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続・損害賠償請求に感じる違和感

「出産するか人工妊娠中絶するかを自己決定する機会を奪われた」訴訟における問題の本質とは

                                   (室月 淳 2013年6月1日)

共同通信社配信記事−北陸中日新聞 2013年5月20日

 

5月20-21日に集中的に報道された,羊水検査の結果をまちがえてダウン症候群を「異常なし」と伝え,出生後に両親から提訴されたというニュースが世間の耳目を集めましたが,その後の続報はまったくでてきていないようです.フェイスブックをはじめとしたSNSでも多くのリンクがはられましたが,それらはほとんど「紹介」「引用」の域にとどまり,きちんとしたコメントがなされたのを寡聞にしてしりません.

上記の写真は5月20日に共同通信社によって配信されたものであり,母親の直接の声がつたわる興味深い記事です.適切な情報というのはとてもだいじなことであり,こういった生命倫理にかかわる問題を考えるときは,ある程度きちんとした情報がないと,それが正しいかどうかを判断するのがむずかしくなります.最初の報道がなされてから,その後しばらく時間がたつと,より正確なこと具体的なことがわかってくることが多くあります.しかしこのケースでは情報源が原告側からのみであったせいか,その後の報道がとだえてしまったのは残念です.

この訴訟の本質は「ロングフルバース wrongful birth」であると考えられます.ですからこれまでの国内外のロングフルバース訴訟の歴史と議論の内容をしっかりとふまえなければ,この問題をきちんと理解することはできません.一般のひとたちは報道された事実しかしりませんから,まちがって結果を伝えてしまったという医療ミスが単純にわるいととるのは自然なことです.そういうひとたちにしっかりと説明して,なにが問題の本質なのか,どのように解決すべきなのかをきちんと理解してもらわなければ,いつまでも議論は平行線のままです.

前回の「『出産するか人工妊娠中絶するかを自己決定する機会を奪われた』損害賠償請求に感じる違和感」で,さらに論点をもっと整理して論じたいとしましたが,いまもなおきちんとした文章を書くことがむずかしい状態です.順不同でいくつか考えたことを書きたいと思います.

 なぜこれが「ロングフルバース」訴訟といえるのか?

ロングフルバース訴訟とは医療過誤訴訟のひとつであり,「先天性障害児の出生を予測しえたにもかかわらず,医師や検査機関の過失によってその危険性が将来の親に知らされなかったため,避妊や中絶の機会を奪われたことを理由として,親が医療従事者や医療機関を相手どって損害賠償を請求する」(1) 訴訟です.生まれてきた障がい児自身が損害賠償請求をおこすことを「ロングフルライフwrongful life」訴訟といいます.これまでのダウン症候群に関する事例をみると,妊婦の高齢などのためダウン症候群出産のリスクが高いにもかかわらず,羊水穿刺などの出生前診断が利用できることをしらせなかったり,あるいは診断が正しくおこなわれなかった,あるいは正しく伝えられなかったりしたことなどがあげられます.今回の事例はまさにこの後者の内容に相当します.

医療過誤訴訟における損害賠償額は,通常は補償を目的として算定されますが,それは医師の過失がなければ両親がおかれている状態と,医師の過失の結果によって両親の侵害されている状態を比較することによっておこなわれます.このとき前者は「人工妊娠中絶を選択することにより,ダウン症候群の児の生命が不存在となる」状態,後者は「ダウン症候群をもつ児の生命が存在する」状態となります.「ダウン症候群をもたない生命」と「ダウン症候群をもった生命」を比較するならば,その経済的利得を裁判所方式で計算して損害賠償額を算出することは可能かもしれません.しかしこの場合,「ダウン症候群をもった生命の存在」と「生命の不存在」そのものの比較をもとめられますが,これは論理的に無理と考えられます.

NICUでの3か月間の集中治療にかんする医療費のほとんどは公費によってまかなわれているはずですから,子どもにたいして医療が必要となったことによる金銭的被害はおおきくないでしょう.すなわちここで問題となるのは,医師の過失によってうけたご両親の精神的損害が中心となります.一般にはダウン症候群の子どもの出生によって両親がうけた精神的損害にたいする慰謝料というかたちです.逆に子どもの出生によって両親がえられた利益も考えられ,その分を精神的損害から控除するという考え方もあります.上記の新聞記事では「いとしさが募っていった」という部分です.

さてこのロングフルバース訴訟をあなたは認めるでしょうか? 認められないという意見の根拠としてあげられるのは,(1) ダウン症候群だからといって,人の生命そのものの存在が損害となるということは考えがたい,(2) 子どもがダウン症候群であること自体は医師の過失によって生じたものではない,(3) 原告に与えられるべき損害賠償がはたして存在するか,通常外の費用はともかく,ダウン症候群の子どもが出生したことによるご両親の精神的損害が認められるか,の3点です.これらの点について裁判所が,そして社会がそれぞれどのような判断をするかがポイントだろうと思います.

 「自己決定権の侵害」とはなにか?

具体的な訴状の内容はあきらかにされていませんが,新聞報道によるとご両親は,「出産するか人工妊娠中絶するかを自己決定する機会を奪われた」ことについて1000万円の損害賠償を求めたとあります.すなわち「自己決定権の侵害」というわけです.上記に書きましたように,ロングフルバース訴訟では通常は「精神的損害にたいする慰謝料」という形で提訴されていますが,本例では特に「自己決定権」という権利の侵害にたいする賠償といういいかたをしています.

しかしこの場合の自己決定とは「出産するか人工妊娠中絶するか」の選択であり,おそらく「ダウン症候群とわかれば人工妊娠中絶」というのがそもそものかくれた前提と推測されます.医師の過失により「自己決定権を行使する機会を奪われた」ということと,医師の過失により「ダウン症候群の胎児を人工妊娠中絶する機会を奪われた」ということはほぼイコールだと考えられます.すなわち問題の本質は(1)で論じたものとおおきくかわるわけではないと考えられます.

妊娠22週未満では妊婦が妊娠を継続するか否か自己決定する権利があるということを社会が認めるのであれば,本例においてもご両親が中絶という決定する機会を否定されてはならなかったといえます.そしてそういった機会を結果的にうばってしまうことになったE院長の責任は問われざるをえないでしょう.もしそうでなければ,適切な告知をおこなわなかった過失をおかした医療従事者を免責してしまうことになります.

ロングフルバース訴訟によって保護される自己決定権は,望まない子どもの出産を回避するという権利のさらにその基礎にある,子どもをつくるか否か,親になるか否かの選択の自由を保障することにあります.この訴訟で,障害のある子どもの出産を回避する事故選択が保証されるのであれば,おなじように障害のある子どもを産もうとする選択や,出生前診断をいっさいおこなわないで子どもをもとうとする選択もすべて保証されることになるでしょう.そういった選択,自己決定がじゅうぶんに保証されるようになることにこの訴訟の意義は存在するかもしれません.

上記のニュースの写真では子どもの染色体の核型が判別できます.これをみるかぎりでは,あきらかに21番染色体が3本の標準型ダウン症候群であり,転座型とかモザイク型といった解釈がむずかしい特殊なタイプではありません.ですからこれはあくまでも単純な医療ミスであり,その過失責任をまぬがれえません.しかし上記に述べたように,選択的中絶の機会をうしなって,ダウン症候群のこどもがうまれたことによりご両親がえたものと失ったものを比べると,どちらがおおきいかは判断がつきません.そもそも両者は単純に比較できないでしょう.医療者の過失責任は問われるべきでしょうが,自己決定権の保証という象徴的な意味のある本件では,賠償はせいぜい名目的な金額程度とすべきではないかと思います.

 「胎児条項」がないからご両親の訴えを門前払いにできるのか?

「説明ミスは許されないことであり,このクリニックの院長を全面的に擁護するわけではないが,提訴したご両親に同情しきれないのも本音」というのがおおくのひとが感じている違和感の正体でしょう.その理由を説明するときに,母体保護法にはそもそも「胎児条項」がないからとそういった訴えは認められない,という意見をしばしばみます.これをわかりやすくいいかえると,「はじめからダウン症候群の児なら中絶するつもりだったのだから,そんな違法な訴えは認められない」ということになるでしょう.しかしこの意見は以下の理由により正当とはいえません.

たしかに現行の母体保護法には胎児条項がなく,胎児の障がいやその可能性を理由として中絶をすることはできません.しかし一般的には「身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれがあるもの」という母体保護法14条1項がひろく解釈され,出産についての夫婦の自己決定権を一定の範囲で認めている実情があります.すなわち母体保護法における胎児条項の不在をもって,この問題の存在を一蹴するわけにはいかないといえるでしょう.どこまでが認められどこからが認められないかは,それぞれの個別の状況に応じて詳細な検討を必要とします.

「胎児条項」にもとづく中絶とはすなわち「選択的中絶」のことであり,その倫理的な問題性についてはこれまでいろいろと議論されてきました.しかし本来,児の生命はその障がいの有無にかかわらず尊重されなければならないことを考えると,選択的中絶の倫理的,道徳的問題性を恣意的に強調しすぎることは問題をひきおこします.高齢や既往などといったことからダウン症候群の児の出生のリスクを心配しなければならないときにだけ,母体保護法を厳格に適応して自己決定権を制限するというのは,ほかの理由による中絶にたいして寛容に対応している現在の現状からみれば,非常に不合理な対応という気がします.

 出産にいたったときと出産を回避したときの精神的損害を比較できるのか?

このダウン症の子どもは,たとえ3か月の短い人生であったとしても,世に生まれたことを喜んでいるのではないかという気がします.E医師の過失,すなわち検査結果の読みあやまりがなければ,そもそもこの世に生まれてくることはできなかったでしょうから,「過失」というのは悪いだけではないのかもと考えることもできます.実際に上記のインタビューでは,母親は「あの子は短い人生を懸命に生きた」と答えています.「絶望の中,最初は受け入れることができなかった..........生きようとする姿を見て両親の気持ちは変わっていった」ともあります.

ロングフルバース訴訟は,「障害のある子どもを産むつもりはなかった」とする主張を前提とします.ですから金銭的損害でも精神的損害でも賠償請求すること自体が,その子の生の尊厳を傷つけるおそれは存在します.だからこそ本訴訟では,「予想もしなかったダウン症候群の子どもを出産しなければならなかった両親の精神的損害にたいする賠償請求」ではなく,「医師の過失により自己決定権を行使する機会を奪われたことにたいする賠償請求」という形になっているのだと思います.後者のほうがより抽象度の高い表現となっていますが,前にのべたとおり「自己決定権の行使」が選択的中絶の施行を前提としていることにおいて,このふたつには本質的にちがいはないとわたしには感じられます.

「予想もしなかったダウン症候群の子どもを産んだ」ときのご両親の衝撃,悲しみ,苦しみ,そして看取りにいたるまでの精神的,経済的負担といったものが,選択的中絶をおこなっていれば存在しなかったことはあきらかです.しかし羊水穿刺の結果が適切にご両親に伝えられたとしたら,告知のときのおおきな精神的衝撃があったでしょうし,選択的中絶をおこなうことによって引き起こされただろう両親の精神的,肉体的な苦痛やその後の心理的外傷といったものが予想されます.この両者を比較した場合,どちらがどの程度おおきいか,ひどいかは難しい問題です.逆に3か月という短く,かつ苦悩と悲しみがおおかった時間とは推察いたしますが,それでも子育てが両親にもたらしただろうおおくの意義や充足感といったものも無視できないでしょう.

 自己決定権を認めるとき産科医にはどのような責務が生じるか?

妊娠22週未満では女性とパートナーに妊娠を継続するか否か自己決定する権利があるということを社会が認めるのであれば,今後,産科医側にもそれなりの責任が生じてくるでしょう.予見可能な先天異常児の出生を避ける機会をご両親にある程度保証することが,将来的に産科医の責務であるという方向にかわってくることが予想されます.

染色体異常の出生前診断についてはいろいろな意見がありますが,超音波検査ですこしでも染色体異常を疑わせる所見をみつけだして羊水検査を勧めることが,今後,産科医に求められる時代がくる可能性があります.実際のところ欧米ではすでにそのような状況になっています.妊娠初期の超音波スクリーニング,母体血による胎児染色体検査(NIPT)などは,実は欧米でのそういった社会的ニーズにこたえるためにでてきたものです.いずれも超音波スクリーニングや遺伝カウンセリングのための専門的トレーニングを必要としますので,こういった初期のスクリーニングについては,専門機関の専門医が対応すべきかもしれません.

羊水染色体検査をプライマリの産婦人科医がおこなっている国は,いまや世界でおそらく日本だけだろうと思います.羊水穿刺手技の技術はもちろんですが,ただ刺すことが検査のすべてではなく,その前後の専門的,かつ微妙な内容の遺伝カウンセリングを,通常のいそがしい日常臨床の片手間に行うことがはたしていいのかどうか? NIPTをめぐる一連の議論で,診療所レベルで羊水検査を自由にやっているのに,それよりも安全で簡単なこの採血検査をなぜできないのか,という意見がでていました.しかしこれは論理が転倒しているのであって,むしろ羊水検査こそ遺伝専門医のいる施設においておこなわれるべきかもしれません.

 まとめ

「出産するか人工妊娠中絶するか」の自己決定権をどこまで認めるか? その自己決定権が過失によりうばわれたときの賠償は精神的損害なのか,財産的損害までふくめるのか? 産科医療機関はどこまでの先天異常を予見しなければいけないのか? これらの問いは,刑法と母体保護法の不備や社会的コンセンサスの不在を考慮すると,おそらく裁判所がくだす判断をこえていると考えられます.社会が議論をつくしてコンセンサスをつくりあげていかなければならないものです.

ここにもNIPTをめぐる一連の議論におけるおなじ問題が立ちあらわれてきました.すなわち今こそわれわれは,出生前診断の問題をタブーとせず真正面から議論をして,社会的なコンセンサスを生みだしていく必要性です.

 参考文献

(1) 丸山英二編:出生前診断の法律問題.尚学社,東京,2008,pp44.なお本文では複数箇所で本書を参考とさせていただきました.

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カウンタ 9356 (2013年6月1日より)