靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

不可不治

……自ずから訛謬有り、過ちて鄙俗を成す。亂の旁を舌と爲し、輯の下に耳無く、黿鼉 龜に從ひ、奮奪 雚に從ひ、席中 帶を加へ、惡の上に西を安んじ、鼓外皮を設け、鑿の頭 毀を生じ、離は則ち禹を配し、壑は乃ち豁を施し、巫に經の旁を混じ、皋は澤の片を分ち、獵は化して獦と爲し、寵は變じて竉と成り、業の左に片を益し、靈の底に器を著く。率の字は自ずから律の音有り、强ひて改めて別と爲し、單の字は自ずから善の音有り、輒ち析ちて異と成す。此の如きの類は治めざるべからず。……(『顔子家訓』書證篇より)

今、仁和寺本『太素』の巻二十一と二十七の飜字の作業が最終段階に入っていますが、結局どうしたいのかというと、つまり顏之推先生にあんまり叱られないですむようなものに仕上げたいということです。もっとも、顏之推先生自身が、「正に從へば則ち人の識らざるを懼れ、俗に隨へば則ち意にその非を嫌し、略ここに筆を下すを得ず。見る所漸く廣くして更に通變を知り、前の執を救い、將に半ならんと欲す。」と言ってます。我々なんかとてもとても。

文明論の衝突

よく文明の衝突などという的はずれな議論を耳にするが、現在の地球上には西欧近代科学文明の発展型である現代文明以外に、いかなる文明も存在してはいない。それを端的に示すのは、優劣の差がはっきり出る軍事力の形態である。ジェット戦闘機、ヘリコプター、ロケット弾、ミサイル、戦車、野砲、機関銃、自動小銃、水上艦艇、潜水艦、レーダー、核兵器など、各国の軍隊が装備する兵器、及びその運用に不可欠なコンピューターなどは、その一切が西洋近代科学文明に源を持つ。戦争しようとする場合、何民族であろうと、何教徒であろうと、西欧近代科学文明が生み出した兵器を使用しない軍隊は存在しない。(『古代中国の宇宙論』 浅野裕一著 岩波書店 まえがき より)

いや、明解なもんですな。もっとも、その現代科学の粋である圧倒的な軍隊を率いたアメリカさんが、わけのわからん殉教の価値に裏付けられた抵抗に手を焼いているわけだけどね。とはいうものの、自爆させるのも西欧系現代科学に基づく爆弾だわねえ。あの飛行機も、勿論、西欧系現代科学。
 

不信仰告白

私には諸先生、諸先輩に言いたくて言えなかったことが有る。それは伝統医学を志す人のかなりに見られる、極端な事実と妄想の混淆である。何も鍼灸に志す人だけの話ではない。伝統医学の臨床の上手という人の話をしばらく聞いていると、その人が古い医書に書かれたことを全く無批判に信じ切っていることを知って愕然とすることがある。この日本では、古医書とは信仰の対象か、訓読して終わる臨床家のお飾りレベルのものであるようだ。でもそれでは、占いとお呪いの世界を脱却し、もう一つの医学をめざすことなどはできはしない。

11月の読書会

11月12日(日)午後1時~5時
場所はいつものところ。
岐阜駅南口からは加納地区コミュニティバスが12:30に出るようになったようです。これだと南部コミセンの玄関先まで入ってきてくれます。

『霊枢』は「脹論」から。ただし,その少し前の篇までもどって,再検討することになりそうです。

新しい北京

どちらも2006年9月25日現在の北京の琉璃廠の近くです。

上の写真,中国の大都市がどんどん真新しくなっていく,と言っても,北京のど真ん中にこういうのが有るんですからね,今のところは。何だか,ほっとしました。
下の写真は,歩道のまず80%くらいを占める階段が有って,ただ昇って降りるだけです。北京のトマソンなんだけど,厳密には無用の長物ではない。画面左側の店の入り口の高さに合わせてあって,この階段が無ければお店に入れない。だけど歩行者にとっては……。この青年もただ昇って降りてきただけです。別にお店から出てきたわけじゃない。

危険地帯

ここで話題にするようなことには,所詮正解などは無い。だからみんな愚答です。愚答しか返ってこないのが分かっているのに質問する,勿論みんな愚問です。
でも,愚問と愚答をおそれて静かにしていたんでは,何もおこらない。取りあえず愚答、妄言を積み重ね,毒気を発し続けて,現在の「何となく分かったつもり」の古典世界の破壊をもくろんでいます。

そういえば,北京も現在「取りあえず」破壊の真っ直中です。再建される北京が,より良いものになるように,みんなでお祈りしましょう。

井滎兪経合

満足のいくような答えは無いんでもうしわけない。
『難経』六十八難の「井主心下満,滎主身熱,兪主体重節痛,経主喘咳寒熱,合主逆気而泄」は,つまり井滎兪経合に五行に基づいて五蔵を配し,その主要な病症を配したのだと思います。ただし,『難経』は理論の整合性を重んじた書物ですから,用心してかかる必要が有ります。(つまり,無理なでっち上げも当然多い。)
そもそも『霊枢』では末端から冬・春・夏・長夏・秋と並べています。順気一日分為四時篇の腧穴の使い分けに,冬もしくは蔵に問題があるときは本輸穴のうちの井穴を取る,春もしくは色に変化が見えたときは滎穴を取る,夏もしくは病が時に間し時に甚だしいというときは輸穴を取る,長夏もしくは変化が音に現れたときは経穴を取る,秋もしくは飲食不節によって得た病には合穴を取る,というのが有りますね。冬から始まるのは不思議なような感じもするけれど,陰陽論から言えば,冬至に一陽が生じて,次第に陽が盛んになるのだから,そのほうがある意味で理にかなっているわけです。『難経』七十四難で春から始めるように変更したのは,果たして新たな経験なのか,それとも理論応用の変更にすぎないのか、ちょっと難しいところでしょう。
『素問』『霊枢』には本輸の使い分けに関する記述はあんまり無い。季節に応じて何処を取るべきかという記述があって,その中に分肉とか腠理とかいう言葉に混じって,井・滎・兪・経・合という文字もちらほら見える。これをひっくり返して,井滎兪経合による表を作れば,井は冬だとか,冬は陰の極であるから同じく陰の極である蔵ともかかわるとか,になるわけです。ところが『難経』のように井を冬から春に配置転換すると,配当するものにも変更が必要になるわけで,春は木で肝でその主要な任務は疎通させることだから,それに異常が有れば,滞って「心下満」ということになる。まあ,そういったカラクリだろうと思います。
それはそうとして,井穴の威力は大変なもののようで,陰の極にも陽の極にも良く効くらしいから,『霊枢』の配当だろうと,『難経』の配当だろうと,まあどっちでも大丈夫です。
本当は兪か経あたりがニュートラルで,それより末端側を取るか躯幹側と取るかで陰陽に対応する,と言いたいんだけど,なかなか上手くおさまらない,というのが現在の私の思考の限界です。

愚問愚答

内経医学に於いては、正しい回答などというものは無い。問いに託けて、自分の妄想を言い散らすだけのことである。
最新の質問の一つに、経脈を流れる気とは何か?というのが有る、というのにも既に自分が話したいように質問をねじ曲げている気配が有る。
そもそも経絡には3つの要素が混淆していると考える。一つは血管、一つは経筋、そして患部と診断兼治療点の間に仮設した線。この最後のものが他の世界の医学には無いもので、少なくとも体系としては無いもので、針灸医学の拠って起つべき地である。
で、さてそこに流れるものは何か?つまり信号が伝達されるわけだけれど、それを担うものは何か?分からない。名づくべくも無いものに、仮に名づけて気という。
気とは何ぞや、はどうでも良い。
どことどことが繋がっているのか、どのように繋がっているか、此処でどう信号を送ると彼処でどう反応するか(どう反応したと古代の名医は言っているか)。仮設した線に実体が有るかどうか、実体が有るとしたらそれは何か、は問わない。問うても正解が有るわけがない。実体が有るかどうかが分からないものに流れている(ことになっている)ものの実体なぞ、分かるわけが無い。

10月の読書会

10月8日(日)午後1時~5時
場所はいつものところ、ただし多目的室になります。

ここのところ『太素』に夢中になっているけれど、『霊枢』も真面目に読まないとね。

日本針灸?

当然と言えば当然だけれど、中国には中医学に基づく中国針灸が有り、韓国には韓医学に基づく韓国針灸が有るのだそうです。それどころか、欧米にはヨーロッパ文明に裏打ちされた欧米針灸が有り、世界各地には民族や土地柄などの個性を伺わせるような世界針灸が芽生えているそうです。
そこで日本にも日本針灸の誕生が、旗揚げが望まれる。
お言葉ですが、日本針灸なんか要らない。少なくとも私には関心が無い。有るべきものは、取りあえずは『霊枢』針灸、それでは足りない部分を『素問』や『明堂』、あるいは『諸病源候論』あたりにも加勢を願って、内経系針灸を確立させたい。その後は各々が気に入った医書や経験を加味して百家の流派を立てれば良い。仲間が日本人だって、中国人だって、欧米人だってかまったことは無い。ただ、アーユルヴェーダ風針灸だとか、アラビア医学風針灸とかは、仲の良いお隣さんにはなれても、仲間ではない。
お言葉通り、日本の医学界に哲学が欠如しているのは古来のことです。かつては有ったと思っているものも実は古代中国哲学でしょう。つい先頃はヨーロッパ哲学だったかも知れない。自前の哲学って何のことでしょう、そんなもの有りましたっけ。無理に探すと新興宗教になってしまいそうなんですが。
だから、ましてや、現状の臨床各派の平均を取って「日本針灸」なんて言ってみてもしょうがない。少なくとも各派が各派の成立の歴史を互いに説明できなければ融合なんてできるわけがない。根幹をなす理論のよりどころを、きちんと説明できる流派が有るとは、今のところ思えない。「だって先生(先輩)が言ったんだもん。」
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