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2014年6月5日函館地裁判決をうけて

2014年6月5日函館地裁判決をうけて

                                  (2014年6月8日 室月 淳)

河北新報朝刊 2014年6月6日(共同通信社配信)

羊水検査の「誤診」にかんする6月5日の函館地裁の判決については,いまのところ新聞報道以上の情報をえていません.今後もし判決要旨などが手にはいったら,この判決がもつ意義を論じたいと思っています.ただネット上の議論をみると事実誤認が多いようなので,ここではこれまで報道などであきらかになっている事実を中心にまとめておきます.

 羊水診断の告知あやまりの経緯

原告は41歳で4人目の妊娠をして,Eクリニックを受診しました.これまでの3人ともEクリニックで分娩しており.E医師にたいする信頼感はあつかったようです.妊娠初期の超音波診でE医師より胎児のNT(nuchal translucency=胎児の首の後ろのむくみ)が指摘され,説明のあとに羊水検査が選択されました.E医師はもともと臨床遺伝学にも造詣がふかいので,このときの遺伝カウンセリングは適切なものだったと推測できます.

妊娠16週ごろにとくに問題なく羊水穿刺がおこなわれました.検査会社からかえってきた報告書には,21トリソミーと9番染色体腕間逆位(inversion 9)とありました.Inversion 9はときどきみうけられる正常変位のひとつで,9番染色体の長腕が途中で切れて逆につながったものです.この9番染色体腕間逆位は正常変異であり,生まれてくるこどもはまったくの正常です.

このケースの場合も,報告書に染色体の正式な核型が記載されたあとに、「このinversion (9)は正常変異であり云々」とコメントされていました.E医師は遺伝の専門家でもあり,その医学的意味は一瞬で理解したはずですが,逆にこのことに注意をうばわれて,21トリソミー,すなわちダウン症候群という肝腎な点を見落としてしまったのではないかと推測されます.

E医師はミスがあったことはは全面的にみとめ,2枚あった伝票のうち1枚を見落としたと弁解した,と新聞報道されていたのはこのことを指すのでしょう.ミスについては弁解の余地することができませんが,いそがしいときに専門家が陥りがちな罠であり,ここに同情の余地があるかもしれません.

 羊水検査の結果報告書について

くりかえしになりますが,この9番染色体腕間逆位は正常変異にすぎず,生まれてくるこどもはまったくの正常です.両親のいずれかからひきついでいることも多いのです.ところが一般にはこのことを知らない医師がいて,報告書に9番染色体腕間逆位とあると,なんらかの染色体異常ととらえてしまうのです.

過去にはこれで人工妊娠中絶にいたった例もあると聞きましたが,胎児はまったくの正常なのであり,それは倫理的にも到底許されることではありません.なぜこのようなことがおこるかというと,日本では医師の臨床遺伝にたいする教育がほとんどなされていないということとがひとつです.

もうひとつは羊水検査は産婦人科医であればだれでもやっていいことになっているからです.羊水検査は結果によっては胎児の生命にかかわる重要な検査にもかかわらず,日本では臨床遺伝にかかわる資格が必要とはされていません.だから染色体検査の結果がかえってきても,ときにその結果をただしく判断できないということがおこります.

このことは一部で以前より問題になっていたため,検査会社では専任の遺伝専門医をやとって,報告書に検査の結果だけでなくその解釈,たとえばこれは正常変異であるとか,この結果は両親の染色体検査がのぞまれるといった評価,判断までが書きこまれるのが一般的となっています.

羊水検査が専門施設でのみでおこなわれていた80年代くらいまでは,検査する人間はみずから羊水細胞を培養し顕鏡していたので,そのころにはこういった問題はおこりようがありませんでした.その後の出生前診断のニーズの高まりにより,羊水検査が一般診療所まで広がったのにたいし,専門的な知識や遺伝カウンセリングの理解がついていかなかったといえるかもしれません.

そもそも臨床的評価や判断は,具体的状況にもとづいて個別になされるのが通常であり,臨床検査も生のデータや所見が提示され,それを解釈するのは患者を直接みている主治医の役割です.末梢血検査の結果報告書に,このひとは貧血だから鉄剤を処方しなさいと書いてあったら,それはおおきなお世話です(笑)

うえに書いたようにE医師は臨床遺伝の専門家でもありました.大学病院の勤務医時代は周産期センターの責任者をながらくつとめ,こういった出生前診断にも責任ある立場でした.報告書がむかしのように専門様式にしたがった核型の記載のみであれば,専門家としてそれを読んで解釈したはずです.なまじ他の専門家が結果解釈してコメントをいれているため,それを見落とすような今回のイージーミスがおこったのだろうと思います.

 出生後の児の経過

生まれた子が3か月半で亡くなったことについても一部から疑義がでていますが,これはダウン症候群のさまざまな合併症によるもののようです.タームにちかい時期にNRFSを認めたため,周産期センターに母体搬送され帝王切開になりました.出生した児は新生児遷延性肺高血圧で人工呼吸管理となりました.

さらには一過性骨髄異常増殖症 (TAM),ヒルシュスプルング病などの合併症を認めました.外表所見や合併症から21トリソミーがつよく疑われたため,Eクリニックにあらためて羊水検査の結果を確認してもらったところ、上記の「誤診」があきらかになったようです.

その後のくわしい経過についてはまだ不明な点もおおいのですが,TAMがその後白血病に転化して悪化したことや,ヒルシュスプルング病にたいしては状態不良のため手術的介入ができず,徐々に状態が悪化しての死亡だったことが考えられます.その経過を目の当たりにしての両親の思いが訴訟の動機だったのかもしれません.

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カウンタ 5901 (2014年6月7日より)