愚問愚答
- 医論異論
- by shenquzhai
- 2006/09/27
内経医学に於いては、正しい回答などというものは無い。問いに託けて、自分の妄想を言い散らすだけのことである。
最新の質問の一つに、経脈を流れる気とは何か?というのが有る、というのにも既に自分が話したいように質問をねじ曲げている気配が有る。
そもそも経絡には3つの要素が混淆していると考える。一つは血管、一つは経筋、そして患部と診断兼治療点の間に仮設した線。この最後のものが他の世界の医学には無いもので、少なくとも体系としては無いもので、針灸医学の拠って起つべき地である。
で、さてそこに流れるものは何か?つまり信号が伝達されるわけだけれど、それを担うものは何か?分からない。名づくべくも無いものに、仮に名づけて気という。
気とは何ぞや、はどうでも良い。
どことどことが繋がっているのか、どのように繋がっているか、此処でどう信号を送ると彼処でどう反応するか(どう反応したと古代の名医は言っているか)。仮設した線に実体が有るかどうか、実体が有るとしたらそれは何か、は問わない。問うても正解が有るわけがない。実体が有るかどうかが分からないものに流れている(ことになっている)ものの実体なぞ、分かるわけが無い。
最新の質問の一つに、経脈を流れる気とは何か?というのが有る、というのにも既に自分が話したいように質問をねじ曲げている気配が有る。
そもそも経絡には3つの要素が混淆していると考える。一つは血管、一つは経筋、そして患部と診断兼治療点の間に仮設した線。この最後のものが他の世界の医学には無いもので、少なくとも体系としては無いもので、針灸医学の拠って起つべき地である。
で、さてそこに流れるものは何か?つまり信号が伝達されるわけだけれど、それを担うものは何か?分からない。名づくべくも無いものに、仮に名づけて気という。
気とは何ぞや、はどうでも良い。
どことどことが繋がっているのか、どのように繋がっているか、此処でどう信号を送ると彼処でどう反応するか(どう反応したと古代の名医は言っているか)。仮設した線に実体が有るかどうか、実体が有るとしたらそれは何か、は問わない。問うても正解が有るわけがない。実体が有るかどうかが分からないものに流れている(ことになっている)ものの実体なぞ、分かるわけが無い。
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