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地域遺伝カウンセリングとは何か

地域遺伝カウンセリングとは何か

                               室月 淳  (2012年4月23日)

塩屋崎灯台(いわき市,2011年8月7日)

 はじめに

遺伝性疾患や先天異常について一般的な理解が進むとともに,いわゆる遺伝カウンセリングの潜在的需要は増加していると考えられます.一方で,「遺伝」というものに対する一般の誤解や偏見はいまだ根強く,遺伝カウンセリングを気軽には受診できないという状況も残っています.なかには遺伝カウンセリングそのものの存在を知らない人間やその必要性すら思い浮かばない人間も少なくないでしょう.

地域住民に遺伝カウンセリングに対する関心があり,また需要があるとすれば,わたしたち自信がその対応の方法を考えていく必要があります.そのためにここでは遺伝相談の重要性と地域遺伝相談に向けての2点をまとめてみます.

 遺伝カウンセリングの重要性

1. 疾病構造の変化

これまでの医学は環境要因による疾患,たとえば細菌やウイルス感染などに対しては大きな進歩をとげ,完全とはいえないまでもその多くをコントロールできるようになりました.その結果,過去40年ほどの間に死亡率と死因のあいだには大きな変化がみられました.感染症による死亡率が激減した一方で,遺伝性,先天性疾患,またが生活習慣病と呼ばれる慢性疾患による死亡率は減少していないどころか増加傾向にすらあります(1).

この傾向は新生児,乳児死亡にも典型的に現れています.小児科医の努力などにより,かつては死因の中の上位を占めていた感染症や未熟性を原因とするものは減少し,先天異常や遺伝性疾患の割合が増加しています(1).生まれてくる新生児全体の4-5%に何らかの遺伝性疾患を有するとされます.また乳児死亡の実に30-40%が何らかの遺伝性疾患に起因するといわれます.

このように生まれつきの体質や素因あるいは先天異常といったものは,今日の医学にとって無視できない存在です.1977年の国連科学委員会によれば,遺伝学的に考慮すべき異常や疾患は人口のほぼ10%と推定されていましたが,2006年の米国科学アカデミーBEIR委員会第7次報告書(BEIR-VII)(2)では,遺伝性疾患の基本リスクは73.8%(そのうち慢性疾患が主な要素で65.0%)という高い数字を出しています.実際にこれらは医療の重要な対象であり,組織的な治療や対策が必要とされます.

2.実際臨床における遺伝の問題

臨床に置いて遺伝学が必要となる問題にはさまざまあります.病因論から原因を追及することに始まって,診断の確立,治療,発病の阻止などが関わってきます.さらに予防といった意味も含めて,予後の推定,遺伝的危険率といった遺伝カウンセリングの問題にもつながっています.

前述のように疾患の原因として遺伝が関与するものの頻度は高く,広い臨床分野で遺伝学の知識が必要とされています.しかし実際の臨床の場では,先天性疾患である心奇形や代謝異常に対する治療には熱心でも,その発生予防の根本である遺伝学的観点からの家族への話しかけやアプローチはややもするとおろそかにされる傾向にあります.

3.遺伝カウンセリング

臨床遺伝学という立場から患者に提供されるサービスは,遺伝性疾患や先天異常の診断,病名告知と説明,心理的・社会的問題への援助などがあげられますが,実際的にもっとも重要なのが遺伝カウンセリングです.ハーパーは次のように定義しています(2).「遺伝カウンセリングとは,おそらく遺伝的に考えられる疾患をもつ患者やその血縁者が,疾患の予後,発症や遺伝の可能性,さらに予防あるいは治療方法のアドバイスを受ける過程である.」

その内容としては,診断(すべての助言は遺伝性疾患の正確な診断なくしては根拠をもちえない),危険率の推定,説明や援助,の3点に集約されます.具体的な相談事例としては,

  • 遺伝性疾患をもった人の,その子どもに同じ疾患が現れるリスク
  • 遺伝性疾患をもった血族がいる人の,その子どもに同じ疾患が現れるリスク
  • 異常のある子どもをもった親が,次の子どもに同じ異常が現れるリスク
  • 近親婚の一般的影響
  • 胎児診断やあるいは保因者診断,発症前診断を含む遺伝子診断

などが上げられています.

4.遺伝カウンセリングに対する誤解

医療の目的は,特定の疾患に関しての専門的な技術を駆使した治療にあると考え,遺伝カウンセリングにおける異常や疾患の発生予防に対して違和感をもつ医療関係者は少なからず存在します.遺伝カウンセリングは医療の主旨に合わない不要なものとする考え方もないわけでは決してありません.事実問題として,遺伝カウンリングはカウンセラーに密度の高い知的労働を強いるものですが,現在の保険医療制度では充分な対価を認めていません.しかし患者や家族の精神的,肉体的負担の大きさを考えると,遺伝カウンセリングの要望に答えるのは医療にたずさわるものの責任でしょう.

 地域遺伝カウンセリングに向けて

1.潜在化する遺伝カウンセリング

狭義の遺伝性疾患は人口の10%近くに認め,さらに遺伝子の関与が明らかになってきた生活習慣病などの慢性疾患を含めれば,全体の7割に遺伝的な異常や疾患が現れると予測されます.このことから遺伝カウンセリングの潜在的需要はかなり大きいはずですが,現実にはまだそれほどのものではありません.その原因として,需要がないのではなく,まず医療,保健関係者はもとより,住民に遺伝相談そのものが充分に理解されていないこと,さらにはいかなる場所で行われているかも知られていないことがあげられます.さらには遺伝相談を行っている施設ならび遺伝カウンセラーの不足も原因です.しかし大きな理由は,いまだ遺伝ということに強い偏見があり,遺伝性というだけでそれを隠そうとする意識が強いことが,遺伝相談の需要を潜在化させているのと考えられます.

2.遺伝カウンセリングの需要推計

わが国における遺伝カウンセリングの潜在的需要については,少し古い報告ではあるが大倉ら(4)の推計があります.この報告によると,どんなに少なく見積もっても全国で年間2ないし3万件以上の遺伝相談の需要があるとしました.母子健康手帳の交付時に保健所で行われた調査によると,妊婦の実に6.4%が遺伝に関わる問題で不安をもっていたとも報告されています(5).これまでわが国で地域的な遺伝相談サービスが比較的順調に行われた地域での資料を見ると,年間の需要はおよそ人口5,000人に対し1件程度ですが,これは上の需要推計からみても決して高くはない値といえます.

3.地域遺伝カウンセリングの組織化

まず遺伝相談を希望,必要とする人々に対し,地域社会の中でその窓口となる場所が必要です.なぜなら一般にその需要の大きさにもかかわらず,「遺伝」ということのために潜在化しており,また啓蒙の不足のため相談施設の場所すら知りえぬ場合が少なくありません.このためには地域社会の中で医療・保健関係が窓口になり,適正な遺伝カウンセリングが受けられるようにすることが重要になると考えられます.

基本的には個々のクライアントの心理的状態,理解度あるいは家庭の事情などを把握している開業医,家庭医などが,必要に応じて遺伝カウンセリングの重要性を教え,また基礎的なカウンセリングを行い,また相談施設を紹介することです.あるいは行政に関わる問題も重要と考えられます.自治体の保健婦の日常業務を通じて,遺伝の問題に関わりのある者が多数あることが知られている現在(5),地域住民と密接な接触を保ちうる保健所や健康センターなどが組織的にこの窓口なれば理想的でしょう.潜在化する遺伝相談の需要を適正な遺伝カウンセリングに橋渡しをし,遺伝相談施設を充実させ,円滑に機能させていくには行政的配慮なしには行い得ません.

その後の段階として遺伝相談の中核となる施設が必要となりますが,地域レベルで取り扱うものは一般的なレベルの遺伝カウンセリングとなるでしょう.遺伝カウンセリングはきわめて知識集約的な業務ですから,臨床各科と臨床遺伝学が集約し得る環境のもとが望ましいといえます.そのため理想的には広い分野における診断を可能とする各科の専門医の支援を擁する総合病院において,独立した臨床遺伝部門が院内に設置されることが理想的です.しかしわが国の医療の現実においては,各科における遺伝相談カウンセラーの資格または素養を持った医師が,専門外来の中で実際に役割を担っていくことになると考えられます.

また遺伝相談で最も重要な診断を正確に行うため,必要な設備と熟練した要員をもつセンター的な役割をもつ大学病院や専門病院などがあります.きわめて種類が多く,かつ個々は非常に頻度が低い遺伝性疾患の診断の多くは,ごく限られた高度医療機関あるいは特定の研究者にのみ行い得ます.特殊な検査技術や機器を必要とすることもあります.特に胎児診断治療などの高度技術が必要になる場合には,大学病院との連携は必須となります.

 おわりに

疾病構造の変化によって,医療では遺伝学的にその原因を考慮すべき異常や疾患への対応がせまられています.一方で,遺伝に関する一般の知識の増大とともに,いわゆる遺伝カウンセリングの潜在的需要が増えていると考えられます.提供し得る技術が医療側にあり,一般住民で必要とする人々がいるならば,これを適正に提供するのは医療側の責任でしょう.そしてこの提供が円滑かつ適正に行われるように環境を整備するのは行政側の責務であるかも知れません.

 文献

(1) 厚生省人口動態統計.1995.

(2) NRC (National Research Council): Health risks form exposures to low levels of ionizing radiation (BEIR-VII phase 2). Washington DC, National Academy Press, 2006

(3) Harper PS(松井一郎他訳):遺伝相談の実際,医学書院,東京,1989

(4) 大倉興司,半田順俊,松田健史;遺伝相談の現況と将来.臨床遺伝研究2:69-138,1981

(5) 田中久恵:妊婦の不安,心配ごと−母子健康手帳交付時の相談事業から−.第1回看護職等の地域遺伝研究会集録集7-10,1979.

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