外傷患者の年齢分布と性別のパターンは、やはり高齢者が多く、女性の比率がやや高いという傾向で あった。受傷部位は、骨盤、腰部、脊椎、および四肢が過半数を占め、頭部26%、2部位以上の多発外 傷15%、胸部9%、腹部1%と、胸・腹部の外傷が少なかった。本来、重症外傷は頭部や胸部・腹部に多い が、今回の救急患者は下半身の受傷が多く、上半身は比較的少なかった。これは、地震が早朝に起き たために多くの人が就寝中だったことと関連していると考えられる。しかしDOAで来院した患者の多く は、上半身の外傷、すなわち胸部圧迫症などによる窒息や圧迫死であった。
今回とくに注目されたのが挫滅症候群である。筋肉損傷後の循環血液量の減少、および再灌流時の有 毒物質流出による、腎不全の発生が大きな特徴であるが、外傷入院患者の24%が挫滅症候群と診断され た。受傷部位は四肢や骨盤・腰部が7〜8割を占め、胸部・腹部は1割程度だった。これらの患者は崩 壊家屋や家具の下敷きによる受傷が多かった。
疾病患者576人の内訳は、時期的に冬ということもあって肺炎や感冒などの呼吸器疾患が181例と1番 多く、ついで心血管疾患が53例、その次にストレス性の胃潰瘍などを含む消化器49例が続いた。
法医学の医師が検死した2416人のデータでは、発生から10数分以内の6時までに死亡したと判断された 人が2221人なので92%はほぼ即死の状態であった。したがって救助活動の遅れだけを死亡者数増加の 原因とすることは必ずしも適当ではないと思われる。死因については、窒息死が圧倒的に多く、次い で圧死が多かった。焼死・火傷が12.2%を占めたが、実際の死因は不明である。
地震の発生は、きわめて劣悪な環境下で多くの被災患者の対応を余儀なくされた。よって、すべての被災患者に高度な医療を提供することは極めて困難となった。
2.阪神・淡路大震災の特徴
マグニチュード7.3。3連休明けの早朝(本格的な社会活動が始まる前)に発生した。
3.阪神・淡路大震災の被害
発災初期:外科的処置を必要とする患者が主。ほとんどが縫合処置や骨折の固定程度。挫滅症候群や高度の集中治療、緊急手術を必要とする患者は非常に少なかった。
その後:内科的疾患や各種慢性疾患患者の対応の必要性がでてきた。
4.病院の機能と手術室
病院の機能に影響を与えた原因は以下のとおりであった。
例)
・断水 <水冷式発電機が断水などによるオーバーヒートが原因で稼動停止>
<手術のための手洗いも不可能に>
・ガス供給停止 <オートクレーブが稼動できず、機器の滅菌が困難になった>
・停電 <圧縮空気や吸引の停止>
<フォールディングドア、スライディングドアの開閉困難>
また、医療職員の当日の出勤状況は以下のとおりであった。
職員自身や家族などの人的被害があり、また交通手段の途絶によりマンパワーの確保が困難であっ
た。ライフライン(ガス、水道、電力、通信)の途絶は深刻であったが、なかでも電力の回復は比較
的早く倒壊しなかった多くの病院では当日中に復旧した。
5.情報の入手
停電などに伴う電話回線の途絶などにより被災の中心や範囲などの情報の入手が困難であった。
6.指揮・命令系統
病院幹部の出勤が遅れ、病院の全資産を災害医療に投入して対応する決断が遅れた。
7.国立明石中央病院の当日の対応
災害医療とは医療の需要と供給のバランスが著しく障害された状態で実施する医療であり、患者数が
非常に多く、すべての患者に高度な医療を提供することが困難である。
また、被災患者の病態は様々であり発災後の時期によって異なってくるので、可能であれば被災地で
患者の選別(トリアージ)を実施し、適当な手段により迅速に被災地外に搬出し、十分な治療を行う
ことが望ましい。
病院や手術室の機能を維持するために、各施設で緊急時対応マニュアルの作成が必要である。
手術を実施するかどうかのトリアージが必要である。そのため、被害・稼働状況の把握、最低限
のマンパワーの確保などが重要となり、出来る限り被災地外への搬送が望まれるが、災害時の混乱中においては臨機応変に対応する必要性がある。
手術室は非常発電機による重度外傷患者の治療の場ともなるが、さらには、大量の外科処置具や消耗
品が在庫されており、定期手術に備えた各種手術機器の滅菌パックがあり、定期手術が不可能な場合
は、これらも必要な部門に備えるべきである(ときには清潔操作で分解し活用する必要もある)。
状況を判断して、場合によっては通常業務を一時停止し、被災地に救護班を派遣したり、被災地内
の病院に受け入れ可能などの情報を伝達しなければならない。また、被災地の重症患者に高度の医療
を提供できるのは被災地周辺の病院だけであるということを十分に考慮して置く必要がある。
今回の震災では地方自治体も被災して迅速に指示を出すことが出来ず、被災地内では病院も孤立し
た。今後は被災地内外を想定した災害対応マニュアルを作成すると同時に、各種訓練、たとえば非常
発電や電池式非常灯も稼動しない場合を想定した訓練などを加味した訓練を実施すべきである。
手術室では緊急手術に備え、多数の外傷患者の治療に定期手術用セットを提供したり、マンパワーを
外来や病棟に派遣したり、同時に重症患者の治療の場を提供したり出来る。
ライフラインの途絶が予想されるので、手術室の改築や新築時には考慮が必要である。
被災地周辺病院でも、積極的に災害医療に従事できるように考慮しなければならない。
以上のようなことを実施するためにも、事前に様々な災害を想定し、全部門で職員が自分たちで考え
た災害対応マニュアルを作成し、実効性のある訓練を実施することが肝要である。
財団法人小千谷総合病院は、明治24年に創立された。新潟県中越地震の震源地である小千谷市と川
口町を診察圏としてとして、長年この地域における市民病院的な存在であった。
被災直後の様子
10月23日(土)17時56分、震度7(M6.8)を第1波として19時48分までの約2時間の間、震度5以上の地震が
相次いで11回襲来し、病院は大きな被害を被った。地震発生直後、8階建ての建物(東棟:S44、西棟:
S55)は大きく揺れ、特に病棟のある4〜7階は立っていられない状態であった。物が倒れ、壁が落ち、
天井の配管が破れ大量の水が降り注いだ。急いで入院患者を比較的安全な本館の1階に非難させた。
平日は夜遅くまで手術があること、月・水・金は約30名の夜間透析が行われていること、を考える
と、地震が起こったのが土曜の夕方で、手術や透析日でなかったこと、交代直後で日勤の看護師がほ
とんど残っていたことが、不幸中の幸いであった。
多くの患者が高齢者で寝たきりの方も多く、その週の手術患者は25人であったが、移送にエレベー
ターは使えず、担架も階段使用時に障害となるので、大半はシーツを使い、4人1組で移送していっ
た。
病院では消防署の協力を得て、毎年大掛かりな避難訓練を実施しており、マニュアルも整備されてい
た。それが今回の大量非難に役立てられた。
病院の状況など
人工呼吸器装着患者が3人いたが、自家発電が途切れた後は蘇生バックを手もみして人工呼吸を継続
した。地震発症直後より、救急患者が殺到していた。そのなか、電話は通じにくくなり、21時には不
通となった。4本確保されていた災害対応回線も、配電盤に水が浸入したため接続不能になった。早急
に搬送が必要な患者がいたため、情報収集と転送先の連絡は救急隊の無線助けを借り、対応した。
システム整備について
反省点
これらの反省点を生かして、今後のシステム改築がのぞまれる。
平成16年10月23日(土)に新潟県中越地震は、各地で甚大な被害をもたらした。地震直後から続く激
しい余震のなか、地域住民の方々はライフラインの遮断された環境での避難生活を余儀なくされた。
これは10月24日から、緊急消防援助隊埼玉県隊の一員として現地に救援活動をされた佐藤信行氏の
体験談である。
活動概要
埼玉県隊には、埼玉医科大学総合医療センター高度救命救急センターの医師2名が同行。
埼玉県救急隊8隊で54名の被災者を救急搬送している。
活動を振り返って
10月24日の活動概要会議では、医師2名も参加し、ヘリで救出された被災者のトリアージをするこ
と、トリアージの結果により必要に応じて初期治療を行うこと、重傷者には三次医療機関へ搬送する
ことが決定していたので、非常に環境が整った体制で対応できた。
また、本災害では外傷により疾病した傷病者が多かった。救急救命士の資器材である輸液セット
は、医師との連携が取れていれば非常に有益なもので、実際に数名は医師によるルート確保を受け搬
送されている。これは、医療品が絶対的に不足している初期活動を考慮し、事前準備で多く用意して
おくべきである。
苦慮した面では、地理の問題である。カーナビゲーションを利用していたが、選択する道路がこと
ごとく通行不能であり、かなりの時間を要した。事前準備の段階では被災地周辺の地図を入手してお
くべきである。
派遣前日からの当直勤務に続き活動を行っているので、実質4日間の勤務体制となる。通常なら3時
間弱で到達できるのだが、今回は10時間ほどかかり、随時交代は行ったがかなり疲労がたまった。難
しいとは思うが、4人体制にして交代要員を確保する等の必要性がある。
震災により、普段の生活が一変してしまい、自宅の倒壊や、身内に不幸があった方に対してどのよ
うに接してよいか、ずっと悩んでいたが、実際は被災者の方々が、深く感謝してくれて、この人たち
のために精一杯頑張ろうという気持ちになった。その気持ちさえあれば人は受け入れてくれると感じ
た。
救急センターは、混乱しすぎたときには空床が確保できる間、救急隊に"搬送お断り"の通告を出すこ
とがある。ここでは、救急医療機関が非常事態において限りある共同資源をどう管理するのかという
方法を述べる。
危機的状況にある救急医療サービスの資源確保の見通しが立つまで以下の行動は効果的である。
利用できる救急センターのベッドがない場合は、救急車が次の要請に応じることができるように、仮
設ベッドに患者を収容する。そして、通常の救急センターの病床が割り当てられるまで救急隊員たち
が患者を監視し続ける事はせず、仮設ベッドに患者を寝かせたら直ちに業務に戻る。
これらの手順を実行することで、大切な救急医療サービス資源を有効活用できるようになる。また、
これらの救急医療サービス資源の中断時間を最小化するために、救急センターの病床状態と救急患者
の到着状況をモニターすることも大切である。
生活歴
呼吸数:38/分(呼吸切迫)、血圧:128/60mmHg、脈拍:86/分,整、体温:36℃
●身体所見
口腔 :眼球結膜の黄染(−)、口腔内の発赤(−)
頭部 :異常なし
頚部 :血管雑音、頚静脈の怒張を認めず。項部硬直(−)。リンパ節腫大(−)。
胸部 :吸気時ラ音(−)、呼吸音(両側性減弱)
腹部 :軟、圧痛・膨満(−)
その他:臓器腫大、神経障害、皮膚病変無し
本症例では早期に抗生物質投与したにもかかわらず病状は急速に進行し、多臓器不全と大量の心嚢液
貯留が循環状態を急激に不安定にさせた。本症例の臨床経過は典型的であり、倦怠感、全身虚脱感、
悪寒時には胸痛といった非特異的な前駆症状が、重度の呼吸不全(出血性縦隔炎、血性心嚢液)や敗
血症性ショック、大量胸水、多臓器不全に先行して数日間続いた。今回報告した患者の炭疽菌感染
は、従来の自然発生例や生物テロに関連した炭疽の発生要因と全く関連がなく、患者の身の回りから
広範囲に採取した環境サンプルにおいて炭疽は陰性であり、炭疽菌感染源は、交差汚染した郵便封筒
ではないかと考えられているが、彼女がなぜニューヨーク市で発症した唯一の肺炭疽患者であるのか
どうか不明である。このような稀な感染症の珍しい臨床経過が見逃されないように、公衆衛生や医療
機関のサーベイランスに対する努力をさらに増し、一般市民の認識を高め、医療従事者に対する教育
を進める必要がある。
JPIC(Japan Information Center:日本中毒情報センター)は、化学物質や動植物
の成分によって起こる急性中毒について、治療に必要な情報の収集と整備ならびに情報提供を行うた
め、1986年に設立されたわが国唯一の機関である。JPICでは、1994年の松本サリン事件、1995年の東
京地下鉄サリン事件、1998年の和歌山毒物混入カレー事件に対応したが、当時の情報提供手段は電話
が主であり、広く国民や関連機関へ積極的に情報発信する手段がなく、行政・消防・警察などの連携
体制が課題であった。1998年に毒劇物対策会議が発足し、毒劇物の管理体制の強化と中毒事件発生時
に的確に対応するための関連機関の機能強化策の一端として、対応強化を行った。
2) 化学テロ・化学災害発生時の情報収集
JPICが情報収集する関連機関は、現場において初動対処する消防、保健所、警察と
被災者の診療にあたる医療機関および都道府県の担当部局、厚生労働省などである。
(1)情報収集内容
(2)情報収集手段
3) 化学テロ・化学災害時の提供情報
(1)起因物質が判明している場合
(2)起因物質が不明の場合
JPICでは、最初に推定起因物質が化学剤であるか否か絞り込むために、診断補助システムの一つであ
る「化学兵器くん」を利用する。これにより起因物質が化学剤以外の化学物質と疑われる場合には、
さらにもう一つの診断補助システムである「中毒くん」を利用する。
最終的には、以上の過程を経て絞り込まれた推定起因物質について、得られる情報を該当機関に提
供する。
4) JPICホームページへの情報公開
化学テロ・化学災害発生時には可及的速やかにJPICホームページのニュース欄に中毒起因物質
の中毒情報を掲載している。さらに、会員向けホームページでは「医師向け中毒情報データベース」
のほか、「科学兵器等中毒対策データベース」、「救急隊員向け中毒データベース」、「保健婦・薬
剤師・看護婦向け中毒データベース」の各種のデータベースを公開している。このほか解毒剤情報、
分析施設情報、文献情報、JPIC職員が執筆した雑誌・新聞など掲載記事の紹介などを掲載し、情報提
供を行っている。
5) おわりに
JPICでは化学テロ・化学災害発生時に、原因物質が不明な場合でも初動活動の参考になる中毒情報が
提供できるよう、その対応体制を強化している。さらに、JPICで受信した過去の化学災害事例を整理
し、発生頻度の高い化学物質から化学災害対応を含めた中毒情報の再整備を行っている。
JPICの整備された中毒情報と豊かな経験、さらに中毒専門家、関連諸機関との強力な連携体制
をもって、化学テロ・化学災害発生時に迅速に対応していきたいと考える。
1) 避難:安全な場所に移動
2) 外出せずに室内に留まる:短半減期の放射性ヨウ素などが放射性下降物として降下している
時期には室内に留まる
3) 経口摂取の監視:放射性ヨウ素等を摂取した動植物の経口摂取の禁止
4) ヨウ素剤投与:予防的に年齢を考慮してヨウ素剤を投与
などの有用性が確認されている。以下、甲状腺防護の例としてヨウ素剤投与を取り上げる。
そのため、国際的な機関からガイドラインが提案されていても、世界各国の現状は大きく異なってい
る。たとえばアメリカでは原発事故の起こる可能性とヨウ素剤配布による精神的負担との比較、さら
にヨウ素剤配布の経済的負担と事故被害者の医療負担や補償の比較からヨウ素剤配布を中止している
し、反面、フランスでは10年間の地域住民を含んだ討論の結果、1997年から原発の5km以内の居住者に
ヨウ素剤配布、5~10km以内の人も入手可能とした。WHOの世界31カ国の調査でも現実にヨウ素剤が自由
に入手できる国は約半数である。
1) 日本人は海藻類を摂るヨード過剰摂取国で、少なくともヨード不足はいない。
2) しかし、日本人の場合は、概して甲状腺の取り込み率が低く、生物学的半減期も短いと考えられている。
などがある。その他、日本人の核に対する認識、事故に対する配慮および反応の程度、などを考えて、単に外国の真似をするのではなく、日本の特徴を踏まえた対応策を作るべきであると考える。
震災と病院建築設備
村山良雄、OPE nursing 19: 957-963, 2005A. はじめに
B. 阪神・淡路大震災での被災地病院の状態
*ただし、一部は開放骨折、腸管破裂や開頭手術が必要であった。
手術施行の有無の決断が遅れた。C. 考案
D. まとめ
新潟県中越地震を振り返って/新潟県中越地震の活動について
(横森忠紘・佐藤信行、プレ・ホスピタルケア 18: 22-29, 2005)■新潟県中越地震を振り返って
(横森忠紘・佐藤信行、プレ・ホスピタルケア 18: 22-29, 2005)
衛星無線による災害優先電話システムを、地域として早急に構築する必要性あり。
自家発電の停止は当院の自家発電が停止したのは、水冷式自家発電システムであり、給水管
破裂により、タンクが空になったためである。自家発電搭載車がくるまでの二日間地下水をバケツリ
レーして給水タンクを補給することで、最低限の電力を得ていた。■新潟県中越地震の活動について
佐藤信行、プレ・ホスピタルケア 18: 22-29, 2005Dancing with Charley & Frances behind the scenes of storm management
Rodenberg H、救急医療ジャーナル 13: (5) 58-66, 2005ハリケーン・チャーリーで召集された災害医療援助チーム
緊急時の搬送先変更について
解決策
チャーリーのときの病床確認と救急搬送の実際
改善点
感染源が不明の致死的肺壊疸
(Mina Bほか:JAMA日本語版 287:858-862, 2002)背景
現病歴
既往歴
入院時現症
入院時検査所見
入院後経過
考察
中毒情報センターの立場から
(黒木由美子 18: 57-63, 2005)化学テロ・化学災害へのJPIC対応体制
起因物質が判明していない場合・・・物性、におい、色など被ばく医療におけるヨウ素剤投与の医学的問題点
(長瀧重信、放射線事故医療研究会会報 3(1) 1-5, 1999)わが国における緊急被曝医療の問題点
甲状腺の防護
甲状腺防護とヨウ素剤投与
ヨウ素の体内動態
健常者における過剰ヨード摂取時の甲状腺機能に関する今迄の報告
日本人の対策に対する提言