災害医学・抄読会 (2/01/96)

手術部、ICU、CCUにおける設備機器および医療ガス供給設備の被害状況とその対応

     増田貞満 病院54: 854-9, 1995 (担当:釜江)

目的

 阪神大震災で被害を受けた医療施設の実情を把握することにより、より安全で震災に強い医療施設を作ることは大変重要なことである。この報告書では、医療ガスおよび医用電気供給システム、手術部、ICU等の環境について報告する。

方法

 地震発生から2週間の間に、神戸、大阪地区を中心とした 125の病院について、医療ガス供給設備および手術部、ICU、CCUの機能チェックを行い、さらに2月末に再度聞き取り調査を行った。

結果

医療ガス供給システム  震度4の地域では、供給設備である酸素ボンベや窒素ボンベの転倒事故が多く、また、これによる2次災害として供給設備内の配管や吸引ポンプなどの損傷が見られた。

 震度5の地域では、供給設備である酸素ボンベや窒素ボンベだけでなく可搬式液体酸素容器の転倒がほとんどの病院で起こった。液体酸素容器の転倒は、機械的なダメージだけでなく液体酸素が吹き出すことによる火災などの2次災害を起こす危険性がある。設置型液体酸素容器での転倒は見られなかった。ただし、ライフラインの停止により、非常電源装置が作動しても水冷式であったため、10分程度で非常電源装置が止まってしまい電気が供給できなくなったり、給水式ナッシュ式ポンプが水漏れで作動不良となった。

 震度7の地域では、建築物に大きな被害がなければ、震度5と同様の破壊状態であり、設置型液体酸素容器の転倒は見られなかった。建築物内配管では、銅管使用部分については、銅管のフレキシビリティによりほとんど損傷はなかった。また、外来の廊下等に医療ガスアウトレットを整備していた病院では緊急の治療処置室として使用できた。

手術部およびICU  震度4の地域では、ほとんど支障がなかった。

 震度5の地域では、台車に乗せたレスピレーターや麻酔器等が激しく移動し壁面に損傷を与えた。ICUの領域ではスタンドに固定したシリンジポンプが転倒したり、台車に乗せたレスピレータやモニター類の激しい移動や転倒があった。より良い固定の方法を考えるべきであろう。また、非常発電装置がほとんど機能しなかったなかで、ライソレーションモニターと併置したバッテリーによるバックアップシステムが機能し、非常電源が確保されたとの報告があり今後の対策として一考すべきである。

 震度7の地域では、手術室内部の壁面の損傷が多く報告されている。そのなかでも、無機質石綿板のクラックや、医療器材の台車の衝突による損傷が目立っている。天井に固定された無影灯やシーリングペンダント、シーリングコラムなどは無傷で、シーリングペンダントに固定されたモニター、麻酔器、シリンジポンプ等もほとんど無傷であった。

考察

 阪神大震災において、病院がその機能を果たす上で最大の問題点となったのは、ライフラインの供給が停止したことである。電気の供給は予想以上の早期復旧がなされたが、上下水道、都市ガスの復旧にはかなりの時間が要した。そのことを考慮にいれて病院設備を考える必要がある。

医療ガス配給設備については、院外からの配送によりガスを確保することは困難であるので、ライフサポートエネルギーは、自前で供給できるようにするべきである。また、ライフラインの供給が停止したことにより、給水ポンプや圧空コンプレッサーが停止したが、これを防ぐために非常用電源を確保するべきである。非常用電源が水冷式であるならば、そのための考慮も必要である。多くの病院では簡易型液酸容器のボンベ類が転倒し二次的機械的損傷を起こしている。また、化学的二次損傷を起こす可能性もあるので、ボンベの確実な固定が必要であり、また、他の設備との併設も避けたほうがよいであろう。給水停止による吸引ポンプの機能停止が見られたので、油回転式の吸引ポンプの設置も一考するべきである。銅管を使用している配管では、意外に損傷がすくなかったので吸引管の配管にも銅管を使用すべきである。手術室において使用されるエアドリルのエネルギー源である高圧窒素も機能停止が予想される。ヨーロッパで広く使用されている高圧エアーコンプレッサーの導入も検討するべきである。

手術部およびICUでは、キャスターおよびスタンドなどに搭載されている医療機器が転倒しているので、何らかの方法で固定するべきである。また、天井に固定した機器がほとんど無傷であったので、今後一考すべきであると思われる。建築物では、壁面より天井および床面の方が損傷が少なかった。手術室壁面が、タイル式であったり石綿板のような古い建材でのパネル式であった場合、クラックが多く発生していた。修復の面から考えてもパネル式のほうがすぐれている。これらの環境では、非常用電源が確保されているが、瞬間的停電からレスピレーターのメモリー機能を確保するために特定非常電源設備の設置を確実にするべきと思われる。


緊急マニュアル作成の指針

     内藤誠二 病院54: 850-3, 1995(担当:松田)
 地震の危険性は地域によりまちまちではあるが、日本ではどこでも大地震の可能性があると考えて用意しておいた方がよい。その際、マニュアルなしで迅速かつ的確に行動することはほとんど不可能であり、マニュアルを作成したり見直す際に、より現実的に被災時の状況をシュミレートする事から、いつ遭遇するかわからない災害によりよく対応するためにはマニュアルは必要である。その事を踏まえて、今回の阪神大震災の視察によって、緊急時のマニュアル作成において大切だとわかったことは、以下の項目である。

1.災害の予知については期待できず、被災直後の状況により対応することが必要。
2.夜勤帯では職員数が極端に少なく入院患者に被害があった場合、もしくは避難する必要がある場合には職員だけでは対応が不可能である。
3.全国規模に展開されている病院であれば、そのネットワークによる援助を期待できるが、個人病院では院長などの個人的なつながりによるものしか期待できない。
4.被災直後から3から4日はとにかく自分たちで何とかしなくてはいけない。

 以上を踏まえて緊急マニュアルの基本方針として考えられるのは、
A.病院としての機能の継続
B.入院患者、職員の安全
C.緊急時における応援要請
である。

 A.のためには、通常より各職場から災害対策委員を選出し、災害対策委員会を構成し緊急体制を整備し、同時に年に2回は病院全体の訓練を行い、危機意識を維持することが大切である。

 B.のためには、緊急時に何名の職員が出勤可能であるかを把握しておくことが必要である。

 C.のためには、院内、院外(警察、消防、医師会など)緊急連絡先リストは必ず確認しておく必要がある。また、地域における協力体制の確立、相互協力のために広い地域にわたる病院間のネットワークの確立が急務である。

 実際問題として、ライフラインは寸断されると考えられるので、被災直後の緊急時には手術中のレスピレータ使用中の場合を考慮し、速やかに緊急発電ができるよう準備をしておく必要がある。また、被災時は自分たちの被害程度の確認は当然必要であり、消防署、警察署など外部の組織への報告することも大切であるが、災害の全体像の把握も無用な混乱を避けるために重要であるので、緊急連絡と正確な情報の把握のために、アマチュア無線、携帯電話、ラジオ、ポータブルテレビなどを準備しておくべきである。更に、連絡用、荷物の搬送用に、自転車、 ミニバイクが小回りが利き用意しておくべきである。

 災害対策用備蓄品、飲料水、非常食は、入院患者数、職員数を確認して3日分をめどに備蓄しておく必要がある。医薬品、衛生材料の備蓄も同様に考えるべきであるが経済的に不可能であり、今後の政府の対応を待つしかない。

 災害時には動きやすい衣服であることが望ましいので、できる限り通常時から動きやすい衣服を着ていることが望ましい。

 カルテについては消失を避けるために、搬送方法を考えておく必要がある。MRI 、CTなどの機器類は、壊れないまでも調整に時間がかかるため免震構造にする方がよい。

 建造物は1981年の耐震規定に適合していることが望ましく、病院がそれ以前の建築物であれば、専門家の診断を受け耐震補強をしておいた方がよい。また、今後病院がさらにインテリジェントビル化され、高度な医療機器を備えてくるようになれば、建築の際に建物全体を免震構造とする必要もあるだろう。

 以上のことを踏まえて、緊急マニュアルを作成すべきであるが、実際に自院が災害にあったときに、どのような状況が起こりうるのかをイメージすることが大切であり、よって、マニュアルは各病院によって異なって当然であろう。


災害に対応した医療体制―AMDAの救助医療活動

     菅波 茂 病院54:842-3, 1995(担当:豊田)
 緊急援助活動の三原則は、活動拠点の確保、通信の確保、輸送の確保である。活動拠点は、保健所等の情報の中枢としての公共機関が望ましい。情報の共有と官民の役割分担が随時可能であり、救援医療活動が迅速かつ効果的に展開できるからである。通信に関しては、郵政省の無線周波数に対する規制緩和や、移動体通信の便宜供与が必要である。輸送に関しては、速やかに現場に到着するために消防署との連携、重傷患者の後方輸送の為にヘリコプター使用に関する運輸省の規制緩和が必要である。

 災害発生後1週間以内は民間活動優位期間であり、最初の3日間は医療ボランティアによる被災現場での応急的処置が最も有効であり、後の4日間では、行政はボランティアと協調体制を取りながら行政主導体制へと移行させる時期である。災害発生後1週間以後は行政の相対的優位期間であり、組織的対応が可能で、プライマリケアの現場では慢性疾患対応体制が確立されねばならない。被災後2週間以後は行政の絶対的優位期間で、地元医療機関優先シフトを確立し、慢性疾患患者をかかりつけ医に速やかに返す事が重要である。地元医療機関主導下でのボランティア活動のみ意味がある時期である。以上のように、医療ボランティアの活用、慢性疾患患者への対応、地元医療機関の復活、同時に行政の時系列対応の明確化が徹底的に重要になってくるのである。


わが国の災害医療体制の現状と今後の展望

      山本光昭 病院54: 839-41, 1995(担当:豊田
 災害時における医療の確保は災害対策の大きな柱のひとつである。わが国の災害対策は昭和36年制定の「災害対策基本法」に基づき推進されており、国、地方公共団体及び他の公共機関を通じ必要な体制の確立、医療の確保を定めている。昭和22年に制定された「災害救助法」は、国が地方公共団体、日本赤十字社その他の団体、国民の協力の下に、応急的に必要な救助を行うことを定めている。同法では医療機関は地域の被災者の医療救護活動や収容等について積極的に対応する責務を負うことになっている。更に、常に必要な計画の樹立、強力な救助組織の確立、施設、設備等の整備に努めることとなっている。また、昭和40年厚生省通知「集団的に発生する傷病者に対する救急医療対策について」に基づき、厚生省は都道府県を指導してきた。

 医療機関の防災対策としては、「大規模地震対策特別措置法」、平成6年度、7年度補正予算、災害特別立法に基づき、予算が計上されている。

 「阪神・淡路大震災を契機とした災害医療体制のあり方に関する研究会」が平成7年4月から発足しており、同年5月に震災時における医療対策に関する緊急提言として、緊急に体制整備を図るべき事項について以下の様に意見をまとめている。

 1. 災害医療情報システムの確立
 2.災害医療拠点病院の整備
 3.地域レベルでの災害対策の強化
 4.病院レベルでの災害対策の強化
 5.医薬品等の供給システムの整備
 6.災害時搬送システムおよび広域搬送システムの確立
 7.災害に関する総合的研究の推進
 8.医療関係者に対する災害医療に関する研修・訓練の実地および医療ボランティアの活用
 9.国民に対する災害時初期医療ケア対応の普及啓発

 厚生省は同提言を政策に反映すべく、予算措置が必要と思われる事項については予算獲得に向けての検討を行い、その他の事項についても早急に実地に向け検討していくこととなっている。

 兵庫県は、平成7年3月に兵庫県内の被災地の全医療機関を対象とした「災害医療についての実態調査」を実地している。この調査結果によると、消防法に関連した防火・防災計画は多くの病院で立てられていたが、地震等を考慮に入れた総合的な防災計画を策定している病院は少なく、そのとおりに実行出来たものが少なかった事より、日頃の訓練や事前の対策が不十分だったか、防災計画が実際に則していなかった事が考えられる。

 病院レベルでの防災対策は、ハード面として建物、機器設備を順次整備していくことが重要であり、ソフト面としては防災対策委員会を開催し、独自の病院防災マニュアルを作成し、訓練を実地する事が必要である。

 災害対策は高額な資金を要するもので、災害対策に関連した公的補助制度の充実が望まれる。リスクに対する費用負担について医療機関だけでなく国民全体で負担していくという国民の理解を得る必要がある。


制度面からみた災害救助と搬送

      尾崎研哉 救急医学 15: 1773-9, 1991(担当:山下)
 市町村消防の原則の下に実施されている我が国の救急業務が、集団救急事故や、大災害事に、いかに有効に機能しうるかは、今日の非常に重要な課題となっている。

*集団救急事故
 1)被害の生ずる地域が限定され、通常の救急システムが機能している場合
 2)被害が広域に及び、通常の救急システムが機能しない場合

*集団救急事故時に、地方公共団体が策定しなければならない救急救護計画
 1)都道府県市町村地域防災計画(災害対策基本法)
 2)都道府県知事による救助の基準(災害救助法)
 3)市町村消防計画(消防組織法)
 4)消防長による救急業務計画(救急業務実施基準)

 消防機関は集団救急事故時の救急救護対策について十分な検討を行い、警防規程、部隊運用規程、訓練計画等の諸規程にこれらの対応策を組み込んでおかなければならない。

*救急業務計画の作成において、留意すべき点
 1)自消防本部の警防力を評価し、災害規模に応じた出場区分を策定しておくこと。この際救急隊増強、非番員の招集、応急救急隊の編成等についても検討すること。さらに、近隣消防本部と事前に協議を行い、応援要請を行う時期、応援可能な人員、車輛等を定めておくこと。
 2)最先到着隊が正確な状況把握と本部への報告、出場要請等、適切な処置をとれるよう計画すること。
 3)応急救護所の設定基準は、編成・任務・必要資機材の保管・調達についても具体的に定めておくこと。特に、triageの方法と搬送先医療機関決定の原則について十分に検討すること。
 4)通信態勢については、自消防本部内部や関係行政機関等とあらかじめ協議しておくこと。
5) 訓練計画については、関係機関の協力を得て、少なくとも年1回以上行うよう定めておくこと。

*ヘリコプターの消防応援が、あまり運用されていない原因
 1)要請側の遠慮と情報不足、応援側の情報提供不足
 2)1)のような状況のため、要請側はヘリコプターの応援可能地域・活動能力・費用が不明という状態にあり、応援要請手続に不慣れでもある。
3) 知事に災害派遣要請をしてもらえば、自衛隊のヘリコプターが必要なだけ来てくれる。


イラン・クルド難民への医療協力

      金田正樹 救急医学 15:1823-6, 1996(担当:清水)
 1991年4月、クルド人難民に対して国際的援助活動が開始されるなかで、我々JMTDR(国際緊急援助隊医療チーム)は、イラン西アゼルバイジャン州のナガディ市に到着し、以後約2カ月間にわたりこの地域で難民医療援助を続けた。

ナガディでは郵便局の2階を借用し、医師3名、看護婦6名、調整員3名からなるチームは自炊をしながらの共同生活となった。州の公衆衛生局との話し合いの結果、当面はこの町唯一の病院、イマム・ホメイニ病院で難民医療協力に参加しつつ、4月末にこの町からさらに国境に近いオシナビエの町に完成するUNHCR(国民高等難民弁務官事務所)の野営病院の運営を我々が行うことになった。

イマム・ホメイニ病院
 イマム・ホメイニ病院は約20床ほどの国営病院であるが、その施設、医療品とも十分ではなかった。外来は朝から患者であふれ、下痢症状を主とする乳幼児、小児が最も多くみられたが、なかには脱水症状を呈した重症例も多かった。1日数例の死亡例をみたが、そのほとんどがこうした脱水症状と肺炎による乳幼児の患者であった。われわれがこの病院で行った手術は13例で、その内訳は、腹部の破片損傷の開腹手術が5例、四肢からの弾丸摘出術が1例で、その他にはデブリードマン、切開排膿術などであった。

 短期間の医療協力ではあったが、我々の医療レベルとでは大きな違いがあることは否めなかった。診療のシステム、看護法、処理法、手術法などに論理的・合理的でない面が多く見られた。現地の医療事情を十分考慮し、その秩序を乱さないことが我々外国からの飛び込み医療班の基本的な姿勢であることを十分認識させられた。緊急医療協力の範囲を超えた高度な医療は決して行ってはならないし、我々の方法を押し付けてはならない。現地の医療レベルを早く認識し、それに沿った協力が最も重要であると考える。

オシナビエ野営病院
 4月30日、約5万人を収容するウルドガ、テシマゴール2つの難民キャンプの中間点に位置するオシナビエの町はずれに野営病院が完成した。病院の開設と同時に多くの患者が押しかけてきたが、この中には近隣のイラン人の患者も含まれていた。朝9時から夕方5時を診療時間とし、混乱を避けるために順番札を渡し、1人ずつテント内にいれて、テント内の受付にてイラン人かイラク人かを区別し、通訳が症状を英文でメモ用紙に書き、医師に渡す方法をとった。

 患者の多くは感冒、中耳炎、眼科疾患、皮膚炎、腰痛、膝関節症などの慢性疾患がほとんどであった。しかし、来院する患者の2〜3割は重症例であり、ここでも乳幼児の下痢を主とする患者が多く、次に腸チフス、アメーバ赤痢、肺炎の順であった。伝染性、感染性疾患のうち、症状が重く入院加療が必要と思われる症例も数多くあったが、病棟を開設するには医療スタッフ不足、通訳の当直体制の協力が得られない、夜の安全性の確保、患者の給食体制がとれないなどの理由で断念せざるをえなかった。

 手術は、テント内で清潔域を保てないために、そのほとんどは縫合術、切開排膿術、小さな植皮術、良性腫瘍の摘出術など約80例の小外科的なものであった。今回のような戦争難民の流入は最初、外傷患者が数多く来院し、その次に感染症、伝染病を含む内科的患者が増加したという特徴が見られた。戦争難民援助には外科医、内科医の混合チームが望ましい。

 病院の運営上最も大きな問題は医学的知識をもった通訳の存在である。今回はイラン政府からボランティアとして6名の看護学生の協力を得られたが、10代の彼らは、問診から薬の服用法まで患者に通訳しなければならず、多忙をきわめた。通訳を含めたローカルスタッフの存在が医療協力での成功につながっていると言っても過言ではない。

 この野営病院は4月30日〜6月13日の45日間開設されたが、その患者総数は8120名であった。クルド難民の患者は5月中旬にピークを迎え、それ以降は減少傾向にあった。このころより難民の帰国が始まり、6月に入ると彼らは極度に減少した。

問題点
1、活動拠点の選択
 難民キャンプに併設した活動をするか、UNHCRに協力する活動かの二者択一を迫られた。安全性の確保、病院としての規模、重症患者のケアなどチームとしてその機能が十分発揮できると判断し、後者を選択した。基本的には、キャンプに併設した活動を行った方が効率的であり、対外的なアピールもできたであろう。

2、JMTDRの派遣
 われわれは専用機を持たないので、輸送能力においては欧米諸国のそれと比較して劣るものがある。緊急医療援助のための輸送能力は、その成果に大きな影響を与える。これは今後の大きな問題である。

3、郷に従え
 活動にあたっては現地での医療事情を十分考慮し、その秩序を乱さないということが基本的な姿勢である。辺境の地で日頃なかなか十分な医療に接することのない患者たちが、われわれに求めることは現地のそれよりも高度であった。しかし、現地の医療レベルの許容範囲を越えた診療をわれわれは行うべきではないと考える。


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