日本赤十字看護学会

学会出版物・報告

発想転換、在宅看護は変わる

在宅看護研究センターLLP 村松静子

「在宅看護って、財テクの“財”ですか」と言われた『在宅看護』が教育内容の1つの柱に据えられて15年をとうに過ぎました。周囲を見渡せば、訪問看護ステーションは六千箇所にも膨らんで・・変われば変わるものです。今では超高齢化・少子化の波を受けて、人々の健康に関する問題も、病院完結型ではなく、地域のニーズに応えるべく包括医療が求められるようになっています。否が応でも真剣に考えざるを得ない情勢なのです。継続教育として、在宅看護に関する研修を組み込む施設も増えてきました。「在宅看護は臨床とは違うから」とか「在宅看護?介護みたいなもの」などとはもう言っていられません。

在宅看護とは、私が私で居られる場で繰り広げる看護です。自分がつくったお気に入りの居場所で、自分自身の生活の流れを崩さないように看護が受けられるのです。看護師に求められるのは、知識を最大限活かした創意工夫のある看護の技とこころ。「医療職や福祉職の方は、あなたにはこれが必要、こうしなければ・・とおっしゃいますが、家庭というのは私たち家族一人一人が思いを込めてつくってきたものなのです。同じ目線で話してほしい。私たちの話をだまって聴いてほしい。単なる技術では困るのです」。在宅で耳にしたこの言葉、相手の心の風景をよみとる感性が看護師には求められます。

長年看護の実践に拘ってきた私の中では、在宅看護のイメージがより具体的になっています。団塊の世代が高齢者の域に入ったことから、2025年には、若者が2人で1人の高齢者を抱える計算になるといいます。世界に類を見ない超高齢大国に突入したわが日本、いよいよこの現実を避けては通れなくなって来ました。もう他人事ではありません。自分の事として考え行動する必要があるのです。物が豊富な今の時代、家で死ぬことなど考えたくない。考えられない。家族に負担がかかる。介護は大変だから・・いろいろな言い分に翻弄され、在宅での療養や最期の看取りは難しいと決めつけている人が多いのも事実です。一方で、今後の超高齢社会での医療・介護・福祉は、数少ない『永遠の安定成長産業』と捉えられているのです。政策上向かっている方向は明らかに在宅といえます。

私は看護に没頭し、「今、必要だから・・」の一心でこれまで動いてきました。動くことには意味があり、価値がありました。今では、周囲の言葉に振り回されて自分を見失わないようにしているところです。医師の指示の下で動く看護師、とはいえ、一職業人として、社会の中に位置づかなければ認められません。めまぐるしく変化する中で、私の閃きは早朝、5時〜6時頃、アイディアが浮かび深まってくるから不思議です。何かが足りない。看護職として未だすべきことがある、まだできることがあると思うのです。

現在、大枠で3つの事に取り組んでいます。その大黒柱に据えているのが、メッセンジャーナースの活動を推進すること。「私はあなたのメッセンジャーですよ。」という心で動きます。一人暮らしの高齢者が増え続ける中で、過剰医療が為されている現実があります。生活することの意味・生きることの価値を改めて考えさせられる場に出合うことが多々あるのです。家族も戸惑っています。決断には誰かの手助けが必要なのです。メッセンジャーナースは、医師の指示で動くのではありません。家族の言いなりにもなりません。あくまでご本人の意思を尊重できるようにしようという活動です。現在、19都道府県43名のメッセンジャーナースがいます。現代医療に関する知識はもちろん、人間の心理について学んでおく必要があります。それぞれ教授や看護部長・看護師長の役割を果たしながら、岡山では新たな活動の場を切り拓き、新潟は佐渡で、鹿児島は離島へ向けて、栃木でも東京でも活動の礎を固めるべく動いています。2つ目は、一人暮らしでもどんなに重症でもその人のお気に入りの場所で最期をその人らしく迎えられるのを支えるチーム活動の発足をめざしての取り組み、3つ目は、ヘルスケアに関するコラボレーション構想です。

国策として、訪問看護サービスの供給体制拡充や地域づくりによる介護予防推進支援モデル事業、地域包括ケア国民啓発推進事業、定期巡回・随時対応型訪問介護看護や複合型サービス、都市型軽費老人ホームなどの事業所開設の支援等が推進されています。しかし今必要なのは、形式ではなくそれらの奥の深さ。今こそ看護師の知恵による新しい活動が不可欠と考えます。

真の看護技術は場が変わっても変わりません。私たちはこういう看護を提供するという強い信念を持っていることが大切です。看護は実践なくして語れません。看護師は実践なくして評価されません。あなたはあなた、私は私でしかないのです。高齢化の進展に対応した医療提供体制の改革を2017年度までに実施しようという動きがあります。その一端を看護師として担うべく、私なりにあと数年、私らしく駆け続けます