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震災のときのコンビニのことなど

震災のときのコンビニのことなど

                                  (室月 淳 2015年6月7日)

 

メディアでは震災や津波の被災地でのコンビニの奮闘の美談が多く紹介されていますが,わたしたちの周囲のふつうのコンビニの震災直後の状況は実際にはどうだったでしょうか? コンビニには災害時のマニュアルがあるはずですが,震災当日の対応は右往左往している感がありました.

わたし自身は病院に詰めていて直接の状況をみてはいませんが,人から聞いた話では,3月11日の夜は食料や水を求める多くのひとが殺到し,かなりの混乱があったようです.とくに多量の食品を買占めようとする人がいて,それをとがめる人と口論やいさかいがおきたりして,かなり殺気立った雰囲気となっていたと聞きました.

その後,一度に入店する人間を行列の先頭から5人などに限り,さらに一回の買い物では5品以内などと制限するなど,災害時の混乱に対するノウハウが徹底するようになって,混乱がおさまり秩序も戻りました.しかしその時点ではすでに店内に購入する商品はほとんどなくなっていました.

コンビニの機能はとくにすぐれた流通の賜物であり,震災時にはその流通が完全にストップするわけですから,すぐに機能不全に陥るのは当然でした.翌日にはほとんどのコンビニは店を閉め,おそらく防犯上の理由によって,ガラスの上にベニヤやダンボールを目張りとして貼って,外から店内が覗けないようにしていました.

コンビニが営業を再開したのは,地域や会社によって異なりますが,すこしずつ流通が動き始めた10日から2週間後くらいのことで,それも11時から2時間のみ,購入はひとり何品以内といったように限定した形ででした.流通システムに完全に依存しているコンビニは,震災の非日常のなかではまったくあてにはなりません.

その点で昔ながらの個人商店などは地元のコミュニティのなかで商売を行っているので,独自ルートによる食料の仕入れなどさまざまな臨機応変が効くためか,いちはやく商品の販売を行ってみなに感謝されていました.こういったときはふだんからの個人的なつながりが大きな意味をもってきます.

わたしのところにも個人的に親しい寿司屋の親方が,電気がなくて保存できないので悪くなる前にといって,タッパーに詰めた寿司飯をわざわざ届けに来てくれました.寿司飯にレトルトカレーをかけて家族でいただいましたが,奇妙な味の組み合わせにもかかわらずとてもおいしかったのを覚えています.

また今回の震災で印象に残ったことのひとつとして,商店などでの売り惜しみや値段のつり上げといったことがほとんどなかったことです.商品の値段が需要供給のバランスで決まるとすれば,食料品の値段がべらぼうに上がってもおかしくない時期があったのは間違いありません.

200円のカップ麺を10倍の2,000円で売るといわれても今なら買うな,100倍の20,000円といわれたらさすが迷うなどとわたしもそのとき思った記憶があります(笑).しかしコミュニティのなかでは,そのようなことをすれば一時的な利益は得られても,信用を失ってその後の商売に差し支えることになるでしょう.

流通の回復につれてコンビニでもすこしずつ品ぞろえが戻ってきました.缶詰やカップ麺といった乾物類が早かったのは当然ですが,なかなか入荷しなかったのは,パン類,乳製品,コンビニ弁当,アルコール類であり,最後の最後となったのは雑誌や書籍の新刊で,震災後1か月半くらいたったころでした.

震災から1か月近くたったある日,そのころにはめずらしくなっていたコンビニ前の行列がまたできていて驚いたことがあります.震災後にはじめてタバコが入荷し,販売開始の何時間も前から並んでいるとのことでした.寒い中を何時間でも並ぶほどタバコにたいする嗜好というのは強いのに強い印象をうけました.

今回の東日本大震災では1万8千人をこえる死者がでたといいます.そのほとんどが津波による溺死や凍死でした. 震災直後は流通が完全に停止し,われわれの周囲から食料が徐々に姿をけしたという状況はありましたが,それでもそれによる餓死者がでたという話はまったく聞いていません.

なんといっても被災三県は食料基地である広い田園地帯をかかえており,食べものはあるところには豊富にあったわけです.流通停止によって手に入りづらくはなりましたが,それぞれが親戚や友人,知りあいといった伝手をたどって,それなりに食料を入手してはみなで分け合っていました.

わたしのところの職場でも毎日のように,スタッフの誰かが実家などから手に入れた米を炊いてオニギリをつくり,それを差し入れしていました.わたしもありがたくご相伴させていただきました.一日ごとにそのオニギリがだんだん小さくなっていくのには苦笑せざるを得なかったのですが.

日常の食事は外食、消耗品購入はコンビニにでといったような、都市型の生活をおこなっているとすれば,大規模災害時にはかなり困ることになるのは必至です.また地元コミュニティと独立した暮らしでは、いざというときいろいろな面で不都合が生じてくるでしょう.

今回の震災がもし東京でおきていたとすれば, 1千万人以上の人口を養う食糧が都内にどの程度備蓄されているのかは知りませんが,流通停止はかなり悲惨な結果を生んだのではないかととても危惧しています.

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カウンタ 4224(2015年6月7日より)