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平安仏の東北

平安仏の東北

                                (2016年10月22日 室月 淳)

わたしにとって過去にみた仏像の記憶は、そのときの心象に写った季節の感触と密接にむすびついているのですが、秋晴れのこの季節の風のにおいによって毎年思いだすのは、会津•勝常寺の薬師如来像です。

勝常寺では本尊であるこの薬師三尊のほか、収蔵庫は貞観仏の諸像が多くおさめられています。これらの仏像は、869年の貞観地震と大津波で荒廃した奥州の復興と、仏教の布教のために東大寺から会津に下向した高僧•徳一が建立したものとされています。貞観地震とは、東日本大震災がこの地震の再来といわれているものです。

東北は実は平安仏の宝庫です。9世紀から10世紀の東北は、地震のほか天候不良や火山の噴火などさまざまな天変地異にみまわれました。有名無名の僧や聖たちが民衆の救いのために立ち働き、各地で多くの寺院や仏像がつくられていったのだろうと想像します。

東日本大震災では1万8千人以上の死者行方不明者がでました。わたしたちはともすれば忘れそうになってしまいますが、死はひとつひとつが常に個人のものです。死ぬのはいつもそれぞれ個々の人間です。どんな状況下であっても、一個の死を抽象的な「震災の死者」としてひとくくりにすることなどできません。

1万8千人の死者とは、1万8千人がそれぞれの固有の経験として死をむかえたということです。わたしたちはそのなかのどれひとつにも無縁です。けっして死者にとどくことはなく、死を自分のものとして語ることはできません。生と死は永遠に隔絶されています。

何度もくりかえします。死者は沈黙しています。わたしたちが死者にかわって代弁することもできません。震災の死をかたることができるのは、苦しみ死んでいった者だけでしょう。わたしたちは死者の沈黙に耐えていくだけです。そしてなにも語らない死者たちとたえず向きあうことで、わたしたちは生の固有の意味を知ることになります。

一千年のときをこえていまに残る東北の貞観仏は、いまもむかしも決してあらわれることのない死者、語ることのできないその不在そのものが、歴史のなかに残す影のようなものかもしれません。わたしたちはそこに死者の経験ともいえるもの一瞬だけかいまみるのでしょうか。

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カウンタ 1134 (2017年5月18日より)