靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

経絡を発見しよう

古典に出てくる経絡は,おおむね血管のことであるなどと言えば,古典の読み手から猛反発をくらうことは分かっている。でも,言っていることがちょっとだけ違うんですよ。
流れる身体に流れていると思われていたものは,まず一番分かりやすいものとしては血液,主たる役目として全身を栄養する。次いで身体あるいは物体一般の外表を覆って,モノとして形あらしめている何か。この役目を現代的に説明するのは厄介だけれど,考えてみると古代文明にはかなり普遍的に言われていた。例えば,エジプトのミイラの棺もそれを逸さないためのものだったらしい。
そしてもう一つ,診断兼治療点を結ぶ線を連絡する何か。スイッチとランプとコードが有って,そのコードを伝わる信号の担い手。(いっそのこと血と気と信号と言おうか。)
血液については,もう現代医学にお任せして良いのじゃないか,というのが,つまり「おおむね血管のことである」という発言なんです。その部分からは手を引いて,「スイッチとランプとコード」の関係を追求したほうが良いんじゃないか,と言うことです。血液循環を制御する方法としての刺絡や,外表を覆っている気の調節という,厄介な問題は残ってますがね。古代人がこれら区別して考えるのには限界が有っただろうけれど,現代に至ってはその中で一番特殊な部分を抽出して発展させる試みも必要だと思う。
だから私のは経絡否定論でもあり,また「経絡を発見しよう」とする論でもあると思っています。あまり空白が続くので,出任せを一つ。

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