靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

八十一難問奇答集

ヒューマンワールドで,連載を始めました。題して「八十一難問奇答集」,松田氏の命名を若干修正しました。本当に八十一問でおさまるかどうかは分かりません。「......足らず」か「......余り」になるんじゃなかろうか。
編集者は「応募された中から奇答に値すると神麹斎氏が判断した場合に限り、その難問を採用させていただきます」なんて,抑えたことを言ってますが,回答者は「何でも応える」と嘯いています。「正解を出す」じゃないですよ。

「......足らず」か「......余り」か,でも第八十一難問はすでに決まっています。曰く,「そもそも鍼って本当に効くの?」 回答はまだ作って無い。

『素問』と『霊枢』と

『素問』と『霊枢』と,本当はどちらが古いんだろう。これは文献的にちゃんと考証しての意見ではなくて,単なる印象なんだけど,ひょっとすると『霊枢』のほうが古いんじゃないか。
『霊枢』の編纂にはかなり明確な意図が有って,「余欲勿使被毒藥,無用砭石,欲以微針,通其經脉,調其血氣,營其逆順出入之會」がそれだと思う。経脈を調整して治療効果を得たいという,当時としては新しい主張である。現代人がイメージする針治療はここから出ている。
そこでは却けられている砭石が,『素問』の針治療の中心であるから,『素問』のほうが古いと言われるわけだけど,『素問』には『霊枢』で提起された新しい針治療も有る。つまり『霊枢』では仮説として持ち出されたことが,『素問』では公理となって,そこから話が展開されている場合が有りそうに思う。つまり,『素問』には明確な編集意図は無くて,雑多な論文集という性格が強いのではないか。古いものも有るが,新しいものも有る。
『素問』にもともと有った針治療は砭石を用具として血液を対象としていた。そこへ『霊枢』は微針を用具とし経脈を対象とする針治療を提起した。現在は,経脈という未証明のルートが有ると言われ,それは実は血管のことだったと言われはじめているが,やはりむしろ営血が行くものは血管であり,経脈を対象とするとは衛気を対象とすることである,としたほうが,すっきりするのではあるまいか。そうであれば,我々が理想とする針治療の大部分が,接触あるいは浅刺で効果をあげているのは当然のことである。
衛気とは経脈から離れて融通無碍に流散するものである,とイメージされがちだけれど,実はそうでもないんじゃないか。

岐伯の末裔

針術が中国の東で生まれたのか西で生まれたのか,新しい情報を整理するにつれて,逆に訳がわからなくなりました。あるいはさらに,そもそもどこかから持ち込まれた可能性も,完全には否定しがたい,らしい。
それでも,『素問』『霊枢』が中国のどこかで著されたのは間違いないでしょう。それでは,黄帝や岐伯の末裔は今どこにいるのか。無論,中国大陸には居るでしょう。けれども,我々だって『素問』『霊枢』の正統な(あるいは正当な)継承者です。

東か西か

針術の故郷はどこか。『素問』異法方宜論に「砭石者,亦從東方來」とか「九鍼者,亦從南方來」とかあるから,ついつい中国の東南に在ると思ってしまう。しかし,本草学は植物の豊富な地方(東南)から生まれ,乾燥した沙石の域(西北)からは,取りあえず尖ったもので患部をつつく治療が始まったはずだという,至極真っ当な意見も有る。それに当時の中原の東隣に位置する斉の伝統を受け継いだはずの淳于意の治療は,ほとんどが湯液によっている。針も全く用いないではないけれど,どうもあんまり得意そうでもない。そして前漢の末頃に『針経』を著して世に行われたという異人は,涪水のほとりで釣りをしていた。涪水は蜀,今の四川省の中部を流れている。針術の故郷は,はたして中国の東か西か。

ついでにもう一つ,ミトコンドリアDNAを分析した結果によると,戦国時代中期の山東人はヨーロッパ集団に近く,また前漢末の山東人は中央アジアのウイグルやキルギスの集団に近いらしい。斉の伝統医学は,一体どこから来たのか。

唯砭石鈹鋒之所取也

『霊枢』玉版篇に,
岐伯曰:以小治小者其功小,以大治大者多害,故其已成膿血者,其唯砭石鈹鋒之所取也。
とあります。これは癰疽で已に膿が成って,十死一生という状態になったものの治療の話です。砭石鈹鋒は今で言えば,外科医のメスの類でしょう。してみれば,我々が小鍼を以てなすべきことは,こうした事態に陥る前に,微の状態において,微を積みて形を成すようなはめに陥ることを防ぐに在るわけです。ことここに至っては,小を以て治すのではその功は小であるし,もともとここに至らせないのが聖人の治と言うものです。もし已に膿血を成してしまったのであれば,外科医のメスにゆだねるのをためらうことはない。岐伯もそれしかないと言ってます。

針で何をするつもりか

針灸医学は中国独自のものであるかどうか。それは,針灸医学を如何なるものと考えるかにかかっている。ある部位をつついたり焼いたりという治療のことであるならば,人間がいて尖ったものと火が有れば,どこにだってそういう工夫は生まれたはずである。経絡に類似したシステムを利用して,ここに施した術でかしこの状態を改善するという医療も,血液などの循環を知っていれば当然生まれうる。それどころか身体が物理的につながっている以上はこことかしこの関係は思いつくのが当たり前だろう。
針灸医学が独自性をもったのは,微針でもって経脈を調整して病を癒すと宣言したときからだろう。これをスイッチを押してその信号がコードを伝わったら電灯が点るように,と表現する。そして,これは蛇口をひねったら水が出るのとは違うのかどうか。微妙に違うと考えるのなら,そこに針灸医学の独自性が存在する。
針灸医学の独自性とは,実のところ,他の地域ではおおむね亡んでしまったシステムを,現代まで継続してきたことにある。ただしその間に,スイッチの押し方にオマジナイめいたことも工夫と称して紛れ込んでいる。それは確かに,スイッチは押しかた次第で様々な点りかたになる。いくつかのスイッチを組み合わせればなおさらである。何が工夫で何が思い違いかは難しいところだろう。ただ,ガス栓を開いて火をつけて,「どうだ明るいだろう」というのと違うと思う。
診断兼治療点と患部をつなぐ線条が存在し,その間を行き来するのはモノではなくて信号である。針灸医学の独自性を,取りあえずこのくらいに考えておく。おそらくはそれほど古くはなく,今の『霊枢』が編纂された時からだと思う。

足少陰の是動病

足少陰の是動病を考える前に,そもそも是動病とは何かを説明しておく必要が有る。是とは四肢の末端付近の診断点であり,動とはその搏動であり,それが動じているときに想定され,その搏動の異常を治めることとによって癒えると期待される病症が是動病である。この説明は,おおむね黄龍祥氏の説に拠っている。
その観点から言えば,足少陰の是動病は二類で,前半の顔が黒ずんでいるとか,飢えているのに食べたがらないとか,唾に血がまじるとか,目がかすむとかは,『甲乙経』ではむしろ照海、然谷、水泉、復留などに見える。後半の気不足の場合の病症,心がドキドキして,人が捕まえに来るのではないかと恐れるのは,『甲乙経』の然谷の主治症中に多く見られる。このように足少陰の是動病に二類が有るのは,馬王堆の陰陽十一脈ですでにそうである。
なお,足臂十一脈の足少陰に相当する脈は肝に関わっている。足臂十一脈で五蔵との関わりをいうものはごく珍しく,他には手太陰に相当する脈が心と関わるくらいのものである。そして,『素問』蔵気法時論には,肝気が虚した時の状態として,目がぼ~っとしてよく見えず,耳はよく聞こえず,よく恐れることは,人が捕まえに来るのではないかとおもっているみたいだ,とある。つまり,足少陰の是動病の一類は肝の異常でもあり,然谷あたりが主治のポイントであり,もう一類は照海、然谷、水泉、復留あたりが主治のポイントであって,あるいはこれを腎の病症と言うべきかも知れない。大谿をどちらの主治穴であると言うべきかは,よく分からない。

扁鵲刺針図

山東の微山県両城山から出土した所謂「扁鵲刺針図」,実はずっと疑っていたんです。つまり,本当は「乃左握其手,右授之書,曰:慎之慎之」なんじゃないかとね。春の曲阜行きの目的も,一つにはそれを確かめることでした。
でも,やっぱり「刺針図」でした。やっとわかりました。実は図は二種類有る。
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上の図は巻物でも握っていそうだけれど,下の図は確かに針をつまんでいます。
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その背景に長方形のものが,ちょうど巻物のように見えて疑わしいけれど,右手の指の形はそれを握ってはいません。針らしきものをつまんでいます。ただ,患者とされる人物の腕から頭に何本も置針しているという説明は,やっぱり納得できない。単なる鑿痕ではあるまいか。

上の画像は『中国針灸史図鑑』からとりました。原物は曲阜市文管所に蔵されているともありました。しまったと思いましたね。これを見て行くべきでした。でも,曲阜市文管所がどこにあるかは,インターネットでは結局わからない。
下はその問題部分の拡大です。
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壊れた

人が病むとは,故障したのか,それとも壊れたのか。無論,両方とも有る。
故障したのならば,調整すれば良い。壊れた時には,少なくとも壊れた部品は取り替えざるを得ない。それができるか,それで無事に動き出すかどうかは別として。厥頭痛や厥心痛は故障に喩える。真頭痛や真心痛は壊れたのである。これらははたして,自然治癒力でどうにかなるものなのか。
調律師は壊れたピアノの面倒までは見ない。修理屋が壊れた部品を取り外し,新たな部品を製作するか購入するかして,はめ込む。それだけでは演奏には耐えない。調律師が調整する。どちらが偉いかという問題ではなくて,別の仕事だろう。

日進月歩

現代医学は日進月歩で,ついこの間まで不治とされていたものが,それほどまで絶望することはない,という。無論結構なことである。しかし,考えてみると,最先端の知識に基づいて摂生,治療していたのが,人の短い生涯の間に何度も覆されて,そんなことをしていたから病気になった,かえって良くなかったなどと言われたのではたまらない。卑近な例で,スポーツ選手が途中で水分を補給することは,ついこの間まで禁じられていた。これはコーチの精神主義,根性論が元凶だったのであろうが,すくなくともスポーツ医学による指導が根性論を打破するには無力だったということである,ついこの間までは。これでは熱中症で死んだ子供は浮かばれない。ひどい腰痛にはさっさとメスを入れるというのも30数年前には先端的な考えだったそうです。でもだいぶ前から反省が有って,むやみにメスを入れないというのが現在の先端的な考えだそうです。むかし最先端に走った人には取り返しがつかない。虫垂炎も,虫垂なんてものは人間にとって無用であるから,疑わしければ切除しておけ,というのが常識であった。明日から(盆休みとか年末年始の)休暇に入るから,今日の内に手術してしまう,なんてことも別に批判の対象にはならなかった。でもね,手術の痕が季節の変わり目に,やっぱり痛むんだそうです。なんとなく不調なんだそうです。そこで,不要な手術はするな,虫垂炎も散らせるんだったら散らし切れ,という傾向もぽちぽち出てきたそうです。虫垂炎の手遅れで亡くなる,なんてこともついこの間までは有ったんですから,疑わしければ切除してしまえという方針を今更批難するのもなんだけど,どうして手術なんかしたの?と同情される日ももうそこまで来ている。

日進月歩しない医学というのも,案外すてたものではないかも知れない。
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