靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

仁和寺本なんて読めない

仁和寺本『太素』の翻字に関して,「オリジナルをどう逆さにしてみても読めない」文字をどうやって判断したのか。詰問されても困るけれど,無い知恵絞って,こじつけて,あとは知らんぷりをしています。
例えば巻二・摂生之二・順養の冒頭付近,「余聞先師有所心藏」の「所」の字は,かなり蝕剥してます。『黄帝内経太素九巻経纂録』も☐にしています。つまり江戸末期の再発見当時でさえ,抄者は判読できてません。でも,この文字は『霊枢』師伝篇では「所」です。喜多村直寛は,実物とか写真とかを見ることができませんから,「霊,☐作所」と注記するにとどめていますが,私は「所」字を入力して,説明も省いています。画像の右はここの蝕剥の文字です。左はこの先の「所」の俗字です。この程度に見える文字にたじろいでいたんでは,仁和寺本『太素』は読めません。
ここの楊注の「遂不著於方也」の「方」なんて,残っているのは上部の「亠」に相当する部分だけです。「也」なんて,左下方の縦線だけです。でも「遂不著於方也」として平然としています。文句があったら,代案を示しなさい,と開き直ってます。

12月の読書会

12月14日(日)午後1時~5時
場所はいつものところの教養娯楽室

『難経』苦行の続きです。
最初の意気込みより,だいぶ遅れています。

でもまあ,今年最後の読書会で,なんとか「経脈診候」凡二十四首はclearしたいと思っています。

「だから何なんだ!」という読み方には,注釈はあまり役にたちませんね。
だから,注釈は無視すると宣言してます。そうしないと,従来の「なんだか隔靴掻痒」を脱することはむずかしい。
で,行き詰まったときに,こっそり古今の解説書を覗いてます。

古代の字義を探る

『霊枢』には,経脈は求心性に流れるとする篇と,循環を説く篇がある。もともと各家学説的な書物であるから,別に矛盾に悩むことはない。
では,『難経』はどうか。これはもう誰かが己の考えに従ってまとめたものだろうから,一つの話のすじみちに忠実なはずである。
だから,六十八難の出、流、注、行、入と井、滎、兪、経、合,そして井主心下滿、榮主身熱、兪主體重節痛、經主喘咳寒熱、合主逆氣而泄のつじつまを合わせようとするのはいい。
しかし,井、滎、兪、経、合の古代における字義をさぐって,求心性と循環の矛盾を避けうる解釈を探すというのは変だ。もともと『霊枢』本輸篇にすでに登場する井、滎、腧、経、合の字義を,『難経』の記述の都合によって規定するわけにはいかない。

井、滎、腧、経、合の古義ということになれば,むしろ『霊枢』九針十二原篇の五蔵の原穴は本輸篇の腧に相当し,『霊枢』諸篇に六府には合を取れという指示が散見することのほうが気になる。つまり,いずれもツボの意味であるともいえそうだし,蔵を対象とするツボと府を対象とするツボには,微妙に異なった性格を感じ取っていたともいえそうである。だから異なった文字で表現した。井と滎と経にも同じような事情があったのかも知れないし,経にはさらにニュートラルという意識もあったかもしれない

11月の読書会

11月の読書会の案内を忘れてました。勿論やります。


11月9日(日)午後1時~5時
場所はいつものところの会議室

『難経』苦行の続きなんですが,今回は他の話題も豊富です。
『よくわかる 黄帝内経 の基本としくみ』とか,韓国の学会とか。

一年分為五時

ソウルで,北京中医薬大学の賀娟女士から聞いた「古十月暦法」の観点によって,『霊枢』順気一日分為四時篇を読み解けば,経文は以下のように整理すべきであろう。

肝為牡藏,其色靑,其時甲乙,其音角,其味酸。
心為牡藏,其色赤,其時丙丁,其音徵,其味苦。
脾為牝藏,其色黄,其時戊己,其音宮,其味甘。
肺為牝藏,其色白,其時庚辛,其音商,其味辛。
腎為牝藏,其色黒,其時壬癸,其音羽,其味鹹。

つまり,十干は春の初めから36日ずつを示しているのであって,甲の日、乙の日などを言っているわけではない。もとの文章の春、夏、季夏、秋、冬と大差なさそうにみえるが,季夏として旧暦の6月を言うのではなくて,戊、己として5番目と6番目の36日ずつを言っている。
そもそも,ここは「是為五變」と締めくくられているのであるから,もとの文章のように蔵と色と時と音と味と日では,六変となってしまってそぐわない。「其時」と「其日」は実は同じことを言っているのだろう。だから,もとの経文でも肝以外の条では両者は続けて挙げられる。
そして,この蔵、色、時、音、味に,「病在藏」、「病變于色」、「病時間時甚」、「病變于音」、「病在胃及以飮食不節得病」をあて,井、滎、兪、経、合を取って対応したのが,変化して『難経』六十八難の「井主心下滿,榮主身熱,兪主體重節痛,經主喘咳寒熱,合主逆氣而泄」となったと考える。

よくわかる?黄帝内経

図解入門『よくわかる黄帝内経の基本としくみ』が出版されました。
まあ,ここに書き散らしているようなことを,オブラートにつつんで,猫なで声で言ってみたまでのことです。
ただ,ここではいわば酒席で諸肌脱ぎになっての啖呵のようなものだけど,まがりなりにも本となると,素裸で舞台にたたされたようで,なんとも落ちつかない。野次をとばされるのは,致し方ないけれど,罵倒するのは勘弁してね。演者は(薹は立っているけれど)まだ一応,カケダシ,シンジンです。

「踊りこに,お手を触れないでください。」
(語り手に,殴りかからないでください。)

予想される質問に,あらかじめ答えておきます。
Q:よくわかるのか?
A:それはあなた次第だけれど,私の他の文章よりは,分かり易いと思う。編集者に何度もしかられながら書き直しました。
Q:基本ですか?
A:自分ではこれこそが基本だと思っている。ただし,はたからみれば,基本を逸脱した内容も含まれているかも知れない。書き漏らしたことも多いでしょう。ケンカをふっかけられてもこまるけど,質問は歓迎します。あはきワールドに「難問奇答」というコーナーをもっています。他の出版社が運営するものですが,オーナーは物わかりがよさそうだから,拒否されるようなことは無いでしょう。ただし,私は陰陽五行説が嫌いですから,好きだといわれてもハアそうですか,としか応えられません。それから,もう一つ,学校の教科書と違うといわれたって,知ったことじゃありません。どうして違うのかという質問なら,まあなんとか答えられれば応えます。
Q:陰陽五行説が嫌いなんですか?
A:大嫌いです。でも,実は私の読書会にも,大好きという人がいます。別に排斥してません。私が陰陽五行説を罵っても,彼は笑って聞いてます。好きな人は好きなままでいればいい。私は,『黄帝内経』を解釈する上で,陰陽五行説をこじつけて安心,なんてことは嫌なのであって,そのこと自体には彼も異存は無いんでしょう。だからつまり,陰陽五行説をからめて文句をつけられたって応えませんよ,ということです。それはそちらで勝手にやってください。
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韓国の印象

10月25日,韓国のソウルで,「2008年大韓韓醫學原典學會國際學術大會」という,いささか仰々しい名前の学会に参加してきました。
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中国からは北京の翟双慶、賀娟,長春の蘇穎,そして台湾の王志玲の四氏の発表がありました。
私の話は,2006年の秋に北京でした,「杏雨書屋所蔵の『太素』巻21を見ればこんなに分かる」というのを拡張して,「巻21と27を見ればこんなにわかる」としてみたまでのことです。急な招待で,資料集めから始めるわけにはいかないから,致し方ないでしょう。翻訳したものを学会誌に掲載する許可を求められたから,そんなに評判は悪くなかったんじゃないかと,自己満足しています。
発表は朝の9時から,夕方の6時まで,昼食とコーヒーブレイクを挟んで,延々と19題だか20題だか。
実は台湾の王志玲さんは,2歳のお嬢さんを同伴していて,最初に見たときにはびっくりしたけれど,長時間の発表に倦んだ時には,お嬢さんの愛嬌と跳舞が一服の清涼剤でした。王さんの夫君である翁宜徳さんも来てたけれど,今回は論文の提出だけで口演はなく,もっぱらお嬢さんのお世話役です。
で,かんじんの学会の内容なんだけれど,今回もやはり韓国や台湾の『黄帝内経』研究のレベルが良く分からない。いや,私の語学力のせいだと思うけれどね。

翌日からは一泊旅行で,済州島へ連れて行ってくれました。
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最近の一番人気の観光地だそうですね。まあ,いろいろ楽しいことも疲れること(階段を登らされて,泰山の苦難を思い出しました)も有ったけれど,ここでも翁さん王さんちの小姐が大活躍。けっこう活発だとは思うけれど,機嫌の良い,聞き分けの良い子でね,ほとんどダダをこねるようなことは無かったはず。名前を尋ねたら下の一字は嵐でした。でも,漢語本来の意味では暴風雨ではないそうです。(多少の「あらし」はハラんでいそうで,それがまた楽しみです。)

済州島からの帰りに,一波乱有りました。往復の航空券を予約済みだったので,帰国便を変更するわけにもいかず(とんでもないキャンセル料が生じる),済州島からソウルへ戻って,それから改めて帰国するという段取りで,予定が組んであったんだけど,済州島から金浦空港への飛行機が,案の定,遅れ気味。乗り継ぎに不安を生じるので,一泊旅行に同伴してくれていた韓国の先生が交渉して,着陸間際にエグゼクティブクラスの席に移動し,着陸と同時に飛行機を素早く降り,行李はソウルに置きっぱなしていたから,空港の出口付近で待機していた人がさっと手渡してくれ,一緒に済州島へ行っていた院生が付き添って,目の前のリムジンに飛び乗って,仁川空港へと無事に乗り継ぎました。結果的には乗り継ぎに支障を来しそうなことにはならなかったけれど,多少とも免税品を購入する時間の余裕が有ったのは,彼らの融通無碍かつ機敏な対応のおかげです。私一人で対応していたら,良くても空港内でかけっこして,しかも飛び乗りで,土産物を気にするどころじゃなかったろうと思う。

だれだっけ

連日ノーベル賞に沸いていますが,過去にとった日本人のリストがでると,ひとり恥ずかしいひとがいますなあ。

桂林

桂林の桂が、実は金木犀のことだと知って以来、この季節になると、一度、満開のころに桂林を訪問したいものだと思う。でも、満開の期日なんて、本当はだれにも予想できないことを口実にして、やっぱり実現しそうにない。
桂林には二度行っている。二度目は、そのころ広東にいた森川君と春節のころで、不思議なものを見た。街路樹に何だか黄色いものがちらほら。現地の人にきいたら、十年ぶりの雪で、この季節には雨なんか降らない地方だから、そのおしめりを感受して、金木犀が狂い咲きしたのだという。いわれて見渡すと、どの街路樹にも庭木にも公園の植え込みにも、金粉まがいが......。で、そのときあらためて、桂林の樹木のほとんどが金木犀であるのに気がついた。これが全部満開になったら、ちょっともの凄いことになる。

西門慶は悪趣味か

井波律子『酒池肉林』(講談社現代新書1993年3月20日):
......彼は資産が膨張するとともに、妻妾をキンキラキンに着飾らせ、のべつまくなしにお客を接待しては山海の珍味や美酒を並べて宴会を催し、家屋敷を飾りたててりっぱな庭園を造るなど、衣食住すべてにわたって、臆面もなく金にあかした贅沢三昧にふけったのである。......

 召使いあがりの第四夫人の孫雪蛾が調理場を仕切っているだけで、専門のコックもいないため、バランスもへったくれもなく、とにかく品数が多いだけがとりえの、こういった大御馳走に、西門慶を始めとする登場人物は、嬉々として飛びつき、端からドンドン胃のなかにおさめてゆく。......

 さらに深読みするならば、西門慶の手当たりしだいの女道楽の対象を、二番煎じ三番煎じの女でかためることによって、知識人である作者は、西門慶のいかにも成り上がり商人らしい趣味のわるさ、その増殖を重ねる過剰な欲望のグロテスクさを強調し、揶揄しているようにも見えるのだ。......

日下翠『金瓶梅』(中公新書1996年7月25日):
......いうまでもなく、この作品は、あくまでも『水滸伝』中の登場人物、西門慶と潘金蓮を主人公としてつくりあげた架空の物語である。しかし、作者は、西門慶の日常生活を描写する際、自然と自分自身のそれをモデルに書き進めたのであろう。ところが、筆が進むとともに、西門慶と作者の一体化がはじまったのである。あるいは作者は、西門慶を通して自分自身を語りたいという、自己表出の誘惑に負けたのかもしれない。

 『金瓶梅』における西門慶像の不統一は、作者の自己投影によるものと解釈するのが一番合理的であろうと思われる。西門慶は変化し、人格が一変する。読者はその際、自分が何故、この無頼漢に共感を覚えるのか、途中でとまどいを覚えながら読み進んでゆくであろう。だが、不思議に思う必要も、うしろめたく思う必要もないのである。彼は一流の文人の魂を持った市井の無頼漢となったのだから。......

どちらが正しいかなぞは、門外漢にはわからない。ただ、後者のほうに共感を覚える。前者のあとがきに、「本書のメインタイトルが『酒池肉林』となることは、比較的はやく、まだ企画の段階で決まった。これを知った時、私は一瞬ギョッとひるんでしまった」と告白されている。所詮、気力が不足していたのであろう。ただし、より現実的な話として、日下教授は2005年に、若くして亡くなったらしい。考えることの気力と死に至る病は、また別物ということか。
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