『黄帝内経明堂』新校正に,「荊巫滀水」を説明して,「荊は古九州の一つで,今の湖北、湖南、四川、貴州四省の交界の処に位置する。荊巫は巫水を指し,今の湖南省城歩県に在る」と言うのは,まあ妥当だろう。しかし,永仁本の巫の右にカウ,滀の右にタクと注記が有るのはどうしてくれる。滀は『広韻』に丑六切だから,似ているとは言える。しかし巫は武夫切であって,カウとは違いすぎる。按ずるに,長江上流には古来航行の難所として知られる三峡が有る。その一つを巫峡とする。あるいは抄者は,巫を夾と誤ってないか。夾なら『広韻』に古洽切,まあ似てはいるだろう。峡なら侯夾切。ところで,前田尊経閣の文永本にもこれらの注音は有るけれど,肝腎の巫は,一の下に从,その下に工という,妙な形に書いている。ひょっとすると,抄者はこの文字を,単純に音工の文字と考えたのかも知れない。工は『広韻』に古紅切である。まさかとは思うけれど,これが夾の異体字ということはないよね,と。ところが,この妙な字形,『異体字字典』(李圃主編・学林出版社1997年)に巫の異体字として載っていて,敦煌歌辞総編507頁と注記が有りました。やっぱり,抄者の誤解のようですね。「荊峡滀水」の夢はついえました。
北京四日間とか上海四日間とかが2万5千円よりなんて聞くと,ガックリします。勿論,この他にガソリン代がかかるわけだし,あくまでも「より」であって,「まで」のほうは同じ内容で四倍ほどなんだけど。
それにしてもねえ。例えば,校正医書局の昔をしのんで,北宋の都・開封を訪ねるとして,そして中国旅行は貧乏旅行にかぎるとして,自分で組んだら,いや結構な費用がかかると思いますよ。
北京までの航空券は千差万別だけど,季節によってはガソリン代を含めて往復3万円くらいから,有るには有る。開封には飛行場が無いから最寄りの鄭州の新鄭機場まで飛んで,そこから機場巴士(空港バス)で小一時間です。北京→鄭州は690元(1中国元=13日本円くらい?)だそうです。ただし,季節によっては半額で買えるし,日本の旅行社を通せば手数料のほうが高いかも知れない。鄭州に昼過ぎに着く便と,夕方に着く便が有る。午前中に成田を発って,北京で午後3時過ぎに中国国内線に乗り換えて,午後4時半くらいに鄭州着だとすると,開封への移動は次の日にしたほうが良いかもしれない。便利そうな宿ということで,河南民航大酒店なら朝食付きシングルで300元くらい,ひょっとするとダブルでも300元くらい。開封までの移動を高速バスにすれば,せいぜい 20~30元じゃないか。開封の宿は高級なところは一泊550元以上だそうだけど,老城区に在る三星以下の酒店なら150~300元の間。勿論,老城区の三星以下のほうがおもしろそう。伝統は有る,だけど古いから三星というのが見つかれば理想的。その他の費用,例えば食事代なんかは,どうとでもなるけれど,街角の料理屋に入ったほうが楽しそうだし,それならそんなに高いわけがない。
で,大したこと無さそうだけど,どう頑張っても,北京とか上海とかの激安パックにかなうわけがない。貧乏旅行は高くつく。それに,頑張って開封へ行ったって,校正医書局の遺構が有るわけじゃない,と思う。
羊頭狗肉の意味は誰しも知っているわけで,それが中国の古い言葉であるからには,中国でも古くからヒツジの肉は上等,イヌの肉は下等というのが常識だったわけだけど,魯智深が行脚の僧を装って,煮込み肉を肴に酒を飲もうとしたときに,イヌ肉だから坊さんは喰わないだろうと思われて出してもらえなかったのは,あっちのほうに効くものという連想らしいから,羊頭をかかげた店で狗肉を供されて,かえってニコニコという場合だってあるだろう。
そもそも多くの日本人は,ヒツジは臭い,と敬遠する。どっちをかかげたって同じこと。羊頭牛肉とでもいわなきゃ。だけどそれでは逆の意味になるから,牛頭羊肉ですかね。でも,中国人にとってはそれこそ「すきずき」だろう。牛頭狗肉としたところでやっぱり,愛好家には通じない。
1月はお休みです。内経医学会の新年研究発表ですからね。
2月はやる予定でいます。
2月8日(日)午後1時~5時
場所は
いつものところの一階ひだりての小会議室
『難経』苦行の続きです。
なんとか早く読み切りたいです。
『水滸伝』の終わりのほうに,淮西王慶の説話がある。
王慶の父親は大金持ちで,風水師の「高貴な子が生まれる」という言葉を信じて,親類を陥れて墓地を奪った。おかげ息子の王慶は楚王となったけれど,それは要するに叛乱であるから,最後は梁山泊軍に攻め破られて捉えられ,凌遅に処せられ,父親もその他の親族も皆殺しにされた。
先に陥れられて先祖伝来の墓地を失ったものの家族だけは例外として,無事であった。
勿論こんなのは小説であって,歴史ではない。
しかし逆にいえば,たかが小説家でも,講釈を垂れようというほどのものならば,風水なんぞはあてにならないくらいのことは,弁えていたということである。
年賀状をだすのは,やめます。
今までだって,電子メールだけだったけれど,それも面倒になってきたから,ここに掲げるだけにします。
本当はここ数年そうおもってきたんだけれど,今年はメールだけはしました。昨年,恩師がなくなったからです。出す気になれないのはいい。世間の習慣にしたがって自粛するなんて気にくわない。
ただ,「ことしもよいことあるように」を,「ことしはよいことあるように」に変えました。誰か気づいてくれていたかしら。今年は良いこと有りましたでしょうか。
古い友人に昭和初期の探偵小説の,衒学的な引用の解明にいそしんでいるのがいる。誤解をおそれつつも敢えていえば,たかが探偵小説ですよ。それにもうすでに数十年を費やしている。まことに遊戯人として敬服おく能わざるものがある。近ごろはさらに逞しい同好者を得て,進捗目覚ましいものがあるらしい。まことに慶賀の至りであり,羨望を禁じ得ない。
それに引き替え,私がこだわるのは『素問』『霊枢』『太素』の類で,この世界では経典として公認されたものに過ぎない。まことにいまだ事大主義の軛をのがれえず,慚愧にたえない。また遊戯人としての未熟を痛感する。
で,最近,『太素』の一紙の行数について気づいたことがある。巻21と27の調査をとおして,おおむね一紙21行と思っていたけれど,実は18行のものも25行のものもある。当時の紙漉の規格はどうなっていたんだろう,と思いはするけれど,さらに調べようとはしない。ましてや,日本の製紙の歴史を調べ尽くして回答を寄せてくれるような逞しい同好者は,出現しそうにない。
いくら源氏物語成立千年紀と言われたって,読もうとは思わなかった。ましてや「現代女性による清新な訳」なんぞ,気にもかけない。ところが宣伝のチラシに,小谷野敦氏の次のような推薦(?)文が載っていた。
......解釈がまことに斬新で,ある種の「天才」ではないかと思えるからだ。大塚の解釈を読むと,私など少々うろたえて原文を確認し,そういえばそうかな......といくぶん疑念を抱きつつその着眼の鮮やかさに呆然とするばかり。......
ちょっとだけ,気が動く。
誰の言葉かは忘れたけれど,むかし読んだ作家の心得に,自分の作品についての批評は読んではいけない,というのが有りました。批評を読んでそれを気にして修正をはかったりしては,その作品がもっている香気を無くすことになる,それでは作品の存在理由が失われる,ということではないらしい。そういう性格ではそもそも作家には向いてない。そうではなくて,むきになって偏向しがちだから,暴走して,わずかながら有った香気は変じて,大悪臭になりがちである,ということだそうです。