靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

東京開封府

今ここに《水滸》連環画巻四 誤入白虎堂という冊子が有ります。一九八五年六月の四川美術出版社発行です。巻四というからにはシリーズです。当時,全部揃えたいとは思ったんですが,無理でした。上海の新華書店は発行済みの書物の注文は取り合ってくれなかったし,神保町ではついに見かけなかった。
で,なんで今頃になって話題にするのかと言うと,徒然なるままに頁をくっていて,下のような絵に気がついたからです。魯智深が東京大相国寺をめざしてやってきたときの繁華街の様子です。
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これが清明上河図の酒楼にもとづいていることに,やっと気がつきました。清明上河図は開封の春の景色ということになっていて,東京はつまり開封府なんだから当たり前なんですがね。
で,この画巻の改編原稿あるいは絵画の作者は,この酒楼の名を「香☐正店」と考えているらしい。

八十一難問奇答集

ヒューマンワールドで,連載を始めました。題して「八十一難問奇答集」,松田氏の命名を若干修正しました。本当に八十一問でおさまるかどうかは分かりません。「......足らず」か「......余り」になるんじゃなかろうか。
編集者は「応募された中から奇答に値すると神麹斎氏が判断した場合に限り、その難問を採用させていただきます」なんて,抑えたことを言ってますが,回答者は「何でも応える」と嘯いています。「正解を出す」じゃないですよ。

「......足らず」か「......余り」か,でも第八十一難問はすでに決まっています。曰く,「そもそも鍼って本当に効くの?」 回答はまだ作って無い。

太素新新校正

北京の銭超塵教授の『太素新校正』についてあげつらったBLOGの内容を織り込んで,『太素新校正』なんてものを原稿化しようと思ったんですがね,取りあえずA5の一太郎文書で何とか読めそうな大きさのフォントを指定してみたら,それでも500頁近くになりました。コピーして製本すると5000円くらいはかかるでしょう。とても人様にはお勧めできません。かといって,こんなものの出版を引き受けるところなんて無いでしょうからねぇ。売れるわけがない。

『素問』と『霊枢』と

『素問』と『霊枢』と,本当はどちらが古いんだろう。これは文献的にちゃんと考証しての意見ではなくて,単なる印象なんだけど,ひょっとすると『霊枢』のほうが古いんじゃないか。
『霊枢』の編纂にはかなり明確な意図が有って,「余欲勿使被毒藥,無用砭石,欲以微針,通其經脉,調其血氣,營其逆順出入之會」がそれだと思う。経脈を調整して治療効果を得たいという,当時としては新しい主張である。現代人がイメージする針治療はここから出ている。
そこでは却けられている砭石が,『素問』の針治療の中心であるから,『素問』のほうが古いと言われるわけだけど,『素問』には『霊枢』で提起された新しい針治療も有る。つまり『霊枢』では仮説として持ち出されたことが,『素問』では公理となって,そこから話が展開されている場合が有りそうに思う。つまり,『素問』には明確な編集意図は無くて,雑多な論文集という性格が強いのではないか。古いものも有るが,新しいものも有る。
『素問』にもともと有った針治療は砭石を用具として血液を対象としていた。そこへ『霊枢』は微針を用具とし経脈を対象とする針治療を提起した。現在は,経脈という未証明のルートが有ると言われ,それは実は血管のことだったと言われはじめているが,やはりむしろ営血が行くものは血管であり,経脈を対象とするとは衛気を対象とすることである,としたほうが,すっきりするのではあるまいか。そうであれば,我々が理想とする針治療の大部分が,接触あるいは浅刺で効果をあげているのは当然のことである。
衛気とは経脈から離れて融通無碍に流散するものである,とイメージされがちだけれど,実はそうでもないんじゃないか。

3月の読書会

3月9日(日)午後1時~5時
場所はいつものところの会議室

『霊枢』の五味篇と五味論篇 さらには『素問』の
これを食え あれは食うな という諸篇
つまり食養生に関するはなしをまとめて読んでみようかと

中国製の冷凍餃子は避けよう ということにはならない と思う たぶん

沽酒市脯不食

『論語』郷党に「市場で売っているような酒や乾し肉は用いない」とある。
正義に「酒は自分で作らなければ混ぜものが無いとも限らぬからである,乾し肉は自分で作らなければ何の肉とも知れぬからである」と言う。

失四時之順,逆寒暑之宜

『太素』卷19知祝由=『黃帝內經太素校注』p592 『黄帝内經太素新校正』p360
當今世不然,憂患琢其內,苦形傷其外,又失四時之逆順、寒暑之宜,賊風數至,陰虛邪朝夕,內至五藏骨髓,外傷空竅肌膚,故所以小病必甚、大病必死者,故祝由不能已也。
「失四時之逆順寒暑之宜」の「逆順」を『素問』は「從逆」に作る。
按ずるに,『素問』を是と為す。「四時の順(従)を失う」と「寒暑の宜に逆らう」でないと対にならない。ここは上の「憂患琢其内」と「苦形傷其外」,下の「賊風數至」と「虚邪朝夕」(陰は衍文だろう),「内至五藏骨髓」と「外傷空竅肌膚」,「小病必甚」と「大病必死」,いずれも対を為している。これだけ対を為さないというわけにはいかない。
ただし,楊上善はすでに「失四時之逆順、寒暑之宜」として注を施している。だから『太素』の経文を校改するわけにはいかない。そうは言っても,『校注』も『新校正』も,『太素』と『素問』の優劣に言及しないのは,いささか物足りない。

これを扣えて発せず

『素問』離合真邪論
若先若後者,血氣已盡,其病不可下,故曰:知其可取如發機,不知其取如扣椎,故曰:知機道者不可挂以髮,不知機者扣之不發,此之謂也。
竜伯堅等『黄帝内経集解・素問』は,「知其可取如發機」を今訳して「在恰當的時候進針則猶如撥動弩機一樣,一射就中」と言い,「不知其取如扣椎」を今訳して「在不恰當的時候進針則猶如扣擊木椎一樣,不發生一點作用」と言う。
郭靄春『黄帝内経素問校注語訳』は,「知其可取如發機」を語訳して「懂得用針的,象撥動弩機一樣」と言い,「不知其取如扣椎」を語訳して「不善於用針的,就象敲擊木椎、毫無響應」と言う。
いずれも「發機」を「機を発す」,「扣椎」を「椎を扣(たた)く」と訓んでいるらしい。そして「たたいても何も起こらない,響かない」と言う。これはおかしいのではないか。「機」は弩の,弦を引っかける爪と引き金とからなる発射装置であり,それを「椎」(物をたたく器具,つち)で撃って発射させる。椎を撃つのではなくて,椎で撃つのである。撃つべきときに躊躇して撃てないから発射させられない。「扣」は,『説文』には「馬を牽くなり」とあって,もともと「引っぱる」、「引きとめる」である。だから,「椎を撃つ」あるいは「椎で撃つ」ではなくて,「椎(で撃つの)をひかえる」であろう。知も不知も,ともに弩をもって譬えとしていると解釈できるのなら,そうするのが当たり前だと思う。

2月の読書会

2月10日(日)午後1時~5時
場所はいつものところの会議室

春日在皮

『素問攷注』脈要精微論
春日浮,如魚之遊(游)在波(皮)。
 案,「浮」「游」「皮」爲韻。
 案,宜從『大素』作「在皮」爲是。言春日之脈浮而如弓弦上出,如魚之游云者,亦謂魚口小出水上而行。「在皮」二字,据後文例,則宜在「春日」下。然此以「浮」「游」「皮」爲韻,不可改也。是即倒草法耳。
『黄帝内経太素新校正』後記之一 楊上善及『太素』簡考
 第五章 『太素』古韻及依韻校勘
 第三節 以『太素』古韻校『靈樞』、『素問』之失韻
  貳.字倒失韻
春日浮.如魚之遊在波;夏日在膚,泛泛乎萬物有餘;秋日下膚,蟄蟲將去;冬日在骨,蟄蟲周密,君子居室。(『素問・脉要精微論』)
 按,『太素』卷十四「四時脉診」「波」作「皮」,注云:「春時陽氣始開,脉從骨髓流入經中,上至於皮,如魚游水,未能周散。」此段爲押韻之文。「膚」、「餘」、「膚」、「去」均在段氏古音第五部;「密」、「室」在段氏古音十二部入聲,均爲押韻之句,唯「浮」與「波」不相押韻。「如魚之遊在波」當系傳抄誤倒,原句當作「如魚在波之遊」,則與「浮」字押韻,「遊」「浮」均在段氏第三部幽韻。但此字誤倒失韻已在楊上善前,故『太素』亦作「春日浮.如魚之游在皮」,「皮」通「波」。

神麹斎按ずるに,森立之が「浮游皮爲韻」と言うのは,銭超塵教授の指摘のごとく誤りである。しかし,「後文例」は無視すべきでない。他の季節と同様に「在波」あるいは「在皮」は「春日」の下に在るべきである。また他の季節に「在膚」「下膚」「在骨」と言うからには,春も「在波」ではなくて「在皮」のはずである。試みに文例を統一し,押韻の文字を朱書すれば以下の如くであろう。

 春日在皮,□□□,如魚之;(□は未だ考え至らない)
 夏日在,泛泛乎萬物有
 秋日下,蟄蟲將
 冬日在骨,蟄蟲周,君子居
 
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