靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

失四時之順,逆寒暑之宜

『太素』卷19知祝由=『黃帝內經太素校注』p592 『黄帝内經太素新校正』p360
當今世不然,憂患琢其內,苦形傷其外,又失四時之逆順、寒暑之宜,賊風數至,陰虛邪朝夕,內至五藏骨髓,外傷空竅肌膚,故所以小病必甚、大病必死者,故祝由不能已也。
「失四時之逆順寒暑之宜」の「逆順」を『素問』は「從逆」に作る。
按ずるに,『素問』を是と為す。「四時の順(従)を失う」と「寒暑の宜に逆らう」でないと対にならない。ここは上の「憂患琢其内」と「苦形傷其外」,下の「賊風數至」と「虚邪朝夕」(陰は衍文だろう),「内至五藏骨髓」と「外傷空竅肌膚」,「小病必甚」と「大病必死」,いずれも対を為している。これだけ対を為さないというわけにはいかない。
ただし,楊上善はすでに「失四時之逆順、寒暑之宜」として注を施している。だから『太素』の経文を校改するわけにはいかない。そうは言っても,『校注』も『新校正』も,『太素』と『素問』の優劣に言及しないのは,いささか物足りない。

これを扣えて発せず

『素問』離合真邪論
若先若後者,血氣已盡,其病不可下,故曰:知其可取如發機,不知其取如扣椎,故曰:知機道者不可挂以髮,不知機者扣之不發,此之謂也。
竜伯堅等『黄帝内経集解・素問』は,「知其可取如發機」を今訳して「在恰當的時候進針則猶如撥動弩機一樣,一射就中」と言い,「不知其取如扣椎」を今訳して「在不恰當的時候進針則猶如扣擊木椎一樣,不發生一點作用」と言う。
郭靄春『黄帝内経素問校注語訳』は,「知其可取如發機」を語訳して「懂得用針的,象撥動弩機一樣」と言い,「不知其取如扣椎」を語訳して「不善於用針的,就象敲擊木椎、毫無響應」と言う。
いずれも「發機」を「機を発す」,「扣椎」を「椎を扣(たた)く」と訓んでいるらしい。そして「たたいても何も起こらない,響かない」と言う。これはおかしいのではないか。「機」は弩の,弦を引っかける爪と引き金とからなる発射装置であり,それを「椎」(物をたたく器具,つち)で撃って発射させる。椎を撃つのではなくて,椎で撃つのである。撃つべきときに躊躇して撃てないから発射させられない。「扣」は,『説文』には「馬を牽くなり」とあって,もともと「引っぱる」、「引きとめる」である。だから,「椎を撃つ」あるいは「椎で撃つ」ではなくて,「椎(で撃つの)をひかえる」であろう。知も不知も,ともに弩をもって譬えとしていると解釈できるのなら,そうするのが当たり前だと思う。

春日在皮

『素問攷注』脈要精微論
春日浮,如魚之遊(游)在波(皮)。
 案,「浮」「游」「皮」爲韻。
 案,宜從『大素』作「在皮」爲是。言春日之脈浮而如弓弦上出,如魚之游云者,亦謂魚口小出水上而行。「在皮」二字,据後文例,則宜在「春日」下。然此以「浮」「游」「皮」爲韻,不可改也。是即倒草法耳。
『黄帝内経太素新校正』後記之一 楊上善及『太素』簡考
 第五章 『太素』古韻及依韻校勘
 第三節 以『太素』古韻校『靈樞』、『素問』之失韻
  貳.字倒失韻
春日浮.如魚之遊在波;夏日在膚,泛泛乎萬物有餘;秋日下膚,蟄蟲將去;冬日在骨,蟄蟲周密,君子居室。(『素問・脉要精微論』)
 按,『太素』卷十四「四時脉診」「波」作「皮」,注云:「春時陽氣始開,脉從骨髓流入經中,上至於皮,如魚游水,未能周散。」此段爲押韻之文。「膚」、「餘」、「膚」、「去」均在段氏古音第五部;「密」、「室」在段氏古音十二部入聲,均爲押韻之句,唯「浮」與「波」不相押韻。「如魚之遊在波」當系傳抄誤倒,原句當作「如魚在波之遊」,則與「浮」字押韻,「遊」「浮」均在段氏第三部幽韻。但此字誤倒失韻已在楊上善前,故『太素』亦作「春日浮.如魚之游在皮」,「皮」通「波」。

神麹斎按ずるに,森立之が「浮游皮爲韻」と言うのは,銭超塵教授の指摘のごとく誤りである。しかし,「後文例」は無視すべきでない。他の季節と同様に「在波」あるいは「在皮」は「春日」の下に在るべきである。また他の季節に「在膚」「下膚」「在骨」と言うからには,春も「在波」ではなくて「在皮」のはずである。試みに文例を統一し,押韻の文字を朱書すれば以下の如くであろう。

 春日在皮,□□□,如魚之;(□は未だ考え至らない)
 夏日在,泛泛乎萬物有
 秋日下,蟄蟲將
 冬日在骨,蟄蟲周,君子居
 

罔象獨得玄珠也

蕭延平本『太素』巻24本神論
視之無形,嘗之無味,故曰冥冥,若神髣髴。
【楊注】冥冥之道,非直目之不可得見,亦非舌所得之味。若能以神髣髴,是可得也,此道猶是黄帝之玄珠,罔象通之於髣髴。

『太素新校正』p.496
視之無形,嘗之無味,故曰冥冥,若神髣髴。
【楊注】冥冥之道,非直目之不可得見,亦非舌所得之味。若能以神髣髴,是可得也,此道猶是黄帝之玄珠,卂象通之於髣髴之。
新校正云:……原鈔「卂」字蝕殘,辨其剩筆,當是「卂」字。按,「卂」爲「迅」之古字。『説文・卂部』:「卂,疾飛也。從飛而羽不見。」蕭本作「罔象」,不可從。……

『莊子』外篇 天地第十二
黄帝遊乎赤水之北,登乎崑崙之丘而南望,還歸,遺其玄珠。使知索之而不得,使離朱索之而不得,使喫詬索之而不得也。乃使象罔象罔得之。黄帝曰:「異哉!象罔乃可以得之乎?」
【疏】罔象,無心之謂。離聲色,絶思慮,故知與離朱自涯而反,喫詬言辨,用力失真,唯罔象無心,獨得玄珠也。

諸腸,膀胱及廣腸等也

『黄帝内經太素新校正』卷十三 膓度(p.264)
下膲下溉諸膓。
楊上善注:下膲別迴膓,注於膀胱,譬之溝瀆☐☐,下溉諸膓,膀胱爲黑膓,及廣膓等也。
新校正云:此二句(膀胱爲黑腸,及廣腸等也)費解,疑「黑」爲「洩」訛,「及」爲「与」誤,則此二句當作「膀胱爲洩腸,與廣腸等也」,待考。
神麹斎案:『難経』三十五難に「膀胱者謂黑腸」とある。してみると「諸腸」とは,膀胱から広腸などに及ぶものであると謂いたいのだが,膀胱を腸と謂うことに不審をいだかれるのを恐れて「爲黑腸」などと付け加えてかえって難解にしてしまったのではないか。あるいは後人の注が紛れ込んだのかも知れない。

病之在藏

『霊枢』五色篇を読んでいて質問されて,言われてみれば変だねと思ったけれど,うまく説明できない。『太素』では巻14の人迎脈口診にある文章の,黄帝の答えの部分です。
外内皆在焉。
切其脉口,滑小緊以沉者,其病益甚,在中;
人迎氣大緊以浮者,其病益甚,在外。
其脉口滑而浮者,病日損;(『霊枢』は日進に作る。)
人迎沉而滑者,病日損;
其脉口滑以沉者,其病日進,在内;
其人迎脉滑盛以浮者,其病日進,在外。
脉之浮沉及人迎與寸口氣小大等者,其病難已。
病之在藏,沉而大者,易已,小爲逆;
病之在府,浮而大者,病易已。
人迎盛緊者,傷於寒;
脉口盛緊者,傷於食飲。
変だと思うのは,「病之在藏,沉而大者,易已,小爲逆;病之在府,浮而大者,病易已。」のところです。この脈を診るのは人迎か脈口か,と。
ここでは病が蔵に在るときは,にして大だと癒えやすいと言います。前には「人迎にして滑なるものは,病日に損ず」と言っています。では,蔵を人迎で診るんですか。
ここでは病が府に在るときは,にして大だと癒えやすいと言います。前には「脈口が滑にしてなるものは,病日に損ず」と言っています。では,府を脈口で診るんですか。
だらしないけれど,上手く解釈できません。どなたか何とかなりませんか。

多足生大釘腫

『太素』巻3調陰陽
膏梁之變,足生大釘,受如持虚。
楊注:膏梁血食之人,汗出見風,其變爲病,与布衣不同,多足生大釘腫 。膏梁身虚,見濕受病,如持虚器受物,言易得也。
『黄帝内経太素新校正』p45の脚注に:
足生大釘:「足」乃「多」、「饒」之義。楊注云:「足生大釘腫 。」訓「足」爲「脚」,誤。林億『素問・新校正』云:「按丁生之處,不常於足,蓋謂膏梁之變,饒生大丁,非偏著足也。」
この『黄帝内経太素新校正』の言い分がさっぱり理解できない。「足を訓みて脚と為す」の是非はさておく。「足」に「多」字を加え,「大釘」に「腫」字を加えて意味を明確にし,もって注釈としたと,どうして考えられないのだろう。そもそも『黄帝内経太素新校正』自身が,「足」には「多」の義が有ると言っているんでしょう。どうして楊上善の解釈が「脚に大釘腫を生じる」であるなどと決めつけられるのだろう。 楊上善は「足生大釘」はすなわち「多生腫」だと言っているのだろう。

抵,及也

巻27邪伝
是故虚耶之中人也,始於皮膚,皮膚緩則腠理開,從毛髮入,入則柩深,深則毛髮立泝然,皮膚痛。
楊上善注:皮膚緩者,皮膚為耶所中,无力不能収,故緩也。人毛髮中虚,故耶從虚中入也。柩,久也。耶氣逆入,久深腠理之時,振寒也。

「柩」(厳密には原鈔は手偏)について,杏雨書屋蔵の真本には鼇頭に「丁礼反,久也」の抄校者による朱書が有り,『玉篇』に「觝,丁礼切,觸也,或作抵」と見えるから、抄校者はこの字が「抵」であることを知っていたと考えられる。これはすでに昨年, 2006年の10月 5日にBLOG「太素を読む会」に書き込んでいます。その時,「久也」については「及也」の誤りではないかと言っておきました。今頃になって,抄者が「久」と「及」を書き間違えたのではないかという例を見つけました。

巻2壽限
黄帝曰:人之夭壽各不同,或夭,或壽,或卒死,或病久,願聞其道。
楊上善注:問有四意:夭、壽、卒死、病久。
この揚注の「病久」を原鈔では,どうも「病及」と書いているみたいです。

人迎脈口診

所謂人迎脈口診は,『霊枢』の終始篇,経脈篇,禁服篇などに見える。篇によって名称は異なるが,脈口、寸口、気口は同じで腕関節部の橈骨動脈の搏動であり,人迎は頚動脈の搏動である。
禁服篇では寸口は内部の状況,人迎は外部の状況を診るもので,両者は同じ一つの身体に起こることとて,ほぼ同じであるべきであるが,春夏には陽を主どる人迎がやや大きく,秋冬には陰を主どる寸口がやや大きいのがまあまあの健康人だと言っている。予後の判定は『霊枢』の五色篇にあって,脈口が陰的な脈であったり,人迎が陽的な脈であるのは凶,脈口が陽的な脈であったり,人迎が陰的な脈であるのは吉と言っている。平衡状態にもどろうとしているのを良しとする。また,脈口が示すのは内部の問題であり,飲食に傷られたのであり,人迎が示すのは外部の問題であり,寒に傷られたのであると言う。
禁服篇にはさらに,人迎と寸口のいずれが他方よりも如何ほど大きいかによって,三陰三陽を弁別し,一方が他方より四倍も大きくなっては死は免れぬと言う。陰陽の理論を応用して判断を詳細にしようとする努力は分かるが,弁別してそれでどうするという記述は無い。なんだか添え物のような気配がある。
禁服篇の主要な内容は,脈状による病状の判断であり,それに対応した治療法が有る。診るべき脈状は盛、虚、緊、代であって,人迎が大きいときには病は外に在り,盛であれば熱であり,虚であれば寒であり,緊であれば痛痺であり,代であれば症状に間歇がある。盛、虚には当然補、瀉を施し,緊には緊張している肌肉に取り,代には血絡を去り投薬もする。また陥下していれば灸をすえる。そして虚実が明白でなければ,経を以てこれを取る。寸口が大きいときには病は中に在り,盛であれば脹満し,寒中して,食が下らないし,虚であれば熱中して,消化便を下し,呼吸が浅く,尿の色も変わる。緊であれば痺となる。代であればやはり痛みに間歇がある。盛、虚には当然補、瀉を施し,緊には先ず刺してから灸をすえ,代には血絡を去り,おそらくはやはり投薬する。陥下していればとにかく灸をすえる。そして虚実が明白でなければ,経を以てこれを取る。「経を以てこれを取る」とは如何なることか。難問であるが,禁服篇の末尾の「大数に曰く」の中には,「経治とは薬を飲ませることであり,また灸刺することであるともいう」とある。あるいはまた,とにかく刺して経過をみろということかも知れない。篇末に再び,大数に曰くとして,病状に応じた治療法を繰り返すことなども,もともとの関心の在りかを暗示しているように思える。三陰三陽を弁別することにはさして価値を置いてなさそうである。
   人迎は外を主る      寸口は中を主る
脈状:盛...熱          盛...脹満         
   虚...寒          寒...泄瀉
   緊...痛痺         緊...痺
   代            代
     治療方針の記述が有る
比較:人迎大于寸口一倍...足少陽 寸口大于人迎一倍...足厥陰 
         二倍...足太陽       二倍...足少陰
         三倍...足陽明       三倍...足太陰
   燥が有れば手
     治療方針の記述が無い
終始篇では,人迎の一、二、三盛で三陽を弁別し,脈口の一、二、三盛で三陰を弁別して,一方が他方の四倍になっては死は免れないと言う。ここには人迎と脈口の比較は無い。ただ,治療法において,人迎の盛は瀉陽補陰で,用いる経脈は当該の陽経脈およびその裏をなす陰経脈である。寸口の盛は瀉陰補陽で,用いる経脈は当該の陰経脈およびその裏をなす陽経脈である。どれほど瀉すか補すかも,一、二、三盛のいずれかで判断する。比較の記述は無いが,もうあと一歩とは言える。
人迎一盛...足少陽 脈口一盛...足厥陰
  二盛...足太陽   二盛...足少陰
  三盛...足陽明   三盛...足太陰
   燥が有れば手
   そもそも比較ではない
   治療方針...表裏の経を取って 盛の度合に応じて補瀉を加減
経脈篇は,実は流注と病症が主たる内容であって,脈診は添え物である。治療法も症状から判断して,「盛んなればこれを瀉し,虚なればこれを補し,熱するときはこれを疾くし,寒なればこれを留め,陥下すればこれに灸し,盛ならず虚ならざれば,経を以てこれを取る」と言うまでのことである。脈診については,盛であるときには,例えば陰経脈の実であれば気口のほうが人迎よりも大きくて,如何ほど大きいかは三陰の陰の度合いの違いによって異なる。虚であれば気口のほうがかえって小さい。つまり,しかじかの病の時の脈状はしかじかと言うのであって,しかじかの脈であればしかじかの経脈の病と判断するという訳じゃない。
流注
病症
治療方針:盛・虚・熱・陷下・不盛不虚...必ずしも脈診によらない
脈診  :盛...人迎と寸口を比較して何倍か
       陰経脈の場合:人迎<寸口
       陽経脈の場合:人迎>寸口
     虚...人迎と寸口の大小が逆転
人迎脈口診は,もともとは人体の顕著な搏動を選んで,陽の状態を人迎で,陰の状態を脈口(寸口、気口)で診ようとした方法であると思われる。これを進めて,一方が他方よりどれほど大きいかによって,三陽あるいは三陰に弁別しようとするのは新しい工夫には違いないが,充分な臨床での実績が有ってのことなのか,理論から割り出しただけなのか,実のところいささか疑わしい。また,人迎脈口診では人迎二倍で病は太陽に在り,人迎三倍で病は陽明に在るとするが,一般的には三陽は太陽ということになっている。例えば『素問』陰陽別論では一陽、二陽、三陽などの病が記述されているが,楊上善も王冰も三陽は太陽と解釈している。両者は太陽と陽明とどちらがより多く陽であるか,意見を異にしているようである。そもそも中国の脈診の歴史に比較という観点は乏しい。文献中にたまたま記載されたから後世に残ったけれど,本当は三陰三陽を弁別しようとする人迎脈口診は,少数派による試みであり,また実践に乏しかったのではないかと思う。
人迎と気口の単なる脈状診から切り替えて,上下の二点を押さえればその間に起こっている異常を知ることができるという発想自体は,興味深いところである。三陰三陽の弁別とは違った発展の可能性も有り得たのではないかと思う。後の時代の,人迎と気口を左右の腕関節に持ってくる脈診では,その両端を押さえて間を知るという趣旨も失われてしまうと思う。

簡体字本太素

学苑出版社から中医古籍校注釈訳叢書の一冊として,またまた『黄帝内経太素(附黄帝内経明堂)』というのが出ましたね。点校者は李雲さんです。
しかしこの人,どういう神経の人なんですかね。2000年8月に王洪図さんと連名で『黄帝内経太素』増補点校を出し,2005年5月にはその修訂版を出し,2006年3月には銭超塵さんと連名で『黄帝内経太素新校正』を出し,2007年6月には自分の名前で点校を出す。たゆまぬ努力と言えば聞こえは良いけれど,今度の本なんかは実のところ『黄帝内経太素新校正』の簡体字版にして脚注省略版に過ぎないんじゃないか。まあ,自分だって校正者の一方なんですから,問題無いと言えば無いんですがね。当然のことだけれど,私がしつこく指摘した「状態の良い影印を見れば分かるはずの誤り」はそのままです。
でも,私は購入しましたし,人にも勧めますよ。これにBLOG「太素を読む会」の情報を書き込んで真っ赤にすれば,携行にも適した現在のところ一番ましな『太素』にはなる。
ことわっておきますが,『黄帝内経太素新校正』の代用にはなりません。衍誤奪倒を訂正するに際して,理由説明は一切省略してますからね。そうでもしなけりゃ『明堂』も附けてA5版456頁という訳にはいきません。
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