靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

茱萸

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きのうまでは黄いろかった 朝は三粒有った いま見たら一粒

有六十首

南京の沈教授からメールが有って,『難経導読』では第十六難中の「有六十首」に関して,新しい解答を提出したと言われました。

残念ながら,未だ亜東書店や東方書店には到着してないようですが,折角だから沈教授の説を見る前に,愚説を述べておこうかと。
十六難曰:脈有三部九候,有陰陽,有輕重,有六十首,一脈變爲四時。離聖久遠,各自是其法,何以別之?
「三部九候」は第十八難に,「陰陽」は第四難に,「輕重」は第五難に見える。では「六十首」とは何か。

実は『難経校注』には,『集覧』本は「首」を「日」に作っていると紹介が有りました。とすると,第七難の「王各六十日」のことではないか。つまり,季節によって脈状は変化する,というだけのことではないか。この「有六十首」が古老難題であるのは,当たり前のことを難しく考えすぎただけのことかも知れない。
沈教授の著書の到着が待ち遠しいです。この珍説は,それまでの短い命です。
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讀醫書

『鶡冠子』世賢:曰:"子昆弟三人其孰最善為醫?"扁鵲曰:"長兄最善,中兄次之,扁鵲最為下。"魏文侯曰:"可得聞邪?"扁鵲曰:"長兄於病視神,未有形而除之,故名不出於家。中兄治病,其在毫毛,故名不出於閭。若扁鵲者,鑱血脈,投毒藥,副肌膚,閒而名出聞於諸侯。"
『史記』扁鵲倉公傳:慶家富,善爲醫,不肯爲人治病,當以此故不聞。慶又告臣意曰:"愼毋令我子孫知若學我方也。"
晉・皇甫謐『黄帝三部鍼灸甲乙經』序:若不精通於醫道,雖有忠孝之心,仁慈之性,君父危困,赤子塗地,無以濟之。
『隋書』許智藏傳:祖道幼誡其諸子曰,"爲人子者,嘗膳視藥,不知方術,豈謂孝乎。"
『顏氏家訓』雜藝:醫方之事,取妙極難,不勸汝曹以自命也。微解藥性,小小和合,居家得以救急,亦為勝事,皇甫謐、殷仲堪則其人也。
『新唐書』王勃傳:嘗謂"人子不可不知醫。"
唐・王燾『外臺祕要方』序:齊梁之間,不明醫術者,不得爲孝子。
宋・史崧『黄帝内經靈樞』序:古人有言曰:"爲人子而不讀醫書,由爲不孝也。"

難経

そりゃ私だって,『難経』は読んだほうが良い,というより読まなきゃいけない,とは思っているんですよ。ただ,敬して遠ざけてきた。
読んでないと言っても,『難経の研究』くらいには目を通してます。でも,それは本間先生の説明をながめただけで,『難経』を読んだとはとても言えない。
いっそ,古今の諸賢の注釈を敢えて無視して,想像力を頼りに経文と格闘してみようかしら。

倉公は偉大か

倉公・淳于意は偉大な存在なのか。無論,偉大であるに決まっている。しかし,針灸医学の歴史において,そんなに偉大なのか。
『史記』扁鵲倉公列伝には,淳于意のカルテが二十五例残っている。うち治療を施したのは十五例,二種の治療法を併用した例が有るから,薬物が十四例,針が二例,灸が二例,その他が二例。二十五例というのはもとより全部であろうはずはないけれど,薬物療法が主体であることは認めざるを得ない。
わずかに施した針灸も,かなり原始的な段階のものだと思う。熱厥に足心を刺し,厥頭痛に足陽明を刺し,疝気が膀胱に客したものには足厥陰に灸をすえ,虫歯には手陽明に灸をすえる。馬王堆の脈書ほどの経脈説も,有ったかどうか。癰疽の類は,おしなべて不治として取り合わない。『素問』式に砭石を施してみたりもしない。
淳于意個人の得手不得手の問題,という可能性も無くは無いだろうが,受け継いだ医書の中にも,弟子に伝えた術の中にも,一応は針灸は含まれている。どちらかと言えば,斉国伝統の医学における針灸のレベルが,『素問』ほどでもないということだろう。
現在,我々がイメージする針治療は,『霊枢』九針十二原篇の「余は毒薬を被らしむことなく,砭石を用いること無きを欲し,微針を以て,その経脈を通じ,その血気を調え,その逆順出入の会を営せんことを欲す」だろう。これは『霊枢』が現在の形にまとめられたときの,そしてまとめる動機になった宣言である。つまり,そんなに古くは無い。勿論,淳于意の針からみたら,天地ほどのレベルの違いが有る。
では,斉国の伝統と淳于意と馬王堆と『素問』と『霊枢』と,どの段階で革命は起こったのか。『黄帝内経』≓『素問』+『霊枢』を大筋で認めれば,『黄帝内経』成立のころかも知れない。それは何時か。結局のところ,劉向や劉歆らの宮廷図書館の蔵書整理の際ではないか。それが『漢書』芸文志として残り,『黄帝内経』という書名が初登場する。
では,それに間に合いそうな資料の提供者はいたのか。それに相応しい針の名医はいたのか。かろうじて前漢の末頃に,蜀の涪水のほとりで釣りをしていた爺さんがいた。『針経』という書物(著書?伝書?)が有ったらしい。また,多分,『素問』と『霊枢』は,『黄帝内経』をきれいに切り分けて半分ずつというわけではなくて,ばらばらに散逸しそうな各篇を拾い集めて,新たな論も付け加えて,それぞれに編纂しなおされたものだろうから,今の『霊枢』の成書は,早くても後漢ということになる。涪翁の『針経』はすでに有ったはずである。
淳于意は偉大な存在には違いないが,この爺さんもそれと同等もしくはそれ以上に,少なくとも針灸医学においては,偉大な存在であるはずだろう。

脩之取美

黄帝内經太素卷第二 順養
治彼與治此,治小與治大,治國與治家,未有逆而能治者也,夫唯順而已矣。
楊上善注云:人之與己、彼此、小大、家國八者,守之取全,脩之取美,須順道德陰陽物理,故順之者吉,逆之者凶,斯乃天之道。
『黄帝内経太素校注』も『黄帝内経太素新校正』も,「脩之取美」の「脩」を「循」に作るが,原鈔では「脩」なのか「循」なのかよく分からない。本来,右下が月であるか目であるかで判別できるはずであるが,抄者の書き癖でハネが強いので紛らわしいことが有る。また右上の部分も「脩」のほうが「循」より一画多い。傍らにウと書いてあるようで,抄者はシウ,つまり「脩」のつもりであった可能性が高い。いずれをとっても,ここは「脩」のようである。
さらにもう一つ,『老子』五十四章に,以下のような文言が有る。
脩之身,其乃德真;脩之家,其德有餘;脩之鄉,其德乃長;脩之於國,其德乃豐;脩之於天下,其德乃普。
如何。

日中友好

宮中晩餐会のメニューの一つに,中国製冷凍点心を加えてみてはどうだろう。日中友好の証として。
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なんじゃもんじゃ

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中国福建省原産で,中国各地、台湾、朝鮮半島に分布。
日本国内では,対馬と,何故だか木曽川周辺に自生。

5月の読書会

5月11日(日)午後1時~5時
場所はいつものところの会議室

なんとなく

「不整脈を然谷穴に皮内鍼を止めることによって治した。」
何で然谷が効いたのか?
「不整脈は陰虚火動だからであり,陰虚火動には腎経の滎火穴が効く。」
明快な説明のようだけれど,簡単には納得しがたい。五行説の応用以上に理屈が通っているとは思わない。
何となく然谷穴に皮内鍼を止めたくなったということのほうに関心が有る。価値を認める。
でも,私にはそういう直感力は乏しい。訓練する方法を知らないし,訓練しても望みは薄い。
だから,不整脈は陰虚火動であり,陰虚火動には腎経の滎火穴が効くはずである,という論理のほうを学ばざるを得ない。
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