災害医学・抄読会 2005/11/25

失敗学と安全・防災

(畑村洋太郎ほか:2003予防時報 213: 20-29)


 この座談会の司会である北森氏は安全問題に関わり始めてから「安全は経験に学ぶ分野で、非常に 体系化できていない」と感じた。そこで、今、様々な分野において注目されている「失敗学」の本 を出版し、失敗を体系化した畑村氏との座談会を開いた。この「失敗学」は安全・防災にも活用で きると北森氏は考える。

 畑村氏は学生に講義をしていた際に、こうすればうまくいくという理論を教えても学生は真面目に 聞かないが、自分自身の失敗談や本で読んだ大事故などの話をすると、学生は興味を持ち、聞き耳 を立てたという経験から、「失敗」を扱った本を出版したり、講演を行ったりしていた。そこで、 一般人が読みやすいようにしてできたのが「失敗学のすすめ」であり、これが大変な好評を得た。

 今までの安全・防災に対する一般的な考え方は、一つ一つの事象を順番に考えて、それで落ち度が ないように、すべての場合をやり尽くすという順方向の演算が行われてきた。例えば、膨大な チェックリストを作って、定期的にチェックリストに従って全部点検するといった方法であった。 しかし、安全・防災を考えるときは、逆方向の演算でなければならないと畑村氏は考える。大きな 事故や災害が起こるとしたら、どういう脈略があるのか。事故が起こる前の段階では何があり、さ らにその前の段階には何があるのかを考えつくしていくと、順方向の考えでは抜けていたものが見 えてくるということである。ところが、これまでの日本は、海外から完成された技術を輸入し、欧 米を模倣するのみで、そのプロセスについては全く関心を持たなかったために、プロセスの技術的 な破綻の結果として事故や事件が起こるということを認識していなかった。そのために、逆方向に ものを考える方法が浸透してこなかった。

 畑村氏は「失敗学のすすめ」で失敗事例のデータベースについて書いており、失敗の起こる代表的 な脈略を知ることが重要であると述べている。自分の失敗は他人に言いたくないという意識が強い 日本人の文化においては、失敗の経験が個人の財産としてしか蓄積されず、なかなか一般化されな かった。そこで、畑村氏は失敗を生かせるように誰が見ても理解できるように失敗知識をデータ ベース化しようとしており、そこから、いくつかの事例でいいから、徹底的に学んで、現場で生か すべきあると考える。

 「失敗学」で提起されている問題が世の中に広まってきており、世の中もそれを受ける時代へと変 わってきている。畑村氏は、近い将来には、自分で行動して、自分なりに感じたり考えたりした人 でないと物事を経験したことにならないと、誰もが思う時が来ると考える。そういう体感・実感を 持とうとする人たちが世の中に出てくれば、誰かが決めたことを上手に守っていればよかったこの 50年間の日本とは違う、この「失敗学」で言っていることをごく当たり前にみんなが考え始めるだ ろうと述べている。


被災者の心のケア

(林 春男ほか:病院防災の指針、日総研出版、1995、p.81-88)


 この論文では,災害後に起こりやすい被災者の感情と行動を提示され,さらに被災者自身がどの ようにこのような時期を乗り越えるべきかを紹介している.

 被災後に起こりうる感情として,恐れ,無力感,悲しみ,願い,うしろめたさ,怒り,恥ずかし さ,失望感,思い出,希望,が挙げられている.身体の変調については,疲労感,不眠,悪夢,記 憶障害,集中力喪失,めまい,発汗,ふるえ,呼吸困難,下痢,首や背部の痛み,体のこり,生理 不順,性的関心の変化などが一般的に見られる.これら諸症状は,上記の感情と同時期に出る場合 や,災害から何ヵ月も経ってから現れる場合などがある.

 また,災害によって家族・社会関係にも変化が出てくる.この変化には二面性があり,一つは災 害をきっかけとして新しい友人や集団の絆が生まれることである.問題はもう一方の,既存の関係 に歪みが生じる場合である.これは,災害による環境・心境の変化から,自分が大切にされていな い,相手の気遣いがかえって負担となる,思い通りに相手に何かをしてあげあれない,等の感情が 生まれ,それまでスムーズであった人間関係に歪みが生じるものであり,大きなストレスとなる.

 このような精神的,身体的,社会的変化が原因で災害後は事故を起こしやすくなったり,飲酒や 喫煙量が増加したり,催眠薬や精神安定剤の服用機会が増加することがある.

 災害後のこの時期を乗り越え易くするためには,次のような認識や行動が必要である.無感動・ 無関心になる時期がある事を知る事.災害時には多くの不幸が重なり,それを一度に受け入れる事 が出来ず,一時的にこのような状態になりうる.これは受容の一過程であり,決して「自分は冷た い人間だ」などと卑下する必要はない.また,他人を手伝うなど様々な事に積極に関わる事で気分 が楽になるので,適度な積極性をもって生活することが勧められる.そして現実を受け入れる為に も,現実から逃げない事.葬儀への参加や,損失の調査,被災現場に戻る事は,どれも辛い事であ るがこの様な行動から現実の受け入れる事が可能となっていく.同様に,災害の体験についてよく 考え,それについて語る事も重要で,災害の光景を繰り返し夢に見るたり,子供達が災害ごっこを して遊んだり,災害の様子を絵に描いたりする事も受容の一過程であると考えられている.さら に,他人の善意を拒否せず受け入れる事も大切である.そして,これらの複雑な感情を整理するた めに,一人きりになる時間も必要である.

 上記の事に注意しながら生活していくことで立ち直ることができる.しかし,それでも専門家の 助けが必要となる事がある.それは,災害後長期にわたって緊張感・混乱・空虚感・疲労感や悪 夢・不眠が続く時や,人間関係に問題を抱えた時,仕事に集中できなくなった時,自分の気持ちを 打ち明ける相手がいない時,飲酒・喫煙・服薬の量が多すぎる時,事故を起こして混乱してしまっ た時などである.


災害に関する法律

(酒井明子:黒田 裕子・酒井明子監修、災害看護、東京、メディカ出版、2004、p.59-67)


はじめに

 日本はプレートの境界が周辺を横切っており、活断層も多く地震が発生しやすい。また、台風の進路に当たる位置にあり、環太平洋火山帯の上に位置している。

山が多く平野が少なく、河川の勾配が急であることも災害が発生しやすい自然環境にあるといわれている。これまでにも地震、噴火、水害など多くの自然災害が発生し、人々は多くの被害を受けてきた。このような災害で被災した人々の生命と生活を守るための法律がある。災害に関する法律として、災害対策基本法、災害救助法などを中心に取り上げ、災害時、どのような法律によってどのような支援が行われ、被災者および援助者の生命や生活がいかにして守られているのかについて述べる。

[災害対策基本法]

 災害対策基本法は災害対策の最も基本となる法律である。災害が発生したときの国、地方自治体、住民の責任や災害対策本部の権限を定めている。災害対策基本法は1959年(昭和34年)の伊勢湾台風と1960年(昭和35年)のチリ地震津波が契機となり整備され、1962年(昭和37年)に施行された。1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災は大規模な都市型の地震災害であり、法の予想を超える災害となった。災害に対する準備不足や対応の問題もあり、これを機に災害対策全般が見直された。最近では、東南海・東海地震による被害を予測的に想定した事前の細やかな検討がなされつつある。

 災害対策基本法の内容・・・災害対策基本法では、総合的かつ計画的な防災行政の整備および推進を図るために下記のような内容が規定されている。

  1. 防災責任の明確化

  2. 総合的防災行政の推進

  3. 計画的防災行政の推進

  4. 激甚災害などに対する財政援助

  5. 災害緊急事態に対する措置

[災害救助法]

 1946年(昭和21年)の南海地震を契機として、1947年(昭和22年)に災害救助法が制定された。災害救助法は、災害に際して国が地方自治体、日本赤十字社、その他の団体および国民の協力のもとに応急的に必要な援助を行い、災害に遭った者の保護と社会秩序の保全を図ることを目的としている。

 災害救助法の内容・・・災害救助法で定められている具体的な内容を以下にあげる。

 救助の種類:1)収容施設の供与、2)炊き出し、その他による食品の給与および飲料水の供与、3)被服、寝具その他生活必需品の給与または貸与、4)医療および助産、5)災害にかかった者の救出、6)災害にかかった住宅の応急処置、7)生業に必要な資金、器具または資料の給与または貸与、8)学用品の給与、9)埋葬

 救助は現物によって行うことが原則であるが、都道府県知事が必要と認めた場合は、救助を必要とする者に対し金銭を支給することができるとされている。

[被災者生活再建支援法]

 被災者生活再建支援法は阪神淡路大震災の教訓を踏まえ制定された。自然災害により著しい被害を受け、自力で生活を再建することが困難な者に対し、自立した生活の開始を支援することを目的としている。都道府県が拠出した基金を活用し、生活必要物資の購入や住宅移転費として、国からの補助により世帯あたり100万円を上限として支給することが定められている。

[災害弔慰金]

 災害弔慰金の支給は次の3つに分けられている

  1. 災害弔慰金の支給:死亡した住民の遺族に対して、生活維持者が死亡したときは500万円、その他の者が死亡したときは250万円が支給される。

  2. 災害障害金見舞金の支給:自然災害のうち精神または重度の障害を受けた住民に対して、生活維持者には250万円、その他の者には125万円が支給される。

  3. 災害援護資金の貸付:災害により負傷または住居、家財に被害を受けた者に対して、350万円を限度額として貸し付ける。

[災害に際し応急措置の業務に従事した者にかかる損害補償に関する条例]

 この条例は災害対策基本法に基づき、災害従事命令により応急処置の業務にかかる損害補償について定めている。損害補償は補償基礎額を基準とするが、労働基準法に規定する労働者か否かによって異なる。各損害補償の支給金額は下記の通りである。

  1. 療養補償:従事者が負傷または疾病にかかった場合は、療養に要する費用を支給する。

  2. 休業補償:従事者が負傷または疾病にかかり療養のため以前の業務に服することができない場合は、1日につき補償基礎額の60%に相当する金額を支給する。

  3. 障害補償:従事者の負傷または疾病の治癒後、身体障害が残るときは障害の等級に応じて、補償基礎額に定める倍数を乗じて得た金額で有利な額を支給する。

  4. 遺族補償:従事者が死亡した場合は、遺族に対して補償基礎額の1000倍に相当する金額を支給する。

  5. 葬祭補償:従事者が死亡した場合は、葬祭を行う者に対して補償基礎額の60倍に相当する金額を支給する。

  6. 打切補償:療養補償を受ける者が、療養補償開始後3年を経過しても負傷または疾病が治らない場合は、補償基礎額の1200倍に相当する金額を支給して打ち切る。


被災地からの提言

(大田紀子ほか:病院防災の指針、日総研出版、1995、p.29-37)


 神戸県西宮市は、阪神大震災で非常に大きな被害を受けた。仁川地区の土砂崩れなど死者は約 1000人にのぼる。そうした中で県立西宮病院は建物自体に大きなダメージを受けず、災害医療 の中核病院として活躍した。震災のダメージからようやく立ち直りつつある1ヶ月後に病院を訪 問、看護次長2名から地震当日の看護部の対応を中心にお話をうかがった。

■地震当日の被害

 建物、機器の被害が大きく、ナースステーションの中のガラスや冷蔵庫、本棚が全部壊れていた。 片付ける暇がなく、そのままで業務を行った。電気は自家発電が作動した。病棟を回るが骨折疑い が1,2名でそのほか大きな怪我なし。その後、外来に患者さんたちが殺到してパニック状態とな る。

■地震直後の体制

 夜間用の処置室と内科外来6診すべて処置のためを解放し、対応。患者は外科的処置がほとんどで 診察は6部屋だが、隣の泌尿器科を使用し8室で治療。患者は1日で300〜400位こられた。 カルテは作る暇がなくメモ用紙。ベット、ストレッチャーが足りず畳・戸棚に寝かせて運んで来た 患者さんをそのまま廊下でまたせた状態だった。診療に関する検査はできず、レントゲンも断水の ため5時間ほど使用できなかった。オペ室は1部屋使用できる状態にし初日に4例オペを行った、 手指の消毒は断水のため手袋を何枚か着用して行った。水道は復旧するまで給水車で補給、ガスは 復旧まで1週間ほどかかった。

■地震当日のスタッフの確保

 当日勤務のほとんどの看護婦は来られ、さらに休みを取っている看護婦も来てあわせて平常の数に はなった。その後日勤の人が超過勤務でそのまま準夜までいてくれたので、人では十分にあった。 さらにボランティアの人が加わった。地震から2,3日たって患者の数が落ち着きだすと、看護職員へ の対応が忙しくなった。遠距離から通勤している職員、また家が全半壊して住めなくなった職員へ の止まる場所の確保、看護婦の仮眠所の確保などの問題点があがった。

 看護婦の宿泊場所は病院内で空いている場所を探し、マットと敷き毛布を用意して休ませた。 勤務体制は外来が大変だったので病棟の勤務体制を休日体制とし、余力を外来や、水の補給、救援 物資の整理に応援をした。

■医療薬品等の充足状況

 当日、薬剤部から医師のほうへ処方を控えてほしいとの指示があり、程度の軽い患者にはほとんど 薬は処方されなかった。翌日から、慢性疾患や喘息、心疾患、インスリンに関しては1週間分の処方 が確保された。抗生物質は3日分が処方された。また、滅菌ガーゼなどの物品が足りなくなったが、 衛生材料業者等から大量にいただいた。交通網の麻痺で朝に依頼した衛生材料の補給は夕方になっ た。

■救急とのホットライン

 ホットラインはほとんど機能しておらず、病院へ承諾を取る暇がない状態なので、救急車や消防車 で負傷者を一方的に搬送されてくるケースが多かった。救急センターはパニック状態で救援の医 師、看護士で対応した。

■時間の経過と患者状況

 初日の午前中は切創、裂創の患者さんがほとんどだった。それから、引きずり出されたためにでき た圧迫創、挫滅創、骨折の人に変わってきて、そのうち、亡くなった方が次々と運び込まれてき た。翌日も切創、裂創、骨折が中心だった。3日目から咳が出る、のどが痛い、熱が出た、といった 患者さんが増えてきて、風邪が多かった。避難所で風邪を移された、という方が多かった。1ヵ月後 にはストレスで疲れた患者さんが来るようになった。

■震災の経験を踏まえての提言

 非常時に備えて多目的な部屋を作っておく事が必要、例えば遺体を安置する場所、非常時の職員の 仮眠室、食事の確保など。物資、医薬品は最低2〜3日分は必要で、阪神大震災は冬だったので、 水などを余分に確保しても腐らなくて良かったのだか、夏だったら食中毒が高率で起こっていたと 考えられ、季節、食べ物により備蓄する物と量は異なってくると考えられる。

 水や薬品についても1つの病院が持っておくというのではなく、地域や市で1ヶ所にまとめて備蓄 しておいた方が良い。個人の医院・小さい病院・ボランティアで医療活動しておられる方が大きい 病院からガーゼ、消毒薬をもらうのではなく備蓄している所へ行ってもらうというシステムがこれ からは必要である。

 また、事故のためのマニュアルはあるが、震災で機能しないことがわかった。今回の震災ではその 部署で必要に迫られて、行動をしたがその時には的確な判断が求められた。これには日頃の教育 と、訓練が必要になってくる。


新潟県中越地震を振り返って

(内藤万砂文:プレ・ホスピタルケア 18: 16-29, 2005)


■地震の状況

 10月23日(土) 17時56分、震源地は新潟県中越地方の震度7(M7.4)を第一波と しその後2時間の間に震度5以上の地震が相次いで11回襲来し、広範な土砂崩れ、道路家屋の倒壊、 ライフラインの遮断や新幹線の脱線などを来した大地震であったが、人的被害は比較的少なかっ た。

■被災地の基幹病院の立場から

 長岡市(20万人)は新潟県中越地方の中心に位置する。長岡 市内には500床超の総合病院が当院を含め3つあり、当院は中越地方では唯一の救急救命センターで ある。今回の被災地である小千谷市、十日市市、川口町、山古志村はいずれも当院の三次医療圏に 属している。今回の地震においては3病院の機能は損なわれず、長岡市内のアクセスも保たれてい た。

 3回目の揺れでも病院は、電気も消えず大きな損傷もなく混乱した様子はまだなかった。そんな 中、受入体制のチェックからとりかかった。まず、患者IDの発行は中止しトリアージタッグ番号使 用とした。単純Xp、CT撮影には支障がなく、血液検査も生化学検査を除き可能であった。救急外来 入り口をトリアージエリアとし、さらに夜間入り口すぐ隣りのリハビリセンターを軽症エリアとし 簡易ベッドを40台設置した。この配置は従来からの受入訓練で決まっていた。震度5以上で職員は自 主登院する決まりのため、1時間で100名、2時間で300名の職員が集まった。

 時間の経過ととも に、救急車による搬入が始まったが、打撲や熱傷などの軽症者が多く、救急車搬送例といえども軽 症エリアに振り分けられる例が少なくなかった。徒歩での受診者も増えてきた。発災24時間で296名 が受診し、うち救急車搬送は84名であった。93名が中等症以上で42名が入院となった。最重症例は 骨盤骨折で血管塞栓療法を必要とした例であった。いずれのエリアでもさしたる混乱はなかった。 ライフラインが途絶した地域からの透析患者の受診、入院は予想していたが、停電による在宅酸素 療法患者の入院や倒壊が懸念された病院からの入院患者の受入れは予想外であり、徐々に空床確保 が困難になっていった。発災72時間で受診者が431名、うち救急搬送が140名、中等症以上が151名で 73名が入院となり、ベッド確保が最重要課題であったが、入院中の慢性疾患患者を救急隊の協力で 被災のない病院に転送できたため、地震関連患者の受入れに支障を来すことはなかった。

 災害時に 最も重要になるのが情報である。搬送救急隊からの情報、発災翌日の24日未明から長岡市内の大き な避難所8箇所を巡回した結果、長岡市内では山沿いの地域の被害が大きいが全般的に道路のアク セスは保たれていること。また、長岡市における医療環境は温存されており(どの避難所にも市医師 会の医師による診療が行われていた)、救護活動は急務ではないことが判明した。しかし、その後強 い余震が異常に長く続いたため被害が拡大し、その結果一部の地域では救護活動が必要な状況と なった。

 25日には甚大な被害を被った山古志村の全村避難が始まり、全員が長岡市内の避難所に移 動することとなったため、心のケアも必要な状況との判断から、直ちに同村の避難所を訪れ救護活 動を開始した。翌日からは北陸・中部・東海の赤十字病院から応援救護班を派遣してもらい巡回診 療をお願いした。巡回診療の対象疾患は時間経過とともに変化し、当初は慢性疾患の薬の手配や地 震発生時のけが、やけどの処置が多かったが、その後は衛生環境のよくない体育館での集団生活に 起因する上気道感染症が猛威を振るった。2度、3度罹患される方が多く、後半には感冒性胃腸 炎、喘息性気管支炎の方が多くみられた。高齢者の多い村であるため重症化させないことを目標と し、まずまずの成果をあげられた。

 救急隊との連携は極めて潤滑に行われた印象がある。以前から 当院が行う救護訓練、救急講習会や救急カンファレンスには近隣の救急隊がいつも参加・協力して くれるため、顔の見える関係が事をスムーズに運んだのだろう。地震1週間前の院内受入訓練でも 救急隊、消防隊、救助隊が50名参加してくれた。その日頃の訓練と救急隊との連携の重要性を再認 識させられる貴重な経験となった。

■小千谷総合病院(287床)では

 旧棟では天井の配管が破れ大量の水が降り注いだため、入院患者 223名を隣接する比較的安全な新館1階に避難させた。その際、毎年消防署の協力を得て大掛かりな 避難訓練を行い、マニュアルも整備されていたことが大いに役立った。一方、1階の外来救急室に は地震直後より救急患者が殺到した。また電話も通じにくくなり21時には全くの不通となった。4 本確保されていたはずの災害対応回線にも配電盤に水が入り接続不能となった。

 自家発電システム は水冷式であったため、地震による揺れで給水管が破裂しタンクが空になり、自家発電が停止し3 名の人工呼吸器装着患者に対しては蘇生バッグを手もみして人工呼吸を継続した。人工呼吸を要す る患者は被害の少ない病院に転送する必要があるため、救急隊の無線の助けを借りることで対応し た。他の入院患者はけがもなく避難し、必要な治療が続けられた。通信手段の確保と自家発電装置 の維持については大いに反省させられる結果となった。この経験を今後システムの改築に生かすこ とを検討している。

■埼玉県の消防救助隊の立場から

 23日19時に6件の救急出動後に緊急消防援助隊の出場準備命 令を受け、現場で必要であると考えられる救急資器材を準備した。内容は大規模災害用外傷セッ ト、毛布5セット、各種酸素投与カニューレ、吸引ホース10セット、酸素ボンベ、特定行為気道確 保5セット、除細動バッテリー・パット3セット、消毒セット。24日の7時に派遣命令、17時に長 岡市入り、翌日7時より活動開始した。

 1、小千谷市内公園を拠点に山岳地帯からヘリで救出された 被災者をヘリポートで医師がトリアージし、応急救護所または医療機関へ救急搬送。
 2、小千谷市内 の医療機関に入院している被災者の転院搬送。
 3、小千谷市周辺で発生した救急事案への対応。
以上が現 場派遣救急隊の活動であった。19時に撤収命令が入り、26日に解散となった。活動を振り返って、 本災害は外傷より疾病に起因した傷病者が多かった。そのため輸液セットは医師との連携で非常に 有益であった。医薬品が絶対的に不足している初期活動を考慮し、事前準備の段階で多く用意して おくべき資器材であると考えられた。

 また、自隊の安全管理を考えると連続4日勤務となったため機 関員の疲労は心配された。情報が混乱する中難しいとは思うが理想は派遣前の休養と救急隊を4人体 制にして交代要員を確保する等の処置が必要であると感じた。被災者の方々が行く先々で手を振り 温かい言葉を掛けてくれたことが印象的であり、この仕事について本当に良かったと思える場面 だった。


多数傷病者発生事故における東京消防庁の救助救急活動体制について

(横山正巳:Emergency Care 18: 716-723, 2005)


はじめに

 大事故における救命救急活動は、関係各機関との緊密な連携活動が大きな鍵を握る。本稿では、東京消防庁の救助救急活動体 制を通じて、医療に携わる方々に消防部隊の活動を理解していただきたい。 災害に取り組む消防組織 災害(disaster)は、1)短時間に限局した地域で発生、2)その地域での処理能力を超え、地域外からの救援が必要、3)多数傷病 者の発生する非常事態、の3要件を称して定義づけられている。また、しばしば混同されやすい多数傷病者発生事故や大事 故、集団災害、大災害の言葉の定義としては、多数傷病者発生事故や大事故が、その地域での消防力や医療施設などの収容・ 診察能力で対応が可能な災害であるのに対し、地震などの大災害は、地域での処理能力をはるかに超える災害という違いがあ る。

多数傷病者発生事故に対応する出動体制

 多数病者発生事故における消防活動は、事故を鎮圧するための消防活動、救助活動、救急活動の3つに分類され、これらは並 行して行われる。

 消防部隊の出動は、各種災害に適応する出場計画に基づいて効率的に運用される。主に1)救急特別出場計画、2)救助特別出場 計画、3)大規模災害出場計画の3つがあり、救助事象の規模に応じて救急部隊の出動数が決定される。

多数傷病者発生時における救助・救急救護体制

 救助・救急活動の原則は、1)傷病者の救助・救護活動を最優先させる、2)救命処置と傷病者搬送を優先した救急活動を行う、3)関係機関との連携をとるの3つである。

 消防活動は組織活動であるため、災害現場全体の活動の中枢となる現場指揮本部を設置する。また、救急活動方針の決定と徹 底をさせ、効率的な活動を発揮するために救急指揮所を設置する。さらにこれらの連携を深め、担当局面の消防活動方針の決 定と徹底のために、前進指揮所を設置する。以上の指揮の下で、現場救護所と各救急隊、担架隊が活動することになる。現場 救護所では、トリアージ担当、現場処置担当、搬送指示担当にわかれて救急隊員が任務を果たす。多数傷病者発生時の救急隊 の任務は、可能な限り救急隊員の増強をすることと必要質器材を積載し、搬送することである。担架隊の任務は、災害現場か ら歩行不能の傷病者を現場救護所のトリアージポストを経由して救護所まで収容することである。

DMAT (Disaster Medical Assistance Team)との連携活動

 東京都では、専門的なトレーニングを受けた医療チームが災害現場に急行し、救助・救命活動する消防隊などと連携して救命 処置などの災害医療活動が早期に実地できる機動性を有した災害医療派遣チーム「東京DMAT」を2004年8月2日に創設した。東 京DMATは、災害発生時の初動から救助隊員などの救助・救急活動と一体となり、「Preventable Death(防ぎえた死)」を防ぐ ため、傷病者の救命はもとより、その機能予後を改善させ社会復帰することを目指して、組織的な活動を展開する総合的な救 助救急医療活動体制を担っている。今年度、全国的にDMATの体制を整備していくといわれているが、災害現場でDMATが効率よ く活動するための提言を以下、述べる。まず、災害現場は常に二次的災害の危険性と悲惨性、群集の目といった特異性がある ため、それに耐える十分な研修と訓練が必要である。次に災害現場における活動についてだが、DMATの個別的な判断による活 動は危険が伴うため、東京DMATではDMATリーダーを核とした指揮官の下に活動体系を取り、消防の現場指揮本部長の指揮下に 入って活動している。従って、活動体系と指揮体系を理解し、順応する事が大切である。また、複数のDMATが出動した際にそ れを統括する指揮官の決定や活動方針について事前にルール化しておく必要がある。最後に災害現場での安全確保の優先順位 は、自分の安全がまず最優先され、次に現場の安全、3番目に要救助者の安全である。活動の際は安全が最優先し、二次的災害 による被害者を絶対に出してはならない。以上のことを踏まえ、DMATが全国で発生するであろう災害活動で機能を発揮するこ とを強く望む。


災害に対する危機管理

(辺見 弘:OPE nursing 19: 950-955, 2005)


はじめに

 世界では毎年150〜200件の災害が起き、15〜20万人の死者が出ている。

 災害の予知が可能であれば被害は激減できるが、ほとんどの災害において、予知は現段階では不可 能と考えられている。しかし、適切な計画に基づいた防災計画を確立することで、災害予知は不可 能でも被害は軽減可能である。

 防災対策としては

  1. 災害に備えインフラの整備、備蓄
  2. 災害発生に対しての救出、救助、緊急医療、広域搬送
  3. 復興
が必要である。

 医療は災害全体に占める割合は多くないが、生命、健康を守ることであるから優先度は高いといえ る。

起こりうる災害

 東海地震、首都直下型地震、南海大地震などは明日起きても不思議ではないと危惧されており、そ の他にもさまざまな地域で大地震と津波の被害が予測されている。また、人為災害としてイベント での集団事故やNBC(nuclear,bio,chemical)テロ、爆発テロなどが危惧されている。

災害の周期

 災害の周期には 静穏期→災害準備期→発生直後→急性期→亜急性期→慢性期→復興期 があるが、東海地震、首都圏直下型地震などは、計画、訓練、備蓄を必要とする準備期にきてい る。また、NBC災害では除染や防御服の準備がない状態では壊滅的な被害が予想されるため準備が必 要である。

災害に対する国の危機管理

 阪神大震災での情報の遅れの反省より、国は官邸内に 1)情報集約センター 2)危機管理官 3)危機管理センター 4)緊急参集チームを設置した。これらが情報を集約し緊急災害対策本部が設置される。

災害時の医療機関

 被災地では医療需要が急激に増大する。しかしインフラの破壊から医療施設の能力は大幅に低下する。重症患者の治療開始時間の遅れは致命的である。そのため災害発生後しばらく、各医療施設では平時の救急医療体制で重症者を救命するために、受け入れ可能人数が上限であろう。各施設とも重症患者を発生直後に同時に何人治療可能であるかを把握しておくことが必要である。

広域救急医療

 緊急事態宣言後に内閣府が進めているのは、広域緊急医療体制の確立である。これは被災地の患者を近県や遠隔地の病院に搬送するものであり、大災害時の医療の需要と供給のアンバランスを緊急対策本部を中心に調整するものである。現在このプランの実現に向けて自治体、厚生労働省、内閣などの間で調整中である。

DMATの育成

 災害現場に医師や看護師が駆けつける必要性は言うまでもない。しかし現場に出動する医療チームも自身の安全と安全装備の使用法に習熟する必要がある。そのため、東京都では東京DMAT(災害トレーニングを受けた医療チーム)を実施し、災害拠点病院で、救急救命センターをもつ施設から医師、看護師を選出して訓練を行い、試験に合格した7チームを都知事が任命した。

おわりに

 災害に備えることは医療機関としての危機管理である。しかしこの負担を施設単独ではなく社会全体で備えることが必要である。災害訓練をして常に問題となるのは待ち時間が生じ患者状態が悪化することである。平時から能率よく救急患者対応の改善を試みることが大切である。救急医療と災害医療は同じではないが、いずれも緊急性が必要である。

 われわれが可能なことは、施設の救急医療のレベルアップと地域としての救急医療体制の強化である。強化された救急医療体制の全国的な連携が災害に防げる死の減少につながる。


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