靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

楊上善注の訓詁

『太素』巻26虫癰に,(句読は新校正による)
黄帝問於歧伯曰:氣爲上鬲,上鬲者,食飲入而還出,余已知之矣;蟲爲下鬲,下鬲者,食晬時乃出,余未得其意,願卒聞之。
楊上善注:晬,子内反。膈,癰也。氣之在於上管,癰而不通,食入還即吐出;蟲之在於下管,食晬時而出,蟲去下虛,聚爲癰,故須問也。
この「膈,癰也。」が,「膈」字の訓詁,「膈とは,癰なり」を載せたというつもりならば,それは誤りであろう。おそらくは「膈癰也。」で,「膈が癰している」であろう。そして,気が上脘に在ればただちに吐き,虫が下脘に聚まっていれば時をおいて吐く。

Comments

神麹斎
以下のような質問のメールをもらいました。

「膈,癰也」の件でありますが、楊上善は「上鬲」「下鬲」を部位的なものと考えたのでしょうか。
もし「膈」を、塞・満と考えていたとしたら、「膈,癰(ふさがる)也」とは言えないでしょうか。

コメントにしてくれればいいのにね。それはさておき,

一般的な解釈では,「膈」も「癰」も、塞・満の意味で,従って「晬」の音は子内反でサイ,「膈」の意味は癰(ふさがる)なりと注記したと考えるわけです。で,皮肉れものの私は,「晬」と「膈」(鬲)が出てくる順序が経文と違うのが気に入らないんです。だから,訓詁としては取りあえず難字の「晬」の音はサイだよとだけいった後,それとは別に嘔吐にいたる時間の違いの医理を説明していると考えたわけです。
取りあえず膈に癰があって,あるいは塞がって,だから嘔吐する。「癰」は原鈔では「㿈」と書かれ,実は「壅」の間違いとも考えられる。もし気が上管(上脘)に在って,ふさがっているのが原因ならば,食べて即時に吐く。もし虫が下管(下脘)に在って,それが原因(ちょっとややこしい説明がありますが)でふさがっているのなら,食べてしばらく間をおいて吐く。だから,その区別の必要があるから質問するわけだ,といっている。経文の「鬲」を,注文では「管」に置き換えているわけだけど,そういうやり方もあるにはある。
経文と注文で,文字の登場の順が違うということから言い出しているんですが,実は楊上善の注には,ままそうしたことはあるんです。だから,上の主張も声高にいう気は無いんです。
順が整然としてない例として,『太素』巻2順養の経文に「甘露不下則菀槗不榮」とあり,楊上善注に「菀槗當為宛槁宛痿死槗枯也於阮反」とあります。楊氏は,何を何と為すべきだと言っているのか。また訓詁を施そうしているのはどの字なんだ。
『干禄字書』に「𠳮」は「喬」の俗とある。してみると,「菀橋」は間違いで,「宛槁」が正しいというつもりだろうか。しかし,仁和寺本『太素』の原鈔では,「槗」はおおむね「槁」のつもりで書かれているようです。では言いたいのは,「菀」の草冠をはずせというだけのことなのか。それはさておき,注のつづきに,「宛」の義と音は記している。一般には「槁」の意味も「枯也」と記されているとされる。つまり「宛は痿死であり,槗は枯である,於阮の反」と訓む。でも,中に別の字の訓詁をはさんで,前後に義と音を記すというのも妙なはなしではないですか。あるいは訓詁についても,問題にしたのは「宛」字だけなのではないか。つまり,「宛とは,痿え死して,槁れ枯れることである,於(ヲ)阮(グェン)の反」というだけのことではないか。まあ,相当に苦しい解釈だとは,私自身も感じてはいますがね。
2010/02/14

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