靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

『太素』27十二邪(『霊枢』口問篇)
黄帝曰:人之唏者,何氣使然?
岐伯曰:此陰氣盛而陽氣虚,陰氣疾而陽氣徐。陰氣盛,陽氣絶,故為唏。補足太陽,寫足少陰。
 唏は『説文』に「笑也,从口希聲。一曰哀痛不泣曰唏」とある。そこでついつい、ここでは笑いなのか哀痛なのかと考えてしまうが、それは誤解である。ここで問うているのは、何の気が然らしむるかであって、邪が空竅に走ったときに引き起こされる十二の変動である。欠(あくび)、噦(しゃっくり)、唏、振寒、噫(おくび)、嚔(くしゃみ)、撣(『霊枢』は嚲)、涕泣、大息、涎、耳中鳴、齧舌。この中で、唏だけが精神、感情であるわけがない。
 そもそも、唏を辞書に「嘆く、すすり泣く」と説明すること自体に疑問が有る。本来は、そうしたときの身体の様子を表現する詞であり字であるはずである。つまり、嘆いて力なく息がもれる様子であり、また薄ら笑いの口からもれる息である。そのときの感情がどうのというのは、付随して発生する解釈である。だから「紂為象箸而箕子唏」を「紂王が象牙の箸を作ったので(贅沢の兆しと思って)箕子が嘆いた」を訳すのは、間違いではないが正確ではない。「溜息をついた」の方がまだしもだと思う。
 なお、この篇の最後には治療法だけがまとめられているが、前段とは微妙に異なることがある。その理由は良く分からない。この唏については、恐らくは誤記であろう。
唏者,陰与陽絶,補足太陽,寫足少陰。
 この与は誤りである。そのことは楊上善自身が注記している。陰は盛でなければ寫というわけにはいかない。『霊枢』の一本と『甲乙』は盛に作っている。ではどうして与になってしまったのか。明刊未詳本の『霊枢』では正字の與に作っている。とすると、興なら與と間違われやすいだろうし、意味的にも盛の代わりに使えそうだけれど、どんなものだろう。

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