災害医学・抄読会 2004/06/18

コミュニティのなかの臨床心理士の役割

(東山紘久:現代のエスプリ1996年2月別冊、p.183-190)


 コミュニティとは、「人々が共同体意識を持って共同生活を営む一定の地域、およびその人々の集 団」とか「血縁・地縁など自然的結合により共同生活を営む社会集団」と定義されている。人間は群 れを作って生活する動物である。群れを作って生活するのは、群れを作らずに生活するより、生活す るのに利点があるからである。しかし現代社会ではコミュニティの必要性が薄れてきている。昔のよ うな田植え、水引き、道路の舗装などの共同作業が機械化し個人化することによって必要がなくな り、それと同時に共同意識まで希薄になっている。なぜ共同作業の必要性がなくなると共同意識が失 われるのか。それは「個人の主張がしにくい社会的雰囲気」が日本全体に流れているからであろう。 日本人は個人と個人の人間的接触が苦手である。ある意味で、個人としての日本人は、全員が対人恐 怖症を幾分なりとも持っているといえる。

 集団で生活すると個々人の主張や利益の対立が起こる。日頃、臨床心理士が相談に当たる多くの問題 は、人間関係に由来している。「家族」「学校」「地域」「社会」など、集団が形成されている所に トラブルが発生する。すなわち、問題が発生する所が現代のコミュニティなのである。このような現 代的な環境に立って、未曾有の規模を持った「阪神・淡路大震災」が起こったのである。 臨床心理士会では、阪神・淡路大震災の一週間後に、二十四時間のホットラインを隣接県に設置して 心のケアに当たった。また、震災地域の救援が始まるのと呼応して、避難所を訪問して心のケアをす る活動が始まった。しかし「臨床心理士」というのは、一般に知名度が低く、何をする人かが被災者 の人々に理解されなかった。日本臨床心理士会では、臨床心理士の腕章を作り、臨床心理士としての アイデンティティを明確にして被災地に入り、心のケアをすることにした。その結果、臨床心理士が 被災者に受け入れられ、専門家として役にたった場合と、そうでない場合の要因が大別すると二つあ ると思われた。一つは臨床心理士一人一人の個人的な要因である。もう一つは日頃からの地域からの 溶けごみ具合である。

 これらの例にスクールカウンセリングがある。学校という社会は閉鎖的であり、なかなか外部の人を 寄せつけないと言われている。スクールカウンセラーとして、学校へ溶けこんでいる人と、なかなか うまくいかないカウンセラーの個人的要因として、心の柔軟さの違いがあるようである。カウンセ ラーである前に、人間として学校という地域社会に接した臨床心理士はうまくいくことが多いのであ る。雰囲気に溶け込む前に、専門家を主張した人(本人がそのように意識していない場合も多いが) は奉られるが相手にされない。また専門家としての実力としっかりしたアイデンティティがある人は 受け入れられている。臨床心理士としてのアイデンティティが確立しているカウンセラーほど、カウ ンセラー臭くなく、カウンセラーの地位を主張しない。学校の雰囲気を自分のものとするため、校庭 を歩いたり、掃除をしたり、生徒と遊んだり、さらには用務員や給食調理員など学校の全構成員と心 の交流を深めている。

 避難所は学校ほど閉鎖的ではないが、置かれている状況が厳しいため、わけの分からない人に対して は警戒的である。被災者を援助しようという意識は旺盛だが、役割意識に縛られた臨床心理士が避難 所に入ったときに、学校に溶けこめないスクールカウンセラーと同じような、被災者から浮いた存在 になる。それでも被災者の話を聞こうとしたら、拒否されるか嫌悪される。被災者と一緒になって、 作業をし、雑談をし、目立たない奉仕活動をしているうちに被災者が心の内を話そうという気持ちに なるかもしれない。その時になって臨床心理士の専門性が発揮される。普通の人の聞き方と一味違う 聞き方が臨床心理士にはできるからである。被災者の心に安らぎがもたらされ、もっとこの人に話を 聞いて欲しいという気持ちが生まれる。そうして自然に心のケアがなされていくのである。

 子ども達と接した臨床心理士にもこのことは言える。絵を描かせることが治療になると短絡的に考え て、震災の絵を描かせて、かえって心理的な傷を引っかくようなことしたセラピストも少数ではある がいた。このようなセラピストとは違って、プレイ・セラピィの熟練者は、子ども達の遊びや活動を あたかも透明人間のように見守り、子ども達からアプローチしてくるのを待ち、子ども達がアプロー チしてきたそのタイミングを逃さずに、関わりを始めたのである。子どもの心理的描出を自然にさせ ることが自然治癒を高めるのである。

 もう一つ臨床心理士の心のケアで被災者に歓迎されるものに、地域に根ざした援助活動がある。震災 の初期の混乱が少し落ち着いてきた頃から、兵庫県の臨床心理会が地域ごとに心のケアをする体制を 組織しはじめた。ここで重要なことは、自らも被災者であったその地域に居住する臨床心理士が中心 になって、これもまた日常の地域活動の中心である保険所や病院、教育研究所のスタッフと協力し て、地域に溶けこんだ形で心のケアをしたことである。特に、日頃から保健所や地域医療や地域福祉 関係と繋がりを持っている、臨床心理士が心のケア活動をしたところは、心のケアの実があがったの である。臨床心理士の活動領域には、地域社会援助が入っているが、カウンセリングは個人的雰囲気 が強いこともあって、組織と相いれない要素があることも確かである。しかし、保健所や教育研究所 で心理相談をしていた臨床心理士が、他の援助活動の組織と連携して心のケアに当たったところに成 果があったことを考えると、地域での心理臨床活動と他の組織との連携とコーディネートが欠かせな いことが実感させられた。今後も臨床心理士は地域に根ざした心のケアを続ける必要がある。


第2章 災害復興の生態環境

(国際赤十字・赤新月社連盟:世界災害報告 2001年版、p.34-57)


 この地球の最貧困者は、気候変動と経済のグローバル化の不安定な影響により悪化した、かつてない 災害の危機にさらされている。1991年から2000年までに、60万人以上が風水害だけで死亡している。 その約70%は「人間開発において低位」の国の被災者であり、一方僅か2%が先進国の犠牲者である。

 災害復興に最も重要な4つの主要テーマについて考察する。
1.持続可能な生計への投資
2.漏出を防ぐ
3.地域経済の多様化
4.グローバル化および気候変動の影響

1.持続可能な生計への投資

 持続可能な生計への投資は復興速度を増し、災害に対する貧しい人々の脆弱性を減少させる。 人々の生計は身体の防御と同様に重要である。これを達成する最善の方法は地域の協同組合事業を通 じた自助と自営のプランを促進する方法である。

 しかし現在、このアプローチは災害後の援助で優先的には行われていない。例えば、ベネズエラでの 1999年の壊滅的な地滑りの後、政府は人々の危険度の高い地帯から内陸の安全な地域へ移住させよう とした。ところが新しい居住区には職がなく、結局移住者の多くは新住宅を放棄した。この経験は、 ある1つのコミュニティーの経済システムを創るのには時間がかかり、多くの要素に依存しているこ とを示している。

2.漏出を防ぐ

 災害後の資源が域外に流出するよりも、地域経済内で循環するのを確保することは 長期的復興の増進に役立つ。災害後の期間に何億ドルという再建資金が、極めて貧弱な経済に注入さ れることが多い。弱い地域経済は、穴だらけの破れたバケツのように、流入する資金を漏出させ持続 する利益をほとんど残さない。

 被災地域で漏出を塞ぐことは、海外の建設業者から既成の代替インフラ、住宅およびサービスを購入 せずに現地の労働や資源に報酬をもたらすことを意味する。不適切な食糧援助や食料で対価を支払う 労働計画の導入は、実際に多額の補助金を受けた輸入品と競争できない地元の生産業者を弱体化させ てしまう。人々が現地生産の食料を買わなければ、農民は失業し、災害に対する脆弱性が増大する。 一方市場がなければ、人々は土地の耕作を諦めてしまうだろう。救援物質を被災国へ輸送する経費 は、援助物質を流出させるもう1つの要素である。2001年はじめにエルサルドバルの一部を荒廃させ た二度の地震の後、米国の援助調整機関インターアクションは、ドナーに対して食料品や衣類の送付 を控えるよう要請した。多くの救援物質は現地で購入できる物質援助と違って、現金の寄付なら輸送 費がかからないからである。

 被害地域に投入されるすべての援助が外国からの物品、サービスおよびコンサルタントのために使用 された場合、その資金はすばやくその地域から流出する。反対に現地のサービスために使用された場 合は、援助は地域経済内で循環しつづけるであろう。 ひも付き援助(ドナーが自国の会社と資源を使うことを条件として行う援助)の継続的な実施は、受入 国にたいする援助の価値を大幅に低下させることが実証されている。

3.地域経済の多様化

 物理的要因は災害の危機を悪化させる一因であるが、地域経済の性質とその 中でどのように適合していくかという問題も。人々が脆弱であるもう1つの原因となる。収入源が1つ しかない場合に、それが災害で大きな損害を受けたとき、複数の収入源を持っている人と比べ立ち直 るのが難しい。

 災害後の最優先事項の1つである雇用の最大化のため、豊富な雇用が生み出される零細企業および小企 業を援助することが重要である。このように雇用を最大化し経済的、社会的および環境的優先度を尊 重する多様化した地域経済は、農業や工業一色の単一経済と比べ災害に強くなるだろう。

4.グローバル化および気候変動の影響

 グローバル化および気候変動の影響は災害対応に必要な最貧国の資源を枯渇させている。復興よ り予防の方が費用効果の高いことが証明できるであろう。

 地域経済は災害復興図の一部に過ぎない。グローバル化および気候変動の悪影響は、世界の最貧困者 の資源を枯渇させている。気候的および経済的災害に弱い国に対する不断の脅威は、災害の予防、緩 和および復興が危険軽減に対するより広いダイナミックな対応との一体化が必要であることを示して いる。

 貿易の自由化により国際競争の激化および最貧国に対する資源流入の減少状況においては、災害後一 般的な経済回復は保証できない。また投資の規制緩和により受入国が利益をその発生地に留めておく ことが困難になった。過去においては特定の割合のローカルスタッフを雇用し、地域の資源を調達す るなど、外国投資家から国内利益を獲得するための投資基準を取り入れていた。

 災害後の経済再建は、コミュニティーの経済的、政治的、文化的生活の繊細なダイナミックスおよび これらがいかに自然環境と相互に影響し合うかについて総合的アプローチをする場合にのみ、うまく いくだろう。性急に外国の業者を参入させ、月並みな大手エンジニアリング会社の仕事によってリス クを再び作り出すより、人々に対してその日常生活を回復させるのに何が必要かと尋ねる方が重要で ある。回復力のある包括的、民主的な地域経済こそ、災害によってもたらされる多様なリスクに対す る最善の予防策である。結論として、人々を貧困から抜け出せるようにするには、災害時に泥や洪水 や旱魃から救出しなければならない人々の数を減らすことが最良の方法である。地域レベルの経済復 興への投資は、ダム、堤防、コンクリートに依存する投資よりも、災害からの回復力のあるコミュニ ティーを作り出すことに優れている。最貧困国は、グローバルな経済の曖昧な約束を当てにするより も、むしろ、協力で包括的なかつ多様な地域経済を基盤として、今日の災害や紛争から最もよく回復 することができる。


2002年FIFAワールドカップ大会における集団災害医療体制計画

(小井土雄一ほか、救急医学 26:205-210, 2002)


 FIFAワールドカップ(WC)の人気はオリンピックを凌ぐと言われるほどで、観客動員数もフランス大 会では279万人が集まったと言われている。2002年に開催された日韓共催のWCも世界中のサッカーファ ンが心待ちにしていた大きな大会であったため、WCに乗じたテロや、集団災害の対策が大会前から大 きな課題となっていた。

 過去の大規模な国際大会を振り返ってみると、1902年イングランド対スコットランド戦では死者25 人、負傷者517人。1964年のオリンピック南米予選アルゼンチン対ペル−戦では死者318人、負傷者500 人以上。50年代〜60年代では5年に1度、70年代以降では1年に1度の割合で集団災害が認められてい る。また、98年のフランス大会では80人の死者を出している。 WCにおけるスタジアム内の集団災害の原因としては、観客やフーリガンによる暴動、火炎によるやけ ど、テロ行為、それらに続発する狭い出入り口への殺到、スタジアムの破壊による外傷、熱射病、食 中毒などが想定できる。また、スタジアム外では、自然災害や、交通事故、列車事故、航空機事故な どの人為災害、フーリガンによる暴動、NBCテロなどが考えられる。NBCテロはN(Nuclear/核)、B (Biological/生物)、C(Chemical/化学)物質を使用した大量殺傷型のテロのことをいい、9.11ア メリカ同時多発テロ事件以来現実的なものとなり、可能性として十分考えなければならなくなってい た。

 日本集団災害医学会では、WC時の集団災害医療体制の必要性を早くから学会などで取り上げ、2000年7 月には日本集団災害医学会2002年FIFAワールドカップ大会災害対策委員会(Japan Committee for Planning/Management of disaster in 2002 FIFAWC:JCPD )を組織し、その対応についての検討を進 めてきた。JCPDは独自にガイドラインを作成し、各開催地域の医療関係部門関係者に配布した。ガイ ドラインの提示や9.11多発同時テロによる世界情勢の変化が契機となり、より具体的なマニュアルの 作成が強く望まれるようになり、厚生科学研究研究班によって作成された。 本邦の防災災害体制は、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件以来見直しがなされてきているが、それ は警察、消防が中心であり、医療、消防、警察が一体化した集団災害医療体制システムは未だ十分で ない。JCPDが必要と考える組織構成は災害対策部本部、情報部門、治療部門の3本柱で、これを中心 に各部門の連携を図ることが重要である。具体的には次の通りである。

1. 集団災害医療対策本部(統括責任医師、消防、警察、大会関係者)

2. 情報センタ-(担当医師、消防局指令管制員、スタジアム警備防災職員)

3. 医療救護班(医師、看護師、消防局救急隊員、警備員、ボランティア)

  1. スタジアム内医療救護班
  2. 集団災害対応医療班
  3. ヘリ搬送医療班
  4. 後方病院

 スタジアム内医療救護班は、選手、役員、VIPに対応するチームと、観客に対応するチームが必要で、 前者はスタジアム内の医務室が対応する。観客に対しては医事スタッフ(医師1、看護師1、救護補助 員1)を4箇所の救護室に配置する。観客席の救護、避難誘導を行うために、観客席を4つのゾーンに 分類し、各ゾーンに救護班員を10〜15名配置する。集団災害対応のためには医療班(医師2、看護師 2、救命救急士4)を2チーム配置する。ヘリ搬送に関しては具体的な方法と連絡体制を決めておく。 後方病院は空床状況と受け入れ可能傷病者数を試合前に連絡しておく必要がある。

 これらの組織と機能を確認した上で、実践に備えての擬似訓練(シミュレーショントレーニング)を行うことが重要 である。集団災害、特にNBCテロが実際に起きてしまった場合、事前の計画どおり対応するためには十 分な教育と訓練が必要である。医療班としてはシミュレートを通して、3T,s (Triage,Treatment,Transportation)を事前に構築しておきシミュレートの際の問題点を抽出し解決 しておくことが必須条件となる。


第3章 歩道橋の滞留人数の時間的変化/ 第4章 歩道橋上の群衆密度と群衆の圧力

(明石市民夏まつり事故調査委員会:第32回明石市民夏まつりにおける花火大会事故調査報告書 2002年1月、p.95-106)


<はじめに>

 平成13(2001)年7月21日午後8時45分頃から50分過ぎ頃にかけて、第32回明石市民夏まつりの花火大会会場の大蔵海岸とJR朝霧駅を直結する明石市道「朝霧歩道橋上」で、会場に向かう観客と帰路についた観客が押し合いになり、転倒し、死傷者が発生した。死傷者の内訳は、死者11人(10歳未満9人、70歳以上2人)、負傷者247人となっている。今回は、歩道橋上の滞留人数から群衆密度を計算し、事故当時、群衆によってもたらされた圧力を算出することにより、どれだけの力が歩道橋上の人たちに加えられていたのかを考えてみる。

<歩道橋上の滞留人数の時間的変化>

 歩道橋上の人数が時間を追って増えてきた状況を知ることは、どの時点で規制を行えば有効であったのかを判断するために重要である。

 ある幅の通路を群衆が歩行する場合、通行人数(流動量)と群衆密度、歩行速度および通路の幅の間には次のような理論的関係がある。

Q = V.ρ.W

N = ρ.W.L

Q:通行人数(流動量 人/分)、V:歩行速度(m/分)、ρ:群衆密度(人/m2)、W:通路の幅(6m)、N:歩道橋の上にいたと思われる人数(人)、L:歩道橋の長さ(100m)

 上記の関係を用いて、歩道橋の上にいたと思われる人数Nを推定する。まず、通行人数Qと歩行速度Vおよび通路の幅Wから、群衆密度ρを求め、二つ目の式により人数Nを算定する。以上から得られた算定結果を、以下に示す。これによると、18時以後に人数が増え始め、特に18時30分から急激に増加したことが分かる。遅くとも、19時ころまでに流入をストップするなど、強力な規制を実施すれば事故にはならなかったと思われるが、事前の準備と手配がなければ、途中から急遽そのような規制を行うことは、不可能であろう。

<歩道橋上の群衆密度と群衆の圧力>

 転倒事故の前においても、その発生時においても、大きな群衆の圧力が作用したものと考えられる。立ったまま人を失神させ、人を何メートルも突き飛ばし、転倒した人を幾重にも積み重ねるには、相当の力が作用していなければならない。ここでは、そのような状況を生み出すだけの群衆圧力が作用していたかどうかを確かめる。

1.手すりの強度と変形による算定

 歩道橋シェルターの南端から北へ10mまでの間で東西両側の手すりが曲がっているのは、群衆によるものと考えられる。この手すりとその支持板の変形が、どのような力によってもたらされたかを検討する。

  1. 手すりにかかった外力の推定

     手すりの変形は、外力によって加えられる降伏モーメントが、手すりの断面のもつ曲げ耐力を上回った時に生じる。まず、手すりの曲げ耐力は、次式により得られる。

    M1 =δy.Z

    M1: 曲げ耐力(t.cm)、δy:降伏応力度(t/cm2)、Z:断面係数(cm3)

    よって、パイプの材質から手すりの曲げ耐力は、M1=0.0699(t.m)となる。 また、外力を等分布荷重として考えると降伏モーメントは、次式により得られる。

    M2=1/8.W.L2

    M2: 降伏モーメント(t.m)、W: 等分布荷重(t/m)、L:支持板間の距離(m)

     M1 = M2 とした時の、手すりの変形を引き起こす外力Wを求めると、次のようになる。

     No.1〜3の区間の外力 W=0.089 t/m
     No.3〜5の区間の外力 W=0.110 t/m
     No.6〜8の区間の外力 W=0.089 t/m (支持板の番号を南側から順にNo.1〜9とする)

  2. 手すり支持板にかかった外力の推定

     ステンレスパイプに水平荷重Pが働いて、断面欠損最大部で変形が生じたとすると、降伏モーメントは、次式により得られる。

    M2=P.h

    M2: 降伏モーメント(t.m)、P:水平荷重(t)、h:支持板の手すりまでの高さ(m)

     M1 = M2 とした時の、支持板の変形を引き起こす水平荷重Pをそれぞれについて求め、変形を生じせしめる1m当たりの外力を求めた。結果は、下の表に示す。

  3. 手すりと手すり支持板に作用した合計外力

     手すりに作用した外力と支持板に作用した外力を合計したものが下の表である。外力の合計値として、1m当たり最大158kgの荷重が加わったことが推定できる。

  4. 南北方向の群衆圧力の推定

     上で求めた。手すりにかかった最大158kg/mという力は、群衆圧力によりもたらされたものであるが、これは東西方向(横方向)に働いた力であって、南北方向(縦方向)の力ではない。そこで、人体をおよそ40:29の楕円形であるとみなして、力の分布を計算したところ、前進方向の分力Sと横方向の分力Pとの関係は

    S:P = 2.53:1 となることが分かった。したがって、南北方向には手すりにかかった力の2.53倍の圧力がかかっていたと推定することができる。以上より、南北方向の圧力は最大400kg/mとなる。

2.群衆密度と圧力の関係による推定

 群衆の圧力と群衆密度の関係については以下の表が報告がされている。

 これを見ると、群衆密度13人/m2で約300kg/m、14人/m2で約400kg/m、15人/m2で約540kg/mとなる。

 今回の転倒事故が発生する直前では、その転倒事故の周辺での群衆密度が、13人/m2~15人/m2であったと推定されることから、300kg/m〜540kg/mの力が作用していたと考えられる。

<考察>

 以上の結果を総合すると、群衆の圧力は幅1m当たり400kg前後であったと推定される。この圧力は、進行方向に1m当たり2人が並んだ場合、1人につき200kgになる。これは3人の体重に相当するため、大人でも胸部圧迫による呼吸困難で立ったまま失神することもあり、まして子供や高齢者にとっては極めて危険な状態である。なお、胸部圧迫の死亡原因については、体重の4倍荷重で、75%が10分以内に死亡することが報告されている。したがって、第32回明石市民夏まつりでの事故の際に、死亡者の内訳が子供と高齢者に偏っていたもの納得がいく。


化学災害シミュレーションの概要と問題点

(奥村 徹ほか、救急医学 26:215-218, 2002)


 第6回日本集団災害医学会(2001年2月27日)で行われた、プレホスピタル領域におけるトリアージと 除染*1に焦点をあてた化学災害対応強化のための実技体験セミナーの要旨の報告。

【準備上の問題点】

1、現場除染か、病院前除染か

2、発災現場では誰が救助し除染するのか

3、発災現場での救助活動には何が可能か

4、重傷度の違う多数被災者の除染をどのように進めていくのか

5、冬期の屋外所染は可能か

6、除染は確実に行われたか

 ※除染の確認システムの必要性

【シミュレーションの概要】

参加者内訳:
実技体験者52名(男33名、女19名)
ボランティア模擬患者25名
消防本部67名、消防局14名、陸上自衛隊43名 の協力のもと行った。

設定: 原因不明の化学物質(サリン)によって25名(黒5、赤5、黄5、緑10*3)の被災者発生

検討局面:

  1. 災害現場(ホットゾーン*4)
  2. 一次トリアージポスト
  3. 現場除染エリア,
  4. 二次トリアージポスト
  5. 赤タッグエリア
  6. 黄タッグエリア
  7. 緑タッグエリア,
  8. 未除染者トリアージポスト
  9. 医療機関除染エリア
  10. 除染評価エリア

*1:除染…乾的除染(主に脱衣。これにより80%の除染が得られる)
 水的除染(除染シャワーを利用し、水または湯で洗い流す。同時にうがい・洗眼)がある。

*2:防護服

*3:トリアージ…集団災害で傷病者を重傷度と緊急度をもとに選別し、結果を色分けで示す方法。
(緑:非緊急・軽症例、黄:非緊急・重症例、赤:緊急・非致死的重症例、黒:死亡及び致死的重症 例)

*4:ホットゾーン…特殊災害(NBC災害)で活動する際の警戒区域の設定・管理の方法のひとつで、現在の主流となっている3ゾーン方式では、ホットゾーン、ウォームゾーン、コールドゾーン(又はクリアーゾーン)の三つに分けることで汚染の拡大防止と、救助者の安全を図る。

【シナリオ】

  1. 通報「公園で人がばたばた倒れている。」
    • レベルA防護衣着用の消防隊員が出動、検知器を用いてゾーン区分
    • ホットゾーンでレベルA防護衣着用の消防隊員が被災者に避難用防炎防毒フードを配り、ウォームゾーン内の一次トリアージポストへ誘導。黒は黒タッグエリアテントへ。
    • しかし、既に7名が自力で病院へ向かい、現場にいない。
    • 誘導後、消防隊員は自己の除染に向かう。検知器にて化学物質がサリンと判明。

  2. 一次トリアージポスト内で医師・救急救命士(レベルB防護衣着用)が一次トリアージと、バ イタル安定のための治療行為を行う。その後自己の除染に向かう。トリアージの際、被災者の外衣を 脱衣・切離し、除染テントへ搬送。

  3. 除染テント立ち上げ・脱衣所・着衣所の管理をしつつ、被災者を赤→黄→緑の順で除染。そ の後消防士により二次トリアージポストへ。
    ホットゾーンにいた消防隊員、ウォームゾーンでの処置を終えた医師・救急救命士は自己所染し、二 次トリアージポストへ。ウォームゾーンで除染業務に加わった自衛隊員・消防隊員も除染する。

  4. 二次トリアージポストでは医師・自衛隊医官によるトリアージを行い、自衛隊員により各 タッグエリアへ。

  5. それぞれのタッグエリアで処置・搬送を行う。

  6. 自力で病院へ来院した被災者の医師によるトリアージ。

  7. 自力で病院へ来院した被災者の除染を行う。

  8. 実際に除染ができているか評価した上で、病院へ搬送
    自衛隊除染者による発災現場除染

【結果】

【まとめ】

 大規模化学災害に対応していく上で、消防、自衛隊などの枠にとらわれない出動システムと発災現 場での除染業務の検討が特に重要であると考えられた。


阪神大震災:それぞれの施設の能力に応じた支援体制の確立を―自治医大での取り組み

(五十嵐正紘・ほか、週間医学界新聞 No.2130, p.4-5, 1995)


1.準備

 1995年1月17日未明に起こった阪神大震災にあたって自治医科大学では医療団を組織的に西宮 市と神戸市に派遣し、22日より診療活動を開始した。そのうちの第1陣の医療団は神戸市と西宮市 に合計4箇所の診療所を開設し、そのうち西宮市の2箇所は24時間体制で診療にあたった。西宮市 では神戸市に比べ被害が少なかったため災害対策本部が設置されそれに従った。一方神戸市では医療 面で手薄になっている避難所を探し診療所を開設した。方針としては災害により機能を失った医療機 関が立ち直るまでの間を埋める事だった。まず医療団では避難所で常駐する診療所の開設を目的と し、薬や診療道具を一日100名の患者を5日間2箇所で診療する前提で1000人分用意した。電 気は使えないと考えたためエコーや心電図は用意しなかった。レントゲン、心電図のない僻地の診療 所を開設するつもりで行われた。

2.内容

 診療内容はかかりつけの病院が倒壊で機能しなかったり交通網の麻痺により通院不可能な事態により 1ヶ月に1回の割合でもらっている薬がなくなり手に入らないなどの事態が生じたため、慢性疾患の 管理が重要であった。また、家の倒壊、家族の死亡などといった非常に大きな精神的ショック、それ に加えプライバシーがなく不眠を引き起こす集団生活、冷たい食事などがストレスを増幅させたた め、精神の問題も重要だった。これに対しカウンセラー的な役割や人生相談などを行なった。感染症 に対して大便の処理に気をつけた。トイレの使用を中断して清掃を行い、霧吹きによる消毒で手が清 潔に保てるようにし、トイレのない避難所には仮設トイレの設置を働きかけた。また、老人が多数で あったため、感染予防のためうがいや手洗いを徹底するよう指導を行っていった。

3.対策

 地元の公的機関である区役所や保健所はまったく機能できる状態でなかったため災害の情報を把握で きず、対策がとれなかったのは当然であった。その事に対しまずは自立した機能を回復させることが 重要と考えられた。情報が無い事により問題にあがったのが自身で情報を集めなければならずマンパ ワーの調節がうまくいかなかった事だった。調整がうまくいきだすのに2−3日の期間を要した。

4.チームワーク

 診療において重要だったのがチームワークだった。チームは顔見知り同士ではなかったため色々な仕事を共有して取り組むという形がとられた。共有する間にまとまってくるだろうという考えからである。自分達の日常業務においては1週間など講義をかわってもらうなど大学側に残ったもののバックアップのおかげで診療を行う事ができた。

まとめ

 今回現地に入った医師はさまざまな経験を一気にできたが色々な人に分け合うことが大切でマニュアル作成の意義がとても高い。それぞれの経験をシェアすることによりそれぞれの立場において今後の対応が変えられていくように次の医療活動に繋げていく事が重要だと考えられる。今回の災害では色々な立場の人が色々な期間に何らかの形で救援活動に関わっており、医療従事者に限らず意志さえもてばどんな方でも協力できる局面が存在するといえる。


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