トップ 差分 一覧 ソース 検索 ヘルプ PDF RSS ログイン

気仙沼市立病院産婦人科に応援に来てくださったかたがた

気仙沼市立病院産婦人科に応援に来ていただいたかたがた1(2011年4月〜8月)

→ 気仙沼市立病院産婦人科に応援に来ていただいたかたがた2(2011年9月〜)

→ 気仙沼市立病院産婦人科長・宇賀神智久先生からの感謝の言葉

気仙沼市立病院

 

応援いただいた先生方のご紹介

応援に来ていただいた先生がたのお写真とコメント,いただいた文章などです.

花岡正智先生(国立成育医療研究センター)

(フェイスブックより)

震災のとき、気仙沼に支援に行きました。微力ながらお役にたてたと思うと嬉しいです。現地のことがいつも気になります。気仙沼支援報告を拝見して、よく存じている方も応援に行かれていたことを初めて知りました。心が温まります。多くの方が手を挙げてリレーされたことを忘れません。 (花岡正智)

 

今野秀洋先生(国立成育医療センター)

両親の実家が宮城県にあることもあり、気仙沼でのボランティアのお話があったとき、手を挙げさせていただき、震災から約2ヶ月後の気仙沼に出向することになりました。

気仙沼の被災状況や病院の状態などの情報も限られており、はたして自分がどれだけ役に立つのだろうか不安がありました。

しかし実際働いて、いつものように自分ができることをすればいいのだと避難所暮らしをしている方々から教えられました。

自分にとって非常によい経験をさせていただき、本当にありがとうございました。室月先生、宇賀神先生やスタッフの皆様に心からお礼を申し上げます。

また気仙沼に訪れたいと思います。 (今野秀洋)

 

松村栄恵先生(バングラデシュ・LAMB病院)

(いただいたメールより)

--- 気仙沼でボランティアをする機会をいただき、少しでも地元の痛みを近くに知る時であったこと、を思い返しています。2件のお産に立ち会わせていただいて、たいへんな安産でしたが、このタイミングで生まれる命の重み、産婦人科医であることの意味、ということを深く考える機会となりました。

改めて、このような機会を与えてくださり、慣れない者を使ってくださった、気仙沼市立病院の先生方・スタッフの皆様、に、心からお礼申し上げます。寒波が来ておりますので、ご自愛ください。(2011年12月24日)

--- 海外にいる日本人たちが、あのときどれほど心を痛め、日本にいれないことに心苦しく、はがゆく感じていたか、思い出します。・・・・・

東北の状況はまだまだ落ち着かない日々が続き、さむいなか、人々の悲しみや家族を失った空虚感は日増しに強くなっているのではないか、と心配します。私も東北出身ですので、あの人、この人、の顔が浮かびます。

アメリカでも、多くの人が、日本の津波と核施設問題のその後を心配し、日本人のために祈っているよ、と言ってくれます。津波の直後ボランティアに行ったという人にも会います。東北のみなさんが、世界から忘れられていないことを伝えたいと思います。(2013年1月3日)

 

左合治彦先生(国立成育医療センター)

震災の支援として成育周産期から宮城こども病院へ医師を短期派遣し、その延長で気仙沼へも行っていただいた。若い医師4名の希望があり、4名を仙台へ派遣し、うち2名は気仙沼にもいっていただいた。私自身、お手伝いと視察をかねて気仙沼へ入った。当直をする気でいたが、年寄りの当直はむしろ気をつかうとのことで、免除となった。

外来は、一見、普段とかわらぬ様子であったが、外の光景と重ねると、奥にある深い悲しみに耐えた上でのことだとわかる。宇賀神先生はじめ医師、看護師さんが気負わず自分たちの役割をきちっと果たしていることに感嘆した。お節介でない、息の長い、本当の支援ができればと考えている。 (左合治彦)

 

西林学先生(埼玉医大)

(いただいたメールより)

ただいま、東北新幹線の車中です。お陰様で、無事に気仙沼での任務を果たすことが出来ました。宇賀神先生を始め、気仙沼市立病院の先生方やスタッフの皆様には、大変親切にして頂き、あたかも普段から勤務しているようでした。ご承知の通り、私が滞在した時期は分娩、急患ともにほとんどなく、あまりお役に立てなかったのが、残念です。

先生のお陰で、このような機会を持つことが出来ました。心から御礼申し上げます。今後ともよろしくお願い致します。 (2011年6月10日)

 

遠藤誠之先生(フィラデルフィア小児病院,現大阪大学)

気仙沼でのこと (遠藤誠之)

これは、私の癖かもしれないが、落ちている自転車を見ると拾いたくなる。昔、東京日本橋から京都三条大橋まで東海道を歩いて帰るとき、静岡の丸子峠の崖に落ちていた自転車を拾って大いに活用した。また、芦屋浜に落ちていた自転車を拾って家に帰る時、警察に職務質問をされて、パトカーで家までつれて帰ってもらったこともある。気仙沼でも河原に落ちていた自転車を拾った。前も後ろもタイヤはパンクしていたので、これを駅前通りにある自転車屋さんで丁寧に直してもらった。拾った自転車にどうかとも思ったが、盗難予防のため、ついでに鍵もつけてもらった。

その自転車に乗って、気仙沼界隈を走り回れるだけ走り回り、目にできる景色をできるだけ目にしようとし、感じられることをできるだけ感じようとした。いろいろな場所で、驚くような風景、泣きたくなるような風景、むっつり黙り込んでしまうような光景を見た。その一方で、思わずにっこりとする風景や、復活を予感させるような風景にも出会った。美味しいお酒も買うことができたし、気仙沼ホルモンも買った。ロールケーキも買って詰め所に渡した・・・。

その中で特に印象に残った風景は、川の中に沈んだ家の屋根の上に、無数のカモメ達が羽を休めている光景だった。暖かい日差しの中で、気持ち良さげに昼寝をするものもいた。彼らカモメの生活は、震災の前と、震災の後とではそんなに変わらないだろう。それとは対照的に、我々人間の受けたダメージはなんと大きいことか。我々人間の当たり前の生活が、如何に人間が緻密に作り上げた文明の恩恵の上に成り立っているものなのかを、カモメ達の普段通りの生活を目にすることで、改めて認識させられた。

気仙沼市立病院の産科外来には、多くの妊婦さんが訪れる。病棟では、新たな生命が産まれてくる。お腹の中の胎児も、新たに産まれて来た赤ちゃんも、そういう意味では、あの川の中の家の屋根の上で日向ぼっこしているカモメと同じで、震災前と震災後とでも、そう変わらない生活を送っているのだろう。そして、だからこそ、私はそこに人間の生きる力を感じた。 (遠藤誠之)

 

佐藤加寿子先生(埼玉医大)

 

喜吉賢二先生(兵庫県立こども病院)

(いただいたメールより)

朝、なんとか予定通りに気仙沼まで来れました。やっぱり、着くなり、妊婦さんの列が、、、。日頃、ハイリスク外来しかしておらず、数を多くするのは久方ぶりでしたので、少し戸惑いました(--;)

午後は、あまりイベントも無さそうで、むしろ今日、町の様子を見に行かれたらどうですか?とのことで、支援物資の中古自転車で街をうろうろしていました。テレビではわかり得ない惨状、復興の遅れを目の当たりにして、阪神の時とはあまりにも違う震災の規模を実感しました。

ただ、病院近辺はいろいろと復興していて、元気な様子も見れて、そこは安心できました。まだいろいろと書きたいことは思い浮かびますが、だらだらとなってしまうので、この辺にしておきます。

常勤医の両先生にもよくしていただいてます。むしろ迷惑をおかけしているように思いますが、夜はゆっくりしてもらえるようにしたいと思います。(2011年6月28日)

 

岡本陽子先生(兵庫医大,現大阪府立母子医療センター)

(いただいたメールより)

昨夜、帰阪しました。ご連絡ありがとうございました。幸い、病院も落ち着いた時期で、仕事量少なく終わってしまったのが申し訳ないのですが。。。

気仙沼市内の状況は、報道で見るのと直接見るのとでは雲泥の差で、5ヶ月経ってまだこのようなのか、という想いです。少しずつでも、周囲の人に伝え続けていこうと思います。

貴重な経験の機会をいただき、本当にありがとうございました。また、何かありましたら、声をかけてください。 (2011年8月6日)

 

木越香織先生(国立長良医療センター)

気仙沼市立病院の診療援助に携わって (木越香織)

3月に東北、東日本を襲ったこれまでにない大規模な震災に関する報道は連日なされてきた。しかし、自分の生活圏内にいると日常の生活は繰り返され、人、街、自然もこれまでとほぼ変わらなかった。自分はただ毎日を過ごすだけで、実際に何が出来るわけではないが、微力でも東北復興に協力できたらと考えていた時に、気仙沼市立病院の診療援助の話を耳にし、8月9日から12日気仙沼市に滞在する機会を頂いた。

気仙沼駅からタクシーに乗って病院へ着いた時は、病院には医療者、患者、その家族が集まっており、どの病院でも当たり前にみられる光景がそこにはあった。駅からの道中、病院の窓から見える景色からは、津波が来たという事実を感じられなかった。5ヶ月の間に随分復興したのだと思い安堵した。しかしすぐに、何気ない診療の中で震災の爪痕を感じることとなった。津波で子供が全員亡くなった方が出産され、「みんないなくなっちゃった。この子が無事産まれるか不安でした。これから皆の希望にならなくちゃ。大切にするからね」と話をされたり、健診に来られる方が仮設住宅暮らしだったり、私が実際に思っていた以上に、あちらこちらに震災がまだ続いていた。

滞在2日目の夕方、津波にのみ込まれた気仙沼港に足を運んだ。瓦礫を片付けている人以外、ほぼ人の姿はなく、そこにはこれまであったものが、突然無残に崩れ無になった街があった。私はただその場所を見ることしかできなかった。あの日まで活気に溢れ、人の生活があった場所がこんな姿になったのだと肌で感じた。気仙沼にやって来て、街も人も自分が思っていたより元気になっていたのだと思ったことが、現実を知らなかったということが恥ずかしく思えた。しかし、辛いこと、悲しいことばかりではなかった。震災から5ヶ月目の8月11日夜には、復興と鎮魂の花火が被害のあった沿岸部で上げられた。ちょうどその時刻に産まれた赤ちゃんを見て、亡くなった人がたくさんいる中で、生まれてくる命があり、やはり人は強いものだと思った。診療援助という形で訪れたが、その出産された患者さんからは、「わざわざありがとう。こんな日に先生が出産に立ち会ってくれたことは、いい思い出になります。」と逆に力をもらい、つらい現実と向き合いながら前を向いて頑張っている人や街に自分が励まされた。短い期間ではあったが、気仙沼の街や人に触れて、自分が何か力をもらって帰ってきた。

最後に、お話を下さった室月先生、気仙沼市立病院の宇賀神先生、湊先生、病院スタッフの皆さん、気仙沼の方々に感謝いたします。一日でも早い復興を願っております。 (木越香織)

 

山田俊先生(北海道大学,現北海道社会保険病院)

 

武井弥生先生(北海道大学)

「あの年に中央アフリカ共和国でのもの」

大災害の中に生き残った古い病院の、若い産婦人科医とスタッフに、心から声援を送ります。 (武井弥生)

 

中村靖先生(茅ヶ崎徳洲会病院,現湘南藤沢徳州会病院)

震災以来、何かしなければ、という気ばかり焦りつつ、素早く行動に移すこともできずにいた私に、行動の機会を与えていただいたことにまず感謝いたします。行った日には一晩で4,5件のお産があって、新鮮な気持ちで仕事ができたように思います。翌日に自転車で回った港湾部の荒廃は、もうだいぶ日がたっていたにもかかわらず、残酷な爪痕が残っていて、その臭いとともに強く記憶に残っています。そんな中、皆で力をあわせて大事な役割を継続的に果たしておられた、宇賀神先生はじめスタッフの皆さんの働きぶりは、本当に賞賛の言葉も見当たらないぐらいでした。

僅かな期間、スポットで訪れただけで、その後何にも繋げることもできず、単に自己満足に終わっただけなのではないかという気持ちが拭えずにいます。今一度、この時の気持ちを思い出して、自分の果たすべき役割について、考え続けようと思っています。 (中村靖)

--------------------------------------------------------------------

ご感想ご意見などがありましたらぜひメールでお聞かせください
アドレスはmurotsukiにyahoo.co.jpをつけたものです

気仙沼市立病院産婦人科に応援に来ていただいたかたがた2(2011年9月〜)

感謝の言葉(気仙沼市立病院産婦人科長・宇賀神智久先生)

気仙沼市立病院産婦人科支援プロジェクトのご報告 にもどる

東日本大震災後のわれわれの活動記録 にもどる

フロントページ にもどる   

カウンタ 9714 (2013年1月2日より)