靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

選穴論

乗黄さんからの質問:
(前略)『霊枢』の時代において、おそらくはその時代の原穴を選穴していたであろうことは想像できます。一方、現代において所謂、古典派と言われる会では選穴の段階で、「井穴だ。兪穴だ。いや、合穴だ!」と様々な理論でその選穴法が議論されます。確かに、井穴と合穴においては明らかな位置的差は大きいものがありますが、井穴と栄穴のようにその差の少ないものに関して、理論的な説明ができるのでしょうか?まぁ、五行的な理論や運気論的な解答はあるかもしれませんが。『霊枢』雑病の時代においては、原穴から少し遠位にあろうが、近位にあろうが、感覚的に取穴したところが、原穴であったんではないのでしょうか?そうだとするならば、「井穴だ。いや経穴だ。いやいや合穴だ!」と議論するよりも、原穴とされる穴からより近位にとるか遠位に取穴するのか?という論理の方がより現実的ではないでしょうか?その理論構成において、原穴または遠位の穴を取穴することが導き出されたら、あとは感覚で取穴することになるのではないでしょうか?(後略)
神麹斎の応答:
 今、私もほぼ同じようなことを考えています。『霊枢』の時代、というよりもそれよりやや前の時代には、この経脈の病とにらんだら、選ぶべき経穴は常識的に決まっていたのだと思います。(もっと極端な言い方をすれば、病という電灯から経脈というコードが延びて、その先にツボという一つのスイッチが有る。)それは井滎兪経合の中では中央の兪であることが多く、だから兪が陰経脈の原穴ということになっていますが、乗黄さんが言うようにもう少し巾が有って、その付近でその術者にとって使いやすいものを使えば良かったのかも知れない。(各家庭でスイッチの在処はそれぞれに異なる。)で、現実には一つの常識的な経穴ですむわけもないから、より指先側に取ってみるとか、より肘膝側に取ってみるとか、工夫はしていたはずです。(暗闇で、有ると思ったスイッチが手に触れなければ、そのあたりの壁を探ってみる。)工夫しているうちには、どういう病状ならどういう傾向といった経験も蓄積されたはずです。(例えば、住んでいる人の身長から、スイッチの高さは推し測れる。)『霊枢』の段階における結論としては、春は井、夏は滎、秋は兪、長夏は経、冬は合。またこれを陽気の趨勢、病の状態(例えば『霊枢』順気一日分為四時篇の蔵、色、時、音、味?)に置き換える。ただ、ここには経験から抽出された真実ではなくて、理屈から導き出された空論であるという懼れも有る。
 経脈篇の「不盛不虚,以経取之」も、盛でも虚でもなければ、井滎兪経合の中央付近の経を取っておけという意味じゃないかと夢想しています。兪ではなくて経というところがちょっと不安なんですが、「兪経」がニュートラルで、あとは「井滎」か「合」かの選択だったという可能性は有ると思う。
 今、頭を悩ませているのは、例えば井が春で滎が夏、井が木で滎は火だとして、井滎を取るのは陽気が盛んになってくるのを後押ししている(補)のか、それとも風熱という陽の亢奮を抑えにかかっている(瀉)のか。
また
 『霊枢』順気一日分為四時篇の蔵、色、時、音、味は、本当はよく分からないんです。『難経』六十八難の「井主心下滿,榮主身熱,兪主體重節痛,經主喘咳寒熱,合主逆氣而泄」と何か繋がりが有りそうなんですが、それもまだ思いつきの段階です。
またまた
『太素』巻30風逆(『霊枢』癲狂篇)
風逆,暴四支腫,身𨻽𨻽,唏然時寒,飢則煩,飽則喜變,取手太陰表裏、足少陰、陽明之經,肉清取滎,骨清取井也。
 手太陰表裏、足少陰、陽明の経を取るというのが、ニュートラルなら経を取るという意味なのかどうかはよく分からないが、肉が冷えていれば滎、骨が冷えていれば井というのはおもしろい。骨の冷えが最も深くて井、肉の冷えはそれより浅くて滎。もっと浅い皮の冷えなら、合かも知れない。『太素』巻26寒熱雑説(『霊枢』寒熱病篇)には、皮寒熱、肌寒熱、骨寒熱が出てくる。分類するとしたら、普通はその程度までなのだろう。
 楊上善は五行説で説明しているが、感心しない。
 選穴論とは別の話だが、この「飢則煩,飽則喜變」はよく分からない。一般的な解釈では煩躁と不安だが、それではそれほど違いが有りそうに思えない。実は『甲乙』巻10陽受病發風に「風逆暴四肢腫濕,則唏然寒,飢則煩心,飽則眩,大都主之」とある。「飢なら煩心、飽なら眩暈」のほうがまだ分かりやすい。また、大都は足太陰の滎である。これも『霊枢』の断片が『甲乙』明堂部分の主治の材料になっている例だろうが、かんじんの穴の指示が異なってる。

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