と考えても良いだろう。たちまち熱たちまち寒である。不盛不虚なら、瀉でもない補でもない、中庸の治法を採用する。熱したり寒したりだからといって、瀉したり補したりというわけにいかないということなら、中庸の治法を採用するか、それともやっぱり安静にして様子をみるしかないか。
 大数のように緊に灸刺して薬も飲ませるといったら、ようするに何でも有りではないか。ひょっとすると補瀉は針にまかせたつもりかも知れない。

禁服

『太素』巻14人迎脈口診(『霊枢』禁服篇)
寸口主中,人迎主外,兩者相應,俱往俱來,若引繩小大齊等,春夏人迎微大,秋冬寸口微大,如此者名曰平人。
人迎大一倍於寸口,病在少陽;人迎二倍,病在太陽;人迎三倍,病在陽明。
盛則為,虚則為,緊則為痺,代則乍甚乍
盛則寫之,虚則補之,緊取之分肉,代則取血胳且飲藥,陷下則灸之,不盛不虚,以經取之,名曰經刺
人迎四倍者,且大且數,名曰外挌,死不治。
必審按其本末,察其寒熱,以驗其藏府之病
寸口大於人迎一倍,病在厥陰;寸口二倍,病在少陰;寸口三倍,病在太陰。
盛則脹滿,寒中,食不化,虚則熱中,出糜,少氣,溺色變,緊則為痺,代則乍痛乍
盛則寫之,虚則補之,緊則先刺而後灸之,代則取血胳而後洩(『霊枢』作調)之,陷下則灸之。陷下者,脈血結於中,中有著血,血寒故宜灸。不盛不虚,以經取之。
寸口四倍,名曰内關。内關者,且大且數,死不治。
必察其本末之寒温,以驗其藏府之病,通其滎輸,乃可傳於大數
大數曰:盛則徒寫,虚則徒補。緊則灸刺且飲藥,陷下則徒灸之,不盛不虚,以經取之。所謂經治者,飲藥,亦曰灸刺。脈急則引,脈代(『霊枢』作大)以弱則欲安靜,無勞用力也
 いきなり経文を突きつけられたって何のことやらだと思うけれど、まず禁服篇の人迎脈口診では、人迎と寸口のどちらがどちらの何倍という内容の比重はごく軽いということ。それと人迎の記述と寸口の記述が微妙に異なるということ。さらに末尾に「大數曰」なんて余分が有って、しかもよく考えてみるとこれは人迎脈口診に限った内容ではないということ、上の人迎と寸口の記事とは微妙に異なるということ。
 だから、何なんだといわれても困るんですが、もともとは人迎の脈状がこうこうだったら外に在るこうこうの病状、寸口の脈状がこうこうだったら中に在るこうこうの病状、という脈診だったような気はする。

九鍼要道

『太素』巻21九鍼要道(『霊枢』九針十二原)
黄帝問岐伯曰:(五方療病,各不同術,今聖人量其所宜,雜合行之,取十全,故次言之。)余子萬民,(子者,聖人愛百姓,猶赤子也。)養百姓,而收其租稅。余哀其不終,屬有疾病。(中有邪傷,屬諸疾病,不終天年。)余欲勿令被毒藥,無用砭石,(有療之者,行於毒藥,或以砭石傷膚,毒藥損中,)欲以微鍼通其經脉,調其血氣,營其逆順出入之會,(可九種微針通經調氣,)令可傳於後世。(以傳後代也。)
 楊上善の注は、本当は「令可傳於後世」の後に在るのだけれど、どの句をどう説明しているかをはっきりさせる為に分散させてみた。
 「次言之」と言うけれど、先に何か言っているわけではないから、「次」は「順序よくならべて」だろう。
 楊注が「屬諸疾病,不終天年」であるからには、経文も「不終屬」と「有疾病」の対ではない。
 楊注の「砭石傷膚」と「毒藥損中」は対になるはずである。「或以」がその両句をひきていると考えても良いが、後に砭石と毒薬をいうのに、前は毒薬だけというのもおかしい。本当は「行於毒藥,或以砭石,砭石傷膚,毒藥損中」ではないか。つまり「砭石」には重文符号があるべきではないかと思うが、残念ながら原本にもそれらしい痕跡は無い。

まごつく

『太素』巻21九鍼要解
壹其形聽其動靜者言工知相五色于目有知調尺寸小大緩急滑濇以言所病也
楊上善注:相五色於目謂壹其形也相目之形有五色別以知一形也調尺寸之脉六謂聽其動靜也聽動靜者謂神脉意也
 杏雨書屋の『太素』の原本を見て、かえってまごつくことも有るんです。楊上善注中の「思」は原本では画像のようになっています。里の下に心に見えませんか。そんな字は、字書に見つかりません。多分、抄者の単なる筆の誤りだろうとは思うんですがね。ひょっとすると用紙の汚れにすぎないのかも知れない。でも「悝」なら有る。意味は「思い悩む」です。「動静を聴くとは、神が脈の意を思い悩むことを謂うのである。」ちょっと変だけど、全く変でもないでしょう。だから、かえってまごつく。模写は「思」にしてますから、なんとなくやりすごしていた。「動静を聴くとは、神が脈の意を思うことを謂うのである。」なんだか、考えてみればこれだってそんなに分かりやすくはなかった。

経と注の辻褄

 今までに翻訳出版された中国医学古典は、原文と現代中国語訳を、それぞれ勝手に訳して、言い換えれば原文の翻訳はその校注語訳を無視しているのが普通だった。そういうのは嫌です。『太素』の場合、訳すなら経文と楊上善注との辻褄が合うように訳すべきだと思う。そしてそれは極めて困難だと思う。例えば、巻27九鍼要解:
知其往來者,知氣之逆順盛虚也。要與之期者,知氣可取之時也。
楊上善注:知虚實可取之時,爲知往來要期也。
 経文と楊注を付き合わせて考えると、注は「虚実とそれを取るべき時を知るには、往来を知り期を要することを為すべきである」だろうと思う。そうすると「要與之期」は、「與之期を要する」と解する必要が出てくるだろう。で、「要」とはどんな意味ですか、という問題が生まれてくる。楊上善にとってはそんな疑問はなかったから、何もヒントは無い。九針十二原の経文を解釈していたときの「要與之期」に対する理解は、「與之期を要する」ではなかったから、また別に頭をひねらないと、現代日本語訳はできない。だからといって、この「要」を訳さなかったら、現代語訳の価値は減ると思う。しんどい話になる。中国の最近の語訳が楊上善注を省いているのは、現代語訳を必要とするような人には楊注は余計なものと考えたのか、難物だから敬遠したのか。おそらくは後者のほうが、より大きな理由だったのだろうと思う。

日本語訳

 『太素』の日本語訳もあった方がよい。それはまあ、そうかも知れないけれど、至難の業です。経文の訳はなんとかするとして、注文は手強い。楊上善は、正統的な漢語で書いているつもりだろうが、実のところ隋唐の漢語の癖が紛れ込んでいるだろう。隋唐の漢語の解読なんて全く自信がありません。秦漢の漢語だって同じことですがね、これはまあ長年つきあってきました。
 『太素』を読もうという以上は、隋唐の漢語だからといって逃げだすわけにはいかないけれど、いま現に格闘中というか、むしろ飜字がなんとかなったら、みんなで格闘するつもりです。つまり、そういう準備の段階です。
 例えば、句読すら自信が無い。巻二十一の九鍼要解の一節:
不可挂以髮者言氣易失也
楊上善注:利機挂以絲髮其機即發神氣如機微邪之氣如髮微邪來觸神氣之謂之挂也微邪來至神智即知名曰智機不知即失故曰易也
 最近の中国の活字本、科学技術文献出版社の増補点校本は「微邪來至,神智即知,名曰智機,不知即失,故曰易也。」 人民衛生出版社の校注本は「微耶來至,神智即知,名曰,機不知即失,故曰易也。」まあ、ここはどちらを取ってもたいしたことは無いけれど、訳すとなったらどちらを取るかを決めなくてはならない。上は適当に挙げた例です。こんな程度の迷いはほとんど毎行に有る。選択を誤ったらえらいことになる箇所も、それはきっと有るでしょう。
 上の例では他に、楊注中の「利機」は「知機」、「神氣之」は「神氣也」の誤りである可能性を考えています。こういうのが気になりだすと、先へ進めなくなります。

五志穢神

『太素』巻二十一・諸原所生(『霊枢』九針十二原)
猶汗也
楊上善注:五志藏神 其猶汗也
 上は缺巻覆刻『太素』の飜字だが、「汗」が「汙」の誤りであり、つまり『霊枢』の「汚」と同じとは、言うまでもないことだと思う。
 今、問題にしたいのは楊上善注中の「藏」、この字は「穢」の誤りである。画像の上はこの部分の文字であり、下は巻二・陰陽大論「故壽命無窮,與天地終,此聖人之治身也」に対する楊上善注「虚無守者,其神不擾,其性不穢」の「穢」である。上の字には若干の剥落が有るが、両者は同じ字と見て良いだろう。
 日本人の感覚、知識では、ここで「五志藏神」は理解しがたい句だと思う。中国人が気にしないのは何故か。現代中国語音で、声調は異なるものの、同じくzangと読む「脏」(髒)という字が有って、「不潔である、汚い」という意味であることが、すぐに頭に浮かぶからではなかろうか。しかし、ここは「穢」という文字が使われた可能性に気付くべきだと思う。
 『黄帝内経太素校注』で、「汙」は「汚」と同じであると縷々説明し、『説文』の「汙,薉也」を引いて、薉の後にわざわざ(穢)などと示しながら、「藏神」が「穢神」であることにふれないのは、むしろ滑稽に思える。
 とは言うものの、私にしても「穢神」であることに気付いたのは、杏雨書屋の原本を目にした後のことである。やはり、原本からの影印は有らまほしきものである。

何經有病之徴

『太素』巻二十一・九鍼要解(『霊枢』小針解)
惡知其原者先知何經之病所取之處也
楊注:先知何注有病之微療之處所惡知言不知也
 上は缺巻覆刻『太素』の飜字だが、楊上善注の部分の「注」は「經」の誤りである。実際に書かれている字形は、パソコンで使用可能な範囲で探せば、むしろ「经」が近いかと思う。これは経文との兼ね合いから想像がつくし、杏雨書屋の原本を見ればまあ判る。次に問題になるのは、「微」の右下の仮名文字、もしこれが「セル」であるとすると、「きざセル」と読ませるつもりで、だから「徴」ではないかと思う。「微」と「徴」は原本などの書写体では、現在の活字ほどは違わない。さらに経文では「何經之病」と「所取之處」が対になっていることからすると、注文でも「何經有病之微」と「療之處所」が対ではないかと思う。とすると、「所」は「取」の誤りかも知れない。「所」の俗と「取」も、実はそっくりである。
先知何經有病之徴,療之處取。惡知,言不知也。

『太素』27十二邪(『霊枢』口問篇)
黄帝曰:人之唏者,何氣使然?
岐伯曰:此陰氣盛而陽氣虚,陰氣疾而陽氣徐。陰氣盛,陽氣絶,故為唏。補足太陽,寫足少陰。
 唏は『説文』に「笑也,从口希聲。一曰哀痛不泣曰唏」とある。そこでついつい、ここでは笑いなのか哀痛なのかと考えてしまうが、それは誤解である。ここで問うているのは、何の気が然らしむるかであって、邪が空竅に走ったときに引き起こされる十二の変動である。欠(あくび)、噦(しゃっくり)、唏、振寒、噫(おくび)、嚔(くしゃみ)、撣(『霊枢』は嚲)、涕泣、大息、涎、耳中鳴、齧舌。この中で、唏だけが精神、感情であるわけがない。
 そもそも、唏を辞書に「嘆く、すすり泣く」と説明すること自体に疑問が有る。本来は、そうしたときの身体の様子を表現する詞であり字であるはずである。つまり、嘆いて力なく息がもれる様子であり、また薄ら笑いの口からもれる息である。そのときの感情がどうのというのは、付随して発生する解釈である。だから「紂為象箸而箕子唏」を「紂王が象牙の箸を作ったので(贅沢の兆しと思って)箕子が嘆いた」を訳すのは、間違いではないが正確ではない。「溜息をついた」の方がまだしもだと思う。
 なお、この篇の最後には治療法だけがまとめられているが、前段とは微妙に異なることがある。その理由は良く分からない。この唏については、恐らくは誤記であろう。
唏者,陰与陽絶,補足太陽,寫足少陰。
 この与は誤りである。そのことは楊上善自身が注記している。陰は盛でなければ寫というわけにはいかない。『霊枢』の一本と『甲乙』は盛に作っている。ではどうして与になってしまったのか。明刊未詳本の『霊枢』では正字の與に作っている。とすると、興なら與と間違われやすいだろうし、意味的にも盛の代わりに使えそうだけれど、どんなものだろう。
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