『素問』標本病伝論では,先ず心,肺,肝,脾,腎,胃,膀胱が病んで,何日目かにその病状が変化して,三伝してそれでも治らなければ,何日かたって死すと言う。症状の変化で書いているけれど,最初に蔵府が病んだときの症状から判断すれば,
心→肺→肝→脾→胃→腎→膀胱→腎→胃→脾→肝
と伝変しているとみて良い。循環ではなくて,膀胱での折りかえしになっている。ただし,すでに関わった蔵は飛ばす。
『霊枢』病伝篇にも,似たような記事が有って,先ず心,肺,肝,脾,胃,腎,膀胱に発した病が,何日か目に伝わって,こちらは蔵府が病むと言い,三伝してそれでも治らなければ,何日かたって死すと言う。その伝わる順序は,
心→肺→肝→脾→胃→腎→膂膀胱→心→小腸
膂膀胱まで伝わったら,また心から繰り返すのだろうか。ただし,膀胱に発した場合だけはやや異なって,膀胱→腎→小腸→心で,つまり折り返しているようだが,これも腎・膀胱と心・小腸を一つと見れば,内輪での引き返しである。
さて,どちらが正しいのか。そんなことは分からない。ただ,標本病伝論は病む蔵が下方のものになっていって,癒えるときにはまた次第に上方のものになっていく。この発想のほうが,若干素朴あるいは素直ではないかと思う。
また,病伝篇では腎・膀胱の水の次を心・小腸の火として,相剋に伝えるようにした作為を感じる。標本病伝論では土の脾・胃から水の腎・膀胱に伝えるまでは相剋にみえるけれど,次は水から土であって,実は奥まで入って来て,次は引き返してくるだけである。多分,こっちの方が古くて,だから正しいかどうかは別として,本意ではあるだろう。病伝篇の心から腎(そして膂膀胱)も実は相剋関係では無かったんじゃないかということ。
『素問』生気通天論
陽氣者,煩勞則張,精絶,辟積於夏,使人煎厥。目盲不可以視,耳閉不可以聽,潰潰乎若壞都,汨汨乎不可止。陽氣者,大怒則形氣絶而血菀於上,使人薄厥。有傷於筋,縱,其若不容,汗出偏沮,使人偏枯。汗出見濕,乃生痤疿髙梁之變,足生大丁,受如持虚。勞汗當風,寒薄爲皶,鬱乃痤。
他にごちゃごちゃが有るから微妙なんだけど,
「陽氣者煩勞則張精絶 辟積於夏使人煎厥」と
「陽氣者大怒則形氣絶而血菀於上使人薄厥」は,対文じゃないんですかね。
「張」の下で切らないで,「張精」(亢盛な精)が絶すると解する人はいそうだし,「張」は「陰」(隂)の誤りという説も有るには有ったようだけど,「辟積於夏」と「血菀於上」は対で,だから「夏」は「下」の声誤だという説は聞いたことがない。
下にかたよって積もるのと,上に鬱血するのと,良さそうに思うんですがね。無理なんですかねえ。
『素問』玉版論要篇:
容色見上下左右,各在其要,其色見淺者,湯液主治,十曰已。其見深者,必齊主冶,二十一日已。其見大深者,醪酒主冶,百日已。色夭面脱,不治。百日盡已,脉短氣絶死,病温虚甚死。
郭靄春『黄帝内経素問校注語訳』は,王冰が「百日盡已」の下に,「色が夭でなく,面が脱しなければ,これを治すこと百日で已すことができる」と言うことから,「百日」の上に,「色不夭,面不脱」の六字を脱するのではないかと言い,不治の証が,百日を経過したら癒えるなどということが有るわけが無いから,新校正の「治療しなくても,百日たてば癒える」は誤りであると言う。
しかし,『太素』にも「色不夭,面不脱」の六字は無いのだから,増字して解釈するのには従いがたい。
この部分,『太素』楊上善注に従って解釈すれば,「色の変化が大いに深くなったら,醪酒を用いて治療しても百日かかる。それが色夭面脱となっては,もう治療できない。また,百日でことごとく癒えると言っても,脈短気絶となったり,病温が甚しくなったりしたものは助からない。」
そのつもりで王冰の注を見直せば,「百日でことごとく癒える」と(そうは言っても)「脈短気絶となったり,病温虚甚となったりしたものは助からない」との間に,「色が夭でなく,面が脱しなければ,これを治療すること百日で癒すことができる」という注が有っても,別におかしいことは無い。
色の現れかたは,浅→深→大深→面夭(そして脱面)であって,前の三段階なら百日以内に治るけれど,それでも脉短氣絶,病温虚甚を伴ってはそうもいかない,ということだろう。
注文しておいた凌耀星教授の『内経講稿』が,先ほど届きました。目録でしばらく気付かずにいましたが,今年の一月の発行らしいから,まあ早いほうでしょう。中医名家名師講稿叢書の一冊です。
内容は,青年教師に『黄帝内経』を教学する方法を伝授する「教学講座」,本科生に『黄帝内経』を講義した「『黄帝内経』講稿」,高級医生培訓班のためにおこなった「専題講座」です。
専題講座の中に,原塾のころの,東京での学術交流時に聴講した「三焦の二つの系統」が含まれていました。井上先生が,ご自分の人迎気口診による臨床体系と暗合するところを見いだして,喜んでみえた論文です。なつかしいですね。
加納城趾の桜です。
今年は例年より1週間ほど早い。
ひとり寂しくワンカップと鯖寿司なんぞで花見をしてきました。
つまり写っているのは,アカの他人です。
曇り空で,少々寒かった。
『隋書』倭国伝:......大業三年,其の王タリシヒコ使を遣わして朝貢す。使者曰く,海西の菩薩天子佛法を重興すと聞く,故に遣して朝拜し,兼ねて沙門数十人来たりて仏法を学ぶ,と。其の国書に曰く,日出ずる処の天子書を日没する処の天子に致す,恙なきや,と云々。帝これを覧て悦ばず,鴻臚卿に謂いて曰く,蠻夷の無礼有るものは,またもって聞すること勿かれ,と。......
かねがね,「一つの中国」という主張にろくな説明が無いのが,不満だったんですが,つまりこういうことなんでしょうね。だから,漢族の台湾の独立を認めないのは勿論,異民族のチベットだって中国皇帝の下に在るべきなんです。でも,そうすると本心は倭国だって......。
実は『難経』は,あんまりしっかり読んでない。にもかかわらず功罪などというのは不謹慎であるとは思うけれど,何を恐れて遠ざけているのかは,言っても良いだろう。
『難経』の功は,理詰めでまとめて,何を問われても突かれても,明快に答える用意が有る,ということじゃないか。もし,本当にそうであれば,如何なる病にも治療法は,あらかじめ存在する。病気は判った,治療法は無い,などという巫山戯たことは起こらない。
『難経』の罪は,理詰めの説明のできが良すぎることじゃないか。私ごときが読むと,陰陽五行説による辻褄に,恍惚としてお終いか,あるいは合わないと思った箇所では,陰陽五行説についての知識の不足を嘆くことになりかねない。
せめて,六十九難の本意あるいは値うちは,実は手足の二経を対に取ることに在る,というくらいには読み解けなくては,読むのが怖いし,かいもないと思う。
そういえば,すっかり忘れていたけれど,むかし島田隆司先生の音頭取りで,『難経』の研究会というのをやったことが有りました。八木さんなんかも来てたはずです。
その前には,東針校の漢方概論は『素問』中心だったからと,卒業後に同級生と『霊枢』の読書会をやって,一通り読み終えたところで,次は何をと問うたら,『難経』と即答されました。
島田先生の『難経』嫌いも,ちょっと割り引いて考えた方が良い。
4月13日(日)午後1時~5時
場所は
いつものところの会議室
最近また営気と衛気ということが気になっています。考えてみると,『霊枢』の篇名に営というのは五十営と営気だけ,両方をいうのものに営衛生会。それに対して衛は,衛気、衛気失常、衛気行。ひょっとすると,針治療が扱うものはむしろ衛気のほうなんじゃないか......。
『太素』巻2六気に「穀氣滿,淖澤注於骨,骨屬屈伸,光澤補益腦髓,皮膚潤澤,是謂液。」とある。この「光澤」がどうにも理解しにくい。『霊枢』では「洩澤」に作り,『甲乙』には「出洩」に作るが,それもよく分からない。そこで郭靄春の『黄帝内経霊枢校注語訳』では,『霊枢略』が「以澤」に作るのを引いて,従って改めるべきだとする。なるほどここは「以て沢す」と訓めば意味は通る。しかし,巻15尺診「尺濕以淖澤者,風也。」の楊注に,「淖澤,光澤也。」と言う。また,巻13腸度「故平人不飲食,七日而死者,水穀、精氣、津液皆盡矣,故七日而死矣。」の楊注には,六気の経文とほとんど同じ「穀氣淖澤注於骨,骨屬屈伸,淖澤補益髓腦,皮膚潤澤,謂之爲液。」という文章が有る。してみると,この「光澤」の文字を安易に改めるわけにはいかない。しかし,「淖」は『説文』には「泥なり,水に従い,卓の声。」とある。どうして光沢であり得るのか。実は『荘子』逍遙遊に「藐姑射之山,有神人居焉。肌膚若氷雪,淖約若處子。」とあって,「淖約」は「あでやかで,しなやかなさま」である。つまり,「淖」は我々がイメージするような「どろんこ」とか「ぬかるんでいる」とかではなくて,「つややかに,うるおっている」さまなのではあるまいか。巻27邪中の経文「其肉淖澤」を,楊注では「其肉濁澤」と言い換えているくらいであるから,「濁」というイメージが無いわけではない。しかし,中国人の「濁」のイメージが我々とは違うのだろう。彼らにとって黄河も長江も,濁ってしまった水ではなくて,豊かに光り輝く流れなのであろう。
江戸時代の読本は,文章とともに挿絵も読まなければならない,という意見には,なるほどとは思うけれど,考えてみれば,その刊行のまどろこしさも追体験するのが望ましい。もう,私たちにはむずかしいことだろうけど。新聞雑誌の連載とか,テレビの連続ドラマの展開を,はらはらどきどきなんてことも,もはやほとんどあり得ない。
『南総里見八犬伝』は,刊行に二十八年もかかっている。そこで,後の展開を挿絵でほのめかしておくなんてことも有った。だから,熱心な読者は,それをたよりにああでもないこうでもないと,楽しむというか苦しむというか。で,そうした熱心な読者の中には,完結を待ちきれずに身まかった例が多いらしい。そりゃ二十八年ですからね。
文化十一年に肇輯,二年後に二輯,三年後に三輯,次の年に四輯,三年後に五輯,四年後に六輯,三年後に七輯,二年後に八輯の上帙,次の年に下帙,二年後に九輯の上帙,次の年に中帙,次の年に下帙の上,次の年に下帙の中,次の年に下帙の下の甲号,次の年に下帙の下の乙号の上套,次の年に下帙の下の乙号の中套,次の年に下帙の下編の上,次の年に下帙の下編の中,次の年に下帙の下編の下。
我々だって,これに則って,二十八年というわけにはいかないのなら,年を月に置き換えて,二十八ヶ月で読むなんてことは可能だろうけれど,残念ながら,筋書きのあらましはすでに知ってしまっている。はらはらどきどき,待ち遠しい,なんてことはもうできない。