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わが子をうしなったご両親の悲嘆と絶望

わが子をうしなったご両親の悲嘆と絶望をどうしたらすこしでもなぐさめることができるか

                                    (室月 淳 2014年9月6日)

 確 率

最初の子は生まれつきの重い病気で,さんざんに苦しんだあげくに3歳で亡くなった.常染色体劣性遺伝のとてもまれな病気と告げられた•••••こういったケースの遺伝カウンセリングでは,次の子がおなじ病気をもって生まれてくる確率は4分の1,すなわち25%と説明されます.

専門的ないいかたでは,同胞再発率が25%となります.再発率,あるいは危険率ということもありますが,こういった「確率」という数字で説明するやりかたはきわめて近代的,科学的ともいえるでしょう.客観的で正確な理解と説明というわけです.

しかし説明を受けるご両親にとっては,実際に生まれてくるこどもは病気にかかっているか,かかっていないかのどちらかでしかありえません.すなわち100%であるか,0%であるかです.25%の病気という状態は存在しないでしょう.このことはしばしば指摘されていることではあります.

だれでも10以上の病的遺伝子をもつキャリアであり,たまたま偶然にパートナーと共通した病的遺伝子をもっているとき,生まれてくる子は25%の確率でその先天疾患を発症する.そういった医学的事実はしばしばとてつもなく不合理な現実ですが,頭で理解できないことではありません.

しかし理解困難であるのは,なぜAちゃんは病気を発症して,Bちゃんは病気でなく健康なのか? Aちゃんが25%のいかにも不運な確率にあたったのにはなにか原因があるのか? なにがこの不運をもたらしたのか? もちろんその答はあきらかです.

なにかの原因があって不運にみまわれるのではない,それはもう,ただそういう不運がおこったということだけなのだ,ということになります.そのことを客観的な数字で表現したものが「確率」というわけですが,わが子が100%の病気であるのは時事である,それにはなんらかの意味があるはずだと思うのです.人間はすべてのものごとに意味を見いだそうとしますし,そういった人間は「確率」という考えかたはなかなか受け入れがたいものです.

人間には本質的にすべてのものごとに関連をもとめ,すべてのできごとに理由を見いだそうとする本能があるような気がします.もし,理由はない,ただそのことがおこっただけだということを受けがたいならば,そこになんらかの理由や解釈を必死にさがそうとするでしょう.

もしどうしてもその理由をみつけることができなければ,それがわからないのは人智をこえたものだからだと考えるようになるかもしれません.そこから運命とか全能の神という概念にたどりつくのは容易です.「苦難がおそうのは神の意思によるものである」ということになります.

しかし,あらゆるできごとにはそれぞれになにか特別の理由がなければならないのでしょうか.この世界には理由のないことは無数に存在するのではないでしょうか.それを端的に示すが「確率」なのでしょう.そこには理解を希求する本能をあきらめるようとするふかい諦観があるかもしれません.

わたしがここで考えているのは,わが子をうしなったご両親の悲嘆と絶望をどうしたらすこしでもなぐさめることができるか,です.もちろんどうにもなぐさめようもないときはかならずあって,それもけっしてみじかいあいだではありません.ほんとうにむずかしいことです.

もちろん「確率」という概念は,どんなに科学的に正しかろうと,ご両親にとってなんの救いにもならないのは自明です.「そんなに自分を責めないで.偶然におきたことなのだから」とか「この子が病気で亡くなったのは単なる確率の結果なのだから」などとだれもなぐさめないでしょう.

「ただそういう不運がおこったということだけなのだ」ということが真理だとしても,そのことがご両親をなぐさめることはまったくない.むしろその逆です.そうではなく,そこにはもっとふかいなにかがかくされていたかもしれない,と親御さんは考えます.

わが子の苦痛にみちたわずかのあいだの生にも,なにかふかい意味があったのかもしれない.あるいは人智のおよばないところでわが子の生が祝福されているのかもしれない.そんな物語がむしろご両親の心の救いになっていくことがあります.

それならば再発危険率といった医学的事実を主眼とした「遺伝カウンセリング」にいったいどんな意味があるというのでしょう.おぼつかない気がします.遺伝カウンセリングがカウンセリングのひとつであるならば,そこには「確率」をこえたなにかがもとめられます.それはご両親を理解させ納得させるものではなく,ご両親のこころになにかをとどける遺伝カウンセリングかもしれません.

 

 かけてあげられることば

赤ちゃんと死別したり,死産や中期中絶をした両親に,かけてあげられることばをさがしています.しかし外からはどんなことばもかけてあげられない,すなわちどんななぐさめも無効な時期は存在します.どんなことばもご両親にとどかない.

ひとがもし永遠に死なないとなればいったいどうなるでしょう.生老病死の苦しみはなくなり,親しいひととの死別の悲しみや嘆きもなくなり,この世の多くの問題は消滅するでしょうか? いやそうなると,ひとはこどもを産むことをやめ,世界にはなにもあたらしいことがおこらなくなりそうです.

それこそ「死んだ」ような世界になるかもしれません.それがひとにとってほんとうに幸せなことかどうか.現実の世界では,生まれて生きるものにはかならず死がおとずれますが,それは同時に死によってあたらしい生の誕生を呼びおこすことです.幸か不幸かひとは死すべき運命にあります.

世界の側からみればひとが死ぬのは必要なことであり,望まれること,いいことですらあります.しかしたとえばこどもを亡くした両親にたいして,「死はいいことだ」とは口がさけてもいえないでしょう.あまりに無神経ですし,あまりに残酷すぎます.

わたしたちがいえるのは,死とはこの世界に生きるわたしたちに与えられたひとつの条件であるということです.つらいことですが,死は克服することも,場合によっては延期することもできない.それではこどもを失った両親にたいしてはどうしたらいいか? 一般論や確率論はなぐさめにはなりません.

「なぜ?」とは問うことはできません.それはすでにおきてしまったことだから.問うことに意味のある唯一の問いは,「こうなってしまったわたしが,いますべきこと,できることはなにか?」です.そしてこの問いはひとからは与えられず,みずから,おのずから発せられなければなりません.

すなわちわたしたちという外からかけてあげられることばは存在しません.とまで言いきれるかわかりませんが,「なぜ」という自問自答の泥沼からぬけでて,「すべきことできることはなにか」と問えるように「促す」.などというのもおこがましく,せいぜい「祈る」ことなのかと思います.

祈りなどとはややおおげさですが、わかりやすくいうと、あいてになにかしてあげたい、力になりたいという気持でしょう。そう思える自分の気持があって、そしてその思いをとどけようとあいてに向きあうそのこと自体が、それだけであいてのささえになっていくのかもしれません。

ふかいかなしみに苦しんでいるひとのもとに行くのはつらい.ましてそのひととと向きあうのはさらにつらいことです.自分の無力さをつくづく思いしらされます.それでもそこにいてあげること.なにかをしてあげなくてもいい,ただそこにいつづけること.それだけです.

あいてにかけてあげることばは、なにも気の利いたものである必要はまったくないのです。自分を気にかけてくれると思えるだけで、あいてはもしかするとすこしだけ安心できます.あなたはひとりではないというメッセージがつたわれば、あいては自問自答の泥沼から,あるいはかなしみと絶望の淵から一歩ふみだす力になってくれることでしょう.

 

 わたしたちの願い

ものごとにはタイミングというものがたしかにあって,どのようにもなぐさめてあげられないようなときは必ずあります.どんなことばもかけてあげることはできない.しかしそんなときでもできることは確かにあります.悲しみにうちひしがれているひとのそばに黙っていてあげること.

だまって聞いてあげること.泣いていればそのまま泣く手助けをしてあげること.あたたかくだきしめること.ひとりぼっちにしないこと.どんな思いやりのあることばより,どんな哲学的なことばより,それはどれほどなぐさめられることでしょう・

こどもをうしなった悲しみは本質的におなじであって,状況によってただその形がちがうだけです.それは流死産や新生児死亡はもちろん,人工妊娠中絶であっても同じかもしれません.そこには喪失感,かなしみ,そして怒りがあります.中絶を選択した人間にはさらにそれに罪悪感が加わります.

そのひとそのひとの心がつよい痛みを感じています.それぞれには嘆き悲しむ理由が確かにあるのです.だから「そんなに悲しまないで」とか「世の中にはもっとつらいひともいるのだから」となぐさめることはだれにもできません.そんなときわたしたちが願うことはただひとつです.

あなたはこどもの亡くなったことを嘆き悲しんでいます.しかしいつかまた,この子が生きることのかなわなかった年月をあなたが生き,この子が経験できなかった生きることのよろこびをあなたが味わえるように.そういった願いこそが,声にはならないなぐさめのことばであると思います.

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カウンタ 4909 (2014年9月6日より)