阪神・淡路大震災(1995) |
目次: Environmental Health and Preventive Medicine、EMERGENCY CARE、ER Magazine、ICUとCCU、Japan Journal of Nursing Science、The Japanese Journal of Rehabilitation Medicine、Japan Medical Association Journal、JIM: Journal of Integrated Medicin、Pharma Medica、安全と健康、医学のあゆみ、痛みと漢方、インターナショナルナーシングレビュー、愛媛県医師会報、エマージェンシー・ナーシング、大阪透析研究会会誌、大阪府医師会報、大阪府理学療法士会誌、岡山県母性衛生、看護、看護学雑誌、看護管理、看護教育、看護研究、看護展望、看護部マネジメント、救急医学、救急医療ジャーナル、救急医療と市民生活、教育と情報、矯正医学、近代消防、外科診療、経営情報学会春期研究発表大会 1997、健康教室、検証 そのとき医師たちになにができたか、現代のエスプリ、現代社会理論研究、公衆衛生、高知市医師会医学雑誌、交通科学、神戸市看護大学紀要、神戸大学医学部紀要、呼吸器科、神戸大学医学部保健学科紀要、神戸常盤短期大学紀要、こころの科学、(季刊)子ども学、コミュニティケア、災害医療ガイドブック、災害ドクター、世界を行く、災害に出会うとき、済生、滋賀医科大学看護学ジャーナル、自主防災組織のための大規模地震時の避難生活マニュアル、自然災害科学、社会保険神戸中央病院医学雑誌、週間医学界新聞、集中治療、集団災害医療マニュアル、主動の地震応急対策、循環器画像技術研究、消化器外科Nursing、小児看護、小児内科、助産師、事例から学ぶ災害医療、震災診療日誌、心身医学、心的トラウマ研究、診療録管理、精神医学、精神科看護、生命倫理、全国自治体病院協議会雑誌、総合病院精神医学、蘇生、第1回日本集団災害医療セミナー資料集、大規模災害と医療、大震災における救急災害医療、大災害における海上輸送システムの実態とそのあり方に関する調査研究、高崎医学、地域保健、チーム医療、調剤と情報、糖尿病ケア、都市政策、トラウマティック・ストレス、ナーシング、ナースデータ、新潟県医師会報、21世紀の災害医療体制、ナース専科、日本遠隔医療学会雑誌、日本救急医学会誌、日本航空医療学会雑誌、日本公衛誌、日本呼吸管理学会誌、日本災害看護学会誌、日本在宅ケア学会誌、日本社会精神医学会雑誌、日本災害医学会会誌、日本災害看護学会雑誌、日本心療内科学会誌、日本生理人類学会誌、日本透析医会雑誌、日本社会精神医学会雑誌、日本集団災害医学会誌(日本集団災害医療研究会誌)、日本集中治療医学会雑誌、日本病院会雑誌、人間の医学、日本臨床麻酔学会誌、熱傷、発達心理臨床研究、浜松救急医学研究会誌、阪神淡路大震災に係る初期救急医療実態調査班報告書、病院、病院設備、病院防災の指針、プラクティス、プレホスピタル・ケア、防衛衛生、防災白書、保健師ジャーナル、保険診療、保団連、麻酔、メディカル朝日、水と健康医学研究会誌、薬事、理療、臨床栄養、臨床看護、臨床透析、臨床麻酔、老年看護学、労働の科学、
■Environmental Health and Preventive Medicine
■EMERGENCY CARE(エマージェンシー・ナーシング )
■ER Magazine
■Japan Journal of Nursing Science
■The Japanese Journal of Rehabilitation Medicine
■Japan Medical Association Journal
■JIM: Journal of Integrated Medicin
■Pharma Medica
■安全と健康
■医学のあゆみ
■医器学
■痛みと漢方
■インターナショナルナーシングレビュー
■愛媛県医師会報 ■大阪透析研究会会誌
■大阪府医師会報
■大阪府理学療法士会誌
■岡山県母性衛生
■看護
■看護学雑誌
■看護管理
■看護教育
■看護研究
■看護展望
■看護部マネジメント
■救急医学
■救急医療ジャーナル
■救急医療と市民生活
■教育と情報(文部省教育統計局)
■矯正医学
■近代消防
■経営情報学会春期研究発表大会 1997
■月刊消防
■検証 そのとき医師たちになにができたか
■健康教室
■現代社会理論研究
■現代のエスプリ
■公衆衛生(59巻、1995年)
■高知市医師会医学雑誌
■交通工学
■神戸市看護大学紀要
■神戸大学医学部紀要
■呼吸器科
■神戸大学医学部保健学科紀要
■神戸常盤短期大学紀要
■こころの科学
■(季刊)子ども学 Vol. 10(1996年1月発行)
■コミュニティケア
■災害医療ガイドブック
■災害ドクター、世界を行く
■済生
■滋賀医科大学看護学ジャーナル
■自主防災組織のための大規模地震時の避難生活マニュアル
第1編 基本的考え方
■自然災害科学
■社会保険神戸中央病院医学雑誌
■週間医学界新聞
■集中治療
■集団災害医療マニュアル へるす出版、東京、2000年
■主動の地震応急対策
■循環器画像技術研究
■消化器外科Nursing
■小児看護
■小児内科
■助産師
■事例から学ぶ災害医療、南江堂、東京
■震災診療日誌
■心身医学
■心的トラウマ研究
■精神医学
■診療録管理
■精神科看護
■生命倫理
■全国自治体病院協議会雑誌
■総合病院精神医学
■蘇 生
■第1回日本集団災害医療セミナー資料集
■大規模災害と医療、日本救急医学会災害医療検討委員会・編, 東京,1996
■大震災における救急災害医療、へるす出版、東京、1996年
■高崎医学
■地域保健
■チーム医療 第794回セミナー・講演集
■治療
■調剤と情報
■糖尿病ケア
■都市政策
■トラウマティック・ストレス
■ナーシング
■ナースデータ
■新潟県医師会報
■21世紀の災害医療体制
【関係法令】
【付・治療に関する参考資料】
■日本医事新報
■ナース専科
■日本遠隔医療学会雑誌
■日本救急医学会雑誌
■日本航空医療学会雑誌
■日本公衛誌
■日本災害医学会誌
■日本呼吸管理学会誌
■日本災害看護学会雑誌
■日本在宅ケア学会誌
■日本社会精神医学会雑誌
■日本災害看護学会誌
■日本社会精神医学会雑誌
■日本集団災害医療研究会誌
■日本集中治療医学会雑誌
■日本心療内科学会誌
■日本生理人類学会誌
■日本透析医会雑誌
■日本病院会雑誌
■人間の医学
■保健師ジャーナル
■臨床看護
■臨床透析
■日本臨床麻酔学会誌
■熱傷
■発達心理臨床研究
■浜松救急医学研究会誌
■阪神淡路大震災に係る初期救急医療実態調査班報告書
■病院
■病院設備
■病院防災の指針(日総研出版、1995)
■プラクティス
■プレホスピタル・ケア
地方会レポート 第71回近畿救急医学研究会―阪神,淡路大震災の体験から―
報告 神戸消防ヘリポートから
特別寄稿 救援活動と被災者のこころ
講義 挫滅症候群-crush symdrome-
■防衛衛生
■防災白書
■保険診療
■保団連
■麻酔
■メディカル朝日
■水と健康医学研究会誌
■薬事
■理療
■臨床栄養
■老年看護学
■労働の科学
Abstract:1995年におきた阪神-淡路地震の1年後に成人の被災者380例を対象にアンケート調査を行い,生命イベントと情緒的支援及び外傷後ストレスについて調査した.明らかに被災により生活イベントは変容を受けており,精神的外傷後ストレス性異常(PTSD)に関連し,PTSDは経験の再想起,逃避と驚愕の要素が男女共に認められた.震災に被災することは,その後の精神衛生に大きな悪影響を及ぼす危険因子であることが明らかとなった。
Abstract:被災者1361例に対し,その精神活動性に対する地震の強さの情報の有用性を評価するため,質問表により経験した地震の強さと地震関連の生活事象あるいはメンタルヘルスとの量的関係を調査した.親密な家族構成員の死や精神障害のような厳しい生活事象の発生頻度は,震度の弱い地域より強い地域に多く,震度7を経験した被災者はModified Mercalli(MM)スケールで11以上のスコアを示し,震度4以下を経験した被災者に比し,より多くの鬱症状(odds ratio2.11)とより低いメンタルヘルス状態(odds ratio1.87)を示した.後者のMMスケールは種々の社会人口統計的因子で補正して7以下であった.以上,震度の強さは重度の生活事象とメンタルヘルスの異常に関係する。
Abstract:大災害の際の癌患者の処置と看護に関して調査を行った。1995年の阪神淡路大震災の際に、被災地及びその周辺の病院で癌患者の看護に従事していた8施設の看護師17名を対象にインタビューを行った。大災害時の癌患者の処置と看護の実際の状況は、三つの主要カテゴリーと10のサブカテゴリーに分類できた。主要カテゴリーは、外来患者の消息を知ることの困難、連続的な各種治療法における処置の適応、最期の時を迎える前後の末期患者とその家族のケアであった。大災害時、中断された治療の回復や患者の輸送手段の確保に対する努力が必要である。また、平常時から癌患者の自己ケアを促進することで、災害時の患者の自己ケアが望めると考えられた。
Abstract:30歳女.阪神大震災に遭い,不眠,フラッシュバック,回避症状などが出現,近医でエチゾラムとクロチアゼパムの就寝前投与を受けていた.震災の2年後,夫の転勤に伴い当科に転医した.このときフラッシュバックは消失していたものの,不眠,予期不安,地震恐怖,広場恐怖,乗り物恐怖が残存していた.前医の処方を継続し,1年後,不眠は消失したためクロチアゼパムを中止した.その後も電車に乗る不安や夫不在時の不安症状が続き,小さな地震でも精神的な動揺が大きかった.転医から4年後,パロキセチン20mgの追加投与を開始し,エチゾラムをそれまでの1日2錠から1錠に減量した.不安は徐々に軽減し,パロキセチン開始から約1年で「軽い地震ならばそれほど動揺することもなくなった」と語るまでに改善した.
【特集:自然災害・事故・テロ時の看護 阪神・淡路大震災,地下鉄サリン事件から10年間の日本の蓄積】
Abstract:阪神・淡路大震災で透析関連装置の転倒破損を経験し,ライフラインの切断により長期停止を余儀なくされた神戸地区と,被災経験のない南大阪地区の透析施設を対象に,災害や事故に関する内容と,安全対策への取り組みについてアンケート調査を行なった.神戸地区24施設,南大阪地区43施設から回答が得られ,これを分析した結果,神戸地区では被災後,建物の補強,水関連設備・電気関連設備への対策,装置の固定強化等が,多くの施設で行われていた.南大阪地区では災害対策への施行率は低かったが,何らかの原因で装置が停止した際の対策やバックアップ機構は神戸地区と同等に行われていた.防災対策の会議やマニュアル作成,スタッフへの防災教育は内容に差はあったが,ほとんどの施設が実践していた.しかし,防災対策に対するスタッフの不安は大きく,安全に対して37%が不満をもっていた.また,緊急事態ではスタッフの人数ではなく,スタッフの熟練度が安全対策に大きく寄与していると考えられていた.
Abstract:阪神・淡路大震災は女性や子ども、高齢者、障害者などの犠牲が多くあり、新潟県中越地震においても阪神・淡路大震災と同様に国民を脅かす災害となった。そこで、女性の特有な処置に欠かせない生理用品について、救援物資のあり方の実態を述べた。阪神・淡路大震災では初動態勢においてトイレ設備が使用不能になった。生理用品については神戸市危機管理室の資料によれば、震災前は生理用品の備蓄はされていなかった。新潟県中地震では、全てのライフラインが絶たれ、生活の糧である家畜やにしき鯉糧なども被害にあい、その救出に困窮したことは阪神・淡路大震災とは異なった。「生理用品」は186642個届けられ、訓練がいき無事に現地に生理用品は運ばれた。
災害時医療への6つの提言
(別冊:集団災害救急1995;阪神・淡路大震災とサリン事件)
(杉本 侃、救急医療と市民生活、東京、へるす出版、1996)
(立道 清・編、検証 そのとき医師たちになにができたか、清文社、大阪、1996)
(特集:被災者の心のケア、岡堂哲雄・編集、1996年2月別冊)
Abstract:阪神淡路大震災被災地中心部と周辺部に位置する総合病院精神科外来を受診した65歳以上の高齢者の特徴を,外来診療録を元に後方視的に調査した.その結果,中心部,辺縁部共に痴呆・譫妄,気分障害が多く,更に中心部では身体表現性障害が,周辺部ではPost-traumatic stress disorder(PTSD),acute stress disorder(ASD)を含む不安障害が多数を占めていた.地震後,周辺部病院群ではPTSD・ASDの有意な増加がみられた.震災を契機に発症した例では,痴呆・譫妄及び身体表現性障害は周辺部病院群より中心部病院群において有意に高率で,PTSD・ASDは逆に中心部病院群より周辺部病院群において高率であった.又,周辺部でPTSD・ASDの受診率が高かったことは,避難先での精神保健活動の必要性が高いことを示唆していると考えられた。
Abstract:恒久住宅で独居する阪神・淡路大震災被災高齢者3名を対象に,被災後の生活力量の形成過程を明らかにする目的で,半構造化面接を行った.質的・帰納的方法で分析を行った結果,被災時から避難生活(1期),仮設住宅生活(2期),恒久住宅生活(3期)の各期において,生活力量が形成されていた.全過程で諦めを付ける力量を認め,1期では被災者同士の助け合いなど六つの力量,2期では被災者同士の繋がりの形成と助け合いなど五つの力量,3期では被災者同士 の繋がりの再構築と助け合いなどの五つの力量が形成されたことが明らかになった。
テーマ「子どもたちの震災復興−阪神大震災1年」
1)大人の期待に応えようとした子どもたち (中村真由美)
2)がんばりすぎる子どもたち (高岸由香)
--- 医療救援隊・医真会八尾総合病院"八尾隊" (森 功)
(大塚敏文、坪井栄孝・監修、国際災害研究会・編集、医学書院、東京、1996年)
(金田正樹、東京新聞出版局、東京、2002、p.10-56)
Abstract:大規模災害における医療支援のボランティア参加で、支援からの撤退の時期を予測することの重要性を痛感した。参加者の勤務を補う都合上、初期の段階からいつまで医療支援が継続しそうかを事前に予測できれば、医療支援側のボランティア参加に伴う不安と勤務の問題を解消できるのではないかと考え、阪神淡路大震災でのデータをもとに解析した。避難所の医療支援施設受診患者数は減衰曲線に従って減少した。減衰曲線の特性から、受診患者数の減少は集団感染症などの避難者相互間に影響される要因ではなく、受診患者数の減少は施設に避難する被災者数の減少を反映していると考えた。施設の避難者の調査期間中の累積患者総数と受診患者数の減少の半減期の間には相関関係があり、規模の小さい施設に避難する被災者の方が早期に自立する傾向があった。
地震防災対策研究会・編、(株)ぎょうせい、東京、1999
Abstract:阪神淡路大震災で経験したcrush syndromeの検査データの特徴として以下のことが見られた.筋肉の損傷を示すものとして,CK,K,P,ミオグロビン,AST,ALT,LD上昇,Ca低下,ミオグロビン尿,テント状T波が見られた.血液濃縮を示すものとしてHb,Ht上昇が見られた.代謝性アシドーシスを示すものとして,血液ガスpH低下,BE陰性化が,炎症を示すものとして,CRP,WBC上昇が見られた.CKは桁外れに高値を示したが,それと共にK,尿酸,Pの上昇とCa低下が顕著であった。
Abstract:昨年の大震災時の患者,看護婦の精神状態について,アンケートを作成し災害時対応の示唆を得た.地震が起こったことで,患者46名中21名が透析に不安を感じ,看護婦全員が,業務に追われ,精神的に余裕がなかった.こうした状況で,大切なことは,できる限りの透析を提供すること,看護婦が患者の話を聞いたりそばにいること,看護婦同士のコミュニケーション,であった。
佐藤喜久二:東京、内外出版、2004
(河野博臣:震災診療日誌、岩波書店、東京 1995、p.1-15)
Abstract:当院心療内科は,1995年1月の阪神淡路大震災・被災地での心身医学的ケアを目的に,1996年に開設された.また,震災から約10年後の2004年10月の新潟県中越地震では,心療内科スタッフは日本赤十字社の災害救護の一員として,全員被災地に赴いた.その際,感冒,高血圧,不眠・不安,便秘など,被災というストレスフルな背景に配慮した心身医学的ケアが必要とされた.震災10年後の心療内科受診患者を対象としたアンケート調査では,39%が「震災と今の自分の病気は関係がある」と考えており,特に,転居,失職(転職),家族構成の変化など震災後生活変化の大きかった者に限ると,その割合は68%にも達した.災害においては,急性期から復興期にわたり,身体的,精神的,社会的,スピリチュアルな全人的ケアが必要とされ,今後の心身症を防ぐためにも,長期的視野に立った心身医学的介入が災害直後の急性期から必要と考える.
Abstract:阪神淡路大震災の約4年後の被災者健康調査のデータから,運動と喫煙習慣が被災者の心身の症状と関連しているかを分析した.調査対象とした仮設住宅・災害復興住宅の住民の約半数(7065名)から回答を得た.分析の結果,アルコール依存症以外のすべての症状が女性において重篤度が高かった.アルコール依存症に関しては,性別の違いが重篤度に影響を及ぼすことが確認された.いつも運動をしている人,喫煙習慣のない被災者は比較的心身の症状が少なく,健康であった.喫煙量や運動量そのものより,その習慣の変化が心身症状に関連していることが示唆された.
Abstract:養育者の外傷反応と子どもの問題行動との関連を検討するため,阪神・淡路大震災の被災地の子どもの心理的影響に関する研究を再分析した.使用した尺度はIES-R,CBCL,CDIである.IES-R及び子どものCDI得点は,CBCLのT得点・内向T得点・外向T得点との間に正の相関を認めた.また,CBCL得点は,CDI得点との相関係数よりもIES-R得点との相関係数において強い関連があった.CBCLは子どもの情緒や行動の問題をとらえる上で有用な尺度であるが,子どもの外傷反応を評価する際は,その報告内容が養育者のPTSD症状と関連する可能性があり,結果の解釈には注意が必要である.
Abstract:震災後11年が経過した時点での神戸市民の心理的影響について分析を行った。無作為抽出により住民基本台帳から選んだ対象者(20〜70歳)のうち、818名から有効回答が得られた。この回答者のうち約8割が震災経験者であった。最初に国内外の災害精神医学を概説し、次に震災後11年目の影響を実証的に検証した。一般的な精神健康及びアルコール依存においては11年目の時点で震災経験者と未経験者で差は見られなかった。また、11年経て、震災に関連したPTSD症状は、多少は残っていたが、臨床的には重篤度が低いレベルの被災者が大多数であった。さらに、震災後10〜11年目におけるPTSD症状と震災に関連した問題を専門家へ相談する被災者は3%ほどであったが、専門家を訪れていない被災者の中でPTSD症状がやや重篤な人々も存在した。そして、阪神・淡路大震災以外のトラウマ経験の頻度を震災経験者と未経験者で比較すると、より多くの震災経験者が自然災害と喪失体験を経験したと報告していた。最後に、これらの結果を踏まえ、長期にわたる定期的なアセスメントの必要性と大災害後等の精神保健活動について提言する。
Abstract:惨事ストレスの長期的な影響を把握し、既存の惨事ストレス対策を強化するために、消防職員(N=1,432)を対象に調査を行い、1,096名のデータを解析した。阪神淡路大震災と殉職を体験した職員は69.8%(n=765)、殉職事案を体験した職員は90.5%(n=992)、震災と殉職を体験していないのは9.5%(n=104)であった。当時職員だった人の11.6%が震災に関する外傷後ストレス障害のハイリスク者であり、「命の危険を感じた」「悲惨な光景を見た」「恐怖・無力・自責を感じた」「私生活にとても影響があった」「震災当日、家族の安否が不明だった」と答えた人はそうでなかった人より、IES-Rの得点が有意に高く、症状が多かった。殉職に関する調査時点での外傷後ストレス障害のハイリスク者の割合は、6.4%と低かったが、殉職事故の現場に出動した職員(n=104)を対象にすると14.4%であった。事故現場での活動中に「命の危険を感じた」「無力・自責を感じた」「事故後の組織対応に満足しなかった」と答えた人がそうでなかった人より、IES-Rの得点は有意に高く、症状が多かった。うつおよび不安障害を測定するK10のハイリスク者は、全体(N=1,096)の10.2%で、これは一般人口の約2倍だった。震災や殉職事故などの惨事ストレスによる影響はそれほど強いものではないものの、一般精神健康は決して良くないことが分かった。今後は惨事ストレスに特化するのではなく、全般的なメンタルヘルス対策を含む、包括的なアプローチが重要である。
Abstract:新潟県中越地震における東京都こころのケア医療チームの活動を,震災被災地での初期精神保健活動をめぐって,阪神・淡路大震災での支援活動と比較して報告した.阪神・淡路大震災では「都市型」の震災時の心のケア対策の手法について多くが論じられてきたが,今回のような「農村型」の震災に対しての具体的な支援のあり方に関する知見は乏しく,今回の震災から「農村型」の援助手法についての蓄積が今後望まれる.最終的には,本チームの援助に頼らない,通常の地域精神保健活動の枠組みの中で被災者のメンタルヘルスマネジメントがなされることを目標に活動し,地域の保険師に助言しスーパーバイズすることで一定の成果は挙げられたと考えている.
Abstract:阪神淡路大震災10年後の看護職の心理への影響を明らかにすることを目的に,神戸市内の病院3施設に在籍する看護職員を対象に,IES-R(PTSD症状の有無)などを用いたアンケート調査を実施し,825名(うち,看護師767名.平均年齢35.8±10.2歳)より有効回答(82.5%)を得た.その結果,82%が震災後3日以内に出勤し,40%が震災当時の精神的影響を覚えており,IES-Rでは109名(13.2%)がPTSDのハイリスク者であることが分かった.
Abstract:阪神大震災により,自ら被災しながら救援活動を行った看護婦425名を対象に,外傷後ストレス障害(PTSD)発症に調査を実施した調査期間は五年に亘り,震災2ヵ月後,6ヵ月後,12ヵ月後,38ヵ月後,62ヵ月後に実施し,DSM-IVの診断基準に基く調査用紙を用いた.各調査時期においてのPTSDの出現率は,震災2ヵ月後で6.9%,6ヵ月後で4.3%,12ヵ月後で4.7%,25ヵ月後で3.9%,38ヵ月後で3.0%,62ヵ月後で2.2%であったPTSD診断基準の各カテゴリーについては,いずれの調査時期においても診断カテゴリーB(外傷的出来事の持続的再体験)の基準を満たす割合が高かった.調査結果から,PTSDに代表される被災後の心理的ストレス反応の軽減を目的とした救援者に対する有効なメンタルヘルスケアの検討が重要と思われた。
Abstract:災害救援者への心理的影響を検討するため,阪神・淡路大震災で活動した消防隊員4780名を対象として調査した.震災から13ヵ月目のPTSD症状について,IESを用いて評価したところ,震災当時の勤務地が被災地内であった者(被災地内群)は,被災地外から救援に派遣された者に比べて,IES得点が有意に高かった.また,被災地内群のPTSD症状に影響する要因を解明するため,ロジスティック回帰分析を行った結果,個人的な被災状況,悲惨な現場への曝露の強さだけでなく,住民からの苦情や非難などによって喚起された自覚的苦悩が,高オッズ比を示すことがわかった.災害救援者のメンタルヘルス対策には,多次元の要因に注目した総合的な対策が検討されるべきであると思われた。
(監修・厚生省健康政策局指導課、へるす出版)
医療施設近代化施設整備事業実施要綱
災害拠点病院整備事業実施要綱
医療施設運営費等補助金交付要綱(抜すい)
医療施設等施設整備費補助金交付要綱(抜すい)
医療施設等設備整備費補助金交付要綱(抜すい)
総理府及び厚生省所管補助施設災害復旧費実地調査要領
厚生省所管補助施設災害復旧費実地調査について
総理府及び厚生省所管補助施設災害復旧費実地調査に関する対象施設について
社会福祉・医療事業団の災害融資制度の概要(医療貸付)
Abstract:本調査の目的は,大きな災害の際に初期遠隔医療をサポートする衛星通信のために必要なチャンネル数を算定することである.Erlangの方程式を計算に使用した.阪神淡路大震災から得られた医学データに基づいて,日本においては29の衛星チャンネルあれば,病院間通信で使われている遠隔医療システムの災害救助活動に十分であると推定した.各チャンネルに対して3.0Mbpsの必須伝達能力,87Mbpsのバンド幅が衛星通信チャンネルに確保されなければならない.
Abstract:1995年に発生した阪神淡路大震災以降、兵庫県では救急救護ヘリコプターの運行体制の整備が進められ、兵庫県所属の消防防災ヘリの救急救護運用が2004年4月、神戸市消防局へ委託され、3機運用体制となった。兵庫県における基幹災害拠点病院として、2003年8月に開院した当センターはこの3機一体運用が開始されてから、神戸市外での事案でのヘリコプター搬送に中心的に関わってきた。この新体制後、神戸市外への救急ヘリの出動件数は増加したが、1)要請から医師が同乗し、離陸するまでに要する時間の短縮、2)手順の簡素化、3)同乗する医療チームを確保し、当番制を敷くなどのさらなる努力が必要と考えられた。
Abstract:平成7年1月17日に起こった阪神・淡路大震災は,われわれ医療機関に働く者,特に在宅医療に携わる者にとって数多くの教訓を残した.震災当時のHOT患者は29名(内,気管切開によるHMV1名)おり,安否確認と酸素の供給,職員による自宅訪問,避難所の往診・訪問,ボランティアによる患者訪問,来院患者からの情報提供,地域開業医との情報交換,酸素納入業者への依頼などの役割が大きかった.今後の対策はどのようにすべきか,当院の経験から患者データの整理(個人情報保護法の問題はあるが),酸素供給方法の問題,行政機関への働きかけ,マスメディアへの対応,地域医療機関との連携,ネットワーク作りなど,いつ災害が起こってもおかしくない現在,日常的にこれらのことを気にかけておく必要性を提案する.
Abstract:大震災時保健所の役割を東灘保健所での経験を基にまとめた.早く現場に行き刻々と変わる状況に対応するため,保健所が中心になり,福祉事務所・医師会・歯科医師会・薬剤師会やボランティアの活用を図った.自分の住む町を守る心,平時の心構え,小学校区の大切さ,保健福祉の統合への必然性が理解できた.
Abstract:阪神・淡路大震災後,大阪府八尾市志紀町に県外仮設住宅が建設されたが,被災市からの援助が届き難く混乱が生じた.地域精神保健ネットワークは精神保健福祉従事者,ボランティア,仮設住宅自治会役員,行政職員等の参加を求め,震災1年後に八尾志紀仮設住宅支援連絡会が結成された.その活動について報告し,県外被災者への支援のあり方を考察した.被災住民の孤立無援感を軽減するには,被災地以上にボランティアの意義が大きく,援助者の継続的なかかわりが必要であった.仮設住宅住民の精神保健福祉ニーズは,精神科,心理色を前面に出すよりも,一般的な援助の中で汲み取り,対応するのが効果的であった.アルコール問題は早期から顕在化しやすく,地元断酒会の協力を得て断酒例会を開き有効であった.住民,ボランティアの精神障害者への偏見を軽減する試みを必要とした.住民,ボランティアと行政機関との対立を解消する努力を要した。
Abstract:新潟県中越地震で被災した子どもたちの状況の把握などを目的に,被災地に派遣された看護師13名を対象に,研究者らが阪神淡路大震災後に作成した小冊子「被災地で生活するこども達-看護職ができること-」(以下,小冊子)の枠組みを用いて,フォーカスグループインタビューを実施した.その結果,子どもたちの状況は<普段の生活を行おうとする子ども><積極的に自分を生かそうとする子ども><気になる症状がある子ども>の3つに分類でき,小冊子ではこれらの子どもたちへの理解と対処法についても解説していることから,被災地での支援活動に有用であると考えた.
Abstract:兵庫県は県南岸の阪神地域,神戸市,播磨地域に総人口559万人の約90%が集中している.1994年9月からその地域の民間指定病院,県立病院および大学付属病院による,休日の日中,輪番制による精神科救急医療システムが始動した.システムが周知され機能する以前の1995年1月17日,阪神淡路大震災が起こった.阪神地域,神戸市の病院が罹災し機能不全に陥っている一方,緊急に入院を要する患者は急増した.できたばかりのシステムでは対応できず,兵庫県精神病院協会の判断で3月末まで3民間病院が24時間救急医療体制をとった.その経験が精神科救急医療システムの整備を急がせた.輪番制に戻ったが,1995年10月から毎夜間も開始した.現在は土曜日の日中も加わり2病院体制となっている.しかし,利用件数が年々増加してきており,現在のシステムでは十分に対応できなくなってきた.2005年の罹災10周年を期に,基幹病院体制へと再び大きく動かなければならない.
Abstract
[要約/要旨
Abstract:病院での基本的な医療活動,すなわち,「患者の来院-治療窓口への到着-患者の治療と,必要に応じた他の病院への搬送-治療済み」という治療のプロセスを,単純化した一つのシステムと考え,このシステムをモデル化し,このモデルに基づいて医療活動支援システムを開発した.このシステムを,地震災害時の患者来院分布を想定して,個々の病院の医療活動と同時に,ネットワークとしての医療活動をシミュレーションにより検証した.阪神・淡路大震災で問題となった諸問題の解決に有効である事が示唆された。
Abstract:大災害時の重症患者の救命には発災早期の広域搬送システム,とくに救急ヘリ搬送体制が必要である.阪神淡路大震災を例にとると,500名にのぼる重症患者(四肢躯幹外傷・頭部外傷・クラッシュ症候群・広範囲熱傷による)を72時間以内に救急ヘリにより被災地外医療機関へ搬送する必要がある.これには,発災後24時間以内に少なくとも38機,それ以降の2日間で6機/日の広域搬送ヘリコプターが必要となる.このような大災害時の広域ヘリ搬送を行うには,平時から救急患者のヘリ搬送に習熟しておく必要があり,日常的な救急ヘリ搬送に慣れていないといざと言う時に役に立たない.しかし,現在の日本の救急ヘリ搬送体制はいまだ十分なものとは言えず今後の体制整備が急がれる.具体的には,消防・防災ヘリの救急ヘリ専用化,ドクターヘリの更なる導入,民間ヘリの活用,を推進する必要がある.また,災害拠点病院を含めたヘリポートの整備とヘリポートへの堅牢なアクセスの確保,ヘリと消防機関・医療機関に共通の無線回線,100km以上の広域航空搬送にはSCUの設置とジェット機等の固定翼機による搬送体制,広域搬送にかかわる医師・看護師等の医療スタッフの育成,が必要である.さらに,広域搬送は大災害時の医療と認識し,救急医療に関わる人々が共通の認識をもって連携すべきである.
Abstract:阪神・淡路大震災の被災地である神戸がその時の教訓を世に発信することで、近年世界でますます多発している自然災害に対して、少しでも減災に役立てていただけることを期待している。本稿は兵庫県南部地震が発生した時の状況や課題を整理し、その後の神戸市の減災に対する取組みの考え方と地域コミュニティの防災力を高めるための地域支援策の一部を伝えるものである。【大震災の教訓】神戸は1995年1月17日に兵庫県南部地震により震度7の揺れに襲われた。被害の特徴の中に同時多発火災と倒壊家屋からの救助活動とがある。そこから得られる教訓は自助、共助の必要性と地域コミュニティの大切さである。【自主防災の転機】地域の防災力を高めるため、震災前の自主防災組織を見直し、震災後は「防災福祉コミュニティ」として再生させた。その特徴は日常時の福祉活動と非常時の防災活動を一体のものとして融合させた活動を目指しているところにある。地域では消火や救急等の災害対応訓練のほか、マップづくり、見守り活動、防犯パトロールなどの実践的な取組みが続けられている。【地域コミュニティの向上に向けて】防災福祉コミュニティに対する活動資金の助成、各種団体に対する地域活動提案型助成、市民個人に対する市民救命士や救急インストラクター養成、広くまちづくりを研修するまちづくり学校の開講など、防災だけに限定することなく、地域コミュニティや個人の防災対応能力を高めるための施策を展開している。今後神戸が最も懸念する災害のひとつである東南海・南海地震に対しても市民に備えてもらうために、地震や津波に関する一般的な知識のほか想定される被害予測を記したパンフレットやビデオを作成している。特に津波による浸水の被害が懸念される地域では、地域の人たちが主体となって地域の津波対策計画を立案し、マップを全戸に配布して全住民に周知している。【1.17を忘れない】大震災の貴重な教訓を風化させてはならない。「1.17を忘れない」を合言葉に、モニュメントなどの記録のほか、安全の推進に関する条例の制定、職員の震災経験者の登録、NPOの結成、シンポジウムなど様々な施策を講じながら、地域コミュニティの絆の大切さを伝承していく必要がある。
Abstract:神戸赤十字病院心療内科は、1995年1月の阪神淡路大震災被災者のために、翌年開設された。ストレスや心理的要因による身体疾患(症状)として、身体症状が主なうつ状態、各種心身症などの患者が受診した。震災5年後(第1回)と10年後(第2回)に、心療内科受診中の患者にアンケート調査をおこなった。病気と震災との関係について、第1回は「大きく、直接的に関係する」が13%、「少しは、間接的に」は24%、「関係ない」が61%だった。第2回はそれぞれ9%,30%,56%で、「関係ある」が39%と若干増えていた。第2回では、被害が大きかった群で62%、震災後の生活変化の大きかった群で68%が「震災と病気が関係する」と考えていた。震災は10年たっても被災者の心身の健康に大きく影響し、身体的、精神的、社会的、スピリチュアルな苦痛がある被災者には、医療や心理のみならず、様々な職種によるチームとしての全人的ケアが不可欠である。
Abstract:阪神・淡路大震災での典型的死亡形態である胸部圧迫死の実態把握を目的として,死亡に至らしめる荷重の検討とともに,胸部有限要素モデルを用いたコンピュータシミュレーションによって,加圧による胸郭の変形を検証した.群集事故の報告および動物実験のデータを分析し,胸部を体重の数倍以上の荷重に圧迫された場合,比較的短時間に死亡に至る可能性が高いことが分かった.胸部有限要素ダミーを用いた載荷シミュレーションにより,加圧による胸郭の変形を,荷重を変化させながら検証し,胸郭前後径の変化量は荷重ともに増加していくが,荷重一変形関係は非線形特性を有することが判明した。
Abstract:平成7年1月17日に発生した阪神淡路大震災では,通信網の途絶と交通渋滞が人命救助,消火,医療などの緊急活動を停滞させたことは記憶に新しい.神戸に限らず山と海に挟まれた沿岸都市においては,発災直後における陸上交通網のマヒとこれに伴う緊急支援の遅滞は避け得ないものと認識すべきである.したがって今後は,災害に備えた危機管理のあり方において,これまでの陸上の発想から海の視点へと移るべきと思われる.そこで,1)船舶を活用した海からの支援,2)船舶を活用した危機管理体制,3)海上支援ネットによる緊急医療活動の実現化,について述べた。
Abstract:阪神・淡路大震災から9年が経過した.神戸の街は一瞬にして破壊され,当然のごとくライフライン(水,電気,ガス)も停止した.さらに,大渋滞により交通網も麻痺し完全に生活の機能は失われた.このような状況下においても透析は欠かすことのできない治療であるため,透析施設は常日頃から災害時に組織的に行動できるように訓練しておく必要がある.もし,このような災害時においても水や電気の確保が可能であれば自施設で透析を行うことも可能となるが,あえて危険な被災地で透析を行うよりも被害の少ない地へ避難し,その地の透析施設で透析を受け入れてもらうことのほうが安全である.このような状況も想定して職員や患者への緊急連絡方法や他施設への患者搬送手段などの方法を確立しておくことにより,災害発生時の混乱を少しでも回避できるものと考えられる。
Abstract:1923年関東大震災後に始まった「防災対策」も,1995年兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災),2004年新潟県中越地震,2005年福岡県西方沖地震を経験して,「防災対策」から「減災対策」へ移行しつつある.透析医療を継続するにはさまざまな条件があるにもかかわらず,災害時でも「患者のPreventable Deathをなくす」ために明日の透析治療を継続しなければならない.そうした条件下で,各透析施設の「災害対策マニュアル」は整備され,災害対策の要である「情報システム」も各施設・地域で整備されつつある.そして全国の透析施設を結ぶ災害時ネットワークも日本透析医会が中心となって整備されつつある.新潟県中越地震でその存在が認識され,福岡県西方沖地震で支部・全国のネットワークが見事に役立った.しかし「災害対策は日々進化」している.この稿では,いくつかの問題点と対策について提示する.
Abstract:地震災害に対してきわめて脆弱な透析医療に従事するわれわれは,阪神・淡路大震災以降,さまざまな災害対策を学んだ.当時,もっとも利用度の高い電話が繋がりにくく,十分な情報伝達ができなかった.このことから大震災の教訓として,施設-患者間の連絡手段と被災側-支援側のネットワーク構築の重要性が示された.阪神・淡路大震災から10年後,兵庫県内にも大きな被害を与えた台風23号では,兵庫県透析医会が整備した情報ネットワークにより,各地域の担当者がメーリングリストを用いて情報を届けた.その結果,早期に各地域の被害状況が把握でき,それらに対応する準備ができた.今後もわれわれは,経験を生かした災害文化作りに努め,災害に備えなければならない.
Abstract:透析医療における災害対策は,1978年宮城県沖地震に始まり,1995年阪神・淡路大震災を経て広域化がはかられた.その後,提唱されてきた対策が検証される機会をもたなかったが,2003年十勝沖地震,2004年新潟県中越地震,2005年福岡県西方沖地震を経験することで多くの検証がなされた.これらの地震の経験から,地域密着型災害は現在の対策で対応可能であることが示された.しかし,今後,首都圏直下型地震などの都市型災害に対する対策は万全ではない.これまでに地域密着型災害対応で有用だった対策(患者監視装置やベッドのキャスター,ROや透析液供給装置の固定,患者のグループ化による情報伝達など)を十分に浸透させることで,減災は可能であると考えている.個々の被害が小さくなることで,総体としての被害量を小さくすることが重要である.それが,都市型災害の特徴である「対応しきれないほど多数の被災者」を,なんとか対応しきれる数に減じることにつながる.
Abstract:阪神・淡路大震災は初めて人口密集地域を襲った大規模な透析施設の被災として,透析医療に携わるものにとって貴重な教訓となった.2004年10月23日,震度7の地震が新潟県中越地方を襲ったときこの教訓は活かされたであろうか.透析室の被害状況は3病院336名が治療の場を失い,バスなどで他施設へ搬送治療を行い,透析施設の機能は約1週間で復旧した.この直下型地震で被害が最小限に抑えられたのは,地域の透析医の連携で患者移動がスムースにいったことがあげられる.この教訓から都区部での直下型地震に対する災害対策を考えるとき,災害により透析不能となった患者をどこで透析をするのかという,代替施設確保がもっとも中心に据えられる.これに対応するために,2005年,東京都区部災害時透析医療ネットワークが立ち上げられた.この動きを紹介し,人口密集地における直下型地震対策について述べる.
Abstract:2000年に行った被災地の幼稚園児の母親を対象にした阪神・淡路大震災後の震災ストレスに関する調査を基に,母親が置かれている立場や状況による震災ストレス認知の相違と,激震地区と他の地区の質問項目について詳細に検討した.その結果,地域的・個人的に被害が大きい ほどストレスを感じており,専門的援助を受けた母親は非常に少なかった.また,半数以上の母親は,ストレスに対して積極的な対処をせずに諦めており,ストレスの対処が難しい状況に置かれやすく,母親としての完璧思考の存在を示唆した。
(吉岡敏治ほか、厚生省、1996)
Abstract: 被災高齢者10名を対象に半構造化面接を行い,質的・帰納的方法で分析し,生活力量の形成過程とそれに影響する要因を明らかにした.被災高齢者の生活力量形成過程は,他者の支援利用段階,隣人支えあい段階,地域貢献段階の3段階がみられた.生活力量形成に影響した要因は,社会資源の存在,助け合える隣人・友人の存在,助け合える家族の存在,住居等の生活環境,情報の存在の5つであった.被災高齢者の生活力量形成過程とは,被災高齢者が自分の置かれた状況に気付き,隣人同士で助け合い,地域問題にかかわっていく過程であると考えられた。
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