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マウス顕微授精により引き起こされた経世代異常について
―動物モデルを用いた不妊治療の安全性検証―

京都大学大学院医学研究科
篠原 隆司

Kanatsu-Shinohara M, Shiromoto Y, Ogonuki N, Inoue K, Hattori S, Miura K, Watanabe N, Hasegawa A, Mochida K, Yamamoto T, Miyakawa T, Ogura A, Shinohara T.
Intracytoplasmic sperm injection induces transgenerational abnormalities in mice
J Clin Invest., 133: e170140 (2023). doi: 10.1172/JCI170140


概要

京都大学大学院医学研究科の篠原美都助教、城本悠介助教と篠原隆司同教授らのグループは、顕微授精により奇形と行動異常が世代を超えてひ孫の代まで伝達されることを、マウスを用いた実験にて見出しました。

現在、Assisted Reproductive Technology (ART:生殖補助医療)の中心となる技術としてin vitro fertilization(IVF)とintracytoplasmic sperm injection(ICSI: 顕微授精)という方法が利用されています。前者は精子と卵子を体外で受精させ、受精卵を培養してから子宮に戻す方法であり、後者は顕微鏡下で一つの精子を卵子の中に直接注入し受精させる方法です。これらの技術開発によりARTにより生まれる子供の数は急速に増加しました。これまでに、世界では1,200万人ほどの子供が生まれており、我が国では2021年の段階で11.6人に一人がARTで生まれています。しかしながら、いずれの技術も動物実験による安全性の確認が十分に行われず臨床応用されたため、ART出産児の健康に対する長期の影響や孫世代への影響について懸念されています。

本研究で私たちは健常な純系マウスを用いたICSIにより子孫の作製を行いました。その結果、第一世代のICSI産仔には外見上は大きな影響が見られませんでしたが、行動解析を行ったところ不安様行動、社会的行動異常、記憶障害などの症状が見られました。第一世代のICSI産仔から次世代(第二世代)をIVFにより野生型マウスの卵子を用いて作出したところ、着床不全による流産に加え、水頭症、無眼症、臍帯ヘルニアなどの奇形が起こりました。また行動異常は第二世代でも継続して観察され、先天性奇形はひ孫の世代まで継続しました。本研究から、ICSIによる受精は産仔の生殖細胞に異常を引き起こし、経世代的に異常が伝達される可能性が示唆されました。

1. 背景

現在6 組に1 組の夫婦が不妊であり、少子化は大きな社会問題となっています。不妊症の治療方法にARTが広く用いられています。ARTは19世紀末に行われた胚移植技術や20世紀半ばからの初期胚培養技術の開発に支えられたものであり、これらの成果がヒトへ応用された結果、1978年に世界最初の試験管ベビーが生まれました。その間、1976年にintracytoplasmic sperm injection (ICSI;顕微授精法)が開発されました。この方法は顕微鏡下で、一つの精子を卵子の中に直接注入し受精させる方法です。当初ICSIにより産仔を得ることは困難でしたが、1988年に京都大学の入谷明博士が最初にウサギ2匹の作出に成功し、その後1990年にはウシ2頭の出産が報告されました。ICSIはその2年後の1992年にベルギーで臨床応用されました。これまでに、世界ではARTにより1,200万人ほどの子供が生まれており、我が国では2021年の段階で11.6人に一人がARTにより生まれています。

このようにARTは広く社会に受け入れられ昨年からは我が国でも保険適用の対象となっています。しかしながら、いずれの技術も動物実験による安全性の確認が十分にされずにヒトに応用されたため、ART出産児の健康に対する長期の影響や孫世代の異常について懸念されています。ARTにより生まれた赤ちゃんで大きな奇形は見られないものの、自閉症や精神発育遅滞などが報告されています。一方で、これを否定する報告もあります。ヒトは遺伝的に不均一であることや、不妊症の配偶子を用いているために子供に異常が起こった可能性も否定できず、ART自体により異常が生じるのか、ARTがどの程度ヒトの健康に影響を与えているかについては結論が出ていません。

新たなARTの一つとして近年注目されているのが精子幹細胞を用いた技術です。精子幹細胞は精巣にあり、精子形成の源になる細胞です。私たちのグループは2003年にマウス精子幹細胞の長期培養に成功し、この細胞をGermline stem (GS)細胞と名付けました。GS細胞は試験管内では2年以上の長期にわたり安定して増殖しますが、不妊マウスの精巣内へと移植すると精子形成を再開し、子孫を作ることが出来ます。近年のがん治療の進展により多くの小児がん患者の命が助かるようになりました。現在は8-9割の患者が生存できるようになり、20代の若者の250人に一人が悪性疾患の生存者だと考えられています。その一方で、がん治療の副作用として不妊症が問題となっています。放射線療法や化学療法により生殖細胞ががん細胞と共に破壊された結果、がん治療は成功しても生殖細胞を喪失してしまうために、治療を受けた小児の約半数程度が成人した後に不妊症になるケースが増加しています。しかしながら、小児患者においては成熟した配偶子がないため、現在のIVFやICSIを適用出来ません。一方、精子幹細胞は小児の精巣にも存在し、精巣の一部分をがん治療の前に回収して精子幹細胞を試験管内で増幅したのちに凍結保存することが可能です。がん患者が成人したのちに、凍結保存したGS細胞を精巣へ自家移植することで不妊症を回避できると期待されています。その結果、2019年の段階で世界の29カ所で1000名を超える小児がん患者の精巣が保存されており、「精巣バンク」は新たなARTとして臨床応用される可能性が出てきました。

私たちは臨床応用を行うためには十分な動物実験でGS細胞の安全性を検証することが必要だと考え、遺伝的に均一な純系であり健常なマウスを用いて実験を行いました。ヒトでは一世代が約30年かかりますが、マウスでは世代時間が2-3カ月であるために次世代に対する影響も早期に確認することが可能です。また遺伝的に均一な系統を同一の環境で飼育することが可能であるため、ヒトで解析するよりも明確な結果が得られると期待して実験を行いました。

2.研究手法・成果

私たちはGS細胞から子孫を作製しました。GS細胞を先天性不妊マウスの精巣に移植し、ドナー細胞からできた精子を用いてICSI により子孫(F1産仔, GS+ICSI群)を作製しました。この実験ではGS細胞の対照群として、一つは自然交配で生まれた産仔(自然交配群)、もう一つは正常なマウスの精子を用いたICSIで産仔(ICSI 群)を作出しました。この3種類(自然交配、ICSI、GS+ICSI)のマウスを比較すると、自然交配群とICSI 群では外見上健常でしたが、GS+ICSI群では体重が重く、胎盤のみしかないマウスも観察されました。

ヒトARTでは精神発育遅滞や自閉症などの行動異常が報告されています。そこで次のステップとして、この3種類の雄マウスの行動解析を行ったところ、ICSI群の第一世代(F1)マウスでは不安様行動、社会的行動の異常、記憶力低下が観察されました。これらの症状はヒトICSIでも報告された症状と類似点がありました。GS+ICSI群F1産仔ではこれらの症状に加えて、鬱様行動や活動量の低下や驚愕反応の亢進なども見られ、より顕著な異常を示しました。これらの結果はICSI が子孫の行動異常を引き起こすこと、また精子幹細胞の試験管内培養は子孫の行動異常をさらに悪化させることを示しています。

そこで私たちはこれらの行動異常が次世代にも伝達する可能性を検討するために、F1産仔からIVFにより孫世代(F2産仔)を作製しました。3種類(自然交配、ICSI、GS+ICSI)のF1雄マウスの精子を野生型マウスの卵子と受精させ、F2子孫を帝王切開により回収しました。ところが、ICSI群とGS+ICSI群において高頻度の着床不全が起こるのみならず、様々な奇形を持つ産仔が生まれてくることが分かりました。水頭症(1.7%)や無眼症(2.6%)などをはじめとして、全体として11.2%の産仔に奇形が認められました。これは通常に自然交配で生まれるマウスで起こる頻度よりも著しく高いものです。例えば、水頭症は自然交配では0.029%でしか見られませんが、ICSI群ではその137.9倍の頻度で異常が起こっていました。この異常はF1雄の精子から生まれたF2産仔に限らず、F1雌の卵子から生まれたF2産仔を用いた場合でも確認されました。また自然交配群でも、老化したF1雄の精子を用いてIVFを行った場合には、ICSI群F2産仔と同様な奇形が認められました。

F2世代の産仔の行動解析を行ったところ、F1世代よりもやや症状は改善したものの、概ね同様な行動異常がICSI群、GS+ICSI群でも確認されました。またいずれの群においてもF1世代とは異なる、新たな症状も観察されたことから行動異常も次世代へと伝達することが明らかになりました。

これまでのところ奇形の異常はひ孫(F3世代)でも確認されており、ICSI群、GS+ICSI群のF1産仔からIVFだけでなく自然交配で出来たF2産仔にも奇形が観察されています。

これらARTによる異常の原因を解明するために、ゲノムインプリンティングに異常がある可能性を考えて、精子形成やF1産仔由来GS細胞の樹立を行い遺伝子発現解析とDNAメチル化解析を行いました。しかしながら、今のところ原因の解明には至っていません。

以上の結果により、我々はICSIやGS細胞の培養により子孫の行動異常や奇形が起こることを見出しました。F1産仔は外見上大きな異常は認められなかったことから、F1産仔の生殖細胞において起こった異常がF2, F3世代で顕在化した可能性があります。

3.波及効果、今後の予定

遺伝的に均一な純系マウスを用いたART技術の評価系は、これまで評価が定まらなかったヒトARTの改善に寄与するものと期待されます。マウスとヒトの種間差は大きいため、私たちのマウスでの研究成果がそのままヒトICSIにも当てはまるかについては未知数です。しかしながら、一方でサリドマイド投与事件では十分な動物実験が行われなかったために多くの人が薬害を受けた例もあります。現在用いられているARTはいずれも十分な動物実験を経て確立された技術とは言いがたく、今後さらなる実験動物を用いた評価が必要です。GS細胞の臨床応用については、GS細胞の移植後にICSIでなく自然交配により産仔し、その場合でも異常が起こるかを検討する予定です。

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