聾而痛
- 医経
- by shenquzhai
- 2006/04/16
『太素』巻30耳聾(『霊枢』雑病篇)
それに、『甲乙』ではこの条は「手太陽少陽脈動發耳病」に在る。もし足少陽か手陽明(もしくは足陽明)かの選択であれば、篇名に言う手太陽とも少陽とも関係が無い。ただし、『甲乙』の篇名の体例は良く分からない。単に耳に関する条だからそこに置いたのかも知れないし、そもそも『明堂』部分の諸穴の大部分が、本当に篇名に挙げる経脈に在るのかどうかも、実はまだ検討していない。
雑病篇のこの条の上には喉痺、瘧、歯痛が有り、下に衂血が有る。いずれも同名経の足を取るか手を取るかの二者択一になっている。上関と対にする最適の穴は下関であろうが、「足陽明、少陽之會」である。もし経文を「聾而不痛,取足少陽;聾而痛,取手少陽」にしてしまえば、上下の通例に叶うし、上に言った難癖もクリヤする。ただし、この手の校改は概ね妄改ということになっている。
もう一つ贅言すれば、『甲乙』の同じ篇に「聾,耳中不通,合谷主之」とある。これも何だか頗る怪しい。通と痛は同音であるが、古来これを疑った人は無さそうである。合谷は言わずもがなの手陽明。怪しむべし、怪しむべし。
聾而不痛,取足少陽;聾而痛,取手陽明。『甲乙』で、聾で痛むことを言うのは、12手太陽少陽脈動發耳病第五の「耳痛聾鳴,上關主之,刺不可深」のみである。そこで、上関は手陽明と関係が有るかとみてみると、『甲乙』03耳前後凡二十穴第十一には「手少陽、足陽明之會」と言う。問題にしている経文の「手陽明」は本当にこれで良いのか、「足陽明」の誤りではないか、あるいはむしろ「手少陽」のほうが良くはないか。
それに、『甲乙』ではこの条は「手太陽少陽脈動發耳病」に在る。もし足少陽か手陽明(もしくは足陽明)かの選択であれば、篇名に言う手太陽とも少陽とも関係が無い。ただし、『甲乙』の篇名の体例は良く分からない。単に耳に関する条だからそこに置いたのかも知れないし、そもそも『明堂』部分の諸穴の大部分が、本当に篇名に挙げる経脈に在るのかどうかも、実はまだ検討していない。
雑病篇のこの条の上には喉痺、瘧、歯痛が有り、下に衂血が有る。いずれも同名経の足を取るか手を取るかの二者択一になっている。上関と対にする最適の穴は下関であろうが、「足陽明、少陽之會」である。もし経文を「聾而不痛,取足少陽;聾而痛,取手少陽」にしてしまえば、上下の通例に叶うし、上に言った難癖もクリヤする。ただし、この手の校改は概ね妄改ということになっている。
もう一つ贅言すれば、『甲乙』の同じ篇に「聾,耳中不通,合谷主之」とある。これも何だか頗る怪しい。通と痛は同音であるが、古来これを疑った人は無さそうである。合谷は言わずもがなの手陽明。怪しむべし、怪しむべし。
 この于武陵の勧酒の詩、井伏鱒二の訳が名訳なのか迷訳なのか、そっち方面ばかり気になって、金屈卮とは何ぞや、なんて考えたことなかったですね。考えてみればこれは当然ながら酒器である。卮というのは『漢辞海』によると、「木を円筒状に曲げ、漆をぬった酒器」で、ジョッキのように持ち手がつくことが多く、ふたがつくものもあって、容量はビヤホールに喩えて言えば、大きければピッチャー以上、普通のものでも中ジョッキに近いそうです。ちょっとイメージと違うなあ。
 この于武陵の勧酒の詩、井伏鱒二の訳が名訳なのか迷訳なのか、そっち方面ばかり気になって、金屈卮とは何ぞや、なんて考えたことなかったですね。考えてみればこれは当然ながら酒器である。卮というのは『漢辞海』によると、「木を円筒状に曲げ、漆をぬった酒器」で、ジョッキのように持ち手がつくことが多く、ふたがつくものもあって、容量はビヤホールに喩えて言えば、大きければピッチャー以上、普通のものでも中ジョッキに近いそうです。ちょっとイメージと違うなあ。 そういえば、京劇の舞台に登場する酒杯にも取手が有って、金属製のようですね。それから想像しても、まあコーヒーカップ並みの大きさというのが妥当じゃなかろうか。
 そういえば、京劇の舞台に登場する酒杯にも取手が有って、金属製のようですね。それから想像しても、まあコーヒーカップ並みの大きさというのが妥当じゃなかろうか。