新須磨病院(須磨区の海岸沿いに位置;震度7の激震地帯の 西の端。須磨区の震災の死亡者数は300名を超えるが、それよ り西の垂水区の死亡者数は10名程度。)の震災時の状況と問題 点について議論する。
新須磨病院は幸運にも建物こそ残ったが、医療機器の多くは 使用不可となり、すべてのライフラインが止まった。震災直後 、病院の機能は全く機能しないにもかかわらず、患者は来た。 (受診者数:震災当日→254人うち死者22人(医師8人、看護師30 人)、翌日→154人うち死者0人(医師9人、看護師35人)、翌 々日→118人うち死者1人(医師9人、看護師40人))ライフラ インが閉ざされた中で、100名前後の入院患者を抱え、また病 院自体の復旧も行わなければならないので、数字自体よりは疲 労度は、相当強かった。
今後の対策としては、まず建物や設備の耐震化、並びに自力 でのライフラインの確保が必要である。しかし、医者の立場で はこのことに抜本的な解決策は見出せない。医師の立場として できることは、患者、医師を適切に配置することだと考える。 重症患者は、やはり検査も十分行えて、手術も可能な病院に転 送されるべきである。震災当日は、新須磨病院でも医師、看護 師の数が足らなかったが、数日もすると過剰傾向となった。医 師、看護師も不足している病院に、ないしは避難所に出かけて 貢献できたのではないかと考える。また、これらのことを積極 的に実行しようにも、実際は情報が少なかった。どこの病院が どの程度機能しており、どの程度の重症度の患者を何人収容で きるのか。また、輸送手段はあるのか。輸送には何時間かかる のか。公の情報がなく、救急隊員よりの話を聞いて、時にやっ とつながる電話よりの情報をもとに判断するしかなかった。震 災の中心部の病院が、僅かに残った病院の機能を使って、多く の重症患者を抱え精一杯努力していたが、なぜ震災地以外の病 院に患者を送らなかったのか。病院機能のしっかりしていると ころで患者は見られるべきである。
筆者たちはもっと情報が欲しかった。情報が少なければ、ま た不正確であれば、誤った情報(いわゆるデマ)が氾濫し、ま すます正しい情報は伝わりにくくなる。また情報は受け取るだ けでなくこちらからも発信しなければならない。そこで、情報 の伝達経路として代表的な二つの経路について考えてみる。一 つはピラミッドないしTree形式で、日常の生活の中では非常に 有益な形式である。この方法では基本的に情報を発信するのは 一人であり、上層部で伝達が途絶えると多くの下位の者に情報 が伝わっていかない。震災時の公的機関でもこういう状態に陥 ったのではないかと考える。二つ目は、各自が、ないしは各グ ループが互いに情報を交換していくもので、今話題のインター ネットの形式である。この方式は、無駄が多く、効率的ではな いが、震災時などの非常時は、情報の途絶えることが少なく、 自らも情報の提供者となり得る。日頃から、この方式も常に併 用しておくことが、震災時などに役立つと考える。
今回の阪神大震災は誰もが想定し得なかった規模であったた め、いずれの医療機関もそれに対応できるマニュアルやノウハ ウを持ち得なかった。したがってどの病院もその場その場で試 行錯誤しながら最善を尽くし、最大限の努力をしてきたに過ぎ ない。
垂水地区の被害は軽微であり、死者も4人にとどまった。近 隣の病院、医院で地震のため機能できなくなったところもなか った。職員並びにその家族に死傷者や負傷者はいなかった。そ して初日より医師の87%、事務員の82%が勤務につき、看護師 は当日勤務者以外のものも応援に駆けつけたため100%を超え た。系列病院からの応援もあり、二日目からは通常と変わらぬ 勤務体制を組むことができた。本院の来院患者の動向から、当 地区の被害がそれほど重大でないことが推測できたものの、須 磨、長田など他地区に出向いた職員や救急隊員の話から、これ らの地区の容易ならざる事態を知ることができた。しかし、市 役所の災害対策本部、衛生局、消防局との接触では、医者は足 りている、民間病院の支援はすぐに必要とはしないという対応 であり、行政自身が十分な情報を持っていないことや、医療対 策に何らかの組織性を持っていないことが明らかとなった。
そこで神戸病院の医療は「待ちの医療」から、「外向きの医 療」へと大きな方針転換が計られた。今回、対外的な医療救援 活動を行うにあたって、行政の指示を待っていたとしたら、筆 者らが行ったような活動はできなかったか、手遅れになったか 、微々たる活動にとどまらざるを得なかったと思われる。災害 において行政との接触は不可欠ではあるが、指示を待つのでは なく被災者救援優先の原則に基づき、まず行動することが如何 に重要かを考えさせられた。
災害時には病院間、あるいは病院と診療所の連携は極めて重 要である。日常的な連携が十分なされていない以上当然ではあ るが、災害時の連絡体制は全く確立されていなかった。病院に あらかじめ順番を付けておき、一次災害を免れた若干余裕のあ る病院がキー・ステーションとなり、情報の収集と連絡にあた るシステムを作っておく必要がある。
今回の災害で、被災者の救出活動、消火活動、救急医療活動 が十分に行われていたらこれほどまでの死者や、負傷者を出さ ずにすんだであろうといわれている。今回の災害について数々 の討論の場や、無数の報告がなされたにも関わらず、医療機関 を求めて数十キロも歩いた人や、適切な医療が受けられずに命 を落とした人、後遺症を残した人などを含めて、医療を受ける 側の声の集約や、医療に対する批判や提言はほとんどなされて いない。こういった問題を含め、災害時における医療のあるべ き姿についてさらに討論を続ける必要がある。
図上訓練とは、現地に代えて地図を利用して行なう訓練方法である。
この訓練は、訓練機関(プレーヤー:訓練対象者)と訓練統制機関(コントローラー:訓練の統制や状況付与・評価を行なう)で行なわれる。統制機関が被害状況や防災関連機関の活動を、まず「想定」(=訓練の背景事項・訓練機関の活動の前提)や「状況」(=訓練活動のきっかけとなる状況)という形で訓練機関に付与する。訓練機関はその「想定」や「状況」を地図上に展開して状況を把握し、それぞれの役割分担に基づいて活動方針を策定したり、具体的な処置を検討・指示するなどの実務の訓練を行なう。統制機関は必要に応じて、追加の状況付与や要所の統制を行なったりしながら訓練を進行を管理していく。
図上訓練は防災計画やマニュアルなどの検討、関連機関の連携強化、危機管理の手法や組織的な活動に不慣れな人・組織を鍛えるのに効果的な訓練法であるといえる。特に現場から離れて応急対策活動を行なう災害対策本部にとっては、訓練で行なったこと・学んだことをそのまま実際の災害時の活動に応用することが可能である。
また図上訓練は実働訓練に比較して、実働訓練では再現しにくい多種多様な被害状況や大規模震災に対する訓練を行なうことでき、また対処方針などの“考え方”・意思決定に関わる一連の活動(状況分析→状況判断→意思決定→処置)・これらの活動を行なう各部署の組織の活動などについてトレーニングすることが可能である。さらに、地図を用いて訓練を行なうため参加者全員が地理的状況や被害の発生状況などを把握でき、情報を共有しながら組織としての活動を行なうことができる。
図上訓練の欠点として、被害の実態や現場の実働を把握しにくいという事が挙げられる。その他、実働訓練と異なり、状況判断や処置の結果について、その適否を実証することは不可能である。つまり、図上訓練はあくまで状況判断や処置に至るまでの考え方・処置の実行手順を訓練するものであって、処置そのものや訓練の内容を検討するものではない。
図上訓練は参加者の判断や処置により訓練の活動がその時々によって変化し、また訓練機関が一般にこの訓練に不慣れな場合が多く、図上訓練の企画担当者の思惑通りに訓練が進行しない。そのため、より効果的かつ円滑に訓練を進めるために、企画担当者は図上訓練の特色や仕組みを十分理解し、訓練対象者に訓練の仕組みや心構え・地図の利用法や連携のとり方などの十分な事前訓練をおこなう必要がある。
一方訓練対象者も、適切な状況判断や意思決定をタイムリーに行い、情報伝達の手段やマニュアルを習熟し、関係各署を掌握し、かつ状況判断や被害予測の手法を研鑚して訓練に望む必要がある。
図上検討会は、図上訓練を応用したもので、関係者が一堂に集まりあらかじめ付与された想定と検討テーマについて発表・検討するもので、応急対策の具体化を通じて応急対策担当者の分析能力や発表能力を鍛えることが可能である。
日本は唯一の被爆国で、1945年、広島、長崎に原子爆弾が投下された。また、米国は1954年にビキニ環礁で水爆実験を行い、近くで第五福竜丸の23名が被爆している。
その後1979年にスリーマイル島(米国)原子力発電所、1986年にチェルノブイリ(旧ソ連)原子力発電所の放射能漏洩事故が発生した。日本においては、1999年東海村ウラン加工工場臨界事故が発生し、2名が死亡するという惨事になっている。
日本には原発や研究所などの核処理施設が多数あり、原子炉も50数基稼動中である。核物質は医療用、産業用、研究用に日常的に広く使われているが、1999年の東海村ウラン加工工場臨界事故で核物質による災害も現実のものとなった。
もう1つの問題は、核爆弾の破裂や核弾頭をつけたミサイルの飛来、核物質を仕込んだダーティ・ボムによる核テロなどによる被爆である。
核・放射性物質による災害は、原子力災害、放射能災害、放射線災害、核テロなどと種々の表現がされる。
a.被爆の危険性
被爆には一時被爆と二次被爆がある。
一時被爆のもう一つのタイプは、放射線物質の漏洩事故などによる被爆である。その場合、外部被爆、体表面被爆、内部被爆がある。
外部被爆とは、人体と離れたところから放射線の照射を受けることであり、線量が多量であれば危険である。体表面被爆とは、放射性物質が体表面に付着して照射を受けるもので、水や洗剤で付着している放射性物質を除去しない限り照射が続くので危険な状態が持続することになる。内部被爆は、急性被爆に中で最も危険な被爆で、体内にとり込まれた放射性物質により直接照射を受けることになる。体内に存在する放射性物質の体外への排出が急がれる。
b.被爆患者の対応について
放射線による障害は、放射線の強さ、被爆時間、遮蔽の状況、線源からの距離などにより傷害程度が異なる。放射線による傷害は、一般の外傷などとは大いに異なる。
放射線は、DNAの構造を変化させるため、再生の早い細胞(感受性の強い細胞)は、より強く放射線の影響を受けることになる。再生の早い細胞は、骨髄、血液、腸管、皮膚、神経、心血管系の細胞の順で、放射線の感受性の強い順でもある。
被爆、特に大量被曝が疑われた場合は、意識の有無、呼吸の有無、血圧、脈、体温などのバイタルサイン、胸部X線検査、一般血液検査、生化学検査、尿検査、心電図検査などの一般的な臨床検査、皮膚、眼、神経系の身体的検索を行うべきである。これらのことは、全身状態の把握や、感染の有無や重症度の判断に非常に重要である。
放射線に最も敏感な臓器は骨髄である。酸素運搬能、凝固能、感染防御能を持つ血液細胞が障害を受けることは状況によっては致命的になる。
大量の被爆により腸管の障害が起こるが、嘔気、嘔吐、下痢、腸管出血、穿孔などは、骨髄抑制より早く現れる。フォールアウトなどで汚染された食物を摂った場合にも起こる。
直接放射線に接する皮膚は、遮蔽がなかったり防護服などの着用がなければ当然傷害される。発赤がおこり、大量の場合は熱傷の状態になる。被爆線量が多い場合、深部が傷害されるため、被爆直後は紅斑のみであった皮膚が日が経つにつれ脱落したり、移植した皮膚が定着困難だったりする。
神経細胞の破壊により無力化したり意識が混濁したりする。心血管系の傷害は治療に抵抗し致命的となる。
c.緊急被爆患者の受け入れ体制
原子力発電所や放射性物質を扱う施設における事故、トラブルなどにより放射線の漏洩などがあった場合、被爆患者の全身状態や臨床検査などにより重傷度を判定し、除染を行い、施設近くの医療機関に搬送、応急処置のうえ、熱傷などの有無により、さらにそれ以上の医療レベルをもっている災害拠点病院や大学付属病院などに搬送されることになる。そして、放射線医学総合研究所の病院(千葉
)は緊急被爆患者の最終医療機関であり、線量測定装置や除染装置を完備し、染色体異常などの放射線障害に特有な検査手段を持っている。
d.ダーティ・ボムと劣化ウラン弾
放射性物質を爆弾の本体内に内蔵し、爆発した際周辺に放射性物質を撒き散らす爆弾。テロの道具として使われるのではないかと危惧されている。この爆弾の核となるプルトニウムや高濃度ウランは厳しく国際的に管理されているので入手は困難だが、旧ソ連や東欧の政体の改変などにより、原材料である放射性物質の流出などが懸念されているところである。
原子力発電の原料として使われるウランは、核燃料として使用するには濃縮しなければならない。濃縮する過程で生じる残余ウランを劣化ウランという。この劣化ウランは、密度が高く、長期間直接皮膚に接するか体内に入るかしない限り無害なので、産業用や医療用(放射線治療施設の防護用施設など)、さらに軍事用の素材(劣化ウラン弾や装甲車)として用いられている。
問題となるのは軍事用の利用である。砲弾(劣化ウラン弾)に用いると貫通性が高まり、装甲車に用いると防護能が高まる。劣化ウラン弾は湾岸戦争、旧ユーゴスラビアのボスニアとボスニア・ヘルツェゴビナで使用されたといわれており、特に湾岸戦争症候群(湾岸戦争に従軍した兵士に集団的に発生した白血病・癌・脱毛症・疲労感・記憶障害などの症状の総称)との関連を取りざたされているが、はっきりしておらず、むしろ否定的であるといわれている。
2004年の新潟中越地震では、日赤医療センター国内型緊急対応ユニット(dERU:domestic Emergency Response Unit※)の一員として、薬剤師が初めて救護班の一員として参加した。このdERUでの活動を今後の災害対策に反映させるため、活動内容と医薬品の使用状況を分析し、薬剤師と他救護班員の視点による評価を基に、救護班における薬剤師の役割を検討し、災害医療に携わる「災害救援薬剤師」のあり方について検討する。
※dERU:緊急仮設診療所セットと医師・看護師・薬剤師などからなる医療チームの総称。日本赤十字社が考案。
活動中に記録した医薬品セットの使用状況を、診療データとともにPhase1・2※について分析した。周囲の状況変化に対する薬剤師の活動状況を内容別に時系列でまとめ、災害救護班における薬剤師の役割について検討した。救護班員のアンケート調査により、医薬品セットと薬剤師の役割について調査した。
※災害発生後、周囲状況や傷病者の状態は経時的に変化するため、Phase0:発災直後、Phase1:救護活動開始〜発災後48時間まで、Phase2:発災後14日まで、Phase3:発災後数ヶ月で現地医療機関に引き継ぐまで、に分ける。今回dERUの活動はPhase1・2であった。
1.薬剤師としての活動
★薬剤使用状況は、発災後2週間で、総合感冒薬、解熱鎮痛抗炎症薬、消化器系薬、抗菌薬、睡眠・鎮静薬の順に繁用された。特にPhase1では症状の頻度順に、外傷・関節痛や感冒様症状への解熱鎮痛抗炎症薬、消毒薬、総合感冒薬、抗菌薬が多く使用され、消化器症状や不安・不眠への薬剤も使用された。これらは医薬品セット内でほぼ対応できた。一方、常備薬を紛失した高齢者より、Phase1から常用薬とくに呼吸・循環器、糖尿病などの慢性疾患用薬の需要が目立った。医薬品セットは急性期疾患用が主で細かな対応が困難だったが、Phase2になると現地医療機関との連携が取れるようになり個々の対応が可能となった。そのためセット外補充は抗不安薬、整腸薬のみで、セット内からは頻用された感冒薬、解熱鎮痛抗炎症薬、睡眠薬、抗菌薬を補充した。
★薬剤師の活動(時系列)
2.他の救護班員から見た薬剤師の役割(アンケート調査)
医薬品の種類・在庫数・剤形は8割が適切と答え、改善点として注射用制吐薬の追加・解熱鎮痛抗炎症薬の変更、相互作用のより少ない医薬品への更新、同効薬の統一、剤形を考慮した薬剤選択、災害の種類・場所・季節を考慮した追加医薬品リストの作成を挙げた。慢性疾患用薬、小児用薬については半数以上が不適と答え、降圧薬等循環器用薬の見直しが必要、小児用抗アレルギー薬・解熱鎮痛抗炎症薬のシロップ追加などを理由に挙げた。薬剤師の役割については、全員から救護班の一員として参加する必要があるとの結果を得た。調剤や服薬指導、代替薬の情報提供、医薬品選択など専門職としての必要性が高く、薬剤師がいることで負担が軽減し、自分の仕事に専念できたという意見が多かった。
被災地は高齢者住民が多く、また避難所で小児科医の診察が行われたため、救護所を訪れた被災者の約半数以上が高齢者で、10歳以下の小児は1割以下と少なかった。慢性疾患用薬や小児用薬の充実を求める声もあったが、実際にはこれらの薬は比較的早く回復した地域医療機関との連携によって対応できていた。今回の経験を生かした災害用医薬品リスト改訂は必須であるが、災害医療側・地域医療の回復を補助する救護側両方の立場を念頭に置くことが重要である。災害現場では、限られた人的・物的資源を有効活用し、より多くの被災者を救援するために優先順位をつけるトリアージが重要とされる。災害医療に即した医薬品選択を行い、必須医薬品をより多くの被災者へ適切に提供することが重要であり、災害用備蓄医薬品の「薬のトリアージ」が必要である。薬剤師が救護班員として活動したことで、医薬品の適正かつ有効利用が可能となった。特に一般名での医薬品の把握や、診療科を超えた薬の専門家としての情報提供は、限られた医薬品と限られたスタッフをつなぐ役目を果たしたといえる。さらに、状況変化に合わせた追加医薬品の選定、それに伴う処方時の助言・指導が必要で、薬の汎用性への判断や臨機応変な態度が要求された。これには薬に対する専門性と、災害の種類、Phase、対象者や対象集団を含めた地域の特徴や気候を踏まえた災害医療の知識・経験が必須で、薬剤師の関与が不可欠である。
当センター国際救援初動班用の医薬品リストは2年ごとに改訂されるWHOのリストから選択され適宜改訂される一方、国内用は使用頻度が少なく、定期的かつ組織的に更新していくことが重要である。平時から薬剤師の立場から積極的にこれらの災害用医薬品リストを更新する必要性を訴え、選定時に必要な情報提供をし、専門的意見を述べ、他医療スタッフとの連携を図ることが「災害救援薬剤師」の役割である。災害時の服薬指導には、情報収集能力と的確な指導能力が必要である。お薬相談コーナーでは、薬の話題がきっかけで被災者の不安を和らげる役割も果たしている。また発災後48時間以内にいかに地域で緊急対応できるかが重要である。今回の活動で薬剤師としての組織的な活動が十分にできたとは言いがたい。混乱した現場で確実かつ円滑な医薬品供給を行うには薬剤師同士の連携が不可欠である。今後の薬剤師全体としての効率的な活動を目指し、日頃から横の連携、周辺地域との連携を深め災害対策に積極的に関与することが重要である。
災害救護現場での活動においての薬剤師の専門知識や経験の重要性を改めて認識したと同時に、状況変化への臨機応変な対応が求められた。「薬のトリアージ」、代替薬の情報提供、効果的な服薬指導、薬剤師間や他の医療スタッフ・地域との連携を現場で迅速かつ効果的に行えるように、平時からの災害対策を積極的に行う「災害救援薬剤師」像が求められる。
第5章 成果を生み出す防災訓練(下):5 図上訓練の有効性と限界
(佐藤喜久二:主動の地震応急対策、東京、内外出版、2004、157-166)■(1)図上訓練とは?
■(2)図上訓練の有効性
■(3)図上訓練の限界
■(4)図上訓練を実施するにあたって
■(5)図上検討会
第5章 NBC災害―日本は全てを経験した国―:5 核・放射性物質について
(白濱龍興:医師の目から見た「災害」、東京、内外出版、2005、p.112-117)
■(1)核・放射性物質使用の略史
■(2)核物質による災害(原子力災害)
「災害救援薬剤師」災害医療が求める薬剤師の役割
―日本赤十字社医療救護班の新潟県中越地震での経験から―
(松井映子ほか:日本集団災害医学会誌 11: 29-37, 2006)■【目的】
■【方法】
■【結果】
■【考察】
■【結論】