日本語訳
- 医経
- by shenquzhai
- 2006/05/23
『太素』の日本語訳もあった方がよい。それはまあ、そうかも知れないけれど、至難の業です。経文の訳はなんとかするとして、注文は手強い。楊上善は、正統的な漢語で書いているつもりだろうが、実のところ隋唐の漢語の癖が紛れ込んでいるだろう。隋唐の漢語の解読なんて全く自信がありません。秦漢の漢語だって同じことですがね、これはまあ長年つきあってきました。
『太素』を読もうという以上は、隋唐の漢語だからといって逃げだすわけにはいかないけれど、いま現に格闘中というか、むしろ飜字がなんとかなったら、みんなで格闘するつもりです。つまり、そういう準備の段階です。
例えば、句読すら自信が無い。巻二十一の九鍼要解の一節:
上の例では他に、楊注中の「利機」は「知機」、「神氣之」は「神氣也」の誤りである可能性を考えています。こういうのが気になりだすと、先へ進めなくなります。
『太素』を読もうという以上は、隋唐の漢語だからといって逃げだすわけにはいかないけれど、いま現に格闘中というか、むしろ飜字がなんとかなったら、みんなで格闘するつもりです。つまり、そういう準備の段階です。
例えば、句読すら自信が無い。巻二十一の九鍼要解の一節:
不可挂以髮者言氣易失也最近の中国の活字本、科学技術文献出版社の増補点校本は「微邪來至,神智即知,名曰智機,不知即失,故曰易也。」 人民衛生出版社の校注本は「微耶來至,神智即知,名曰智,機不知即失,故曰易也。」まあ、ここはどちらを取ってもたいしたことは無いけれど、訳すとなったらどちらを取るかを決めなくてはならない。上は適当に挙げた例です。こんな程度の迷いはほとんど毎行に有る。選択を誤ったらえらいことになる箇所も、それはきっと有るでしょう。
楊上善注:利機挂以絲髮其機即發神氣如機微邪之氣如髮微邪來觸神氣之謂之挂也微邪來至神智即知名曰智機不知即失故曰易也
上の例では他に、楊注中の「利機」は「知機」、「神氣之」は「神氣也」の誤りである可能性を考えています。こういうのが気になりだすと、先へ進めなくなります。
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