災害医学文献集 新潟県中越地震(2004) |
目次: Allergology International、CAMPUS HEALTH、Endocrine Journal、Expert Nurse、Heart View、International Journal of Urology、JHAC、Japan Medical Association Journal、JIM: Journal of Integrated Medicin、Journal of Japanese Society of Hospital Pharmacists、Psychogeriatrics、Therapeutic Research、The Tohoku Journal of Experimental Medicine、Vascular Lab、安全と健康、医学検査、石川看護雑誌、医道の日本、医薬ジャーナル、茨城県母性衛生学会誌、茨城県立病院医学雑誌、医療、医療福祉建築、インターナショナルナーシングレビュー、岡山県母性衛生、介護支援専門員、鹿児島大学医学部保健学科紀要、家畜診療、神奈川医学会雑誌、看護、看護管理、看護教育、看護展望、看護部マネジメント、北関東医学、群馬県核医学研究会会誌、群馬県救急医療懇談会誌、群馬パース大学紀要、月刊福祉、口腔衛生学会雑誌、公衆衛生、呼吸器科、呼吸と循環、こころと社会、歯界展望、静岡県立総合病院医学雑誌、歯学、小児科、小児看護、食品衛生研究、市立札幌病院医誌、新医療、信州医学雑誌、心身医学、心身医学、腎不全を生きる、生活と環境、精神医学、精神科、精神科看護、精神認知とOT、全国自治体病院協議会雑誌、総合臨床、調剤と情報、電子情報通信学会技術研究報告、東京小児科医会報、東京都病院薬剤師会雑誌、陶生医報、透析ケア、糖尿病ケア、とちぎ精神衛生、トラウマティック・ストレス、ナーシング・トゥデイ、長岡看護福祉専門学校紀要、長岡赤十字病院医学雑誌、難病と在宅ケア、新潟医学会雑誌、新潟県医師会報、新潟県厚生連医誌、新潟大学医学部保健学科紀要、新潟薬科大学研究報告、西九州大学・佐賀短期大学紀要、日赤医学、日赤図書館雑誌、日本足の外科学会雑誌、日本看護学教育学会誌、日本災害看護学会雑誌、日本在宅ケア学会誌、日本歯科医療管理学会雑誌、日本歯科衛生学会雑誌、日本の眼科、日本社会精神医学会雑誌、日本獣医師会雑誌、日本手術医学会誌、日本集団災害医学会誌、日本小児科医会会報、日本病院薬剤師会雑誌、日本旅行医学会学会誌、脳と発達、病院、福島医学雑誌、プラクティス、プレホスピタル・ケア、分子精神医学、訪問看護と介護、北陸と公衆衛生、保団連、薬事、薬事新報、山形県立病院医学雑誌、理学療法ジャーナル、臨床看護、臨床精神医学、臨床透析、老年社会科学
■Allergology International
■CAMPUS HEALTH
■Endocrine Journal
■Expert Nurse
■Heart View
■International Journal of Urology
■JHAC
■Japan Medical Association Journal
■JIM: Journal of Integrated Medicin
■Journal of Japanese Society of Hospital Pharmacists
■Psychogeriatrics
■Therapeutic Research
■The Tohoku Journal of Experimental Medicine
■Vascular Lab
■安全と健康
■医学検査
■石川看護雑誌
■医道の日本
■医薬ジャーナル
■茨城県母性衛生学会誌
■茨城県立病院医学雑誌
■医療
■医療福祉建築
■インターナショナルナーシングレビュー
■岡山県母性衛生
■神奈川医学会雑誌
■介護支援専門員
■鹿児島大学医学部保健学科紀要
■家畜診療
■看護
■看護管理
■看護教育
■看護展望
■看護部マネジメント
■北関東医学
■群馬県核医学研究会会誌
■群馬県救急医療懇談会誌
■群馬パース大学紀要
■月刊福祉
■口腔衛生学会雑誌
■公衆衛生
■呼吸器科
■呼吸と循環
■こころと社会
■歯界展望
■歯学
■静岡県立総合病院医学雑誌
■循環器画像技術研究
■小児科
■小児看護
■食品衛生研究
■市立札幌病院医誌
■新医療
■信州医学雑誌
■心身医学
■腎不全を生きる
■精神医学
■精神科
■精神科看護
■精神認知とOT
■全国自治体病院協議会雑誌
■総合臨床
■地域医学
■調剤と情報
■電子情報通信学会技術研究報告
■電子情報通信学会技術研究報告(MEとバイオサイバネティックス)
■東京小児科医会報
■東京都病院薬剤師会雑誌
■陶生医報
■透析ケア
■糖尿病ケア
■とちぎ精神衛生
■トラウマティック・ストレス
■ナーシング・トゥデイ
■長岡看護福祉専門学校紀要
■長岡赤十字病院医学雑誌
■難病と在宅ケア
■新潟医学会雑誌
■新潟県医師会報
■新潟県厚生連医誌
■新潟大学医学部保健学科紀要
■新潟薬科大学研究報告
■西九州大学・佐賀短期大学紀要
■日赤医学
■日赤図書館雑誌
■日本足の外科学会雑誌
■日本看護学教育学会誌
■日本呼吸管理学会誌
■日本災害看護学会誌
■日本在宅ケア学会誌
■日本歯科医療管理学会雑誌
■日本歯科衛生学会雑誌
■日本社会精神医学会雑誌
■日本獣医師会雑誌
■日本手術医学会誌
■日本集団災害医学会誌
■日本小児科医会会報
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■日本病院薬剤師会雑誌
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■病院
■福島医学雑誌
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■訪問看護と介護
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■臨床看護
■臨床精神医学
■臨床透析
■老年社会科学
特集・地震を巡って
Abstract:2004年10月、新潟県中越地方にM6.8の大地震が発生し、強い余震が2ヵ月間続いた。この地震が、さまざまな内分泌障害を有する患者計229例[中枢性尿崩症(CDI)6例、汎下垂体機能低下5例を含む副腎不全(AI)16例、ACTH単独欠損症10例、Addison病1例、Graves病145例、橋本病62例]に及ぼした影響を分析した。CDIおよびAIを有する患者には地震による悪影響はみられなかった。Graves病の28例では甲状腺機能亢進症の重症度が増し、橋本病の3例ではTSH濃度が上昇した。PTSDスコアはCDI患者と橋本病患者が有意に高く、AI患者は精神状態のサブスコアが他の患者に比して有意に低かった。橋本病患者は甲状腺機能低下が亢進した患者の方が安定していた患者よりも総合スコアおよび環境影響スコアが有意に高かった。甲状腺機能亢進症について分析したところ、血清TRAbが同疾患の危険因子であることがわかった。災害時に備え、患者は常に病歴、薬歴等のメモを持ち歩く必要があり、マスメディアをはじめとするあらゆる手段により適切な情報が提供されるべきでる。
Abstract:2004年10月23日の新潟県中越地方大地震で甚大な被害を受けた地区で清浄間歇的自己カテーテル法(CIC)による排尿管理を行っており、当地のmedical centerに罹っている患者に、2005年1月から4月の間に質問票調査を行い、86名(男性60名、女性25名、性不明1名)から回答を得た。平均年齢は64.6歳(男性64.1歳、女性65.8歳)であった。地震後1週間で生存者で泌尿器症状は3.8%の患者に起こった。その全患者が飲料水不足があり、自分の家に住めないか、または家庭でCICを施行出来なかった患者である。災害時には、CIC患者には住居空間を供給し、そこで充分な飲料水と共に、CICを実施できることが重要である。
特集【新潟県中越地震における病院薬剤師の活動】
Abstract:2004年に発生した新潟県中越地震を認識する中程度の痴呆症患者120名(男80名、女40名、平均80.32歳)を地震を認識できる患者46名(A群)と認識できない患者74名(B群)の2群に分け検討
した。MRIを用いて大脳基底核、被殻及び尾状核頭部の小空洞数を測定した。A群の小空洞数はB群よりも統計学的に少なかった。地震を認識できる患者の簡易認知機能検査スコア、改訂長谷川式簡易知能評価スケール及び日常生活動作(ADL)は有意に高いスコアを示した。しかし、教育に関しては統計学的有意差を認めなかった。視床及び周囲の大脳基底核、被殻及び尾状核頭部は感情及び認識において重要な役割を果たすことが明らかになった。このため、空洞数は痴呆症患者の認識能力の評価において有用なマーカーとなりうると考えられた。
Abstract:地震2日後の2004年10月25日から11月30日までに長岡市内の医療機関を受診し採血された被災者486名の凍結保存血漿を試料として凝血分子マーカーの測定を行い,避難形態の違い(車中泊・非難所・自宅)による差異と経時的変化について検討した.また,地震6ヵ月後の2005年4月20日から12月20日までに受診した被災者335名に下肢静脈エコー検査を行い,血栓の頻度を調査した.地震直後(7日目まで)のフィブリンモノマーコンプレックス(FMC)値は車中泊群で基準値より高値を示し,また同群は避難所群・自宅群に比べて有意に高値であった.車中泊群について泊数とFMC値の関連を調べたところ3泊以上になると有意に上昇していた.地震直後のD-dimer値は3群とも基準値より低かった.地震1ヵ月後のFMC値は地震直後に比べ車中泊群と避難所群で有意に低下していた.下肢静脈エコー検査の結果,血栓を認めたものは49名(14.6%)と高頻度であり,震災後6ヵ月経過しても影響が残っていることが示唆された.避難形態別で血栓陽性率を比較したところ有意差は認められなかった.
Abstract:地震後約1年経過した2005年9月30日〜10月2日に被災経験者278名(長岡市157名,小千谷市121名)に下肢静脈エコー検査を行い,深部静脈血栓症(DVT)の頻度を調査した.長岡市の被災経験者(長岡市群)において被災時に車中泊避難した割合は80.3%,小千谷市群は100%であった.DVT陽性率は長岡市群5.7%,小千谷市群12.4%と後者が有意に高く,車中泊がDVTの発生に影響を及ぼした可能性が示唆された.下肢静脈エコーにおけるヒラメ静脈最大径(以下A)とDVTとの関連について検討したところ,DVT有り群は無し群に比べてAが有意に大きかった.被災経験者のA平均値を対照群(新潟大学病院の看護師59名)と比較したところ被災経験群が有意に大きかった.
Abstract:長岡市、小千谷市、十日町市の新潟県中越地震被災者1365名(男性469名、女性896名、平均60歳)において施行した、地震発生1年後の下肢静脈エコー検査および血液検査の結果について、対照地域検査の結果と比較し、被災地で認められる下肢深部静脈血栓症(DVT)が地震による影響であるのか否かを検討した。対照地域は新潟県阿賀町とし、住民367名(男性114名、女性253名、平均63歳)において検査が施行された。被災者では1365名中105名(7.7%)に血栓を認めた。対照地域住民では367名中38名が新潟大停電で偶然に3ヵ月以内の車中泊を経験しており、このうち2名(5.3%)に血栓を認め、通常の生活をしていた327名(他2名は不明)では6名(1.8%)に血栓を認めた。過去にDVT既往やリスクのない例に限定した場合でも4名(1.2%)で血栓を認めた。1年後の被災者の血栓頻度と対照地域の頻度(1.8%)についてχ2検定を行った結果、被災者では対照地域住民よりも血栓頻度が4.3倍有意に高かった。
Abstract:2004年10月23日の新潟中越地震による信濃川河川水質の変異原性に対する局所的および季節的変化の調査のため、2004年9月〜2005年8月の毎月1度、4試料採取地点に24時間ブルーレーヨンを浮遊させた。S9混合物による代謝活性化または非活性化のSalmonella typhimurium TA98とTA100を用いたエームス試験により、変異原性を評価した。河川水の変異原性に関連すると思われる多環芳香族炭化水素を検出・同定するため、ガスクロマトグラフィー質量分析法と全イオンクロマトグラムスペクトルを用いてベンゾ[a]ピレン、ベンゾフェノン、4-ニトロトルエン、その他の化合物を分析した。12週間の試験を通じて4試料採取地点でS9混合物によるTA98の陽性徴候がみられ、下流地点と冬季に高い傾向を示した。しかし、2004年12月に最上流の採取地点中に最高の変異原性が認められ、同サンプル中のみにおいて主にコールタール中に存在するフルオランテンやピレンが検出された。ベンゾ[a]ピレン、ベンゾフェノン、4-ニトロトルエンは検出限界以下であったが、脂肪族炭化水素やエステルなどの非変異原が多く検出された。本所見より、主にフルオランテンまたはピレンが2004年12月の河川水の変異原性に関連していたことが示され、油汚染が新潟中越地震に起因する可能性が示唆される。
Abstract:新潟県中越地震に医療救護班を派遣した国公立病院の看護管理者が行った医療救護班への支援を明らかにすることを目的にアンケート調査を実施し,10名(83%)の看護管理者より回答を得た.その結果,看護管理者が医療救護班に対して行っていた支援は,派遣前には「活動に必要な物品の提供や勤務調整」「救護班参加の看護職員の激励」,派遣中は「活動中の看護職員と直接連絡を取り合う」支援,派遣後は「労をねぎらう」「活動内容をよく聞く」といった支援を行っていたことが分かった.
Abstract:新潟県中越地震に医療救護班として派遣された看護師の活動の実態を明らかにすることを目的に,I県から派遣された看護師を対象にアンケート調査を実施し,27名(うち,女性24名.25〜57歳,平均年齢42.2±8.7歳)より回答を得た(回収率77.1%).その結果,医療救護班として平均3.0±0.6日間,長岡市などの避難所で巡回または外来にて活動を行っており,対応した患者の健康問題は慢性疾患が多く,援助の内容は診療の補助・精神面への援助・状況把握などであった.
Abstract:昨年暮れに起き,約30万人という史上空前の死者を出したスマトラ沖地震津波の影に,やや隠れた感がある新潟県中越地震ではあるが,直下型の大被害を被災地に及ぼしたことはご記憶のことと思う.今でも住民が避難生活を余儀なくされるというあの地震直後の異常事態の中,地元の医療機関の一員として,病院薬剤師が災害派遣医療チームに関わる過程での数多くの問題に遭遇した.災害対策マニュアルの無力さ,組織より個人による行動の重要性,重厚な支援より迅速な支援の大切さ,地域医療との調和,医薬分業の綻びなど,通常の医療活動では得難い数多くのメッセージを今回の地震は我々に与えてくれた.この事例を十分に吟味することで,今後あるべき医療人としての薬剤師の姿を考える反面教師としたい。
Abstract:2007年7月16日午前、新潟県中越沖地震が世界一の原子力発電所を抱える柏崎市を襲った。その安全性確認を待つ暇もなく新潟大学医歯学総合病院の災害医療チームを始め、多くのDMAT(災害医療派遣チーム)が、その数時間後には被災地で救護活動に入った。翌日に被災地入りした筆者らが見たものは、道へ溢れ出た崩壊した家屋の数々と医療難民とも言える多くの被災者であった。被災地の基幹病院への医師派遣と重症患者の遠隔地大病院へのヘリコプターによる搬送。昼夜2交代制の災害医療チームによる避難所での診療。さらには広域に点在する遠隔避難所の医療巡回を、その閉鎖まで継続した。医学的技術、倫理性双方の信頼性を確保すべき先端医療を預かる大学病院は、また、地域住民に対する迅速かつ継続的な災害医療救護活動を通して、その信頼性の醸成に努めるべきであることの重要性を改めて感じた。
特集・地震災害時の医療を考える
特集【広域災害医療 新潟県中越地震を経験して】
【特集:自然災害・事故・テロ時の看護 阪神・淡路大震災,地下鉄サリン事件から10年間の日本の蓄積】
Abstract:阪神・淡路大震災は女性や子ども、高齢者、障害者などの犠牲が多くあり、新潟県中越地震においても阪神・淡路大震災と同様に国民を脅かす災害となった。そこで、女性の特有な処置に欠かせない生理用品について、救援物資のあり方の実態を述べた。阪神・淡路大震災では初動態勢においてトイレ設備が使用不能になった。生理用品については神戸市危機管理室の資料によれば、震災前は生理用品の備蓄はされていなかった。新潟県中地震では、全てのライフラインが絶たれ、生活の糧である家畜やにしき鯉糧なども被害にあい、その救出に困窮したことは阪神・淡路大震災とは異なった。「生理用品」は186642個届けられ、訓練がいき無事に現地に生理用品は運ばれた。
Abstract:阪神・淡路大震災は女性や子ども、高齢者、障害者などの犠牲が多くあり、新潟県中越地震においても阪神・淡路大震災と同様に国民を脅かす災害となった。そこで、女性の特有な処置に欠かせない生理用品について、救援物資のあり方の実態を述べた。阪神・淡路大震災では初動態勢においてトイレ設備が使用不能になった。生理用品については神戸市危機管理室の資料によれば、震災前は生理用品の備蓄はされていなかった。新潟県中地震では、全てのライフラインが絶たれ、生活の糧である家畜やにしき鯉糧なども被害にあい、その救出に困窮したことは阪神・淡路大震災とは異なった。「生理用品」は186642個届けられ、訓練がいき無事に現地に生理用品は運ばれた。
特集【緊急時におけるケアマネジャーのリスクマネジメント 中越地震に学ぶ】
新潟中越地震を体験した被災地看護職者12名にインタビューを行った。ストレスを乗り越える過程において12名に共通する「家族の安否」「看護職者としての役割」「マンパワーの確保」「ストレスコーピングとしてのピアカウンセリング」の四つのキーワードが抽出され、これらについて考察した結果、以下のことが示唆された。1)地震後できる限り早期に看護職者が家族の安否を確認できるシステムの必要性、2)管理職者は責任が重く、よりストレスを感じると考えられるのでそれに対する援助の必要性、3)家族を持つ看護職者は自分のために休みを使えるシステムの必要性、4)看護職者の睡眠時間確保のため、代わりに働ける資格を持ったボランティアの必要性、5)起こりうる状況を予測し、病院に配置するボランティアの人数や物品の配給を行う必要性、6)体験を語り合うことを促すよりも、ピアカウンセリングできる場が持てる時間を増やすことの必要性。
特集【この事例に学べば災害対策は大丈夫 病院・施設の防災"実戦"ハンドブック】
Abstract:新潟県中越地震を契機に発症した重症全結腸型潰瘍性大腸炎の1例を経験したので報告する.症例は42歳の女性で,2003年の検診で便潜血が陽性となったが,大腸内視鏡検査では異常なかった.2004年10月23日の新潟県中越地震後より下痢が続いていた.症状が改善しないため近医を受診し,諸治療を受けるも下痢が改善せず,発熱,血便が加わったため,当科紹介となった.大腸内視鏡検査で,直腸から連続する出血を伴った深掘れ潰瘍が判明し,全身症状,血液生化学検査所見から重症全結腸型潰瘍性大腸炎の活動期と診断した.prednisolone静注,5-aminosalicylic acidの内服とgranulocytapheresis(以下,GCAP)で治療を開始した.発熱や腹痛は徐々に改善したが,下血は続き,GCAP 1クール終了した時点の大腸内視鏡検査所見の改善は乏しかった.手術も考慮したが,GCAP2クール目にazathioprineを併用したところ寛解となった.2005年9月より職場に復帰し,現在は通院加療中である。
Abstract:平成16年10月23日の新潟中越地震に対し、10月26日から28日まで当院の医師、薬剤師、事務各1名、看護師2名の計5名が現地入りし、医療活動を行った。活動開始した子育て支援センター及び泉水小学校の一帯は、震災後初めて医療班が入ったvirgin areaであった。子育て支援センターで19名、泉水小学校で19名、老人保健施設末広荘で19名の計57名を診察した。60歳以上の受診が全体の半数以上を占めていたが、10代も6名受診した。疾患別には慢性疾患に対する投薬希望者が24名と最も多く、次いで外傷11名、熱傷6名、感冒5名であり、緊急に転送を要するような重症患者はいなかった。診療内容では投薬を35名、処置を10名に行い、10名には診察のみを実施した。本人ではなく家族が受診して投薬を希望された慢性疾患患者も2名いた。大部分は持参した薬剤で対処したが、特殊な薬剤は別途手配した。小児科関連の患者も意外に多く見受けられ、メンタルケアを要する患者にも遭遇した。
Abstract:新潟県中越地震発生3日後に、当院より医師・薬剤師・看護師2名・事務の計5名を派遣し、自動車で看護物品を搬送した。一次救急終了後の活動であった為、持参した看護物品に不足は無かった。看護物品はダンボール箱に収納したが、瞬時に取り出す事が困難であり、必要最低限度の看護物品と収納方法の検討が必要と考えられた。精神疾患をもつ被災者の対応は、地元保健師との連絡を取り対応した。また、その他被災者の精神的ケアの必要性も感じられた。災害本部との連絡方法は携帯電話が使用できたが、ライフラインの停止を考えて今後は無線機を使用した方が良いと考えられた。災害活動後、収納ケースの物品を瞬時に取り出せるようなケースを購入し、除細動器、トランシーバー、衛生携帯電話、携帯型人工呼吸器、看護物品など災害時に直ぐに対応できる態勢を整え備えた。持参する看護物品に対しては、被災地の情報を聞き物品の増減を図っていく必要があると考察した。
Abstract:新潟中越地震の被災地A市において,巡回訪問活動を行った全ての世帯を対象とし,災害復興期における中山間地域の看護活動と被災者のニーズを明らかにし,支援のあり方を検討した.災害復興期の被災者のニーズは,被災者の受傷や家屋の損壊状況の違いだけでなく,年齢,被災前の健康状態,障害の有無や生活状況によって個別性がより高まった.個人参加の災害看護ボランティアの活動は,移動手段の確保が重要な課題であった.成人の被災者は,地場産業をはじめ生業を尊重し,地域のコミュニティを生かした生活の再建が重要と考えた.被災前に介護保険を利用しなかった後期高齢者,障害をもつ高齢者は,さらに状況が悪化する可能性があった.被災した障害児の対応は,障害の状況に合わせた専門的なケアと,養育者の負担を軽減することが重要であった.
Abstract:2004年10月23日夕方に新潟県中越地方で最大震度7の地震が発生した。著者は、地震直後に村ぐるみで避難しその後も仮設住宅で生活しているY村住民を対象として、地震前、地震直後、仮設住宅入居以降(地震から約50日)における歯磨きの状況などについて、2005年4月にY村診療所患者のうち協力が得られた388名に調査を行った。その結果は以下のようである。1 歯磨き回数は、地震前に比べて直後では減少したが、仮設住宅入居後では地震前よりわずかに増加した。また、歯磨きの仕方について地震前と入居後で比較すると、地震前と同じ者が半数以上で、雑になった者は10%あまりであった。2 地震直後は、うがい液でうがいをした者あるいは口をすすいだ者が多かった。歯ブラシは80%以上が3日以内に入手した。3 地震直後に必要としたものは、歯ブラシ、うがい用のコップ、うがい液の順で多かった。今回の調査参加者は一地域のみで年齢的にも偏りがあるが、被災時そして被災前後の歯磨き状況についての実態と需要を把握することができた。
特集・教訓は生かされたか? 新潟県中越地震における歯科診療の成果と課題
Abstract:新潟県中越地震の被災地において、当院医療救護派遣チームは地震後6日目より9日間医療救護活動を行い、その中で薬剤師の果たした役割について検討した。当院救護班は1班が医師2名、看護師2名、薬剤師1名、事務1名の計6名で構成され、3斑が3日間づつ活動した。診察患者は感冒・打撲・腰痛・不眠・不安などが多く、診察人数は1日平均25人であり、半数以上に薬が処方された。また、公衆衛生に対する啓蒙活動としてポビドンヨードうがい液や擦式消毒液を積極的に配布し、うがいや手指消毒の励行を促した。薬剤師は医薬品管理、情報収集・不足薬品の調達、調剤、慢性疾患患者の薬剤手配、使用医薬品集計を行った。薬剤師はこれらの役割を通して円滑な医療救護活動に貢献できると考えられた。
特集【小児における災害看護】
Abstract:新潟県中越地方を震源とする震災時に行った食品衛生対策および問題点等から今後の災害発生時の対策について検討した.避難所や災害対策本部の担当者は,食品衛生に関する知識に乏しく,様々な業務を兼務しなければならないことから,初期段階から積極的に衛生管理の知識と重要性および現場における遵守事項について啓発する必要がある.避難所や炊き出し施設の早急な把握と現地指導,衛生対策用品の早期手配と配布等の初期活動,その後の継続した監視指導を行うためには多くの人員が必要となった.食中毒発生のリスクが比較的低い時期であったが,夏期に発生した場合等を想定し,災害時の食品衛生対策を早急に確立しておく必要がある.
特集【新潟中越地震に学ぶ地震対策】
Abstract:当院心療内科は,1995年1月の阪神淡路大震災・被災地での心身医学的ケアを目的に,1996年に開設された.また,震災から約10年後の2004年10月の新潟県中越地震では,心療内科スタッフは日本赤十字社の災害救護の一員として,全員被災地に赴いた.その際,感冒,高血圧,不眠・不安,便秘など,被災というストレスフルな背景に配慮した心身医学的ケアが必要とされた.震災10年後の心療内科受診患者を対象としたアンケート調査では,39%が「震災と今の自分の病気は関係がある」と考えており,特に,転居,失職(転職),家族構成の変化など震災後生活変化の大きかった者に限ると,その割合は68%にも達した.災害においては,急性期から復興期にわたり,身体的,精神的,社会的,スピリチュアルな全人的ケアが必要とされ,今後の心身症を防ぐためにも,長期的視野に立った心身医学的介入が災害直後の急性期から必要と考える.
Abstract:新潟県中越地震における東京都こころのケア医療チームの活動を,震災被災地での初期精神保健活動をめぐって,阪神・淡路大震災での支援活動と比較して報告した.阪神・淡路大震災では「都市型」の震災時の心のケア対策の手法について多くが論じられてきたが,今回のような「農村型」の震災に対しての具体的な支援のあり方に関する知見は乏しく,今回の震災から「農村型」の援助手法についての蓄積が今後望まれる.最終的には,本チームの援助に頼らない,通常の地域精神保健活動の枠組みの中で被災者のメンタルヘルスマネジメントがなされることを目標に活動し,地域の保険師に助言しスーパーバイズすることで一定の成果は挙げられたと考えている.
Abstract:新潟県中越地震後の子どもの行動変化に影響する因子を明らかにするため、就学児・未就学児を含めた683名を対象としてアンケート調査を実施した。著者らが先に実施した研究では、震災後38%の子どもに行動変化が生じ、行動変化の発現には親の精神状態が影響を及ぼしていることを報告したが、今回の結果では、けが、病気、家屋の被害などの因子も子どもの行動に影響を与えること、さらに親の精神状態が悪いほど行動変化が長期間持続するなど新たな知見が得られた。以上から、震災時の子どもの外傷性精神症状の予防・治療には、物質的援助や子ども自身のケアとともに、親への精神的サポートが重要であることが示唆された。
Abstract:新潟中越地震における医療支援活動に際し,当院のスタッフ4名がバッテリー方式の携帯型超音波装置を持参し,避難所を中心に実施した活動について報告した.胸痛を訴えた中年男性に携帯型超音波装置による心臓検査を実施し,救急隊により市内の病院へ搬送した事例を経験しており,このほか,震災時に多くみられる座滅症候群による循環不全の重症度評価や,高齢者の車中泊に多くみられる下肢腫脹に伴う肺塞栓の診断にも有用であると考えた.
Abstract:平成16年10月23日17時56分,台風一過の土曜日,新潟県を大きな揺れが襲った.新潟県中越地方を震央とし深さ13kmを震源とする,マグニチュード6.8の平成16年新潟県中越地震(以下中越地震)である.最大震度7は平成7年兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)に匹敵し,有感地震は累計961回を超えた.人的被害は死者59名,負傷者4,795名であったが,建造物被害は160,935棟で,避難被災者は最大で103,178名に及んだ.中越地震では,圧死は16名で焼死はなかったが,避難生活に伴う健康被害が目立った.とくに,肺血栓塞栓症(以下PTE),たこつぼ型心筋症は,震災時の健康被害としては,今回特記すべき病態であろう.中山間地を襲った直下型の強い本震と長期余震活動が,多くの被災者に車中泊を含めた長期避難生活を強いることになり,これら病態の背景をなしたとみなせる.本稿では,中越地震におけるPTEと深部静脈血栓症(以下DVT)の実態を報告し,今後preventable deathとして対応が必要なDVT/PTEの予防対策を講じる.
Abstract:2004年は中越大震災やインド洋大津波などの大規模な自然災害に見舞われた年であった.ただ新潟県においては6400名の死者を出した1966年の阪神淡路大震災の教訓を生かせたために,地震の二次被害も少なく,死者が46名に止まったことは不幸中の幸いであった.しかし筆者の避難所救護活動の経験からも,ライフラインの廃絶した孤立都市での医療安全に関しては,ハード・ソフトともにこの10年ほとんど改善が見られなかったと言わざるを得ない.本研究では大災害時における病院・診療所・避難所などにおける医療活動が必要最低限確保できるための医療安全システムに要求されるスペックを考察するとともに,抗堪性の高い医療機器を作り上げるための基礎研究を行うとともに,バイタルサイン計測装置・避難所救急医療電子カルテ装置・診療情報伝送システムなどを開発することを目的とした.本研究はさらには最低限の供給が望まれるessential drugとその常備方法などのハード面および,緊急時医療福祉通信システムや災害時の高齢者福祉システム・医療従事者リクルーティングシステムや緊急時食料・備品の配布システムなどのソフト面に到るまで総合的な大災害時医療安全システムについての調査検討と行政と市民に対する提案に繋がるものである.
Abstract:2004年は中越地震やインド洋沖大津波など大規模自然災害に見舞われた年であった.中越地震では,1995年の5000人以上の犠牲者を出した阪神淡路大震災の教訓を活かせたために,地震による二次災害も少なく,犠牲者が51名程度となっている.このような大規模自然災害が起きた場合,ライフラインも途絶え,通常診療機器やカルテなども使用不可能な状況になると考えられ,現場の医師は緊急診療を実施しなければならない.本研究では,大規模自然災害等においても血圧・体温・脈拍などの最低限のバイタルサインを簡易に計測・記憶・伝送が行え,なおかつ堅牢性,操作性等を備えている機器の開発が必要であることから,まず災害時におけるバイタルサイン計測機器に着目し,数種類の血圧計を対象とした基本的性能試験を行った.その結果を踏まえた上で,災害時バイタルサイン計測機器における必要条件の検討を行うことを目的とし,本研究を基礎としてessential drugとその常備方法などのハード面および,緊急時医療通信システムなどのソフト面を網羅する総合的な災害時医療支援システム及び機器の開発をその最終目的とする.
Abstract:2004.10.23の新潟中越大地震において,長岡技術科学大学福本一朗教授は医師として震災救急診療に携わったその貴重な経験から『被災地医療の孤立化を防ぐ救急診療支援システム』の確立が急務であることを強く認識して構想したものである.それは,救急医療活動では不眠不休で多数の被災者を治療しなければならず,その結果治療関連情報の蓄積も出来ず,支援・連携連絡も出来ない状態となった.この状況の中では,バイタルサイン機器,携帯電話等電源・通信網停止で使えず,これに対応する手段,すなわちシステムが不可欠であると思った.本研究は,災害時の救急診療に向く特別な医療機器,通信機器,記録機器,電力供給源を創り,これらと医薬物質等の一式を抗堪性,耐火性,耐水性のキャリーボックスに収納した,いわゆる災害時救急診療支援システムの開発実用化に向けた基礎研究である.災害時の人命救助には是非とも必要で,なんとしても開発・実用化すべきというものであるとの認識の下に,本課題への強い協力の意志を持ち,永年医療・福祉機器の開発に従事してきた経験を基にして企業として当"災害ME研究会"に参画し,基礎研究から着手している.
特集・今こそ取り組む災害時 糖尿病対策
特集【新潟県中越地震】
Abstract:新潟県中越地震後の最初の2ヵ月間においては、日本各地から派遣された、こころのケアチームが精神保健対策の中心として活発に活動した。阪神・淡路大震災から10年を経て、災害時の精神保健福祉対策が大きく前進したことは確かであるが、こころのケアチーム活動のコーディネートや支援者のメンタルヘルスの問題など、あらたな課題が浮かび上がった。被災から1年6ヵ月を過ぎ、被災者の生活には格差が生じつつあり、心の健康への影響が懸念されている。中長期ケアの主体となる市町村のケア体制には、徐々に違いが生じ始めており、広域的な視点における対策の見直しが求められている。今回、中越地震後の精神保健対策を、急性期と中長期ケアに分けて報告するとともに、被災者支援における課題について若干の考察を加えた。
Abstract:新潟県中越地震(2004年10月23日発生)では、震災直後から新潟県から要請を受けた臨床心理士が、小中学生を対象とした"こころのケア"に関わった。それらは、(1)ショックを受けた子どもたちへの対応や、心理教育の進め方についての教職員を対象とした説明会の実施、(2)児童・生徒ととりまく大人たちの心理的状況の継続的な把握と分析、(3)震災後のこころのケアを目的としたカウンセリングの開始と継続(2006年も継続中)からなっていた。これらの活動の経過と成果について、この震災の特徴との関連から論じ、さらに、学校現場への緊急支援と、それに続く臨床心理学的支援としての学校カウンセリング活動のあり方について考察した。
Abstract:新潟県中越地震(2004年10月23日発生)では、震災直後から新潟県から要請を受けた臨床心理士が、小中学生を対象とした"こころのケア"に関わった。それらは、(1)ショックを受けた子どもたちへの対応や、心理教育の進め方についての教職員を対象とした説明会の実施、(2)児童・生徒ととりまく大人たちの心理的状況の継続的な把握と分析、(3)震災後のこころのケアを目的としたカウンセリングの開始と継続(2006年も継続中)からなっていた。これらの活動の経過と成果について、この震災の特徴との関連から論じ、さらに、学校現場への緊急支援と、それに続く臨床心理学的支援としての学校カウンセリング活動のあり方について考察した。
Abstract:2004年10月23日に発生した新潟県中越地震では、全国から多くの精神保健医療チームが派遣され支援活動を行った。その活動の実態を把握するため、派遣されたチームを対象に2005年2月自記式のアンケート調査を行い、86チームから回答を得た。派遣チームの活動は、避難所や在宅被災者への巡回訪問が活動時間全体の約70%を占めていた。また震災後4週間未満に派遣されたチームでは、4週間以降のチームに比べ有意に派遣日数が長く(z=-2.3,p=0.02)、在宅精神疾患患者の診察・相談件数(z=-2.2,p=0.03)、処方箋数(z=-2.2,p=0.03)、他の医療からのコンサルテーション件数(z=-3.8,p<0.01)が多く、抗精神病薬(z=-2.1,p=0.03)および身体疾患治療薬(z=-2.4,p=0.02)の需要が高いなど時期によって活動内容に違いがあることが示された。被災地外部からの精神保健医療活動は、基本的にはアウトリーチ活動が中心であるが、被災後の時期に合わせた柔軟な対応を行うことが必要である。
Abstract:中越地震を体験した看護学生120名が心的外傷ストレスを生じているか、今後の学習意欲へ
の影響をきたしているかについてアンケート調査を実施した。その結果、全学年において震災後のス
トレスをもっていない学生は28名であり、ストレス度が1点以上の学生92名は、今後何らかの負荷がか
かると不安やストレスを抱えやすい傾向にあるため、震災後のトラウマ反応が出現するおそれがあ
る。ストレス度が13点の1名は今後の学生生活への影響に注意が必要である。3年次生は震災後、ボラ
ンティア実習を実習場や避難所で体験し、被災者と交流したことで自らの被災したストレスを被災者
と共有したことで学生自身が癒やされたのではないかと考えられた。また、アンケートの実施時期が
長い実習期間と国家試験を終えた時であったことから、学生のストレスが減少し、開放感のあった時
期であったことと関連していると考えられた。
特集・災害医療の実情と展望 新潟県中越地震の経験から
Abstract:2004年10月23日(土曜日)に発生した中越地震に対し,新潟大学整形外科は発生早期から対応に当たった.まず,医歯学総合病院の整形外科病棟入院患者の異常がないこと,医局員の安否に問題ないことを確認した.また当科の方針として,第一線で救急対応に当たる中越地区の整形外科医を応援することとした.一方で医歯学総合病院には活用できる対応マニュアルがないとのことから,当科単独で早急に情報を集めることとした.しかし,電話が通じない病院が多く,地震当日は,小千谷病院,長岡中央病院,立川病院と連絡が取れなかった.新潟県の福祉保健部とも相談したが,道路状況等不明な点が多く2次災害の危険性もあり,残念ながら当日は応援には行くことを断念した.翌日(10月24日,日曜日)は,中越地方の各病院だけでなく県庁の福祉保健部や病院局とも連絡を取り,被害状況だけでなく移動手段等の情報を集めた.公用車を提供していただき,計13名の整形外科医が,小千谷,十日町,長岡日赤,長岡中央,立川病院に応援に出かけ,第一線で救急対応に当たった.十日町病院には陸路では到達できず,最終的にはヘリコプターで移動した.中越地区の整形外科医は自らが被災者であるにもかかわらず,献身的な医療を行っており,そこに連絡を密にして人的な応援ができたことは,非常に有意義であったと感じている.発生後6日間にわたり,昼夜にわたり応援を行った.また当科の初期対応のノウハウ,各地域の情報を,院長ならびに医歯学総合病院へ提供することで,病院としての対応,各科の対応の一助となったものと確信している.
Abstract:新潟県中越地震(H16.10.23)に見舞われた新潟県は,山間地域の大規模自然災害としての未曾有の被害を被った.容赦なく続く余震のなか,新潟大学医歯学総合病院のスタッフは被災した医療機関ならびに被災者への医療支援活動を開始した.被災地へのアクセスや医療班の二次災害など多くの問題を抱えながらの最大限の活動を行った.しかし,多くの課題も浮き彫りにされた.この度の支援活動を通して学んだ教訓は,今後の大規模災害医療に役立つものと考える.
Abstract:平成16年10月23日に発生した新潟県中越地震で新潟県立十日町病院,新潟県立松代病院,新潟県立小出病院,新潟県立六日町病院が被災しました.10月26日から11月4日まで,第一内科,第二内科,第三内科,神経内科の4内科のボランティア医師で構成された医療チームは,これらの県立病院の医療支援をさせていただきました.この経験で得られたこと,明らかにできた課題の解決を通して,院外への医療救護班の派遣活動の質を高めることができると考えられました.
Abstract:新潟中越地震の車中泊では地震による心的ストレス,窮屈な下肢屈曲姿勢,そして脱水により下肢深部静脈に血栓が発生しエコノミークラス症候群(肺塞栓症)が多発した.10/31,11/3,11/7には厚生連佐久総合病院の診療チームと計69名(男性4名)にポータブルエコーで,11/15から12/20までは厚生連魚沼病院に通常のエコー装置を設置しマスコミを通じて呼びかけ82名(男性13名)に下肢静脈エコー検査施行した.2005/2/28から3/31まで再度魚沼病院で検査した方を対象に再度下肢静脈エコーを行った.10/31-11/7に検査した69名中車中泊経験者は60名で,8名にヒラメ静脈浮遊血栓(そのうち1名はCTで肺塞栓症を認めた),14名に壁在血栓を認め,血栓陽性例は全員車中3泊以上であった.11/15-12/20の検査では車中泊は66名(6名は30日以上連泊),そのうち60名が下肢の疼痛や腫脹を訴えヒラメ静脈の充満血栓1名,9名で壁在血栓を含めた血栓を認め,血栓陽性例は全員震災直後から車中4泊以上であった.血栓陽性率は震災後からの経過時間とともに低下し12/20では10%であったが2/28から3/31の診療結果では新たな血栓も認め血栓陽性率は21.9%と上昇を認めた.11/7までの下肢静脈エコーにおける車中泊者のヒラメ筋最大静脈径は8.8±2.5mm(車中泊経験の無いヒラメ筋最大静脈径7.1±2.0mm)より有意に大(n=55,p<0.05),また血栓を認めた被災者のヒラメ静脈最大径10.0±2.6mmで血栓の無い被災者(7.5±4.4mm)より有意に大であった(n=67,p<0.0001).本診療調査により大災害時における車中泊は急性期に肺・静脈血栓塞栓症を起こすだけでなく,静脈の損傷により慢性期に反復性の血栓を生じて血栓後症候群になる危険性も大であることが示唆された.
Abstract:本稿では,シンポジウム「災害医療の実情と展望:新潟中越地震の経験から」の中で,新潟大学精神科(以下,当科)が行った「こころのケア対策」について述べる.地震発生の翌24日,当科の染矢教授と新潟県福祉健康部健康対策課とで協議が行われ,被災地での精神科医療の一元化を図るために「こころのケアチーム」を編成し,それによる統制のとれた支援を行うことが決定された.更に同日には,精神保健福祉センターに「こころのケアホットライン」を開設.翌25日,当科と県立精神医療センターを中心に「こころのケアチーム」が編成され,我々のチームは情報収集を行いつつ,26日に現地入りした.当科の「こころのケアチーム」の活動エリアは長岡市の山古志村避難所で,当初は小千谷市も担当した.活動内容としては,各避難所を巡回・診療と,広報活動である.また,人口の多い小千谷市では,精神医療センターと協力し"こころのケア診療所"を開設した.山古志村の各避難所においては,延べ193件(93名)の巡回診察を行い,継続治療が必要な方は全て紹介状を作成して地域の医療機関での通院をして頂いている.主訴としては,不眠が一番多く,余震に対する過度の不安,食欲不振,抑うつなどもみられた.12月に入ると,被災者の方々が徐々に仮設住宅に移られ,新たな生活が始まった.この時点で災害時精神科初期医療はほぼその目的を終え,今後は中長期的な「こころのケア」を考えていく必要がある.そこで,我々新潟大学精神科では,以下の4つのケアプランを立て,村民の皆さんの負担にならないよう十分配慮し,かつ健康対策課とも密に連携しながら実践する予定である(著者抄録).
Abstract:新潟県中越大震災(以下、震災)で被災した2型糖尿病患者135人を対象に、震災が血糖コントロールに与えた影響及びその因子を明らかにするため、質問紙および診療録からデータを収集し関連検証型研究を行った。震災前と比較して震災後の糖尿病患者の血糖コントロールは有意に悪化していた。また、居住地では震源地以外群、自宅の被害状況では被害なし群、治療法では食事・運動群、経口薬群が有意に悪化していた。そこで、血糖コントロールの悪化因子を明らかにするために震災前・後のHbA1c値の差を目的変数とし、治療法(食事・運動群、経口薬群、インスリン注射群)、居住地、自宅の被害状況、避難所・車中泊の経験、食事を説明変数として重回帰分析を行ったところ、関与した因子は居住地と自宅の被害状況であった。今回の研究で明らかにできなかったが、震災と降雪時期が重なったため豪雪による生活環境の変化や、震災そのものに対する心理的ストレスも影響していたと推察された。
Abstract:震災で介護保険の居宅サービスを受けている人が避難所や施設への入所を余儀なくされ,施設が被災したことで入所者を他の施設等から受入れることが必要になった例も少なくなかった.介護保険施設及び居宅介護支援事業者に対してアンケート調査を行った.被災直後はライフライン寸断に加え,余震への不安を抱えての避難所生活は情報収集困難やネットワークシステム未整備などから利用者の安否確認にも様々な支障があった.避難所では要援護高齢者の置かれた状況の問題点や緊急入所を必要とした人の施設探し・定員超過の問題・諸サービスの計画変更などで関係者の努力による解決法と問題点が報告された.
Abstract:新潟県中越地震に見舞われてから2年半が経過し、避難生活に伴う健康被害が注目され、特に車中泊避難による深部静脈血栓症(DVT)/肺血栓塞栓症(PE)と、強度のストレスによるたこつぼ心筋症は大災害時の健康被害として浮彫りにされた。検診を受けていない通院患者の中から肺血栓塞栓症の3例を経験した。発災直後、避難所で行った結果では受診者78例中29例に血栓を認めた。1年後の調査では受診者964例中78例に血栓を認めた。2年後の調査では新たな受診者350例中21例に血栓を認めた。血栓保有者の中で経時的に経過を見ることができた68例では、1〜2年後に32例は血栓が残っており、その中には消失と再発を繰り返す人がいた。また、浮遊血栓は壁在血栓化する傾向が見られた。
Abstract:平成16年10月23日、当院の所在する新潟県小千谷市を震度6強の揺れが襲った。ライフラインはすべて途絶する中、幸にも建物の損害がわずかであった当院では、相次いで運ばれてくる負傷者の対応に追われた。今回医療従事者としてこの地震を振り返った。災害時の体制の確認、設備などの補強、備蓄医薬品の検討などが検討課題として挙げられたが、混乱きわまる災害時に必要なものは何よりも冷静な判断力であると感じた。
Abstract:地震被災事業所従業員における精神的疲労の程度をフリッカーを用いて測定した.対象は13名の男女で,ヒロボー社製メピカによる点滅光源の識別周波数により分析,その際,疲労度の判定は,業者作成の疲労判定表に基づいた.結果は,疲労の5段階評価上,3.3±0.2で,健康エリアと判定された.本分析は,被災地に居住する従業員の精神的疲労を客観的に判定でき,作業管理と健康管理上,有意義であったと考えられた.
Abstract:新潟県中越地震の体験記録「震度7新潟県中越地震を忘れない」を題材にして,被災者の心情とその様相を分析した.総数71のデータから一人の被災者の心情として「混乱」「衝撃」「恐怖」などの13個の様相が明らかとなった.これらの心情が表現された時期をみると,「混乱」「衝撃」「恐怖」は被災直後から見られ,その後それらは一旦消失し,地震に伴い変化した状況を目の当たりにした時点で再び表現されていた.「あきらめ」「怒り」「解放」は被災初期にみられたのみであった.「心配」は被災3日目から見られ,その後も続いた.「諭旨」「期待」「受容」は被災1ヵ月後の被災者との会話や地震前と変わらない自然に触れた際に表現されていた.
Abstract:新潟県中越地震発生から12日間に著者らの施設へ来院した外傷患者453名の受傷内容を分析し,足部外傷を中心に報告した.その結果,1)受傷部位は下肢206例,上肢111例,体幹104例,頭部顔面外傷46例であった.2)下腿より遠位の外傷は139例で,内訳は挫創63例,熱傷21例,打撲21例,骨折18例,捻挫16例,腓骨神経麻痺3例であった.3)骨折の部位は踵骨6例,前足部6例,下腿骨,足関節6例であった.4)施設において震災後4日目までは単純X線撮影ができず,その中で手術の必要性があると思われた症例は,被災をまぬがれた近隣の病院へ転送となった.尚,今回の震災で来院した患者は軽症者が大半であり,病院においてトリアージタッグを使いトリアージを行う必要はなかった。
Abstract:直後の状況:病院機能は大きく低下したが,外傷を中心とする患者が多数来院.酸素濃縮機の使えなくなった患者も多かった.入院患者の大部分を屋外へ避難させた.数日後:大部分の患者を転院させた.安全な部屋を簡易病室にした.救護活動:避難所の巡回や予防接種を行い,救護所を設置した.問題点:情報処理,患者の搬送,連携など今後の課題が残った.
Abstract:新潟県中越震災で「被災しつつも診療が継続でき」「被災病院からの患者に対応した病院」としての立場で果たした診療の役割を述べ,さらに災害時のネットワークおよび医療資源の再分配について振り返る.さらに,縦割りの組織の弊害を受けないような災害時在宅酸素療法のネットワーク構築の提案について述べる.
Abstract:平成16年10月23日夕刻発生した新潟県中越地震は震度7の強震に加え,その後断続的に大きな余震が多数続き被害が甚大となった.在宅酸素療法患者(以下HOT患者)をフォローする酸素供給会社はただちに緊急体制を布き,患者の安否確認を行うとともに,その状況に応じた酸素ボンベのすみやかな供給および関係先への連絡を実施した.大規模な災害の場合,現地は通常の機能を果たすのが困難な状態に陥るため,近隣からの速やかかつ組織的な応援協力体制が必要になる.われわれは,阪神・淡路大震災を契機に災害発生時の初動,指揮命令系統,酸素供給機器の備蓄方法等について組織を挙げて取り組んできた.本稿では新潟県中越地震における緊急対応,特にHOT患者への対応と今後の課題について,酸素供給業者の立場から報告する.
Abstract:新潟県中越地域では平成16年度に,河川氾濫を伴う水害と最大震度7の大地震を経験した.災害時の在宅酸素療法(HOT)患者の安否確認,避難状況・HOT機器の対処や酸素プロバイダーとの連携について当時のカルテ・連絡資料と患者からの聞き取り調査を行い検討した.患者の安否確認は主にプロバイダーによる電話または直接訪問で行われた.多数のHOT患者が近隣の学校やコミュニティーセンターへ避難しており,避難先へのボンベ追加・濃縮器仮設で避難時を乗り切っていた.大規模災害時には避難先で酸素供給が継続できるようにプロバイダー・訪問看護等との連絡体制を確保し意思疎通を図ることが重要であった.安否確認連絡は,被災・避難患者の孤立感の軽減に有効であった。
Abstract:新潟県中越地震で被災した子どもたちの状況の把握などを目的に,被災地に派遣された看護師13名を対象に,研究者らが阪神淡路大震災後に作成した小冊子「被災地で生活するこども達-看護職ができること-」(以下,小冊子)の枠組みを用いて,フォーカスグループインタビューを実施した.その結果,子どもたちの状況は<普段の生活を行おうとする子ども><積極的に自分を生かそうとする子ども><気になる症状がある子ども>の3つに分類でき,小冊子ではこれらの子どもたちへの理解と対処法についても解説していることから,被災地での支援活動に有用であると考えた.
Abstract:新潟県中越地震で被災した子どもたちの状況の把握などを目的に,被災地に派遣された看護師13名を対象に,研究者らが阪神淡路大震災後に作成した小冊子「被災地で生活するこども達-看護職ができること-」(以下,小冊子)の枠組みを用いて,フォーカスグループインタビューを実施した.その結果,子どもたちの状況は<普段の生活を行おうとする子ども><積極的に自分を生かそうとする子ども><気になる症状がある子ども>の3つに分類でき,小冊子ではこれらの子どもたちへの理解と対処法についても解説していることから,被災地での支援活動に有用であると考えた.
Abstract:新潟県中越地震で被災した看護専門学校に在籍する学生を対象に,地震発生後の緊急連絡状況についてアンケート調査を実施し,100名より回答を得た(回収率78.7%).学校では,地震発生の翌日と3日目の2回,休校等の緊急連絡を行っており,アンケート調査の結果,発災翌日の緊急連絡では8時間の時点で9割の学生が連絡を受けていたのに対し,発災3日目では同時点で連絡を受けていた学生は約5割のみであることが分かった.これは,発災翌日は休校等の情報とともに学生の安否を確認するため,情報発信元である教職員から直接安否の確認があったのに対し,発災3日目では,連絡網に沿って順次情報伝達が行われたため,発災直後よりも時間を要したと考えた.
Abstract:中越地震で災害救助法が適用された54市町村の歯科診療所508施設を対象に調査し、89施設から回答を得た。建物の損壊状況は、修理を要した施設が37%であった。歯科診療機器の被害については、ユニット類は3%の施設で転倒し、16%で位置がずれ、9%で修理を要した。X線装置は4%で転倒し、24%で位置がずれ、18%で修理を要した。地震後に地域歯科医師会と連絡が取れた時期は、未回答の施設(47%)を除くと全ての施設で5日以内に取れていたが、連絡網を設置している歯科医師会はわずかであった。診療所の復旧作業は75%の施設が7日以内に終了し、68%の施設では7日以内に診療を再開していた。再開後の患者数は、地震前の半数未満となった施設が地震1ヵ月後には27%みられたが、2ヵ月後には13%に減少し、6ヵ月後にはなくなっていた。震度6以上の地域では被害が大きく、復旧にも時間を要し、地震後6ヵ月経過しても地震前の患者数に回復していない施設が多かった。
Abstract:目的:2004年10月23日に発生した新潟県中越大震災において新潟県歯科衛生士会は、震災直後から歯科医療救護活動に参加した。過去に大災害時の救護活動を経験したことがなく、対策本部の指示に従う活動に止まった。この体験をもとに、歯科衛生士としての支援のあり方を検討することを目的とした。方法:新潟県中越大震災の歯科医療救護活動に参加した歯科衛生士80名を対象に、救護活動の内容、被災者の口腔内の状態、活動時に困ったこと、今後の課題等についてアンケートを行った。結果:活動内容は、前半は避難所への歯科救援物資の配布や救急歯科治療の補助、心のケアなどであった。後半は仮設住宅での口腔衛生指導や高齢者の口腔ケア、歯科相談が中心であった。活動の問題点は、被災者のニーズを把握できないことや歯科救援物資の片寄りで、歯磨き関連用品の種類や義歯関連用品の不足が目立った。結論:支援体制の確立やマニュアルの作成、技術講習などを平時から行い、緊急時に備える必要があることが示唆された。
Abstract:2004年10月23日17時56分に発生した新潟県中越大震災被災地に対する災害時地域精神保健医療活動の目的で,同年10月28日〜11月11日まで新潟県堀之内町地域(現魚沼市)にて活動した.避難所での巡回診療に加えて,ニーズの変化に応えて居宅訪問診療,避難所での夜間および休日診療所開設,リエゾン診療などを行った.期間中に対象地域の被災者101人に対して,延べ182件の診察を行った.このうち震災を心因とした急性ストレス反応と診断された事例は26例あった.また,地域精神保健活動への支援として延べ136件の事例検討,助言を行った.ほかに学校に対する支援として,医師による教職員対象にストレス関連障害の研修,被災教職員への個別診察,被災生徒のこころのケアに関する助言を行った.今回の活動の中から, 1)現地の状態に合わせた柔軟な支援を常に考慮した活動をすること, 2)被災地での精神保健活動の要として連携システムを築き,撤退後を見据えた行動をすること, 3)チームの日常的な活動水準以上の働きは災害時にできない, 4)現地被災職員へのメンタルヘルス対策, 5)平時にしておくべきこと,等の学びと課題が得られた.
Abstract:長岡赤十字病院は基幹災害医療センターで,中越地域で救命救急センターをもつ唯一の医療機関でもある.新潟県中越大震災での長岡市の被害は限局的で,当院の損傷も軽微で救急対応可能であった.発災1時間で100名,2時間で300名の職員が自主登院した.ちょうど1週間前に平成16年度の受け入れ訓練を終えていた.訓練通りのエリア設定とトリアージタッグ運用で傷病者受け入れを行った.発災後24時間で296名が受診し,うち84名が救急車搬送,42名が入院した.予定の手術や入院の延期,入院中の慢性患者転院などの結果,受け入れは滞りなく行えた.救護班活動では翌朝に先遣隊として市内の避難所を回った.2日目からは全村避難となった山古志村民の8ヶ所の避難所の巡回診療を行った.様々な要因が幸いし救護活動は比較的スムーズに行うことができた.
Abstract:(社)日本透析医会では災害情報ネットワーク(以下情報ネット)を組織して,ホームページ「災害時情報伝達・集計専用ページ」(以下情報伝達サイト)とメーリングリストを運用している.2004年10月23日17時56分,最大震度7の新潟県中越地震が発生し,3つの透析施設が3日から1週間にわたり透析治療不能となったため,被災施設や周辺支援施設の情報伝達と後方支援,CAPD情報伝達などを行った.情報伝達サイトには10,000を超えるアクセスと90を超える施設情報登録があり,メーリングリストには100通を超えるメールが投稿された.しかし,地震発生後2日間における各施設からの自主的な情報登録は新潟県透析施設全体の約20%であった.幸い被災地とその周辺地域の施設間には日ごろから深い交流があり,このことが災害に対しても迅速な連携と対応を可能にした.今回の地震を教訓として,さらなる周知拡大と機能充実を進めた.
Abstract:当院は、新潟県中越大震災における避難所のひとつ小千谷小学校にて、災害亜急性期〜慢性期の12日間にわたり保健活動を行った。避難所の規模は活動初期で約二千人と大きく、本部を中心に日赤救護班など複数の組織が拠点を構えていた。当チームの役割は、避難所の衛生管理、避難者の把握・健康問題への対応であった。現地の状況に応じて活動内容も時期を追って変化した。活動の大要は、避難所の環境把握・避難者への予防策の方法獲得の推進・要介護者のフォローであった。特に災害亜急性期には保健衛生のニーズが高いことを認識したが、その対応は困難を極めた。その原因は、1)集団への効果的なアプローチ・啓発方法に関する知識不足、2)医療組織間での情報交換の不十分さであった。1)に対しては、市の健康センターと密接な情報交換により対応できたが、2)は課題も多く、各組織間の情報共有・包括的なネットワーク化を構築するコーディネーターの必要性を感じた。
Abstract:国内外における大規模災害への即時対応のため、日本赤十字社医療センターでは、薬剤師が医療救護班の一員となり、備蓄する国内外の災害用医薬品セットを管理してきた。2004年の新潟県中越地震発災後2週間、計8人の薬剤師による救護班での活動経験を基に、災害医療における薬剤師の活動と役割に関する分析・評価を行った。薬剤師の専門性を発揮した情報提供、代替薬及び追加医薬品の選定と管理、そして地域医療機関等との協調を意識した対応は診療の円滑化に貢献し、他の救護班員から高い評価を得た。また現地での服薬指導は被災者のこころのケアともなった。今後、災害用医薬品の選定「薬のトリアージ」のための情報収集や知識の蓄積、服薬指導技術の向上、そして薬剤師相互間や他職種との連携強化が必要と考える。普段から災害医療を意識し、災害対策から積極的に携わり、災害時には的確に対応できる薬剤師「災害救援薬剤師」が求められている。
Abstract:新潟県中越地震時の重症心身障害児者サポートを急性期と亜急性〜慢性期に分けてまとめた。急性期:1)入所者;当初は比較的安定していた。数日後より身体症状が増加したが短期間で通常活動に復帰できた。2)在宅障害者;連絡網や搬送手段の混乱があり、早期保護という点で問題が残った。23名が短期入所を利用され、重症児者の災害時保護として有用であった。亜急性〜慢性期:激震・強震地域の障害者256名に対して地震の影響(身体の変化10、心の変化15項目)についてアンケート調査した。69.9%(身体42.1%、心58.3%)で何らかの変化を認め、障害の種類・程度や避難状況によって異なった。特に、重症心身障害や自閉症では避難所生活は増悪因子になる可能性が示唆された。障害者、特に重症心身障害児者は災害弱者の最たるものであり、地域-市町村-施設-病院といった組織化されたサポート体制を構築する必要があると思われる。
Abstract:新潟県中越地震災害時に著者らの施設で行なわれた重症心身障害児者サポートを振り返り、以下の問題点が明らかとなった。1)連絡網、交通網の問題、2)避難所の問題、3)短期入所の重要性と問題、4)中核病院等との連携、5)二次障害・心のケアの問題。
大規模災害における疾患と医薬品の調査
Abstract:大規模災害発生時,薬剤師は医薬品を迅速,かつ的確に確保・補給する任務を担っている.そのためには必要医薬品とその数量を検討しておかなければならない.そこで,2004年に発生した新潟県中越地震とインドネシア・スマトラ沖地震において用いた診療記録より疾患と処方された医薬品を調査した.今回経験した災害は地震と津波の二次災害であり,被災地が国内と国外で異なっていたが内科的疾患は共通しており,感冒症状,不安・不眠,消化器症状が活動したどの地域においても多かった.また,必要とされた医薬品も大きな違いは認められなかった.この結果を踏まえ,初期先遣隊が被災地へ赴く際に持参すべき医薬品と具体的な数量を検討し,災害初期治療における基本医薬品リストを作成した.
特集【自然災害とアクシデントの旅行医学】
Abstract:中越大震災の被災を理由に、当園短期入所を利用した24名について、その利用状況をまとめた。震災による短期入所利用の特徴として、1)通常利用と比べて平均利用日数が明らかに長期間で、居住地が震源地に近いほど長くなる傾向があった。2)震源地近郊では入所開始までに日数を要する傾向もあった。中越大震災では200ヶ所を越える道路の寸断があり、震源地付近では、搬送に困難を要した例が多かったからと考えられる。短期入所の利用者の割合も、強震地域より激震地域の方が高かった。重症心身障害児(者)を支える行政や社会のネットワークは未だ不十分である。中越大震災を機に、重症心身障害児(者)保護・支援のためのネットワークが構築されることを期待したい。
Abstract:新潟県中越地震では、全国の救急病院に配置されている「広域災害救急医療情報システム」が利用できず、問題の一つに医療機関の情報収集が挙げられた。地域住民と職員にアンケートを行い、その結果から問題点や改善すべき点を検討した。そこで、携帯電話の災害伝書板を利用した大災害時連絡網の新システムを構築し、定期的に訓練を実施した。災害時には、全国の救急病院に配置されている厚労省の「広域災害救急医療情報システム」と一緒に設置してある通話のみの携帯電話にiモードのような機能を取り付けることを提案した。メール登録を、厚生労働省、都道府県、市町村、病院長、自院の災害対策委員長など、5ヶ所に設定することで、厚労省や自治体では、地域あるいは全国の病院の状況を把握することができ、重傷な患者さんの円滑な移送を可能になると考えた。
Abstract:地震以前からインスリン自己注射療法を施行しており,外来受診時のインスリンを受け渡す際に,アンケートを依頼し協力を得ることができた239例を対象とし,震災生活のなかでのインスリン自己注射履行に関するアンケート調査を行った.糖尿病患者教育に災害時の対応を入れる必要があり,インスリン製剤は超速効型や持効型が望ましい.災害時には使い捨てペン型が安全で,災害時に持ち出すための「これだけあれば安心セットケース」が必要であった.避難所でのインスリン供給が必要で,インスリン製剤のわかりやすい名称・識別を希望した.暗くても安全に打てる単位数の表示が可能な蛍光デジタルや,ライトがつく工夫が必要であった.糖尿病患者用の非常食の提供,適切な情報伝達システムの制度化が必要であった.
特集【新潟県中越地震を振り返って】
Abstract:中越地震被災者125名(男性45名,女性80名,平均73.9歳)において,地震の前後で実際に血圧の変動が見られるか,血圧変動の経過と心身症状の関連性について評価を試みた.その結果,長期間血圧上昇が持続した症例があり,特に男性では遅発性の血圧症状傾向が認められた.震災前年度の同時期血圧と比べても有意に震災直後の血圧は高い値を示し,1ヵ月後に改善していた.さらに男性では3ヵ月の血圧においても,前年度2月の血圧に比べて高い値を示した.このことは地震自体が血圧上昇のストレッサーであることを示している.血圧にかかわる他の要因として,中越地震は余震が長期間にわたり持続したことや,震災後から冬場に入ったことで季節変動や大雪などのストレスが影響した可能性も否定できない.
特集【災害時,在宅療養者をどう守るのか】
特集【災害と公衆衛生】
特集【災害医療】
特集【災害発生!そのとき薬剤師にできること】
特集・災害看護
Abstract:日本精神科病院協会が開始した支援「こころのケア」チームの,新潟中越地震発生後1ヵ月半経過時における活動を報告した.被災急性期経過後のこころのケアの受容や特徴が明確になった.すなわち,被災者は被災の大変さ,恐怖感,不安感,愚痴を吐露する機会がほとんどなく,より深刻な被害を被った人々に較べれば自分は大したことないと気持ちを抑圧せざるを得なかった.当チームが開催した健康相談会は,カジュアルでオープンな,それでいて専門的アドバイスが受けられる場所となった.当チームは,精神科医師,看護師,臨床心理士,精神保健福祉士各1名づつの計4名で構成されたが,日常の病院診療から離れたフィールドワークを通して,それぞれの役割と協力体制が明確となった。
特集【透析医療における災害対策】
Abstract:1923年関東大震災後に始まった「防災対策」も,1995年兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災),2004年新潟県中越地震,2005年福岡県西方沖地震を経験して,「防災対策」から「減災対策」へ移行しつつある.透析医療を継続するにはさまざまな条件があるにもかかわらず,災害時でも「患者のPreventable Deathをなくす」ために明日の透析治療を継続しなければならない.そうした条件下で,各透析施設の「災害対策マニュアル」は整備され,災害対策の要である「情報システム」も各施設・地域で整備されつつある.そして全国の透析施設を結ぶ災害時ネットワークも日本透析医会が中心となって整備されつつある.新潟県中越地震でその存在が認識され,福岡県西方沖地震で支部・全国のネットワークが見事に役立った.しかし「災害対策は日々進化」している.この稿では,いくつかの問題点と対策について提示する.
Abstract:大地震では透析治療の継続も困難となり,患者の生命の危機に直結する.新潟県中越地震でも3施設で透析治療が不能となったが,断水,停電,ガス供給停止のほかにも,水処理や透析液作製などの大型装置の移動・転倒も原因であった.しかし近隣および遠隔地の透析施設との連携により,患者の治療は継続できた.そこでは情報収集と発信,広域での情報共有の重要性が明らかとなった.緊急離脱,患者監視装置の固定などに関して従来の発想が否定された.また,新たにエコノミークラス症候群の発症が注目された.
Abstract:新潟県中越地震では,停電,断水,水処理装置の破損などにより,3施設の血液透析患者約340人の透析治療が不能となった.長岡地区では,透析医が中心となり自主的に患者の受け入れ先を確保し支援体制を整えた.早期に受け入れ先が明確となり,被災地の患者に大きな混乱はなかった.地方自治体,行政,マスコミは情報収集と提供,患者搬送の支援をした.また,日本透析医会災害情報ネットワークは,刻々と変化する情報を被災地内外に提供し支援した.さらに,新潟地区や県外の透析施設では,入院透析患者の受け入れと透析スタッフ派遣を行い,遠方から被災地を支援した.
Abstract:災害対策は,施設ごとの危機管理,地域透析施設間や関連組織との連携,行政の支援,情報の共有手段が重要である.(社)日本透析医会では,関連する各組織との情報ネットワークおよびホームページと電子メールを利用した災害情報共有システムを構築し,運営してきた.本ネットワークは,新潟県中越地震においても情報の共有に利用され有用であったと評価している.今後はさらなる周知拡大に加え,コンピュータがなくても情報登録や確認ができるシステム,発災時に施設情報発信を促すシステムなどが必要である.また地域施設間の人的交流は,災害時における円滑な協力体制構築にとって重要である.
Abstract:透析医療における災害対策は,1978年宮城県沖地震に始まり,1995年阪神・淡路大震災を経て広域化がはかられた.その後,提唱されてきた対策が検証される機会をもたなかったが,2003年十勝沖地震,2004年新潟県中越地震,2005年福岡県西方沖地震を経験することで多くの検証がなされた.これらの地震の経験から,地域密着型災害は現在の対策で対応可能であることが示された.しかし,今後,首都圏直下型地震などの都市型災害に対する対策は万全ではない.これまでに地域密着型災害対応で有用だった対策(患者監視装置やベッドのキャスター,ROや透析液供給装置の固定,患者のグループ化による情報伝達など)を十分に浸透させることで,減災は可能であると考えている.個々の被害が小さくなることで,総体としての被害量を小さくすることが重要である.それが,都市型災害の特徴である「対応しきれないほど多数の被災者」を,なんとか対応しきれる数に減じることにつながる.
Abstract:阪神・淡路大震災は初めて人口密集地域を襲った大規模な透析施設の被災として,透析医療に携わるものにとって貴重な教訓となった.2004年10月23日,震度7の地震が新潟県中越地方を襲ったときこの教訓は活かされたであろうか.透析室の被害状況は3病院336名が治療の場を失い,バスなどで他施設へ搬送治療を行い,透析施設の機能は約1週間で復旧した.この直下型地震で被害が最小限に抑えられたのは,地域の透析医の連携で患者移動がスムースにいったことがあげられる.この教訓から都区部での直下型地震に対する災害対策を考えるとき,災害により透析不能となった患者をどこで透析をするのかという,代替施設確保がもっとも中心に据えられる.これに対応するために,2005年,東京都区部災害時透析医療ネットワークが立ち上げられた.この動きを紹介し,人口密集地における直下型地震対策について述べる.
Abstract:本研究の目的は、新潟県中越大震災において要支援・介護高齢者がいかに支援を受けたかを明らかにすることで、災害弱者に対する危機管理のあり方についての課題と介護保険制度の成果を明らかにすることである。震災後に行われた質的調査および量的調査の結果、介護保険制度により居宅サービスを利用する要支援・介護高齢者に対しては、ケアマネジャーが1人ひとりにケアプランを作成することで、フォーマルとインフォーマルからなる社会資源のネットワーキングが構築され、災害時には安否確認に駆けつける者が存在するようになり、ケース担当する要支援・介護高齢者の安否確認が速やかに終了していることが明らかとなった。しかしながら、安否確認などを行ったケアマネジャーへの財政的支援に課題があることも明らかとなった。
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