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終末期ケア

終末期の始まり

Q:高齢者の終末期の捉え方
高齢者の終末期について、高齢者がターミナルの時期に入っていることをどのようにして捉え、その後の見込みを判断されますか。特にがん以外の疾患による事例の場合について、教えていただけると幸いです。

A1:病院で様々な検査をした後で終末期であることを本人・家族に告げられ、最後を在宅で迎えたいという利用者・家族の希望がある場合には、在宅での終末期ケアに入りやすいと思います。しかし、実際は長い在宅ケアの中で、終末期のはじまりを予測しなければならない場面も多くあると思います。明治、大正生まれの高齢者は生命力が強いとよく言われることですが、たとえば風邪などをこじらせて、それをきっかけに死が近いかなと感じても、予想以上に回復される場面も多く、その後の数ヶ月、数年の生涯を全うされることも多いと思います。逆に肺炎などをきっかけに予想より早い死を迎えられる利用者さんもいらっしゃいます。ですので、常日頃より、「死」に対する考え方を本人・家族に聞き、デス・エデュケーションをしておくことも大切なのかなと思います。
たとえば、軽い風邪などでも、次に悪くなったときにどうするかなどそのような身体の変化をきっかけにあらかじめ最後の迎え方を話題にとりあげ、共通理解を得ておくということになりますが、それにはやっぱり信頼関係の構築、コミュニケーションスキルが求められると思います。ただ在宅という個別性の高い環境では、日々家族も含んだケアをしていきますので、共通理解がしやすいのかなとも思います。また、終末期であるという判断はもちろん看護師だけでなく、医師等のチームでの関わり、家族のちょっとした変化の気づきも大切になってくると思います。


A2:高齢者の場合、些細な事がきっかけで命を落とす事があるなぁと日々感じております。自分の行動を振り返ると、たとえ風邪症状であっても、このまま回復しない可能性も否定できないと感じた場合は、例えとして、ご家族に看取りに関することを確認したり、考えてもらうよう促したり、無意識に行動しているように思います(とは言っても不死鳥のごとく何事もなかったかのように回復される方も過去にはいらしたのですが…)。
みなさん命に限りがあることは理解していますが、それが現実にここで起こる事の危機感よりも、大丈夫ではないかという希望を持つ方の方が多いようにも感じています。機会があるごとに看取りやどう生活したいか(生きたいか)の確認をする作業は、ご家族にとってもとても意味があるような気がしています。実際何度も死の淵をさまよい回復したご家族の方は、何度も訪問看護師さんに看取りのことを言われて事前にシミュレーションができ、どうしたいか考えられたので、(急な死ではあったけれど)思ったよりも慌てずに行動できた、思った事がしてあげられて看取りに満足しているとお話されていました。
高齢者の場合、ご本人もご家族もいずれ死が来ることは自然な事として受け入れられる環境は得やすい気もしますので、どう人生を送りたいかに絡めてどう死と向き合うかについて考えてもらってもいいようにも思います。

本人の意思の確認

コメント:本人と家族の異なる意思決定
死の数時間前に出現した喘鳴に家族の気持ちが揺らぎ、混乱し、搬送の希望があったため搬送し、病院で死に至ったケースがありました。在宅死を望んでいた患者さんでしたが最後の力を振り絞ってこちらの手に爪を立てて抵抗しました。この事例を思い出すと、結局は本人の意思より家族の意思が大切なのかと不全感を感じている次第です。

A:最期は在宅でと決めていても、家族は利用者の苦しむ姿に耐えきれなくなり、咄嗟に入院を決断する場合があります。特に激しい疼痛や呼吸困難、大発作、吐血を伴う場合には、家族は、何にもしてやれない苛立ちや恐怖心から、入院すればもっと楽にしてやられるのではと考えるのでしょう。
それには、主治医より予測できる最期の状況を家族に伝えてもらい、家族の反応を把握しておくことや入院によるメリット・デメリットを伝え、緊急往診はいつでも依頼することができること、在宅ではどんな時でも訪問看護師は家族に変わりレスパイトケアを実施する事が可能であることなど事前によく説明をしておきます。それでも家族の心の揺らぎは、一筋縄ではいかない場合も多々あるようです。最期は、入院も選択肢の一つであり、本人や家族の状況に合わせ柔軟に対応せざるを得ない側面もあります。一方で今回のケースは、訪問看護師にとっては不全感が残るのも否めない現実ですね。私は「家族は本人の気持ちにどこまで応えられそうか」「在宅で最期を乗り切ることができそうか」など、利用者や家族の気持ちの変化に絶えず気づかいながら限界点を見極め、信頼関係を重視し、求められている家族支援のあり方を模索するようにしています。それでもうまく対応できる時とそうでない時があり、家族は訪問看護師以上に辛い選択を迫られているのだと思います。

Q:本人の意思と家族の意思について
先日終末期のセミナーに参加してきましたが、現状では在宅死について家族の意思が本人の意思より重要視される事例が多いと感じました。在院日数の短縮化等の影響で、在宅に帰ってきてあっという間に亡くなられるケースも増えてくると思いますが、どのような経過でそのような局面を迎えられたのか差し支えない範囲で教えてもらえませんか。

A2:利用者本人と家族の意思の尊重。意味は理解していても、現実的にはとてもバランスとりが難しい問題だと日々感じています。今回のケースではとても強いジレンマを感じていらっしゃったようですが、それは具体的にはどのような事だったのでしょうか。利用者本人より家族の意思がより尊重されてしまったことですか。そうさせてしまった事に対してですか。利用者が爪を立ててきたのは、どうしても家にいたいとの最期の意思表示だったのでしょうか。あるいはそうではなかったのでしょうか。利用者が爪を立ててきた時、その前に家族が再入院を望んだ時点で、利用者本人への意思確認は可能だったのでしょうか。無理だったのでしょうか(細かい状況が分かりませんので、ちょっと疑問を感じてしまいました)。
同じ家族とはいっても、利用者本人と家族の考えは違っていて当たり前ですよね。それぞれの思いを確認して調整して、いいところで折り合いがつくこともあれば、お互いに思いがずれたまま最期を迎える事もあります。看取りの場合、時間が待ってくれないところに支援の難しさがあり、医療者として、人としての姿勢が強く問われていると感じています。私自身は、利用者本人の意思も家族の意思も同じように大切だと感じています。弱者の意思が尊重されにくい状況は、在宅でも同様にあることも実感していますので、医療者としてはより弱者の立場に気づいて支援することが望まれているのかもしれませんね。ジレンマは何か、その原因は何か、解決策はあるのか、などを振り返っても、自分たちの力だけではどうにもならない課題も残ります。それが現実といい意味で事実を認めることも大事な事なのかもしれません。
あまり意見としてはまとまってはいませんが、思いつくままにコメントさせていただきました。

Reply:患者は末期がんで余命1~2週間という説明で在宅へ戻られておりました。医療者としては予期されていた経過ではあったのですが、かなり急に退院が決定したらしくご家族は「あっという間に家に帰された。」と言っておられ、退院後の看取りのイメージがつかめていない印象でした。この事例は診療所のスタッフとして在宅医とともに緊急往診として訪問した時のことです。全く初回の訪問でしたので信頼関係などあるはずもなく、ましてや説得などと思いながらも、医師は懸命に看取る方向性を模索しておりましたが、どうお話してもご家族は混乱した状態で為す術はありませんでした。わたしは何も声をかけられずにご家族の話を聞きながら、患者様のそばにいるだけでした。
病院での退院調整が不足していたのかとも思いましたが、ご本人の帰りたい気持ちに寄り添い、「帰るなら今しかない」と急に退院も決めた印象でした。
このように死を目前に退院が決定するケースも多いと思い、皆様方のご意見を聞きたいと思い質問した次第です。
A3:ご本人とご家族の思いの違いについてのジレンマはつい最近当ステーションでもありました。ご本人は前立腺がんの骨転移で「今後は対症療法で」と病院Dr.より話され、自宅に帰りたい本人の思いが強く退院、在宅療養・訪問看護導入に至った利用者さんです。骨転移があるわりには目立った痛みもなく、ただ原因のはっきりしない嘔気・嘔吐の出現は退院前から続いていました。退院直後には、ご家族からご本人の身体状況や生活についてのある程度の不安の言動は聞かれていましたが、在宅療養を継続できない程の強いものではありませんでした。食事も何とか摂れ、しばらくは自宅での入浴や生活等を訪問看護師が支援しながら在宅療養を続けていました。最近になり、急激に食欲の低下がみられ、さらに嘔吐の出現も増えたことをきっかけに、主介護者であるお嫁さんの療養生活に対する不安が一気に表出され、約1週間程度は連日訪問や度重なる電話連絡で訪問看護師が支援をしながら食欲低下・嘔吐の原因をDr.と一緒に模索していました。
しかし、症状の改善がなく、ご本人の娘さんの介護支援が途絶えがちになってきてしまい、家族やお嫁さんから「自宅での世話は不安。入院を」といった要望が聞かれるようになりました。ご本人は家にいたい方でしたので、訪問看護師がご家族とご本人の間に入り両者の異なる意見の妥協点を探しましたがなかなか解決の糸口が見つかりませんでした。ご本人の性格上、あまり家族に迷惑をかけたくない・ご自分の意見を抑えてしまう傾向があり、ご本人の本音としては入院したくなかったのですが、ご家族の強い希望におされてご本人の了承(?)で先日入院となりました。その際、訪問看護師の間では、ご本人の思いを知りながら最期まで支えることができなかった無念さが残っていたように思います(こういった思いは、家族にとってみれば医療者側のエゴになってしまうかもしれませんが…)。
入院後、スタッフが病棟訪問したところ、ご本人は暗い表情で何もお話しされなかったようです。自宅では、ボソボソとでもお話しされていた方だったのですが。ご本人とご家族の意見の違いで看護師が思い悩む場面は多々あると思います。ケースバイケースで「これがベスト」という対応はないと思いますが、関わる以上最善をつくしたいなとは思っています。が、本当にこれでよかっただろうかと思い返すこともしばしばです。

A4:終末期の利用者さんで、御本人と御家族の思いにズレがある場合、どのような形で終わったとしても訪問看護師側は「これでよかったのだろうか」と思いが残ることがほとんどではないかと思います。このような場合、不安をいかに軽減するかという部分が大きなポイントになってくるように思います。たとえば、食欲低下・嘔吐の症状が改善しないのであれば、経口摂取をあきらめて静脈栄養に切り替える方策などはいかがでしょうか。状況は違いますが、食道がん末期で通過障害が徐々に進んでいる、不安の強い一人暮らしの利用者さんで、薬剤調整入院のときについでにポートを造設してもらった例がありました。もしも食べられなくなってもポートから水分・栄養を摂取できるという説明で安心してすごされていました。

医療体制の確認

Q:かかりつけ医不在の中の大規模病院の医師との連携
終末期の在宅療養を支援するときに、地域のかかりつけ医がいるときは連携をとりやすいのですが、規模の大きな病院の勤務医から指示書が出ていて、かかりつけ医不在の場合に連携に困ることはありませんか?
以前体験したこととして、大学病院から指示書が出ている利用者さんで、末期がんで痛みがあるにもかかわらずNSAIDsしか処方されていない方がいました。自宅内を動くと辛いのですが、外来受診時は車椅子で移動するので体動がなく、医師に痛みの存在を分かってもらいにくい状況でした。3分診療で医師-患者間で話す時間もほとんどないようで、利用者さんは「言ってもわかってもらえないから」とのことでした。訪問看護報告書で報告したり、電話してみたりもするのですが、効果もなくて、医療者間の連携の難しさを感じました。この方の場合は、病院まで受診することが困難になった、という理由でかかりつけ医に引き継いでもらって、痛み止めの調整がようやく可能になりましたが、残り時間の少ない貴重な時期に、痛みをコントロールできなかったことが悔やまれます。
みなさまはこのような体験をなさったことがありますか。また、どのような対処をなさっていますか。地域によって、また自分や相手の個性によっていろいろな方法があるように思います。

A:解決策としては、「医療連携室」「退院支援室」を中継する。特に大きな病院は、退院支援専門の看護師やソーシャルワーカーが上手につないで下さると言っていました。最近はこのような部門が増えてきて、それでも良くなったけれど、連携が大変で苦労したという話は多く聞きます。
Reply:やはり、在宅と連携できる部署が設置されている病院だとやりとりがしやすいようですね。

介護支援体制の確認

Q:十分な体制がとれない看取り
病院からあまり連絡調整をする間もなく自宅に帰ってきたり、対応に困ったケアマネからの突然の依頼だったり、終末期の始まりかどうかを見極めるより先に調整に追われ、十分なケア提供体制がとれないまま看取りに至るという経験や、結局退院できず病院で最期を迎えたという経験があります。このような場合、看護師の方も不全感が残ります。多くの訪問看護師さんが同じような感をお持ちだと思いますが、みなさん、どのように対処していますか?

A:週末は「まだ退院しない」ということだったのに、月曜の朝連絡があり、「今日のお昼に帰ってくる」という場合もあります。急いで訪問すると心配な痰のからみがあり、病院では酸素飽和度が低下したら吸引していたそうでした。家族はレンタルの吸引器が午後に届くと思っていたのに結局手続きはされておらず、夜になってから急遽ケアマネに手配してもらわなければなりませんでした。埋め込みIVHのこと、ご本人や家族の病状の受け止め、その他の病状などの情報も圧倒的に不足していて困りましたが、このような場合はこちらから連携室に尋ねていくしかありません。その他にも、ご本人の強い帰宅の希望と家族の引き受けがあり、退院後数時間で亡くなられたケースもあれば、数日家で過ごしたあと、緩和ケア目的で入院してまた数日後に亡くなられたケースもあります。なかなか全ての環境がタイミングよく整うということは現実的には難しいと感じています。

苦痛・倦怠感の緩和

Q:オキシコンチンとせん妄
80歳代、オキシコンチンで疼痛コントロールしていたところ、痛みはおちついたけれどせん妄が出て徘徊してしまい、家族が疲れ果ててどうしよう、ということがありました。類似の経験をされた方、良い対処方法があったら教えてくださいませんか。その方はしばらく家族が頑張っていたところ身体的に衰弱して寝たきりになり、徘徊という意味での苦労はなくなったのですが、2週間程度は「痛みの軽減を優先するか」「徘徊が出ないように薬を減量するか」で悩んでしまっていたそうです。

A:オキシコドンでの直接的なせん妄というよりは、がん悪液質や終末期せん妄が疑わしいと思うのですが。方法としては、フェンタニルパッチへのオピオイドスイッチが手軽で有効と考えます。せん妄時でも内服可能であれば、セレネース・リスパダールの内服が有効です。リスパダールは錠剤・液剤など剤型や量も種類があり、特に液剤は興奮時でも内服させやすいので有効だと思います。
Reply:この方の場合にも、結局デュロテップパッチへのスイッチをしました。次の時には早めに対処できるようにしたいと思います。

呼吸異常へのケア

Q:吃逆の効果的なケア
胃がん末期高齢者の事例です。(おそらく横隔膜けいれんによる)吃逆への効果的なケアをご存じないでしょうか。腹式呼吸がよいと思われますが、呼吸補助してもなかなかおさまりません。現在、経口摂取は難しい状態です。

A:以前、消化器の病棟にいた頃の経験なのですが、キンキンに冷やした氷水にネラトンカテーテルを漬けておき、それで口蓋垂(上咽頭付近)を刺激すると吃逆が止まる技術を教わり、行っておりました。
Reply:質問させていただいた二日後にお亡くなりになりました。もう最後の方は目立った吃逆ではなくちょっとのどにかかったような息づかいでした。とても安らかな表情で旅立たれました。ご家族は亡くなる間際「あのしゃっくりが聞こえていた頃は息をしているって分かったけどねぇ」などと話されていました。今から考えると、長く続いた吃逆だったので脳転移していたか、首のあたりをさすって欲しいと言っていたのでその辺に腫瘍があったのか、何か器質的な問題があって生じていた吃逆だったのだと思いました。漢方薬が効かず、入院中ならコントミンか何か薬液を使ったのかもしれませんが。とても誠実で優しい在宅医と不安やストレスで毎日電話はかかってくるけどがんばった家族のおかげで大きな吃逆にみんな臆せず、本人の希望通りの最後が迎えられました。

悲嘆の回復の支援

Q:グリーフケア
これからグリーフケアを行っていきたいと思っております。どれくらいの時期にどのような形で提供されているかなど、現在行われているステーションの皆さまに教えていただきたいです。

A1:私が働いていたステーションでは、亡くなられたあとに49日よりも早い時期に一度訪問していました。貸し出していた機材を引き取るためでもありますが、その際にご遺族の様子を確認し、継続したケアが必要かを確認していました。訪問は特に時間を設けるというよりも、近くへの訪問が予定されているときに少し早く出たり、帰りに寄ったりしていました。ご遺族の中には時折疲労や持病のため、その後その方自身が訪問看護の対象となる方もしばしばありました。このほか、最後の請求書とともにステーションのスタッフでねぎらいのお便りを寄せ書きして添え、年に一度は遺族会を開いて交流できるような機会を設けていました。

A2:在宅ホスピスケアで著名な「パリアン」では、ボランティアグループパリアンを組織し、在宅看取りのためのチームケアの一員と位置付けていますが、この方々には、ご自身もご家族を看取られた経験を持つ方が多くおられるそうです。ピアサポートとしての役割がご自身のグリーフケアの一部になるということもあるでしょうね。

家族による評価

Q:介護者家族の子供に対するケア
介護者のご家族に小さいお子さんがいた場合の接し方についての質問です。
がん末期の痛みに苦しむ声を聞いて、同じ家の中で暮らす小さな子供が反応をし、傷ついて不登校になってしまった話を聞きました。ご家族は介護に手一杯で、小さな子供のフォローまでできなかったことを後悔していると聞きました。
子供への介入についてのご経験がおありの方がおられましたら、ご経験などをお聞かせいただければと思います。

A:苦しんでいた方とそのお子様との関係が分かりませんがきっと元気だったときと現在の姿や苦しんでいる様子におどろきや戸惑いや恐怖を感じてしまったのでしょうか。私は現状が理解できないと余計に傷ついてしまうような気がします。子供のわかる言葉で説明し「今はこうゆう状態で痛いや苦しいから一緒にさすってあげようね」とか「苦しまないでいい天国に行くからねんねしだんだよ」とか、動物や昆虫などを例にして生きているものは死もあることを話してあげられればいいのかなと思います。
私は今先天性疾患を抱え予後不良の6ヶ月のお子様のところに訪問させていただいています。その子の上に2歳の兄がいます。この兄が祖母が自宅で倒れ亡くなった現場を目の当たりにししばらくその部屋は怖いと言って近づけなくなってしまったようですが、その子は死を「ねんねした」という言葉で納得していたそうです。今後患児もその時を迎える際、兄に対して看護師としてどのように説明し精神的なフォローをしていけばよいのか悩むところです。

Reply:苦しんでいらっしゃった方とお子様の関係はこちらも詳しくは存じませんで、「ご家族」としかわからないのですが。子供さんでもわかりやすい言葉で誠実に語りかければきっと伝わるのでしょうね。そして、子供さんの目線で寄り添うようにこちらも努力しなければならないという事なのでしょうね。私の事例について語っていた知人にもこの事例のお話をしてみたいと思います。

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