靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

楊上善注の訓詁

『太素』巻26虫癰に,(句読は新校正による)
黄帝問於歧伯曰:氣爲上鬲,上鬲者,食飲入而還出,余已知之矣;蟲爲下鬲,下鬲者,食晬時乃出,余未得其意,願卒聞之。
楊上善注:晬,子内反。膈,癰也。氣之在於上管,癰而不通,食入還即吐出;蟲之在於下管,食晬時而出,蟲去下虛,聚爲癰,故須問也。
この「膈,癰也。」が,「膈」字の訓詁,「膈とは,癰なり」を載せたというつもりならば,それは誤りであろう。おそらくは「膈癰也。」で,「膈が癰している」であろう。そして,気が上脘に在ればただちに吐き,虫が下脘に聚まっていれば時をおいて吐く。

3月の読書会

 3月14日(日)午後1時~5時
場所はいつものところの 一階の会議室 です。以前,何度か使った部屋です。

霊枢は 論疾診尺 難経は 奇経八脈に関するところあたり を予定しています。
勿論,他のところについての質問も大いに歓迎。

品格

跳ねっ返りものを排除して,それで全体として弱体化,どうにもならなくなる,なんてことは無いのかしら?

え? いえ,サッカー日本代表のはなしです。

楊上善の注ってこんな具合

『太素』巻2調食
其大氣之槫而不行者,積於胸中,命曰氣海,出於肺,循喉嚨,故呼則出,吸則入。
楊上善注:槫,謗各反,聚也。……
原鈔の被釈字は,歴然として木旁に専である。専は專の通であるから,木旁に専もまた「槫」の通であろう。また「槫」は「摶」に通じるし,そもそも原鈔では木旁と扌旁は区別しがたいことが多い。その意味では「摶」としてよい。しかしながら反切からは,「搏」の方が相応しい。楊上善注には先に標準的な訓詁を書き,後にその場での意味を示すことがある。楊上善は専と尃を混同していて,音には咄嗟に「搏」を思い浮かべて「謗各反」とし,義では正しく「槫」と見て「聚也」と説明しているのかも知れない。楊上善注に「聚也」とあり,原鈔の傍書は「アツ」と思われる。「槫」に「アツ・ム」の語義は,普通の漢和辞典にも載るが,「搏」には見あたらない。なお,明刊未詳本『霊枢』は「搏」に作るが,趙府居敬堂本『霊枢』は「摶」に作る。
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2月の読書会

一月はお休みです。
二月は私の都合で、第一日曜日に変更です。
お間違え無きよう。

 2月7日(日)午後1時~5時
場所はいつものところの 教養娯楽室 です。

今年は難経読本(参加者限定配布の小冊子)と霊枢概要(ヒューマンワールド社)を叩き台にして、大いに突っ込んでもらうのを楽しみにしています。

二月七日は催しが多くて、駐車場が混み合っているかもしれません。そういうときはまあ、城趾に遊びにいくなり、隣の病院へ見舞いにいくなり……。

庚寅元旦

2010董奉.jpg
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喜忘苦怒善恐

井上雅文先生の『鍼灸師の医学を目指して』に紹介されているということで、上海の段逸山教授の『古医籍詞義弁別法』をぱらぱらとやっていたら、第八章・詞語関係の弁別の三、詞語の同異に:
狂始生,先自悲也,喜忘苦怒善恐者。得之憂飢。(『霊枢・癲狂』)
「喜」、「苦」、「善」は何れも「多く」と解釈する。……何れも形容詞に属する。
とありました。別にこの説明に文句をつけるわけではないけれど、これに相当する仁和寺本『太素』巻三十の驚狂は下の画像のようなんです。

驚狂.jpg
これって「憙忘喜怒喜恐」じゃないですかね。『太素新新校正』では「憙忘」をうっかり見逃して「喜忘」にしてしまったけれど、楊上善注中は「喜忘」の可能性が高いから、見逃して正解だったのかも知れない。それに「喜忘」は『太素』にしばしば出てくるが、「憙忘」は他には無さそう。そもそも「憙」字の用例が無いんじゃないか。
文字は異なるけれど、同じ意義に解す例というより、むしろ「喜」と「善」はしばしば書き誤られる例とするに相応しいような気がする。
また、『文語解』には:
善(よく)古文の法この字を動(ややもすれば)の意に用ゆ……岸善崩 師古注言憙崩也……倭語の「よく」にて能通ず動の意毎の意屡の意を含めり詩の女子善懐も同義なり猶多也の注は的當ならず
喜(よく このんで)通じて憙に作る……「このむ」の義よりして「よく」の義となる故に上の善崩を憙崩と注せり

2010年の読書会

1月はお休みです。内経医学会の新年研究発表ですからね。
2月はやる予定でいます。
ただし、私の個人的な都合により、第一日曜日になりそうです。
2月7日(日)午後1時~5時
場所はいつものところ

『難経』苦行 と しんどい『経』問い直し です。

初雪

初雪

ダイジョーブかオモシロイか

 日本内経医学会の会員諸氏に人気が高い『霊枢』の参考書というと、天津の故・郭靄春教授の『黄帝内経霊枢校注語訳』ということになるらしい。といっても、この会員諸氏は、「古株の」という限定つき。何故かって?この本は今やほとんど入手不能らしいから。
 で、しかたがないので、わたしなんぞは、『霊枢経校釈』を勧めている。この主編も郭教授だから、まあまあ佳いか、と。こちらなら今でも簡単に手に入る。
 『黄帝内経霊枢校注語訳』の編著と『霊枢経校釈』の主編が同じ人だから、内容も同じようなものかというと、そうはいかない。たとえば、九針十二原篇の冒頭ちかくの例の名文句は、「神乎神,客在門」と「神乎,神客在門」と。どうしてそんなことがおこるかというと、『校注語訳』は編著者の言いたい放大だけど、『校釈』のほうは主編者といえどもそう勝手なことはできない。『校釈』は中国が国家事業として、全国の古医籍専門家を総動員して、衆知を結集したシリーズで、この前には確か『訳釈』シリーズがあって、この後には『校注』シリーズがある。『黄帝内経素問校注』の主編は郭靄春教授で、『難経校注』の主編は上海の凌耀星教授。どちらも二十年ほども前の発行。なのに『霊枢校注』は未だに出ていない。きっともう出ないだろう。
 で、中国が威信をかけた『霊枢』の参考書は『霊枢経校釈』ということになりそう。だから、内容は偏らない、大丈夫なもの、のはずである。だから、最近も再版されて、容易に購入できる。ところが、内経の「古株の」会員諸氏に人気が高い『霊枢』の参考書は、『黄帝内経霊枢校注語訳』のほうである。何故か?郭教授の個性が楽しいし、面白いからである。

 ここで話はガラリと変わる。
 焼酎には甲類と乙類がある。乙類のほうは芋だの麦だのの風味が売りものだが、甲類のほうはほとんど無味だそうだ。勿論、乙類のほうがのぞましい。でも、恥ずかしながら、焼酎の飲み始めのころは、芋だの麦だのの風味がきつくて、薩摩の芋焼酎にあうサカナは、薩摩揚げくらいのもの、なんてバカなことをいっていた。最近では芋臭い芋焼酎が少なくなって、なんだか寂しい。ちょっと前まで、白波のお湯割りなんか飲んでいると、隣の席から「薩摩の生まれか?」なんて声がかかったんだが。
 大丈夫なのは無味の甲類だけど、旨いのは臭い乙類である。
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