岐黄
- 雑事
- by shenquzhai
- 2006/04/24


そこで、読書会の名を「読古医書岐黄会」とする。じつは名前を必要とするほどの規模の会じゃない。ほんの数人のグループです。読古医書は李今庸先生の『読古医書随筆』にあやかって、しんどいけれどドッコイショ、岐黄会は「岐阜で黄帝内経」について、はなそうかいキコウカイです。
……休息している閑な時間
海漫漫
直下無底旁無邊
雲濤煙浪最深處
人傳中有三神山
山上多生不死藥
服之羽化爲天仙
秦皇漢武信此語
方士年年采藥去
蓬萊今古但聞名
煙水茫茫無覓處
海漫漫 風浩浩
眼穿不見蓬萊島
不見蓬萊不敢歸
童男丱女舟中老
徐福文成多誑誕
上元太一虛祈禱
君看驪山頂上茂陵頭
畢竟悲風吹蔓草
何况玄元聖祖五千言
不言藥 不言仙
不言白日昇靑天
勸君金屈卮 滿酌不須辭 花發多風雨 人生足別離
......子供の両足を持ち、頭を石に叩きつけた。頭はくだけて、血が数歩さきまでとびちった。杜子春の心に、子供に対する愛が生じた。突然、道士との約束を忘れて、思わず、声をもらした。「ああ!」現代人は、この愛を「慈しみ」とか思うでしょうが、そうじゃないんですよ。この前には女房が切り刻まれても平然としていた。ここの愛は、むしろ「執着」といったことです。母親の、産んだ子に対する動物的な本能的な「執着が生じた」ということなんです。それすらも断ち切らなければならない。つまり、仙人になるというのはそういう異常の世界なんです。しかも、それが批判されているわけじゃないんです。まあ、どちらかと言えばそういうものとして肯定されている。
......道士は、叫んだ。「書生めが!わしをこんな有様にしくじらせた!......あなたは、心のなかの喜び、怒り、哀しみ、懼れ、悪み、欲は、すべて断ち切ることができた。できなかったのは、愛であった。......」
杜子春は、帰ってから、誓いを忘れたことが恥ずかしかった。自ら努力して再び試み、失敗をつぐなおうと思って、雲台峰に行ってみたが、まったく人影がなかった。口惜しく、溜息をつきながらもどったのである。仙人なんてはた迷惑なんです、なろうとする人もね。