『難経』の功罪
- 医論異論
- by shenquzhai
- 2008/03/22
実は『難経』は,あんまりしっかり読んでない。にもかかわらず功罪などというのは不謹慎であるとは思うけれど,何を恐れて遠ざけているのかは,言っても良いだろう。
『難経』の功は,理詰めでまとめて,何を問われても突かれても,明快に答える用意が有る,ということじゃないか。もし,本当にそうであれば,如何なる病にも治療法は,あらかじめ存在する。病気は判った,治療法は無い,などという巫山戯たことは起こらない。
『難経』の罪は,理詰めの説明のできが良すぎることじゃないか。私ごときが読むと,陰陽五行説による辻褄に,恍惚としてお終いか,あるいは合わないと思った箇所では,陰陽五行説についての知識の不足を嘆くことになりかねない。
せめて,六十九難の本意あるいは値うちは,実は手足の二経を対に取ることに在る,というくらいには読み解けなくては,読むのが怖いし,かいもないと思う。
そういえば,すっかり忘れていたけれど,むかし島田隆司先生の音頭取りで,『難経』の研究会というのをやったことが有りました。八木さんなんかも来てたはずです。
その前には,東針校の漢方概論は『素問』中心だったからと,卒業後に同級生と『霊枢』の読書会をやって,一通り読み終えたところで,次は何をと問うたら,『難経』と即答されました。
島田先生の『難経』嫌いも,ちょっと割り引いて考えた方が良い。
『難経』の功は,理詰めでまとめて,何を問われても突かれても,明快に答える用意が有る,ということじゃないか。もし,本当にそうであれば,如何なる病にも治療法は,あらかじめ存在する。病気は判った,治療法は無い,などという巫山戯たことは起こらない。
『難経』の罪は,理詰めの説明のできが良すぎることじゃないか。私ごときが読むと,陰陽五行説による辻褄に,恍惚としてお終いか,あるいは合わないと思った箇所では,陰陽五行説についての知識の不足を嘆くことになりかねない。
せめて,六十九難の本意あるいは値うちは,実は手足の二経を対に取ることに在る,というくらいには読み解けなくては,読むのが怖いし,かいもないと思う。
そういえば,すっかり忘れていたけれど,むかし島田隆司先生の音頭取りで,『難経』の研究会というのをやったことが有りました。八木さんなんかも来てたはずです。
その前には,東針校の漢方概論は『素問』中心だったからと,卒業後に同級生と『霊枢』の読書会をやって,一通り読み終えたところで,次は何をと問うたら,『難経』と即答されました。
島田先生の『難経』嫌いも,ちょっと割り引いて考えた方が良い。
Comments