靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

淖澤 光澤也

『太素』巻2六気に「穀氣滿,淖澤注於骨,骨屬屈伸,光澤補益腦髓,皮膚潤澤,是謂液。」とある。この「光澤」がどうにも理解しにくい。『霊枢』では「洩澤」に作り,『甲乙』には「出洩」に作るが,それもよく分からない。そこで郭靄春の『黄帝内経霊枢校注語訳』では,『霊枢略』が「以澤」に作るのを引いて,従って改めるべきだとする。なるほどここは「以て沢す」と訓めば意味は通る。しかし,巻15尺診「尺濕以淖澤者,風也。」の楊注に,「淖澤,光澤也。」と言う。また,巻13腸度「故平人不飲食,七日而死者,水穀、精氣、津液皆盡矣,故七日而死矣。」の楊注には,六気の経文とほとんど同じ「穀氣淖澤注於骨,骨屬屈伸,淖澤補益髓腦,皮膚潤澤,謂之爲液。」という文章が有る。してみると,この「光澤」の文字を安易に改めるわけにはいかない。しかし,「淖」は『説文』には「泥なり,水に従い,卓の声。」とある。どうして光沢であり得るのか。実は『荘子』逍遙遊に「藐姑射之山,有神人居焉。肌膚若氷雪,淖約若處子。」とあって,「淖約」は「あでやかで,しなやかなさま」である。つまり,「淖」は我々がイメージするような「どろんこ」とか「ぬかるんでいる」とかではなくて,「つややかに,うるおっている」さまなのではあるまいか。巻27邪中の経文「其肉淖澤」を,楊注では「其肉濁澤」と言い換えているくらいであるから,「濁」というイメージが無いわけではない。しかし,中国人の「濁」のイメージが我々とは違うのだろう。彼らにとって黄河も長江も,濁ってしまった水ではなくて,豊かに光り輝く流れなのであろう。

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