日本赤十字看護学会

学会出版物・報告

震災及び激甚化・頻発化する風水害における災害支援活動の実際と共有したいこと

― 巡回診療・避難所支援・こころのケア ―

 2023年5月WHOの緊急事態宣言解除後、コロナは感染症法5類へと移行しました。しかし、各種災害の脅威は変わらず存在し、震災及び気象異常に伴い激甚化・頻発化する風水害への対応は、今後も続くと予想されます。様々な災害の後に、変化・発展してきておりますが、季節や地域に即した仕組みや支援が必要となり、災害看護活動もいろいろな場面で展開されております。
 今回、令和5年の災害において、実際に活動にあたられた4名の看護職者の方々のお話を伺い、「今」と「これから」のより良い実践やマネジメントについて、皆様と分かち合いたいと存じます。


1.巡回診療

金沢赤十字病院 看護係長
岩野 泰 氏

※筆者提供

―どのような活動をされたのでしょうか
 2023年5月5日に奥能登地方を震源とするマグニチュード6.5の地震が発生しました。住宅の倒壊は全壊15棟、半壊15棟、一部破損706棟でした。当初避難所は珠洲市内の20箇所に254人が避難され、5月9日にはライフラインが回復し避難者は18名となりました。5月9日より第1班が出発しており、医療機関は機能し医療ニーズは少なく、戸別訪問による保健活動が中心であったと情報がありました。支援対象者は高齢者であり健康チェック、精神的ケアの需要があると判断し、巡回時に対応できるようにしたいと考えました。
 5月12日、第1班からの引き継ぎで要介護の高齢者、障害者の独居者宅を車で巡回しました。保健福祉課により提示された聞き取りシートに沿い、既往歴や内服薬の有無、健康状態の把握や住居の罹災状況の確認、ボランティア利用の案内を行い、こころのケアなど継続して関わる必要がある人をスクリーニングする活動を行いました。1日に約15件から20件を訪問し、2日目からは対象者が75歳以上の一人暮らしの方へと拡大されました。

―活動において、印象的であった事や難しいと感じたのはどのようなことでしたか。
 今回、特に印象に残ったのは、区長から保健福祉課に直接確認依頼があり、避難を希望されなかった方です。その家は外壁にひびが入り、壁が歪んでいるのが分かりました。中に入ると、80歳台の高齢夫婦が2人で暮らしており、共に身体に障害がある方でした。夫と会話をしながら健康状態を観察すると、喘鳴が聞かれ発熱もありました。妻が夫の食事介助を行っており、配給されたおにぎり食べさせていると、むせていたと情報を得ました。妻の思いを傾聴していたところ、「近所の人達に助けてもらっている。子供達はみんな遠くに行き誰も帰ってこん。」と涙を流し話されました。今にも壊れそうな家の中で、妻は一人で夫を介護し生活しており、余震が続く中、食欲もなく、夜も不安で眠れない状況であることがわかったため保健福祉課へ報告しました。その後すぐケアマネージャーに連絡がされ、夫は夕方には総合病院へ入院、妻は精神サポートを継続して受けることになりました。関わりを通して、物事をスピーディに進めるためには、多機関多職種の連携がより重要となったことを実感しました。
 災害時、自助、公助に加え、独居の高齢者が多い地域では共助が特に重要であると改めて考えることができました。珠洲市内を巡回中、「行政は水が出なかったら、給水所まで取りに来いと言うけど、足が悪いのにどうやって一人で重い水を取りに行けっていうの。」という声もあり、状況に応じた柔軟で迅速な連携や対応の困難さを感じました。

―今後、国内での災害救護活動にあたる看護職者へのメッセージをいただけますか
 被災者は、「あと何年生きられるかわからないのに、何百万もかけて家を直そうとも思わない。子供達の所には、気を遣うし言葉(方言)の違う所には行きたくない。生まれ育ったこの土地から離れたくない。」等と苦悩を持っていました。珠洲の人達がこの土地を離れたくないという気持ちが伝わってきました。後継者がいないこの地域の現状を目の当たりにし、コミュニティーの繋がりの深さを実感しました。災害時は、被災者個々に合った生活援助が行うことが困難な状況です。複雑な胸中にある被災した高齢者に、看護師として被災者の目線で寄り添いながら健康管理の維持に努めていくと共に、コミュニティーとの繋がりを活用することが重要だと思いました。


2-1).巡回診療

福岡県支部 救護課参事
濱田 利香 氏

―どのような活動をされたのでしょうか
 7月7日の豪雨災害で被災した村より日赤に対し、看護師の派遣要請がありました。私は、福岡県内60の市町村の中で人口約2000人と一番少ない山間の村で支援をしました。具体的な活動内容は被災者の体調管理や心理社会的支援、ボランティアの方々の体調管理などでした。県支部職員として看護師1名と救護福祉係長1名が現地に向かいました。この村の社会福祉協議会は災害対応職員やボランティアセンターを取りまとめる役割を果たしていました。職員の方とブリーフィングを行い、現地の状況を把握し、ニーズを確認しました。この地域は災害により道路が寸断された状態でした。村の保健師や看護師は役場での災害対応に追われており、個別支援として巡回活動する看護師がいない状況でした。
 社会福祉協議会の方と地域を巡回し、豪雨により流された土砂や家の復旧に追われる方々へ声をかけ、熱中症や怪我の有無、精神面へのケアなどを行いました。様々な地域からのボランティアの方々にも声をかけ、猛暑の中での作業への体調管理などを行いました。避難所は開設されてはいましたが、ほとんどの被災者の方が自宅に戻り復旧に向けた対応に追われている状況でした。
 支部では7月7日の発災から救援物資の支援などの調整を開始しました。看護師派遣は7月15日~29日まででした。この期間3病院(福岡赤十字病院・嘉麻赤十字病院・今津赤十字病院)からの看護師派遣を調整しました。
 29日に現地の状況、寸断された道路の復旧などを確認し、初日に気になっていた方々の生活が復旧している様子を確認しました。道の寸断により通行止めとなっていた地域への巡回も行いました。社会福祉協議会でのデブリーフィングを行い、復旧作業は継続している状況でしたが、看護師派遣は活動終了としました。

―活動において、印象的であった事や難しいと感じたことはどのようなことでしたか。
 この村は2017年7月の九州北部豪雨災害でも大きな被害を受け、その6年後、同様の豪雨災害に見舞われたことは、本当に胸の痛むことでした。大切な自宅が土砂や大木に流された中での作業に心身ともに疲れた様子の家族や道路の寸断により医療機関を受診することもできない状況にありました。高齢の一人暮らしの被災者の方は私たちの姿を見て涙を流し、不安な気持ちを話され落ち着かれました。
 被災者の思いを受け止め、支援し、普段の生活を取り戻していけるよう健康面や心理社会面に働きかけていくことが私たちのできることであったと考えます。
 難しいと感じたことは、7月7日に発災後なるべく速やかに現地に入り状況をアセスメントしたいと考えていましたが、様々な行政機関の動きや判断を見ながら動くこととなり、結果的に待ちの状態がありました。現場に足を運び、ニーズを判断することが何より大切であると考えます。速やかに災害によって機能していない部分を補い、地域の回復力を支える手助けができればと考えます。そのためには平時からの防災への取り組みを通して関係づくりをしておくことが必要であると考えます。

―今後、国内での災害救護活動にあたる看護職者へのメッセージをいただけますか
 私は2023年4月より福岡県支部で参事として勤務し、普段は講習普及を担当しています。平時からの災害への備えや健康で安全にその人らしく生きていくことができる手助けができればと考え、講習普及活動を展開しています。平時からの備えが災害時に役立ちます。県支部は平時から社会福祉協議会などの行政機関や他団体との協働ができる機関でもあります。災害が激甚化・頻発化しているため、誰もが自分ごととして感じられるようになっています。平時から地域の皆さんが自身の備え(自助)やお互いに助け合う(互助)関係を築いていければ、災害の被害を最小限にすることができると考えます。県支部としては、平時から行政や他団体との地域づくりを行い、途切れることのない防災・減災体制の構築ができればと考えます。また災害救護にあたる方々が安全に安心して救護に専念できるような環境づくりができるように支部としてバックアップできればと考えます。


2-2).DMAT・日赤災害医療コーディネート活動

秋田赤十字病院 看護師長
今野 千春 氏

―どのような活動をされたのでしょうか
 7月14日(金)の天気予報で既に災害級の大雨が予想されていました。EMIS(広域災害救急医療情報システム)が警戒モードに変更となったことから、県内の災害拠点病院、日赤秋田県支部は警戒体制となり、救護班の当番になっている自部署スタッフへの派遣準備を促しました。
 7月15日(土)から断続的に大雨が降り続き、市内の中心部(東部・中央・南部)が冠水、市内にある400床以上の総合病院が周辺道路の冠水や浸水被害を受けていました。基礎疾患があり通院している被災者が道路の冠水や車の水没により受診行動が取れない、高齢者単身世帯や高齢者世帯では避難行動が取れず、自治会等周囲の住民から助けだされ、避難所に来られた方が散見されました。高齢者通所施設ごと被災し、施設スタッフが避難所内で他の被災者の介助を行っており、避難所管理者が福祉避難所への移動を要請していましたが、入所者が満床のため開設は困難と判断されました。
 DMAT活動として病院避難(避難者22名)の搬送支援・県内医療機関の被害情報収集を実施しました。また、被災者の健康ニーズ調査が保健師と避難所管理者との電話確認のみという情報から、ローラー作戦を講じ避難所アセスメントを実施しました。(発災1日目)
 市内保健所に地域保健医療福祉介護調整本部は立ち上がらず、日赤災害医療コーディネートスタッフとして保健師業務支援活動をしました。(発災3日目)避難者はほぼ高齢者、かろうじて身の回りのことは一人でできるが、話し相手が少ない、避難生活での刺激が少ないことから、生活不活発となりやすい状況でした。また、在宅避難者への介入には至っておらず住民の健康危機や福祉との連携に課題を感じ、行政に確認をしましたが活動期間内での方針は不明瞭でした。

―活動において、印象的であった事や難しいと感じたことはどのようなことでしたか。
 避難所が集約されるため、閉鎖となる避難所に向かい管理者に声を掛けた際「日赤なんだからもっと早く来てくれると思ってた。もう遅い。」と返ってきました。前日にDMATチームが避難所アセスメントを行いニーズはなしという情報でした。地域住民が赤十字に求めていることは何か、赤十字の救護服が繋いできた歴史について改めて考えさせられました。
 また、避難所管理者は「市民は平等」という価値観を重要視し、避難者の毛布は2枚までというルール。余剰の毛布は避難者に届かない歯がゆさがありました。「公平の原則」は説明しても理解されず価値観の相違は埋まりません。それぞれの役割、立場から被災者の健康維持・生活を守ることにおいて行政と医療従事者の価値観を対話で解決に導きたいと感じました。

―今後、国内での災害救護活動にあたる看護職者へのメッセージをいただけますか
 救護活動は、3つの目(鳥の目・虫の目・魚の目)が大切だと言われています。時間軸を意識し、地域全体の困りごとに目を向け、耳を傾け、保健・医療・福祉・介護に繋げる活動の大切さを改めて実感しました。赤十字救護の歴史を継承し、日頃から地域と密着している赤十字だからこそできる準備を取り組んでいきたいと考えます。


2-3).こころのケア

宮城県支部 事業推進課係長
佐藤 麻子 氏

―どのような活動をされたのでしょうか
 「2023年秋田県豪雨災害」に宮城県支部こころのケアチームの一員として、令和5年7月24日~28日に秋田県に派遣されました。
今回の派遣は、令和元年の東日本台風災害で甚大な被害を受けた宮城県の丸森町で実施した支援者支援の経験を活かし、町役場にこころのケアを導入する活動でした。派遣された時点で町役場にはこころのケアの提案はされていましたので、私たちは過去の事例をもとに具体的な説明を加えて内容をご理解いただき、ケアを受け入れていただけるよう働きかけました。結果、その日のうちに立ち上げが決定しました。
 提供した内容は、ホットタオル、アイマスク、ハンドケア、リラクゼーション、傾聴等で1人20分で施行しました。前回の経験を活かし大まかなケア内容をイメージし、物品を持参して向かいましたので、準備から開始まではスムーズに進めることができました。実施にあたり大切にしたのは環境調整で、十分な休養がとれていない方々が、楽な姿勢でケアが受けられるスペースを確保しました。
 また実施時間は、多くの方が受けやすいよう窓口の職員と検討し、ご提供いただいた会場に町民の出入りがなくなる16時からのスタートとしました。町民の対応で忙しく、また視線も気になる日中帯を避けたことは、ケアの受け入れに対するハードルを下げる効果があったのではないかと思います。

―活動において、印象的であった事や難しいと感じたのはどのようなことでしたか
 今回難しいと感じたことは、赤十字の窓口がない場所で、経験値の浅い活動をはじめることでした。現場で初めに感じたのは警戒感で、私たちの様子を遠巻きに見る方が多くいました。ケア2日目に町長に実践を交えた説明ができたものの、その他の幹部層への説明はできず、役場職員との距離を縮めることは叶いませんでした。また、役場の窓口が被災者支援の中心的役割を担っている部署であったため担当者の不在が多く、連絡調整がスムーズとは言えず、また担当者の負担が増しているようにも感じました。

―今後、国内での災害救護活動にあたる看護職者へのメッセージをいただけますか
 平時から地域や各団体と顔の見える繋がりを持つことの大切さ、早い段階で支援を求める受援力の重要性、活動を円滑に進めるために誰と繋がるのかの判断、受援側・支援側双方に過度な負担とならない方法の模索等、今回の活動では様々な気付きがありました。こころのケア活動は劇的な変化が見えるものではありません。むしろ何の手ごたえも感じず引き継ぐことが多いのではないでしょうか。しかし1回ずつの丁寧な関わりが実となることを信じて接していくものだと思います。また、これがこころのケアという確固たる内容はなく、災害の状況や被災者それぞれで違いがあるものです。何が被災者の心に寄り添うことになるか、一見すれば結びつかない内容かもしれません。ゆえに今後も固定観念を持たず、いつも想像力を持って柔軟でありたいと思います。