靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

これを扣えて発せず

『素問』離合真邪論
若先若後者,血氣已盡,其病不可下,故曰:知其可取如發機,不知其取如扣椎,故曰:知機道者不可挂以髮,不知機者扣之不發,此之謂也。
竜伯堅等『黄帝内経集解・素問』は,「知其可取如發機」を今訳して「在恰當的時候進針則猶如撥動弩機一樣,一射就中」と言い,「不知其取如扣椎」を今訳して「在不恰當的時候進針則猶如扣擊木椎一樣,不發生一點作用」と言う。
郭靄春『黄帝内経素問校注語訳』は,「知其可取如發機」を語訳して「懂得用針的,象撥動弩機一樣」と言い,「不知其取如扣椎」を語訳して「不善於用針的,就象敲擊木椎、毫無響應」と言う。
いずれも「發機」を「機を発す」,「扣椎」を「椎を扣(たた)く」と訓んでいるらしい。そして「たたいても何も起こらない,響かない」と言う。これはおかしいのではないか。「機」は弩の,弦を引っかける爪と引き金とからなる発射装置であり,それを「椎」(物をたたく器具,つち)で撃って発射させる。椎を撃つのではなくて,椎で撃つのである。撃つべきときに躊躇して撃てないから発射させられない。「扣」は,『説文』には「馬を牽くなり」とあって,もともと「引っぱる」、「引きとめる」である。だから,「椎を撃つ」あるいは「椎で撃つ」ではなくて,「椎(で撃つの)をひかえる」であろう。知も不知も,ともに弩をもって譬えとしていると解釈できるのなら,そうするのが当たり前だと思う。

Comments

Comment Form