新発見の医簡
- 雑事
- by shenquzhai
- 2006/04/01

……休息している閑な時間
……また一説、初めの三皇の時には玄中法師となり、次の三皇の時には金闕帝君となった。伏羲の時には鬱華子となり、神農氏の時には九霊老子となり、祝融氏の時には広寿子となり、黄帝の時には広成子となり、顓頊氏の時には赤精子となり、帝嚳の時には禄図子となり、堯の時には務成子となり、夏の禹王の時には真行子となり、殷の湯王の時には錫則子となり、周の文王の時には文邑先生となった。あるいは王室文庫の司書であったともいう。越の国では范蠡となり、斉の国では鴟夷子となり、呉の国では陶朱公になったともいわれる。……だから何なんだ、なんですがね、『神仙伝』(晋・葛洪)の老子の項に載ってます。もっとも『列仙全伝』に引く混元図は「神農時為太成子」です。他にも少しづつ異なるものが有る。ちなみに『列仙全伝』は漢・劉向の『列仙伝』とは別で、仙人の伝記の集大成として明代の編輯です。
匠石齊に之く。曲轅に至りて櫟社の樹を見たり。その大いさ數千牛を蔽い、これをはかるに百圍あり、その高きこと山を臨む。十仞にして後に枝有り、その以て舟を為るべきもの旁に十數あり。觀る者市の如し。匠伯顧みず、遂に行きて輟まらず。弟子つらつらこれを觀て,走りて匠石に及びて曰く、「吾れ斧と斤を執りて以て夫子に隨いてより、未だ嘗って材の此くの如くそれ美なるものを見ざるなり。先生肯て視ず、行きて輟らざるは、何ぞや?」と。これをもって思えば、檪窓もまた世をすねた号である。彼が幕府の医官であったことも、「すすみて無用を取るに、則ち社と為れるは何ぞや」に対する「彼また直だ寄せしのみ」が弁明になっている。その保つ所は、衆と異なれり。
曰く、「已めよ。これを言うこと勿れ!散木なり。以て舟を為れば則ち沈み、以て棺槨を為れば則ち速やかに腐り、以て器を為れば則ち速やかに毀れ、以て門戶を為れば則ち液をふきだし、以て柱を為れば則ち蠹まる。これ不材の木なり、用うべき所無し。故に能くかくの若く壽し」と。
匠石歸る。櫟社夢に見れて曰く、「なんじは將になににか予を比さんとするや?なんじは將に予を文木に比さんとするか?それ柤梨橘柚果蓏の屬は、實熟すれば則ち剝れ、則ち辱しめらる。大枝は折られ、小枝はなだめらる。これその能を以てその生を苦しむるものなり。故にその天年を終えずして中道に夭す。自ずから世俗に掊ち擊かるるものなり。物はかくの若くならざるは莫し。かつ予は用うべき所無きを求むること、久しきなり。幾んど死せんとして、乃ち今これを得て、予が大いなる用を為せり。予をしてまた用有らしめば、かつこの大なるを有するを得んや?かつまたなんじと予はまた皆物なり。柰何ぞそれたがいに物とせんや?なんじは幾んど死せんとする散人なり、また惡んぞ散木なるを知らんや!」と。
匠石覺めてその夢を診す。弟子曰く、「すすみて無用を取るに、則ち社と為れるは何ぞや?」と。
曰く、「密にせよ!なんじ言うこと無かれ!彼また直だ寄せしのみ。以て己を知らざるものの詬り厲しむると為すなり。社と為らざるも、またあに翦らるること有らんや!かつまた彼その保つ所は、衆と異なれり。しかるを義を以てこれをはかるは、また遠からずや!」と。
願わくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ例えば今年の旧暦二月の満月は、新暦の三月十五日。「きさらぎの望月」に桜は、ちと、早過ぎやしませんか。和歌で花と言えば桜ということになっているけれど、この花、本当に桜なんでしょうか。いまの染井吉野は、むかしの山桜より遅いのでしょうか。それとも、「やよい」では字数が合わないからの絵空事なんでしょうか。
『本草綱目』によれば、黄鳥は一に黄鶯、また黄鸝・鵹黄・楚雀・倉庚などと呼ばれて、立春後すぐ鳴き出して、麦の黄ばむころ最もよく鳴き、その声は円滑で機を織るようであると。これはまずウグイスに当てはまる要件であるが、その形色が違う。すなわち鸜鵒(哵哵鳥)よりも大きく、体毛は黄色で、羽及び尾に黒毛があって相間て、黒い肩、尖った嘴、青い脚、とある。これでは「体毛は黄色」以外は一つもウグイスに該当しない。……ところで私が夜鳴くように考えたのは見当違いで、実は朝非常に早く、人がまだ眠っているうちに鳴くのらしい。それは唐詩を見ると、春暁に鶯を聞く詩が多いのに徴して明らかである。日本では梅にウグイスであるが、中華では柳に鶯であることにもふれて、杜甫の対句を例に挙げてある。
兩個黄鸝啼緑柳 一行白鷺上青天
およそ梅花の蕚はみな海老茶色なのに、ただこの品種のみは緑で、枝も小枝も青く、特に清く気高いので、好事家はこれを九疑山の仙人蕚緑華に喩えている。京師の艮嶽に萼緑華堂というのがあって、その堂の下にはもっぱらこの花が植えられていたが、民間には多くないので、当時は貴重されたものである。私の好みのものは、この緑蕚梅のようだけど、徽宗皇帝と趣味を同じくするのは、光栄なんだか恥ずかしいんだか。ただ清・文震亨『長物志』にも、「緑蕚が一段とすぐれ、紅梅はちと俗だ」と評されている。また我が青木正児『中華名物考』にも、緑蕚梅についての文章が有って、日本ではアオジク(青軸)と名づけ、花の香りが非常に高いとして、「読者諸君の中に、もし緑蕚を知らずして梅は香ると思っている人があったならば、それは妄信に過ぎない」とまで言う。
軒轅之國在窮山之際,其不壽者八百歲。在女子國北。人面蛇身,尾交頭上。そりゃまあ、古の天神に人面蛇身は多いわけで、伏羲や女媧もそうなんですがね。