日本赤十字看護学会

学会出版物・報告

訪問記 2014

石巻だより:東日本大震災からもうすぐ4年

看護基礎教育の現場で大切にしたこと-専任教師へのインタビューより-

東日本大震災からもうすぐ4年です。日本赤十字看護学会広報委員会では災害時等の教育支援の在り方を検討するため、石巻赤十字専門学校の専任教師にお話しを伺いました。

◎震災当日/避難する決断をするまで

あの日、学校は卒業式の翌日でした。3年生が前日に卒業したので、学校にいたのは1年生と2年生の80名、卒業式の後片付けにきていた卒業生5名、私たち教職員が約10名で、95名くらいでした。大きな地震があって、あの時、非難するかどうかの判断は、なかなかできませんでした。停電になったので、すぐ持ち出せるようなカセットラジオに電池を入れて、情報収集を始めました。ラジオでは「女川で津波が20m」と言っていたのですが、「ふーん」と、そのような情報は耳を通り過ぎてしまいました。「サイレンが鳴っている」「逃げなさい」という声も聞こえていたのですが、そういった情報の信頼性がどの程度なのかわからず、避難することを判断できないでいました。

そのような中、私たちは「危ない」とは思ったのですが、男性事務職員が、「ちょっと海の様子を見に行ってきます」と行ってしまいました。私たち教員は、学校の中に入れる状況でないので、テントを張ろうとテントを出そうとしていました。その時、ちょうど事務職員が戻り「北上川の水がすっかり引いていた。これは絶対大きな津波が来る」と言うのです。同時に、ラジオを持っていた学生が「女川に津波が来たそうです、先生!」というので、「すぐ逃げないと危ない!」ということになり、学生全員と湊小学校に避難し、何とか津波到達時間には間に合い、助かったという状況でした。

◎震災後/近くの大学を間借りして始まった2011年度の「廊下の実習室」

2011年度は、5月30日が入学式で、6月からスタートしました。校舎は使用できる状況ではありませんでしたので、近くの大学の一部をお借り授業が始まりました。
間借りしての授業の中で、なんといっても大変だったのは、「実習室の確保と技術演習」です。「お湯が出ない」「水が出ない」「デモンストレーションをするにしても裸になれる場所がない」等で、大学の階段の踊り場のようなところを、ロッカーとパーテーションで囲んだ中にベッドを置き、「実習室」として使用しました。

石巻だより:東日本大震災からもうすぐ4年2014年夏

ベッドも不足していて、被災した学校で使用していて津波で濡れずに済んだものを、なんとか運び出しましたが、スペースもないので、通常のベッド数は確保できず、学生40人に、ベッド8台で技術演習等を行いました。また、「廊下の実習室」は、冷暖房がない中、学生40名が詰め込まれた状況なので、夏は、汗がだらだらと流れ、脱水にならないかと心配になり、冬は寒く、風邪をひかないか心配になりました。とにかく、学生たちはとてもかわいそうでしたが、こんな状況でも、こんなに一生懸命に学ぶのだと、とても感心もしました。

また、授業についても、今まで積み重ねてきた講義資料などもすべて流されたので、一から組み直さなければなりませんでした。2011年はものすごく短期間で授業をし、夏休みもお盆期間の1週間だけ、冬休みは年末年始だけというように、学生は教員と休み期間が一緒でした。また、2月の国家試験受験のために、新学期が6月から始まったので授業の進度を遅らせたくなくスケジュールを過密にするしかありませんでした。

◎震災から1年/仮校舎に移ってから、病院と連携した技術演習の工夫

間借りしてから、1年後、病院の敷地の中に、「仮校舎」が建てられ引っ越しをしました。

石巻だより:東日本大震災からもうすぐ4年2014年夏

間借りしていた「廊下の実習室」よりは、倍以上の広さはありますが、やはり物品が少ない、十分なスペースが取れないという状況が続いています。倉庫自体も狭いので、必要な物品が実際に使える状況になく、実習室にはモデル人形や車いす、ベッドしか置けないので、学生がいつでも使用して良い状況にできず、技術のフォローをするのが大変でした。

また、実習で使用する物品の支援はあっても「物があっても狭いので開けない」「滅菌物の期限が切れている」等で、使えずに、その時手元にある少ない物で演習をしていました。

石巻だより:東日本大震災からもうすぐ4年2014年夏

沐浴の演習等は、病院実習の際に、全員体験できるので、考え方を切り替え、「実習で、実施できることは、実習の時にさせてもらおう」と、病院にも協力をお願いしました。

◎復興に向けて/専任教員の変化

様々な学校から多くの先生に支援をいただきました。実習指導をお願いすることが多かったのですが、その先生方が卒業式などに来てくれると、学生たちは、「あの時、教えてくれた先生だ」と、とても喜んでいました。また、先生方の支援は、実習の支援やシラバスの整理、名簿の復旧のみならず、教員に多くの刺激をいただきました。

例えば、現在、図書の整備を進めています。図書は専門書から揃えていったので、領域別の参考書等はあるのですが、文学、社会学、心理学等の教養科目にあたる本がありません。また、文献検索システムもありません。実は、この文献検索システムは、震災前から入っていなかったのですが、そのことに教員は気づいていませんでした。しかし、その必要性に気づかせてもらい、学校としても学習環境を良くするために、整備をしていこうという方向になりました。新しい学校が出来てから考えるのではなく、今の段階から将来を見据えて準備することが重要だと思いはじめ、教員の大学院への進学等も実現し始めました。

石巻だより:東日本大震災からもうすぐ4年2014年夏

このように、震災後に、他大学の教員がこの学校に支援に入ってくれたことで、教育に関して多くの刺激を受け、震災前よりも教員としての視野が拡大していきました。

◎あとがき

インタビューをさせていただき、石巻赤十字専門学校の歴史の中で受け継がれてきた学生の教育に対する真摯な姿勢を感じさせていただきました。そして、この震災の体験をより良い教育を実現するための改革へのチャンスととらえ始めていることを感じ、私たちの復興への支援の在り方についても考える時間となりました。

(文責:原 玲子)