靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

杜鵑

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山石榴,一名山躑躅,一名杜鵑花,
杜鵑啼く時に花は撲撲たり。......
花中このもの西施に似たり,芙蓉芍薬なんぞはみんな嫫母。......
嫫母は黄帝の第四妃で伝説的な醜女。(白居易:山石榴 寄元九)

檢『素問』无此文

『素問』骨空論の「任脉者,起於中極之下,以上毛際,循腹裏上關元,至咽喉,上頥循面入目。衝脉者,起於氣街,並少隂之經,俠齊上行,至胷中而散。任脉爲病,男子内結七疝,女子帶下瘕聚。衝脉爲病,逆氣裏急。督脉爲病,脊強反折。」は『太素』には無い。
しかも『太素』巻10の任脈と衝脈の流注について,楊上善注に皇甫謐錄『素問經』としてこの段の一部を引き,「檢『素問』无此文」と言う。
つまり,現存する『太素』に失われたのではなくて,もともと無かったらしい。そこで,森立之も王冰が『難經』『甲乙』に拠って加えたものであることは疑いないから,よろしく刪すべきであると言う。
それなのに宋代の新校正には何も言ってない。林億らが全元起本でどうであったかを書き残してくれたと言っても,完璧とはいかないと言うことです。底本に使えるような本は王冰本しか無かった,ということでしょうから,当然ですが。

花甲寿菜単

「私の著書は古くさくて,黴が生えてゐるので今の若い人には向かないらしい」とは,青木正児『中華飲酒詩選』再版の序である。昭和三十九年の初秋である。
私は比較的若い頃から好んで読んでいる。と言っても,一番好きな文章は陶然亭であるとばらしてしまえば,単に酒徒の端くれというに過ぎない。
で,これに劣らず好きなのは,昭和二十二年二月の還暦自祝の一文である。名づけて花甲寿菜単。そこに当時の家族の様子が載っていて,「四男喬十二歳,小学生」とあるのに,つい最近まで気付かなかった。『華国風味』の著者と『中国の食譜』の編訳者が父子だったということです。

さて,その菜単の内容は:
 瑞雪鱠=大根なます 氷魚酢漬 九年母薄切
 松柏拌=壬生菜の芥子あえ
 吉旦餅=鮭と葱入りの鶏卵焼
 蓬莱鍋=魚団 干海老 貝のむき身 椎茸 豆索麺
     牛蒡 人参 春菊 里芋 酸茎
 晩霞飯=小豆飯
 梅竜餻=小豆入り青豆羊羹 干柿
 天福果=金柑 銀杏
 固歯豆=鉄蚕豆 塩打大豆
 煉金丹=雲丹 烏賊の塩辛 山葵粕漬 寒漬大根 落花生
 鸞鳳玉涎=銘酒玉鳳

よく見れば時節がら大したことはない,などと思う人が有ったら,迷陽道人からは酒徒としての及第点がいただけまい,と思う。

気府

『太素』の気府と『素問』の気府論と,どちらをと問われれば,やっぱり『太素』を取る。『太素』の経文のほうが古形を留めているだろうという一般的な意見の他に,いくつかの理由が有る。
先ず『太素』の穴数のほうが少ない。多数の穴の中から厳選するよりも,少なかったところに後人が各々の発見したつもりを付け加えることのほうが,より有りそうに思う。
また,例えば「肩貞下三寸分間各一」は「肩貞から下ること三寸の位置の分間に左右おのおの一つ」のはずであり,そのように数えれば『太素』に言う数におおむね合う。これを一寸ごとに一穴で左右合計六穴などという勘定は,『太素』楊上善注がすでにそうであるが,取りたくない。
さらにまた,『太素』では一つの穴に二三の脈の気が発するということは無い。そのほうが単純で,多分古い。足太陽の頭上の脈は五行で,楊上善も最外側に足少陽の穴を挙げるが,『太素』の経文では足少陽の脈気は耳前角、客主人、下関、耳下牙車の後、缺盆などに発するのだから,本来は重なりようが無い。督脈も項中央から始まり,頭上の穴は言わない。
さて,『太素』のほうが古いとして,どういう道筋で『素問』にたどり着いたか。
実は足陽明の項の後だけに「分之所在穴空」(仁和寺本『太素』は分止所在穴空)の句が有る。一箇所だけになら最後の脈に言えば良さそうなものである。だから足の三陽についてだけが先ず記述され,そのときの締めくくりではなかったかと思う。
その後,手の三陽が付け加わる。
そして,督脈と任脈が加わる。
篇末に『太素』では五蔵の本輸を言うが,『素問』は採用しなかった。書き漏らした可能性だって無くは無い。上部の到達点として足少陰の舌下,足厥陰の毛中急脈を挙げ,神門穴を起点とする手少陰を言う。つまり,陰の脈は基本的に五蔵の脈であり,体内を行くものである。
さらに,陰蹻と陽蹻の気の発するところを言う。陽蹻を挙げるくらいだから,そう古くはない。
手足諸魚際がどうのと言うのは分からない。
『素問』では,この他に督脈、任脈の後に衝脈が有る。足少陰の脈の気が躯幹で発する所を記述しないのだから,これも別に他の脈と重ならない。『太素』に無いのが未発見だったのか書き漏らしなのかは分からない。

文明

仲間内で発生した小競り合いを宥めようとした女の子が,周辺から裏切りもの扱いされ殺すぞなどと脅されている,らしい。どこにでも,すばらしい人と恥ずかしい人たちがいる。

むべなるかな

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太素を読む会

BLOG「太素を読む会」が設定ミス(?)で不調になっています。
どのみち新しい記事は無い状態なので停止させました。
以前の記事を反映させた『太素』のデータは,霊蘭之室の電子文献書庫に置いてあります。

逆順肥瘦

『太素』卷9脉行同異
歧伯曰:衝脉者,十二經之海也,與少陰之大胳起於腎下,出於氣街,循陰股内廉,耶入膕中,循脛骨内廉,並少陰之經,下入内踝之後,入足下;其別者,耶入踝,出屬、跗上,入大指之間,注諸胳以温足脛,此脉之常動者也。
【楊】少陰正經,從足心上内踝之後,上行循脛向腎。衝脉起於腎下,與少陰大胳下行出氣街,循脛入内踝,後下入足下。按『逆順肥瘦』「少陰獨下」中云:「注少陰太胳。」若爾,則衝脉共少陰常動也。若取與少陰大胳俱下,則是衝脉常動,少陰不能動也。

最初に思ったのは,「少陰獨下」の下の「中」は「注」の誤りではないか,でしたが,よく考えてみると,『太素』に逆順肥瘦なんて篇は有ったかね。そこで調べてみると,少陰だけが下るという経文は,『太素』では巻10の衝脈に有りました。

黄帝曰:少陰之脉獨下行,何也?
歧伯曰:不然。
【楊】齊下腎間動氣,人之生命,是十二經脉根本。此衝脉血海,是五藏六府十二經脉之海也,滲於諸陽,灌於諸精,故五藏六府皆稟而有之,是則齊下動氣在於胞也。衝脉起於胞中,爲經脉海,當知衝脉從動氣生,上下行者爲衝脉也。其下行者,雖注少陰大胳下行,然不是少陰脉,故曰不然也。
夫衝脉者,五藏六府之海也,五藏六府皆稟焉。其上者,出於頏顙,滲諸陽,灌諸精;
【楊】衝脉,氣滲諸陽,血灌諸精。精者,目中五藏之精。
其下者,注少陰之大胳,出之於氣街,循陰股内廉,入膕中,伏行䯒骨内,下至内踝之屬而別;其下者,並於少陰之經,滲三陰;其前者,伏行出跗屬,下循跗入大指間,滲諸胳而温肌肉,故別胳結則跗上不動,不動則厥,厥則寒矣。
【楊】脛骨與跗骨相連之處曰屬也。至此分爲二道:一道後而下者,並少陰經,循於小胳,滲入三陰之中;其前而下者,至跗屬,循跗下入大指間,滲入諸陽胳,温於足脛肌肉。故衝脉之胳,結約不通,則跗上衝脉不動,不動則腎氣不行,失逆名厥,故足寒也。

で,「注少陰太胳」に相当する句は,経文として有ります。従って「中」は「中」で良いことが分かりました。問題は逆順肥瘦のほうで,『太素』には,と言っても現存する抄本中にはということですが,そんな篇は無い。衝脈という篇に在って,その篇は『霊枢』では逆順肥瘦に相当します。つまり,楊上善は『霊枢』の篇名で引用しているみたいなんです。変じゃないんですかね。それはまあ,引用書の中に本輸というのは有ります。でも『太素』にも本輸という篇は有ります。九巻本輸と九巻終始というのも有ります。でも,これは書名を冠しています。

魔法について

例えば魔法使いが,わらじをわらじのようなビーフステーキに変えたとする。
それを饗された人は,わらじを喰ったのか,それともビーフステーキを喰ったのか。

食べた人が,別にお腹をこわしもせず,藁にもそれなりの滋養が有るとしたら,あるいはそもそも肥満気味で節食した方が良かったんだとしたら,だまされたなどと言うことは無い。口が満足しただけめっけものである。もともとわらじであったことを,ついに知らずにいるとしたら,なおさらである。
しかし,魔法使い自身はどうなんだろう。自分でわらじをわらじのようなビーフステーキに変えて,おいしくいただくというのは難しいのではあるまいか。
魔法は自分には効きにくい。名医が早死にする理由の一つである。
難儀なことである。
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中華飲酒詩選

『中華飲酒詩選』がついに平凡社の東洋文庫に入りましたね。前に酒の肴に本を読む,と言って,文庫にならないかなあ,に挙げていた本なんで,これは手に取るくらいはしないといけないなあと思って,棚から抜いて見ると,あとがき代わりに「思い出」と有って,中村喬と署名が有って,「私が父の酒を盗み飲みしたのは」云々と始まっていた。面食らいました。
青木正児の本は大抵,と言っても名物学関係の本はと言うことですが,持っているし,中村喬のものだってそこそこ買ってはいるけれど,今の今まで父子だとは知らなかった。これはこの「思い出」だけのためにでも求める価値が有る。勿論,最初の版なんて持ってないけれど,叢書本のほうなら多分二冊持っているけれど。
その「思い出」の傑作部分:
......博士課程は中国文学と中国史とが一緒だったので,ついに私は父の講義を受ける羽目になった。しかも,当時博士課程の院生は私一人だったので,講義は一対一。いくらなんでもそれは勘弁してほしいと思ったけれど,そのような事態になることは大学院に入るときに,当然予測すべきであった。......最初の時間,教室で待っているときは,逃げて帰りたい気分であった。でも,父の方は全く意にも介していなかったようで,平然と教室に入って来て,ちり紙を出して鼻をかんでから,「それじゃ」と坦々としたものであった。......
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