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祈りとカウンセリング

祈りとカウンセリング − 「なぜ私だけが苦しむのか 現代のヨブ記」を読んで

                                  (室月 淳 2014年10月13日)

クシュナー「なぜ私だけが苦しむのか 現代のヨブ記」(岩波現代文庫)を読んでの若干の感想です.

著者はユダヤ教の牧師(ラビ)です.自分の息子が3歳で難病を発症し,14歳で亡くなります.本文中に明示はされていませんが,その記述から病気はコケイン症候群と推測されます.幼少期から老化所見がはじまり,ほとんどが10代はじめで亡くなるきわめて予後の悪い疾患です.治療法はいまのところ存在しません.

理不尽と思える不幸に見舞われた著者が,絶望の淵で,神とは,人生とは,そして苦悩とはなにかと問います.愛する息子におそいかかる不条理な死のために、神の善や公平を信じられなくなります.

ユダヤ教の経験な信者である著者は,それでも神学的解釈論にはまりこむことなく,息子の死の体験という原点にその都度なんども立ちかえっては考えつづけます.自らのこの悲痛の体験をもとに,旧約聖書を読み直し学びつかんだのは,すくなくともわたしにとっては驚くべき結論でした.

このような状況においては,「いったいわたしがどんな悪いことをしたのだ」という悲痛な叫びのすえに神の存在否定におちいりがちです.「全知全能だが完全には善でない神」と「全知全能ではないが完全に善である神」の二者択一をせまられた著者は,しかし,神の全知全能という信念を放棄したのです.

すべてのことは理由があっておこるのだと保証してくれる神を否定しました.この世界にあっては,正しいひとに不幸が確かにふりかかるが,それは神の意志によるのではない.神は完全に善ではあるがは全能ではない.世界は無秩序であり,理由のないことも生じえる.

すべての不公平なできごとを神の責任と考えることをやめ,神は道徳的価値観のよりどころとすべきというわけです.しかし,神は全知全能の存在ではなく,人が生きるにあたっての道徳的よりどころという思想は,きわめて東洋的な無神論的,というよりは汎神論的な考えかたに近づいていくのではないでしょうか.

神が全能でないのならば,ひとが傷つき苦しむときに神に祈ることにどういう意味があるのでしょうか.神は奇跡をおこしてくれるわけではない,かわりに復讐してくれるわけでもない,自分の勤めを神がかわりにはたしてくれるわけでもない.それならば祈りはわたしたちを助けてくれるでしょうか?

著者はこういいます.「祈りが私たちにしてくれる第一のことは,私たちをほかのひとと結び合わせてくれること」であると.同じような希望や痛みをもつひとたちと,祈りによってつながることができるようになるといいます.祈りによってひとは孤独から解放され救われることになります.

本の最後のほうで著者は次のようなエピソードを紹介しています.ある日突然,見知らぬひとから,母親が大手術を受けるので手術が成功するよう神に祈ってほしいという電話がかかってきました.祈ることによって神が手術を成功に導くとは信じない著者は,それでも祈ることをその見知らぬひとに約束します.

それではどうして祈るのでしょうか? 祈ることで著者はそのひとに伝えようとします。すこしだけ長くなりますが、本から以下にそのまま引用いたします.

「お母さんのことを気遣っておられるのですね.なにか悪いことが起こるかもしれないという,あなたの不安や恐れはよくわかります.私も,隣人の人びとも,あなたと同じ不安を抱いているということを知っていてください.たとえ会ったことがなくても,私たちはあなたと一緒にいるのです.なぜなら,自分があなたのような状況に置かれたらどんなだろうと想像することができますし,あなたができるかぎりの助けを必要とし,望んでいることも想像できるからです.

「私たちはあなたと共にいて,手術がうまくいくことをあなたと同じように祈り,願っています.ですから,一人でこの恐ろしい状況に直面しているとは思わないでほしいのです.私たちもまたお母さんの健康を案じ,回復を願っているということが,あなたやお母さんの助けになるのでしたら,どうぞ覚えていてください,私たちはいままさにそのように案じ,願っていることを」

幼い息子の死という極限状態で不条理に直面した現代のヨブは,神について,祈りについて,最後にこのような結論にたどりついたのでした.そして「祈り」がこのようなものならば,それは現代における「カウンセリング」の概念にかぎりなく近づくことになります.

われわれは,神を信じる信じないにかかわらず,祈りをささげることがあります.それはだれかを見いだすため,自分にとってもっともたいせつななにかを分かちあえるひとびとを見いだすためです.

祈りによって神がなにかをおこなってくれるとかくれないとかにかかわらず,また祈りによって現実がかわるとかかわらないとかにかかわらず,われわれが祈ることができるというそのこと自体が,ひととひととを結びつけ,結果的にわれわれを救ってくれることがあります.

病院で生まれたあと亡くなったり,死産した子は,「祈りの部屋」というなまえの場所でお別れをして退院していきます.公立病院だから無宗教の部屋ですが,そこでは両親も医者も看護者もみなが祈ります.宗教者でも無神論者でも,祈るというこの気持の一点においてつながりあうことは可能でしょう.

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カウンタ 2192 (2014年10月13日より)