靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

ツボ

今,何とか信じられるのは,ツボの有効性です。有効であることの可能性と言うべきかも知れない。
原穴と下合穴と背兪穴,あるいはさらに原穴はもともとは胸腹部に在ったんじゃないかという発想(妄想)から募穴,原穴の撰に漏れたものとしての絡穴,原穴から(それだけでは心許ないと思った,名人ではない人の工夫として)拡張された本輸穴,あるいはその使い分けの工夫。ミャクはツボと病所が離れている場合に,その有効性を保証する論である。
勿論,痛苦の在る箇所に直接的に何かをして効果が有る,ということも信じられる。でもそれは物理療法一般に言えることであって,鍼灸について特に喧伝すべきこととも思わない。

五蔵病形

脈診に座標軸を持ち込んで,あらゆる病をそのどこかに配置する,などという構想(妄想)を抱くと,『霊枢』の邪気蔵府病形篇は魅力的な資料です。ところがそこに書かれている脈診には謎が多い。
先ず第一にどこで診るのかはっきりしない。左右寸関尺に配当するのは歴史的に論外(?)としても,独り寸口を診るというのがそもそも問題でしょう。だからと言って,常識的にいえばどの五蔵の病であるかが分かってない段階で,五蔵の診処をさぐるわけにもいかない。で,実は窃かに,どの蔵の問題であるかは脈を診る前に見当をつけているんじゃないかと思っている。具体的にいえば多分,顔色で。その上で五蔵の原穴の脈を診る。問題は原穴の脈で,緩急小大滑濇を診るなんてことが出来るのかであるが,これはできる人にはできる,と言っておかなければしょうがない。本当はまた窃かに,これは実用的な脈診法というより理念的な枠組みの構想だったんじゃないか,とも考えていますがね。
で,もう一つ大きな疑問として,それぞれの脈状に間と甚が有って,しかも何だか間のほうが重篤なんじゃないか,というのが有る。そこで考えてみると現行の脈診で重視される浮沈がここには無い。まさか甚微がそれに相当するわけでもあるまいね,と。でもね,羅列された病症名に痹の字をふくむものは、いずれも微である。寿夭剛柔篇に、病の陽に在るものは風、陰に在るものは痹と名づけるが、陽に在れば脈は浮、陰に在れば脈は沈とも言えるだろう。それに、現在の脈状がそれぞれしっかり定義された情況を離れて虚心に考えれば、指が皮膚に触れるか触れないかで感じられる脈は甚と捉えられたかも知れないし、指を余程押し下げないと得られない脈は微と捉えられたかも知れない。まあ,まだ戯言の段階です。

経絡を発見しよう

古典に出てくる経絡は,おおむね血管のことであるなどと言えば,古典の読み手から猛反発をくらうことは分かっている。でも,言っていることがちょっとだけ違うんですよ。
流れる身体に流れていると思われていたものは,まず一番分かりやすいものとしては血液,主たる役目として全身を栄養する。次いで身体あるいは物体一般の外表を覆って,モノとして形あらしめている何か。この役目を現代的に説明するのは厄介だけれど,考えてみると古代文明にはかなり普遍的に言われていた。例えば,エジプトのミイラの棺もそれを逸さないためのものだったらしい。
そしてもう一つ,診断兼治療点を結ぶ線を連絡する何か。スイッチとランプとコードが有って,そのコードを伝わる信号の担い手。(いっそのこと血と気と信号と言おうか。)
血液については,もう現代医学にお任せして良いのじゃないか,というのが,つまり「おおむね血管のことである」という発言なんです。その部分からは手を引いて,「スイッチとランプとコード」の関係を追求したほうが良いんじゃないか,と言うことです。血液循環を制御する方法としての刺絡や,外表を覆っている気の調節という,厄介な問題は残ってますがね。古代人がこれら区別して考えるのには限界が有っただろうけれど,現代に至ってはその中で一番特殊な部分を抽出して発展させる試みも必要だと思う。
だから私のは経絡否定論でもあり,また「経絡を発見しよう」とする論でもあると思っています。あまり空白が続くので,出任せを一つ。

慄其道

 『太素』巻27五邪刺(『霊枢』刺節真邪)につぎのようにある。
凡刺大耶日以小洩奪其有餘乃益虚慄其道針於其耶肌肉親視之無有反其真刺諸陽分肉間
凡刺小耶日以大補其不足乃無害視其所在迎之界遠近盡侄不得外侵而行之乃自費刺分肉之間也
 大邪の条と小邪の条はほぼ対をなしているはずであるから、「洩奪」と「補」は対であり、「洩」は「瀉」の誤りで「奪」はその注記である可能性が高い。これは郭靄春がすでに言っている。
 「益虚」と「無害」も対であり、「虚を益すべし」と「害する無かれ」だと思う。「そうすれば亢進していたものを平静にできる」とか「そうすれば害にならない」とかには、いささか納得しがたいものがある。
 「慄其道」は、『霊枢』では「剽其通」であり、「視其所在」と対のはずである。郭靄春が『漢書・地理志』顔注を引いて、「謂急于疎通病邪」と注解するのは、全く従いがたい。その通道を「視る」に近い意味に解すべきであろう。「慄」か「剽」か、はたまたそれによく似た別の字か。「その通道を切按して」ではあるまいか。
 それ以降はあまりしっかりとした対にはならないようだが、それでも両方とも「そうすれば自ずから回復する」というような意味にはなっている。
 「刺諸陽分肉間」と「刺分肉之間」はほとんど同じ。

陽明と太陽?

 『霊枢』通天などはつまらない篇だけど、それでも次のような文章が有る。
少陰之人,多陰少陽,小胃而大腸,六府不調,其陽明脉小而太陽脉大,必審調之,其血易脱,其氣易敗也。
 ここで先ず言っておくべきことは、大腸はlarge intestineではなくて、腸が大きいという意味であって、つまり多陰少陽であれば、胃は小さくて腸は大きいのであるということ。胃と腸を陰陽論的に割り振れば、胃は陽、腸は陰というつもりらしい。
 で、ここの腸は実は小腸であって、だから腸が大きければ手太陽小腸経の脈動が大きい、というのが一般的な解釈らしい。しかし、小腸と手太陽の関連なんぞにはほとんど実体が無い。経脈篇の病症のなかにさえ小腸の病らしいものは無い。小腸と手太陽の観念的な結びつきに拠った記事であるとしたら、この文章はますますつまらないものになってしまう。
 ひょっとすると、この太陽脈は太陰脈の誤りではないか。そして陽明脈とは人迎であり、太陰脈とは寸口であるとしたら、ごく初期の人迎寸口診の中には、六府の不調を診るという部分も有ったのではないか。さらにはなんらかの意味の陰陽の不調も、すべて人迎と寸口を診ることで判断したいという試行錯誤が有ったのかも知れない。
 残念ながら、『霊枢』通天は仁和寺本『太素』には缺いている。だから、太陽は太陰だったのではないかといったところで所詮たしかめる手段が不足している。つまり、以上に言ったことは全て妄想に過ぎない。

 漢和辞典には、強い不満が外に発したものを「怒」、内に鬱積したものを「恨」、不満が内にこもった状態で、こころにひそかにいかるのを「慍」という、とある。高名な学者さん達による説明だけれど、実は本当には納得していない。その理由は極めて感覚的なものであって、現代の発音ではあるけれど、怒はnuの第4声、あんまり気は発して無さそうに思う。むしろ口をつぐんでムッとしている感じがする。怒號(nuhao)とか嚇怒(henu)とか憤怒(fennu)とかの熟語になれば、むしろ組み合わされた字音のほうに気のほとばしりを感じる。やっぱり、気が内にこもって爆発寸前というイメージのほうが強いんだけれど、まあそういう感じがするというだけのことです。ヌッという心理状態を表現した字だと思うんですがね、素人は。現代中国語で「いかる」は生気(shengqi)、つまりnuではあまり気を生じてなさそう、ということ。

行路遠也

 これだけを見て、「麤」であると分かる、というのは結構きついところだと思いますよ。でも、「文傳得口傳得妙」という文脈の中でなら、まあなんとか見当はつく。
 『干禄字書』に「麁麆麤 上中通,下正,此与精粗義同,今以粗音才古反,相承已久」と有ります。つまり、この麁の変形したもの、筆の勢いといったことではないかと思うわけです。精粗の粗です。で、後のほうでごちゃごちゃ言っているのは、実は『竜龕手鏡』には「麁麄 倉胡反,踈也,大也,不精也,不善也,二」と「麤 倉胡反,浙韻云,行路遠也,又驚防也,鹿之性相背而食,慮人獸之害也」と二本立てになっているんです。『竜龕手鏡』の「麤」の「行路遠也」は『説文解字』の「行超遠也」からきているんだろうけど、それが粗の意味をもつのは、鹿の群れが奔ると、羊なんかの群れとは違ってバラバラになるからだそうです。で、結局、「麤」と「麁」は同じ字なのかどうか、よく分からなくなってしまう。それにそもそも「鹿」の下部の「比」、『干禄字書』でも『竜龕手鏡』でも「厸」になっているんです。しかも『竜龕手鏡』では鹿の部に「比」に作る字も平然と並べてなにも説明しない。まあ、こういった変形はどうでも良いことなんでしょう。
 結局、「麁」から上に掲げた画像まではまだ結構距離がありそうで、さてどこまで説明する必要があるのかしら。「比」あるいは「厸」をさらに省略したというあたりまでは見当がつくけれど。というわけで、銭教授の『新校正』はこういうのをどう解決するのか、とまあ待ち遠しいわけです。

怒而多言

『太素』巻30喜怒
善怒而欲食,言益少,刺足太陰;
怒而多言,刺足少陽。
 現代の臨床家の多くは、「多言に足少陽というのは、一寸臨床に使う気にはなれない」という意見だそうです。で、足少陽が指示されている理由として、臨床経験の無い後世の注釈家の注文が経文に紛れ込んだか、それとも古典の書かれた時代の足の少陽胆経の流注が現在の常識と異なるのか、というような議論をしている。
 まだ他に原因は考えられるでしょう。
 先ず第一に、『甲乙』では足少陽でなくて足少陰です。足少陰でも使う気にはなれないのかも知れないけれど、少なくとも『甲乙』には「嗌乾,腹瘈痛,坐起目䀮䀮,善怒多言,復留主之」とも有ります。古典に書かれてるからと言って全部を信じる必要は無いけれど、後世の注釈家の臨床経験を安易にあげつらうのは、自分たちの臨床経験を過信していると思う。
 第二に、怒と多言のイメージに古今の差があるのではないか。
 怒はイカるであって、強い不満が外に発したものであって、内にこもっている状態は愠という。現代の常識と同じようだけど、内に強い不満がこもってやがて爆発というイメージがずっと強そうです。だから食欲なんか有るわけがないし、ぐっと押し黙って言葉もでないのが当たり前で、足の太陰を使って、多分、疏泄しようとする。どうして疏泄するのに足太陰なのか。それこそが古代の名人上手の臨床経験であって、現代の臨床釈家としてはやってみて効くよ効くよと感激するか、自分の腕ではダメだったとうなだれるか、というようなことでしょう。
 さらに問題なのは多言で、おそらくはペラペラと喋りまくるということではない。巻25熱病决の譫言に楊上善は「多言也」と注しています。森立之も『素問攷注』生気通天論「静則多言」のところで、「多言者,譫語之謂」と注釈している。鬱積の極地なのに、何だかブツブツ言っているのは、薬罐の湯が煮えたぎっているようなイメージですかね。これはまた別の次元に入っているのであって、腎虚とでも考えたんでしょう。薬罐の蓋をきちんとしめている力を腎に求めたのだろうということです。で、『甲乙』の復留主之の条にあるような症状も実際には伴っていたのかも知れない。そういうのを腎の問題と考えることの当否も、足少陰が有効であるかどうかも、実際に試してみてからの話です。

口問

 『太素』を読むのをライフワークのようにしているものが言うのは何だけど、楊上善の注釈には首をかしげるようなものが結構ある。例えば『太素』巻27十二邪に:
夫百病之始生也,皆生於風雨寒暑,陰陽喜怒,食飲居處,大驚卒恐。【風雨寒暑居處,外耶也。陰陽喜怒飲食驚怒,内耶也。】血氣分離,【此内外耶生病所由,凡有五別。一,令血之與氣不相合也。】陰陽破散,【二,令藏府陰陽分散也。】經胳决絶,脈道不通,【三,令經脈及諸胳脈不相通也。】陰陽相逆,衛氣稽留,【四,令陰陽之氣乖和,衛氣不行。】經脈空虚,血氣不次,乃失其常。【五,令諸經諸胳虚竭,營血衛氣行無次弟。】論不在經者,請道其方。【如上所説論在經者,余已知之。有所生病不在經者,請言其法也。】
 これはさすがにおかしいでしょう。大体、楊上善がいくつか有るといって、指折り数え始めたら眉に唾をつけたほうが良い。本来は次のような関係だと思う。
夫百病之始生也,皆生於風雨寒暑,陰陽喜怒,食飲居處,大驚卒恐。
分離,破散,决絶,脈道不通,
相逆,衛氣稽留,經脈空虚,不次,
乃失其常。
論不在經者,請道其方。
 つまり大雑把に言えば、血は陰であり絡であり(経脈中の)栄であり。気は陽であり経であり(体表の)衛である。それらは風雨寒暑(気象)、陰陽喜怒(?)、食飲居処(日常生活)、大驚卒恐(精神感動)によって調和をかき乱され、したがってその常態を失う。それらの経典著作に載っているものはすでに読んだ、だからそこに載ってないものを聞きたい。

 『霊枢』口問篇に:
黄帝曰:人之嚲者,何氣使然?
岐伯曰:胃不實則諸脉虚,諸脉虚則筋脉懈惰,筋脉懈惰,則行陰用力,氣不能復,故爲嚲。因其所在,補分肉間。
とあり、『太素』巻27十二邪では「嚲」を「撣」に作り、楊上善は「撣,土干反,牽引也。謂身體懈惰,牽引不收也」と言う。ところが『広韻』では市連切の下に「牽引」とあり、徒干切、徒案切の下では「觸也」である。「撣」字は、『太素』7首篇にも「喜樂者,撣散而不藏」と見え、そこの反切と義釈は「撣,土安反,牽引也」である。これは『霊枢』では本神篇であり、そこでは「憚」に作る。つまり:
 「嚲」字は、辞典にタで「垂れ下がる、なよなよとして力がない」である。
 「撣」字は、楊上善に従えばタンで「牽引」であり、『広韻』に従えばタンなら「觸」、牽引なら「セン」である。
 「憚」字は、辞典にタンで「おそれ、はばかる」で、また「病みつかれたさま」である。
 結局、意味としては「疲れ果てて、ぐったりとして、筋肉に力が入らない様子」なんだろうけれど、それは文脈から判断すべきことであって、古注や工具書は本当にはあてにならない。
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