災害医学・抄読会 2005/12/09

災害医療:阪神・淡路大震災から1年

薬の知識 47: 1-7, 1996


救急患者の検討

 震災から1週間の救急受け入れ患者数は、1168プラスαで、これら登録例の解析をしてみる。1168人 のうち入院患者は191人、病院到着時心配停止患者(DOA)は41人、緊急手術件数10件、入院後の死亡 11人であった。大別すると、救急患者全体では、外傷が487人、疫病が576人、不明105人で入院患者全 体では、外傷患者191人では、外傷131人、疫病60人となった。

 外傷患者の年齢分布と性別のパターンは、やはり高齢者が多く、女性の比率がやや高いという傾向で あった。受傷部位は、骨盤、腰部、脊椎、および四肢が過半数を占め、頭部26%、2部位以上の多発外 傷15%、胸部9%、腹部1%と、胸・腹部の外傷が少なかった。本来、重症外傷は頭部や胸部・腹部に多い が、今回の救急患者は下半身の受傷が多く、上半身は比較的少なかった。これは、地震が早朝に起き たために多くの人が就寝中だったことと関連していると考えられる。しかしDOAで来院した患者の多く は、上半身の外傷、すなわち胸部圧迫症などによる窒息や圧迫死であった。

 今回とくに注目されたのが挫滅症候群である。筋肉損傷後の循環血液量の減少、および再灌流時の有 毒物質流出による、腎不全の発生が大きな特徴であるが、外傷入院患者の24%が挫滅症候群と診断され た。受傷部位は四肢や骨盤・腰部が7〜8割を占め、胸部・腹部は1割程度だった。これらの患者は崩 壊家屋や家具の下敷きによる受傷が多かった。

 疾病患者576人の内訳は、時期的に冬ということもあって肺炎や感冒などの呼吸器疾患が181例と1番 多く、ついで心血管疾患が53例、その次にストレス性の胃潰瘍などを含む消化器49例が続いた。

死亡例の検討

 警察当局の発表では、阪神・淡路大震災での総死亡者数は5502人で、うち兵庫県が5480人であった。そ のうち兵庫県監察医が集計したのは3651人の死亡診断書についてである。

 法医学の医師が検死した2416人のデータでは、発生から10数分以内の6時までに死亡したと判断された 人が2221人なので92%はほぼ即死の状態であった。したがって救助活動の遅れだけを死亡者数増加の 原因とすることは必ずしも適当ではないと思われる。死因については、窒息死が圧倒的に多く、次い で圧死が多かった。焼死・火傷が12.2%を占めたが、実際の死因は不明である。

医師として、病院として…

 災害時には情報・通信網が途絶えるのは常なので、医療機関は日ごろから一般の電話以外の連絡方法 にも慣れておくべきである。また得られた情報から、自分が何をすべきか冷静に判断し、災害医療を 行う必要がある。


震災と病院建築設備

村山良雄、OPE nursing 19: 957-963, 2005


A. はじめに

 阪神・淡路大震災の経験を元に、手術室運営上の問題点を検討し、文献的考察を加えて震災における 手術室の問題点を述べる。

B. 阪神・淡路大震災での被災地病院の状態

1.震災と災害医療

 地震の発生は、きわめて劣悪な環境下で多くの被災患者の対応を余儀なくされた。よって、すべての被災患者に高度な医療を提供することは極めて困難となった。

2.阪神・淡路大震災の特徴

 マグニチュード7.3。3連休明けの早朝(本格的な社会活動が始まる前)に発生した。

3.阪神・淡路大震災の被害

 発災初期:外科的処置を必要とする患者が主。ほとんどが縫合処置や骨折の固定程度。挫滅症候群や高度の集中治療、緊急手術を必要とする患者は非常に少なかった。

 その後:内科的疾患や各種慢性疾患患者の対応の必要性がでてきた。
 *ただし、一部は開放骨折、腸管破裂や開頭手術が必要であった。

4.病院の機能と手術室

 病院の機能に影響を与えた原因は以下のとおりであった。

例)

・断水 <水冷式発電機が断水などによるオーバーヒートが原因で稼動停止>

→ 非常発電機は空冷式のものが望ましく、同時に非常発電機本体の故障などに備えて、手術室 では別途に小型の可搬式発電機と電源ケーブルの配備も望ましいと考えられる。非常灯に関しても同 じことが言える。

 <手術のための手洗いも不可能に>

→ポビドンヨードによる手指の消毒だけで実施

・ガス供給停止 <オートクレーブが稼動できず、機器の滅菌が困難になった>

→少量の水と非常電源で稼動する卓上型オートクレーブの必要性。

・停電 <圧縮空気や吸引の停止>

 <フォールディングドア、スライディングドアの開閉困難>

 また、医療職員の当日の出勤状況は以下のとおりであった。

 職員自身や家族などの人的被害があり、また交通手段の途絶によりマンパワーの確保が困難であっ た。ライフライン(ガス、水道、電力、通信)の途絶は深刻であったが、なかでも電力の回復は比較 的早く倒壊しなかった多くの病院では当日中に復旧した。

5.情報の入手

 停電などに伴う電話回線の途絶などにより被災の中心や範囲などの情報の入手が困難であった。

6.指揮・命令系統

 病院幹部の出勤が遅れ、病院の全資産を災害医療に投入して対応する決断が遅れた。
 手術施行の有無の決断が遅れた。

7.国立明石中央病院の当日の対応

C. 考案

  1. 災害医療とは

     災害医療とは医療の需要と供給のバランスが著しく障害された状態で実施する医療であり、患者数が 非常に多く、すべての患者に高度な医療を提供することが困難である。

     また、被災患者の病態は様々であり発災後の時期によって異なってくるので、可能であれば被災地で 患者の選別(トリアージ)を実施し、適当な手段により迅速に被災地外に搬出し、十分な治療を行う ことが望ましい。

  2. マニュアルの作成

     病院や手術室の機能を維持するために、各施設で緊急時対応マニュアルの作成が必要である。

  3. 手術のトリアージ

     手術を実施するかどうかのトリアージが必要である。そのため、被害・稼働状況の把握、最低限  のマンパワーの確保などが重要となり、出来る限り被災地外への搬送が望まれるが、災害時の混乱中においては臨機応変に対応する必要性がある。

  4. 手術室の活用

     手術室は非常発電機による重度外傷患者の治療の場ともなるが、さらには、大量の外科処置具や消耗 品が在庫されており、定期手術に備えた各種手術機器の滅菌パックがあり、定期手術が不可能な場合 は、これらも必要な部門に備えるべきである(ときには清潔操作で分解し活用する必要もある)。

  5. 被災地周辺の病院の対応

     状況を判断して、場合によっては通常業務を一時停止し、被災地に救護班を派遣したり、被災地内 の病院に受け入れ可能などの情報を伝達しなければならない。また、被災地の重症患者に高度の医療 を提供できるのは被災地周辺の病院だけであるということを十分に考慮して置く必要がある。

  6. 迅速、的確な判断

     今回の震災では地方自治体も被災して迅速に指示を出すことが出来ず、被災地内では病院も孤立し た。今後は被災地内外を想定した災害対応マニュアルを作成すると同時に、各種訓練、たとえば非常 発電や電池式非常灯も稼動しない場合を想定した訓練などを加味した訓練を実施すべきである。

D. まとめ

 災害医療では、重症患者を適切にトリアージし、被災地外に搬送して機能が正常な病院で高度な治療 や緊急手術を行うべきであるが、それが不可能になる場合に備えて、事前に十分な準備をしておくべ きである。

 手術室では緊急手術に備え、多数の外傷患者の治療に定期手術用セットを提供したり、マンパワーを 外来や病棟に派遣したり、同時に重症患者の治療の場を提供したり出来る。

 ライフラインの途絶が予想されるので、手術室の改築や新築時には考慮が必要である。

 被災地周辺病院でも、積極的に災害医療に従事できるように考慮しなければならない。

 以上のようなことを実施するためにも、事前に様々な災害を想定し、全部門で職員が自分たちで考え た災害対応マニュアルを作成し、実効性のある訓練を実施することが肝要である。


新潟県中越地震を振り返って/新潟県中越地震の活動について

(横森忠紘・佐藤信行、プレ・ホスピタルケア 18: 22-29, 2005)


■新潟県中越地震を振り返って

(横森忠紘・佐藤信行、プレ・ホスピタルケア 18: 22-29, 2005)

 財団法人小千谷総合病院は、明治24年に創立された。新潟県中越地震の震源地である小千谷市と川 口町を診察圏としてとして、長年この地域における市民病院的な存在であった。

被災直後の様子

 10月23日(土)17時56分、震度7(M6.8)を第1波として19時48分までの約2時間の間、震度5以上の地震が 相次いで11回襲来し、病院は大きな被害を被った。地震発生直後、8階建ての建物(東棟:S44、西棟: S55)は大きく揺れ、特に病棟のある4〜7階は立っていられない状態であった。物が倒れ、壁が落ち、 天井の配管が破れ大量の水が降り注いだ。急いで入院患者を比較的安全な本館の1階に非難させた。 平日は夜遅くまで手術があること、月・水・金は約30名の夜間透析が行われていること、を考える と、地震が起こったのが土曜の夕方で、手術や透析日でなかったこと、交代直後で日勤の看護師がほ とんど残っていたことが、不幸中の幸いであった。

 多くの患者が高齢者で寝たきりの方も多く、その週の手術患者は25人であったが、移送にエレベー ターは使えず、担架も階段使用時に障害となるので、大半はシーツを使い、4人1組で移送していっ た。

 病院では消防署の協力を得て、毎年大掛かりな避難訓練を実施しており、マニュアルも整備されてい た。それが今回の大量非難に役立てられた。

病院の状況など

 人工呼吸器装着患者が3人いたが、自家発電が途切れた後は蘇生バックを手もみして人工呼吸を継続 した。地震発症直後より、救急患者が殺到していた。そのなか、電話は通じにくくなり、21時には不 通となった。4本確保されていた災害対応回線も、配電盤に水が浸入したため接続不能になった。早急 に搬送が必要な患者がいたため、情報収集と転送先の連絡は救急隊の無線助けを借り、対応した。

システム整備について

反省点

 これらの反省点を生かして、今後のシステム改築がのぞまれる。

■新潟県中越地震の活動について

佐藤信行、プレ・ホスピタルケア 18: 22-29, 2005

 平成16年10月23日(土)に新潟県中越地震は、各地で甚大な被害をもたらした。地震直後から続く激 しい余震のなか、地域住民の方々はライフラインの遮断された環境での避難生活を余儀なくされた。

 これは10月24日から、緊急消防援助隊埼玉県隊の一員として現地に救援活動をされた佐藤信行氏の 体験談である。

活動概要

 埼玉県隊には、埼玉医科大学総合医療センター高度救命救急センターの医師2名が同行。

  1. 小千谷市内白山運動公園を拠点に、道路寸断などにより孤立した山古志村からヘリコプター で救出された被災者をヘリポートで医師がトリアージし、応急救護所または医療機関へ搬送。

  2. 小千谷市内の医療機関に入院している被災者の転院搬送。

  3. 小千谷市周辺で発生した救急事案への対応。

 埼玉県救急隊8隊で54名の被災者を救急搬送している。

活動を振り返って


Dancing with Charley & Frances behind the scenes of storm management

Rodenberg H、救急医療ジャーナル 13: (5) 58-66, 2005


ハリケーン・チャーリーで召集された災害医療援助チーム

 ハリケーン・チャーリーのときは災害医療援助チーム(DMAT)が早期に召集された。マイアミ地域(FL- 5)、タンパ湾地域(FL-3)から1チームずつが被災地域に緊急配備チームを出動させるよう命令を受け た。DMATは完全な災害医療援助人員(医師、看護師、救急医療士、と後方支援・管理業務の人員を擁し ている)を備えた野営病院を作った。

緊急時の搬送先変更について

 ハリケーンやその他の集団災害が発生したときには『病床確保を遅らせない。搬送先を変更しない。 転院させない。』という基本方針がある。この方針の目的は、全ての救急車を現場と病院の救急セン ターの間ですばやく、かつ潤滑に運行することである。

 救急センターは、混乱しすぎたときには空床が確保できる間、救急隊に"搬送お断り"の通告を出すこ とがある。ここでは、救急医療機関が非常事態において限りある共同資源をどう管理するのかという 方法を述べる。

解決策

 病院の病床確保状況をたえず監視し、そしてどの病院にもできるだけ公平な負担になるようにする。 しかし、病院の収容能力が限界となり、救急センターにはベッドがなく、災害はなお進行中であるな ら、とにかく救急センターの仮設ベッドを広げて患者をそこに置き、搬送業務に戻るようにする。最 終的な目的は、住民個人と地域社会の両方にとってよい決定をすることである。要点は、これまで受 けた訓練を信じ、全体を見届けながら全ての事柄について優先順位を決めるようにスタッフに教える ことである。

チャーリーのときの病床確認と救急搬送の実際

 2004年8月14日土曜日15:00、郡全域において救急医療部門はほぼいっぱいの状態であると、EVAC救急 サービスのパラメディックが報告している。救急センターの時間的遅れと搬入先変更で、患者搬送に 関して時間がかかっているという重大な難題を報告している。結果として、これらの遅れにより救急 車が緊急要請に応答できなくなり、ヴォルシア郡は危機的状況下に陥った。

改善点

 チャーリーにおけるヴォルシア郡の異常な状態に対して、非常処置が必要となる。

 危機的状況にある救急医療サービスの資源確保の見通しが立つまで以下の行動は効果的である。

 利用できる救急センターのベッドがない場合は、救急車が次の要請に応じることができるように、仮 設ベッドに患者を収容する。そして、通常の救急センターの病床が割り当てられるまで救急隊員たち が患者を監視し続ける事はせず、仮設ベッドに患者を寝かせたら直ちに業務に戻る。

 これらの手順を実行することで、大切な救急医療サービス資源を有効活用できるようになる。また、 これらの救急医療サービス資源の中断時間を最小化するために、救急センターの病床状態と救急患者 の到着状況をモニターすることも大切である。


感染源が不明の致死的肺壊疸

(Mina Bほか:JAMA日本語版 287:858-862, 2002)


背景

 炭疽は炭疽菌(Bacillus anthracis)によって引き起こされる感染症であり、炭疽菌芽胞が経皮、経 消化管、経気道的に体腔内に侵入することによって炭疽は発症する。炭疽菌はグラム陽性の好気性芽 胞菌であり、2~3μmの大きさの芽胞は気管支から肺胞にまで到達しうる。芽胞はマクロファージに貪 食され、気管支周囲や縦隔リンパ節に運ばれ、そこで発芽し、栄養型桿菌になって増殖する。肺炭疽 が最も致死的であり、今日生物兵器として使用される可能性が高いもののひとつとして知られてい る。肺炭疽は真の肺炎ではなく、死亡は敗血症、毒血症、呼吸器合併症によってもたらされ、発症よ り通常36時間以内に生じる。

現病歴

 ニューヨーク市で初めて発症した致死的肺炭疽の症例の患者は61歳のベトナム人の女性病院職員で、 一連の炭疽菌事件で確認された炭疽菌暴露リスクは無かった。この患者は入院の3日前から衰弱、胸部 重圧感、呼吸困難、倦怠感、咳嗽、悪寒を訴え、入院前日の咳嗽はピンク色の帯びた喀痰を伴ってい た。ニューヨーク市Lenox Hill病院の救急部に搬入された。患者は入院する2日前まで働いており、頭 痛、頚部痛、発熱、咽頭痛、皮膚発疹などの症状は伴っていなかった。

既往歴

 高血圧(アムロジピンとフォシノプリルでコントロールされている)

 生活歴

入院時現症

●理学的所見

 呼吸数:38/分(呼吸切迫)、血圧:128/60mmHg、脈拍:86/分,整、体温:36℃

●身体所見

 口腔 :眼球結膜の黄染(−)、口腔内の発赤(−)

 頭部 :異常なし

 頚部 :血管雑音、頚静脈の怒張を認めず。項部硬直(−)。リンパ節腫大(−)。

 胸部 :吸気時ラ音(−)、呼吸音(両側性減弱)

S1(→),S2(→),S3(−),S4(−)、心雑音(−)

 腹部 :軟、圧痛・膨満(−)

 その他:臓器腫大、神経障害、皮膚病変無し

入院時検査所見

入院後経過

 患者は来院後数時間以内に呼吸不全、敗血症性ショックに陥り、機械式換気と昇圧薬投与(ノルエピ ネフリン、フェニレフリン、バソプレシン)が必要となった。このとき抗生物質投与が始められてい る。CT検査により両側の大量胸水と出血性縦隔炎を認め、血液・気管支洗浄液・胸水のPCR法による DNA増幅のみならず、血液培養でも炭疽菌(Bacillus anthracis)は陽性であった。臨床経過中、肝不 全、腎不全、重度の代謝性アシドーシス、播種性血管内凝固障害(DIC)、心タンポナーデが合併増悪 し、患者は入院4日目(症状出現から7日目)に死亡した。病理解剖では、高度な出血性縦隔炎と肺門 の血腫、大量の血性心嚢液と重度の肺水腫が認められ、死因は肺炭疽であった。

考察

 外傷の既往がない急性重症患者においてCTで高吸収を示すリンパ節腫大を伴った縦隔出血が認められ た場合、肺炭疽の疑いを持つべきである。そして、早期に炭疽を疑い、培養結果を待っている間にも 抗生物質を開始すれば、予後が改善されると考えられている。

 本症例では早期に抗生物質投与したにもかかわらず病状は急速に進行し、多臓器不全と大量の心嚢液 貯留が循環状態を急激に不安定にさせた。本症例の臨床経過は典型的であり、倦怠感、全身虚脱感、 悪寒時には胸痛といった非特異的な前駆症状が、重度の呼吸不全(出血性縦隔炎、血性心嚢液)や敗 血症性ショック、大量胸水、多臓器不全に先行して数日間続いた。今回報告した患者の炭疽菌感染 は、従来の自然発生例や生物テロに関連した炭疽の発生要因と全く関連がなく、患者の身の回りから 広範囲に採取した環境サンプルにおいて炭疽は陰性であり、炭疽菌感染源は、交差汚染した郵便封筒 ではないかと考えられているが、彼女がなぜニューヨーク市で発症した唯一の肺炭疽患者であるのか どうか不明である。このような稀な感染症の珍しい臨床経過が見逃されないように、公衆衛生や医療 機関のサーベイランスに対する努力をさらに増し、一般市民の認識を高め、医療従事者に対する教育 を進める必要がある。


中毒情報センターの立場から

(黒木由美子 18: 57-63, 2005)


化学テロ・化学災害へのJPIC対応体制

1) 対応体制強化の経緯

 JPIC(Japan Information Center:日本中毒情報センター)は、化学物質や動植物 の成分によって起こる急性中毒について、治療に必要な情報の収集と整備ならびに情報提供を行うた め、1986年に設立されたわが国唯一の機関である。JPICでは、1994年の松本サリン事件、1995年の東 京地下鉄サリン事件、1998年の和歌山毒物混入カレー事件に対応したが、当時の情報提供手段は電話 が主であり、広く国民や関連機関へ積極的に情報発信する手段がなく、行政・消防・警察などの連携 体制が課題であった。1998年に毒劇物対策会議が発足し、毒劇物の管理体制の強化と中毒事件発生時 に的確に対応するための関連機関の機能強化策の一端として、対応強化を行った。

2) 化学テロ・化学災害発生時の情報収集

 JPICが情報収集する関連機関は、現場において初動対処する消防、保健所、警察と 被災者の診療にあたる医療機関および都道府県の担当部局、厚生労働省などである。

(1)情報収集内容

  1. 発生状況に関する情報:日時、場所、暴露経路、被災者数

  2. 起因物質に関する情報:
    起因物質が判明している場合・・・一般名/商品名
    起因物質が判明していない場合・・・物性、におい、色など

  3. 被災者に関する情報:臨床症状、異常臨床検査値、化学物質の定性・定量分析結果など

(2)情報収集手段

  1. 化学剤テロ専用ホットライン

  2. 医療機関専用有料電話

  3. 賛助会員専用電話

  4. 本部事務局企画・広報課(行政)

3) 化学テロ・化学災害時の提供情報

(1)起因物質が判明している場合

  1. 化学剤の場合

    「化学兵器等中毒対策ベース」を検索し、得られる中毒情報を該当機関に提供する。   このデータベースの中心は、サリンをはじめとする7類型(神経剤、血液剤、窒息 剤、びらん剤、催涙剤、催吐剤、無力化剤)の化学剤22種類について化学剤別に中 毒情報を収載している。さらに必要に応じ、海外の中毒センターで汎用されているPOISINDEXをはじめ とする中毒情報データベースや書籍などから情報を補足する。

  2. 化学剤以外の中毒物質の場合

    「医科向け中毒データベース(JP-M-TOX)」を検索し、得られる中毒情報を該当機関に提供する。 これは、JPICが独自に開発した中毒情報データベースである。シアン、ヒ素、アジ化ナトリウムなど の集団中毒事件に使用された化学物質をはじめ、722種類の化学物質の中毒情報を収載している。さら に必要に応じ、化学剤の場合と同様にPOISINDEXおよびその他の中毒データベースや書籍などから情報 を補足する。

(2)起因物質が不明の場合

 JPICでは、最初に推定起因物質が化学剤であるか否か絞り込むために、診断補助システムの一つであ る「化学兵器くん」を利用する。これにより起因物質が化学剤以外の化学物質と疑われる場合には、 さらにもう一つの診断補助システムである「中毒くん」を利用する。

  1. 化学兵器くん

    中毒症状7系列43種類、臨床検査結果の異常5種類をキーワードとし、7種類の 化学剤の類型のいずれかを推定するJPIC独自の診断補助システムである。

  2. 中毒くん

    問い合わせ者とJPICの双方向の情報交換を行うことにより、中毒症状や異常臨床 検査値から起因物質を絞り込むシステムである。対象物質は、i)全身毒性の強いもの、ii)過去の事 件に用いられた物質、iii)解毒剤の存在する物質とし、75物質群488物質に限定している。また、過去 の薬毒物事件について発生状況などを参照できる「事件中毒くん」を同時に搭載している。

  3. 日本中毒情報センター登録中毒専門家メーリングリスト

    以上の診断補助システムにより起因物質がさらに絞り込むために、JPICに登録し ている中毒関連分野の専門家と情報交換を行う。

     最終的には、以上の過程を経て絞り込まれた推定起因物質について、得られる情報を該当機関に提 供する。

4) JPICホームページへの情報公開

 化学テロ・化学災害発生時には可及的速やかにJPICホームページのニュース欄に中毒起因物質 の中毒情報を掲載している。さらに、会員向けホームページでは「医師向け中毒情報データベース」 のほか、「科学兵器等中毒対策データベース」、「救急隊員向け中毒データベース」、「保健婦・薬 剤師・看護婦向け中毒データベース」の各種のデータベースを公開している。このほか解毒剤情報、 分析施設情報、文献情報、JPIC職員が執筆した雑誌・新聞など掲載記事の紹介などを掲載し、情報提 供を行っている。

5) おわりに

 JPICでは化学テロ・化学災害発生時に、原因物質が不明な場合でも初動活動の参考になる中毒情報が 提供できるよう、その対応体制を強化している。さらに、JPICで受信した過去の化学災害事例を整理 し、発生頻度の高い化学物質から化学災害対応を含めた中毒情報の再整備を行っている。

 JPICの整備された中毒情報と豊かな経験、さらに中毒専門家、関連諸機関との強力な連携体制 をもって、化学テロ・化学災害発生時に迅速に対応していきたいと考える。


被ばく医療におけるヨウ素剤投与の医学的問題点

(長瀧重信、放射線事故医療研究会会報 3(1) 1-5, 1999)


わが国における緊急被曝医療の問題点

 原爆被爆者援護、反核運動、平和運動、さらに原子力の平和利用に関する賛否の運動などは、日本の 社会において正当な討議の場所があるのに対し、責任体制も不十分、医師の知識や医療体制も不備の ままである。

甲状腺の防護

 放射線災害時の甲状腺の防護の方法として、

1) 避難:安全な場所に移動

2) 外出せずに室内に留まる:短半減期の放射性ヨウ素などが放射性下降物として降下している 時期には室内に留まる

3) 経口摂取の監視:放射性ヨウ素等を摂取した動植物の経口摂取の禁止

4) ヨウ素剤投与:予防的に年齢を考慮してヨウ素剤を投与

などの有用性が確認されている。以下、甲状腺防護の例としてヨウ素剤投与を取り上げる。

甲状腺防護とヨウ素剤投与

 チェルノブイリ事故に際して放射性下降物に汚染された地域で小児甲状腺癌が多発したこと、ポーラ ンドでは膨大な人数の子供に甲状腺の防護としてヨウ素剤が投与されたが副作用は非常に少なくない ことが明らかとなり、投与方法を見直す必要となった。

 そのため、国際的な機関からガイドラインが提案されていても、世界各国の現状は大きく異なってい る。たとえばアメリカでは原発事故の起こる可能性とヨウ素剤配布による精神的負担との比較、さら にヨウ素剤配布の経済的負担と事故被害者の医療負担や補償の比較からヨウ素剤配布を中止している し、反面、フランスでは10年間の地域住民を含んだ討論の結果、1997年から原発の5km以内の居住者に ヨウ素剤配布、5~10km以内の人も入手可能とした。WHOの世界31カ国の調査でも現実にヨウ素剤が自由 に入手できる国は約半数である。

ヨウ素の体内動態

 吸入により摂取された放射性ヨウ素は、その物理化学的特性に依存して呼吸気道へ沈着する。その一 部は血液中へ吸収され、また一部は気道の粘液絨毛運動によって口の方へ輸送され胃腸間へ飲み込ま れる。飲み込まれたヨウ素は小腸において完全に吸収される。一方、血液に入ったヨウ素は30%が甲 状腺へ取り込まれ、70%が直接尿中へ排泄される。血液中での半減期として、0.25日がとられてい る。甲状腺ホルモンに取り込まれたヨウ素は、半減期80日で甲状腺から離れ、体内の他の組織へ移行するこれらの組織における半減期は12日である。組織中のヨウ素の80%は無機ヨウ素として血液循環へ戻り、20%が糞中に排泄される。今回、ヨウ素の体内動態をシュミレーションしたところ、イ)甲状腺放射能は摂取30時間後に最大に達し、その後、半減期約7.5日で減少する、ロ)残留曲線の形は、その性状に依存し、残留率の最も高い元素状ヨウ素と最も低い1μm粒子とでは2.6倍以上の開きがある、などが示された。また、これにより、従来から言われているように、甲状腺放射能が比較的早期に達することから、安定ヨウ素は摂取後早期に投与する必要のあることが示されている。

健常者における過剰ヨード摂取時の甲状腺機能に関する今迄の報告

 健常成人ではヨードを過剰摂取しても、ラットに見られるようなヨード有機化阻害による急性のホルモン合成抑制効果は認められない。これは、人の甲状腺内にホルモンのレベルを一定に保つ自己調節機能が働くものと考えられる。しかし、最近行われたヨード製剤反復傾向投与試験では、過剰ヨードにより血中遊離T4低下とTSH増加と、正常範囲ではあるが有意な逆相関の変動を示していたことより、自己調節機能にも下垂体の作用が関与することが示唆された。しかし、今回使用した程度(約30mg/ 日)の過剰ヨード量では、健常成人において正常範囲内での甲状腺機能の変動が確認されたが、安全性を損なうものではなかった。

日本人の対策に対する提言

 日本人の特徴として

1) 日本人は海藻類を摂るヨード過剰摂取国で、少なくともヨード不足はいない。

2) しかし、日本人の場合は、概して甲状腺の取り込み率が低く、生物学的半減期も短いと考えられている。

などがある。その他、日本人の核に対する認識、事故に対する配慮および反応の程度、などを考えて、単に外国の真似をするのではなく、日本の特徴を踏まえた対応策を作るべきであると考える。


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